蓮池城(はすいけじょう)
蓮池城の基本情報
通称・別名
- 小曲城、小田城、蓮池陣屋
所在地
- 佐賀県佐賀市蓮池町大字蓮池(蓮池公園)
旧国名
- 肥前国
分類・構造
- 平城、(陣屋)
天守構造
- -
築城主
- 小田直光
築城年
- 応永34年(1429)
主な改修者
- 鍋島直澄
主な城主
- 小田氏、後藤氏、龍造寺氏、鍋島氏、石井氏
廃城年
- -
遺構
- 横堀(水堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
直鳥城(佐賀県神埼市)[3.1km]
三重津海軍所(佐賀県佐賀市)[4.7km]
水ヶ江城(佐賀県佐賀市)[5.0km]
津村城(福岡県大川市)[5.3km]
佐賀城(佐賀県佐賀市)[5.3km]
姉川城(佐賀県神埼市)[5.4km]
鹿江城(佐賀県佐賀市)[6.2km]
城島城(福岡県久留米市)[6.5km]
高木城(佐賀県佐賀市)[7.2km]
蒲池城(福岡県柳川市)[8.0km]
蓮池城の解説文
[引用元:Wikipedia「蓮池城」の項目]
蓮池城(はすいけじょう)
- 蓮池城 (土佐国) - 高知県土佐市にあった城。
- 蓮池城 (肥前国) - 佐賀県佐賀市にあった城。
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蓮池城の口コミ情報
2024年11月09日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
上大津城[蓮池城 周辺城郭]
佐賀県佐賀市の諸富町徳富字上大津にある【上大津城(上大津遺跡)】♪南流する佐賀江川と筑後川が合流する西側の右岸、平野部に立地した、水城となります♪諸富津の北部に立地し、現在は上大津集落として住宅地になっていますが、この場所が城郭となります♪
佐賀といえば、古来よりその多くの歴史、史跡、地名など今に残していますが、この『大津』という地名に付いてです♪古代の肥前の中心地とされる肥前国府は、嘉瀬川が脊振山地から平野に出る谷口の左岸に営まれていますが、この国府が内陸にある場合、近くの海岸に外港として『国府津』を置き、大津と称する事が多いです♪この上大津もその地名から来ていると思われます♪所謂、古代は上大津や南側の下大津は肥前国府による外港として栄えたのでは無いか?と想像する事が出来ます♪
上大津城は築城年、築城主など不明な城郭です。誰の城郭かは分かりませんが、領域的には、戦国初頭は蓮池城(小曲城)の小田氏、後に龍造寺氏、鍋島氏の所領でしょう。
現在の上大津地区の集落を中心に広がる、弥生時代後期から室町時代にかけての集落遺跡であります。この場所からは井戸跡や住居跡・溝・土塁などが確認されていますが、現在は濠(クリーク)意外は消滅しております。
この濠も、圃場整備などにより、その形の多くは変形、補正されているものでしょう♪
上大津城跡は、中世から近世にかけての館跡となります♪その規模感などは分かりませんが、濠割がその名残を留めている事が唯一確認出来ます♪佐賀平野において、圃場整備事業などの進捗に伴い、今後もまだまだ町内各地区で色々な埋蔵文化財が発掘されるでしょう♪
上大津城の付近のシコ名、字、調べてみましたが、城に纏わるものは感じ取れなかったです。が、寺の内、ざすのうえ、五本松、セーコージ(小路?)ていじんなどが残っています♪
2024年08月18日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
寺井城[蓮池城 周辺城郭]
佐賀県佐賀市の諸富町にある【寺井城】♪字名、寺井津と云う名の通り、有明海の河口付近で、東側には新川と筑後川があり、支流となる早津江川の右岸に城郭は立地しています♪閑静な住宅地の中に標柱があります♪
今でこそ住宅地の中ですが、かつての寺井城の城下町である寺井は、商業地として栄えた場所であり、柳川・久留米を凌ぐ勢いがあったとされ、コレは筑後川と早津江川という運河を利用した賜物でしょう♪
新北村史蹟、寺井津万福寺住職定良悦応所蔵『寺井由来記録』には【ニ云 寺井元ハ照江ト名ク 行基菩薩菩提僧正ヲ送リ 当国ニ来テ 天山ノ峰ヨリ 此ノ入江ヲ見給フニ 江上ニ光アリテ照ス 故ニ此名ヲ立テ給フト 此處ニ領主アリ 定良駿河守ト号ス 四人ノ男子アリ 長子ハ昌興 次ハ昌寿 三ハ昌善 皆早世ス 菩提寺ノ為メ二三所に寺ヲ建ル 今二昌興寺 昌寿院 昌善寺ノ三ヶ寺是ナリ。】と記されていて、行基が僧を送り込み、天山の峰より、この寺井を見渡したとする♪定良駿河守が領主として居城し、四人の子供が居て、其々に菩提寺を建てた、という事が分かります♪
寺井集落の中には多くの寺院が残っていますが、コレらの影響が色濃く残る事が考えられます♪
築城年代や築城者は不明です♪天文元年(1522)定良駿河守義秋が居城したと伝わります♪寛政4年(1792年)川副東郷為重村の絵図には、昌興寺、昌寿院、正善寺(昌善寺?)は浮盃津の北に隣接して記されています♪
