城島城(じょうじまじょう)

城島城の基本情報

通称・別名

城島館

所在地

福岡県久留米市城島町城島

旧国名

筑後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

西牟田家周

築城年

天正11年(1583)

主な改修者

主な城主

西牟田氏、薦野増時(立花氏家臣)、宮川氏(田中氏家臣)

廃城年

元和元年(1615)

遺構

堀、石垣

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

生津城(福岡県久留米市)[3.8km]
海津城(福岡県久留米市)[5.2km]
直鳥城(佐賀県神埼市)[5.6km]
蓮池城(佐賀県佐賀市)[6.5km]
津村城(福岡県大川市)[7.9km]

城島城の解説文

城島城(じょうじまじょう)は福岡県久留米市に存在した平城。

概要
筑後川左岸の自然堤防上に位置し、対岸は肥前国になる。本丸は38間四方で周囲に堀が巡り、その外側に東西48間・南北32間の二の丸があった。二の丸や3つの櫓などもさらに川や堀で囲まれる構造であった。

天正11年(1583年)に生津城が落城した後、西牟田家周が築城した。西牟田氏は龍造寺氏に属し、天正13年4月28日(1585年5月27日)に立花道雪や高橋紹運が率いる大友軍の攻撃を受けた際には100-200名を討取って撃退した。しかし天正14年(1586年)に島津氏の攻撃を受け、家周は肥前に逃れている。天正15年(1587年)の九州国分で当城は立花宗茂の所領に入り、家臣・薦野増時が城代に任命されている。

慶長6年(1601年)には田中吉政が筑後一国を受領し、家臣の宮川十丸が当城の城代となった。その後、元和元年(1615年)の一国一城令により廃されている。廃城後、石垣や石材、材木などが久留米城の修築に利用されたという。現在、跡地には天満神社や城島町立城島小学校が建っている。

参考文献
角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(40.福岡県)』、角川書店、1988年
日本歴史地名大系 (オンライン版)

城島城の口コミ情報

カーネル様[2017年03月04日]
西鉄天神大牟田線の犬塚駅から、西へ西へ

県道15号を歩きますが、交通量が多いけど歩道があるのは4割くらいです。ちょっと怖い。道は単調なので黙々と歩きます

片道4km45分で、城島小学校に到着です。この北側に位置する天満宮に城跡碑と案内板があります

城に関する遺稿は、全くわかりませんでした

道中の左手にある、警察署の前の鬼瓦(たぶん城とは無関係)はよかったです

大善寺行きのバスもありますが、時間が合わなかったので歩きました。往復と見学時間で1時間40分くらいでした

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