後世には、この3つの寺院は多聞院に合併されています。定良駿河守の末子は出家し慶照と名乗り、定良駿河守の法号である万福をそのまま寺号として、万福寺を開基したと伝わります♪現在、万福寺に標柱が残ります♪
寺井城地区は城下町にして名高き商業地で、寺井一千軒と言われました♪妄想が広がりました♪
因みに寺井の西側には浮盃があり、不老不死の薬を探しに来た徐福さんが、有明海から佐賀の地に来たという伝承も残っていました♪
コレも伝承ですが、寺井の地名は、徐福さんがこの地に上陸をした際に、手を洗う為の井戸を掘らせた事から手洗井が寺井という地名が起こったと伝わります♪
2023年01月10日 つぼこ
蓮池城
神社があったと言うことで鳥居が残っています、その奥に石の橋がかかり、社があった所に東屋があります。駐車場は佐賀江川を挟んだ蓮池公園側にあります。
2022年09月30日 マグロ常陸介祐平
蓮池城
城址は蓮池公園として整備されていますが、城としての案内は見当たらず、遺構はよくわかりませんでした。近くの宗眼寺には蓮池藩歴代藩主と一族や藩士の墓があります。
2021年07月29日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
正覚山・宗眼寺[蓮池城 寺社・史跡]
佐賀藩の佐賀市にある【正覚山・宗眼寺】☆今回は城郭では無いですが、歴史のある古いお寺さんです☆
ここお寺は蓮池・鍋島氏の菩提寺になっています☆
正覚山・宗眼寺は曹洞宗のお寺で江戸時代に鍋島直澄が建立し藩主累代のお墓が残っています☆看板も綺麗に設置されていて蓮池鍋島家に触れる事ができます♪
東300mも行かない位の場所に蓮池城があり蓮池郭内になっていて正覚山・宗眼寺は往時、城下の一角だったのでしょう☆
この正覚山・宗眼寺の周りもまた濠で守られています☆
2021年07月15日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
小杭氏館[蓮池城 周辺城郭]
佐賀県の佐賀市にある小杭氏館☆北に肥前・太田城、諸富津の西側に位置する小杭氏の館☆東側には山領集落があり、山領の枝村になります☆
集落内に『源内屋敷』と呼ばれる場所があって、ここが小杭氏の館の中心と考えられています☆小杭氏の歴史詳細については不明ですが、集落内には濠が残ります☆
古くから残る『源内屋敷』は神功皇后に随行して畿内より来住した武士の屋敷とも伝わっています☆更に『日本書紀』には四世紀半頃神功皇后は新羅と戦争を行った☆その際に山城国(現在の京都府)源内政直が随行し報酬として当地を賜り永住したと伝えられています☆
2021年07月13日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
太田城[蓮池城 周辺城郭]
佐賀県の佐賀市にある肥前・太田城♪諸富津の北側の大津集落の北隣に位置します☆
この地を太田庄とする説もありますが杵島にある太田庄が有力となります☆実はこの地はあの太田道灌の5代目の胤太田美濃守資元が川副庄に下向し土着した事が始まりになります♪
肥前太田氏は江戸時代には鍋島家に支えて佐賀藩国老役を務めています☆太田氏は鍋島姓を許され太田鍋島家になり三根郡西尾・神崎郡用作へ知行替えし生き抜きました☆
集落内には太田資元が創建した慈広寺と太田神社が残ります♪太田神社の鳥居には『鎮西肥前国 川副庄太田村六所大明神社 干時元亀元年正月吉辰之日 大願主月昌妙江大姉敬建之』と記されています☆
『妙江大姉』とは鍋島直茂の養女で太田氏の13代目の太田茂連の妻になります☆
残る遺構としては濠、土塁等が残りその原形を今に留めます☆
2021年07月12日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
大堂陣内遺跡[蓮池城 周辺城郭]
佐賀県の佐賀市にある大堂陣内遺跡☆陣之内と呼ばれる地名が残る諸富町大字大堂字・加与丁上、加与丁下☆筑後川の支流の佐賀江川流域の平坦地で東に蓮池城、北西に佐賀城という場所に立地します☆
歴史詳細は不明です☆
が、この陣之内には佐賀本藩と蓮池藩の侍達が居住していました☆
幕末期には富永岩馬が私塾を開き学問を教えていたと残ってます☆
「陣之内」の集落をクリークが巡ってます♪今は農地整理等で、堀幅は狭くなってしまっていますが、かつては15m程の幅がありました☆ここまでいくと城館だったのでは無いか?『佐賀県の中近世城館』では加与丁出城という可能性も指摘しています☆
2021年06月29日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
蒲田江城[蓮池城 周辺城郭]
佐賀県の佐賀市にある【蒲田江城】♪南北朝時代に菊池武安によって築かれたと伝わります☆南朝方の拠点の一つという訳です☆
戦国時代には崎村城の犬塚家貞の次男・犬塚家重が城主になり西犬塚氏を称しました♪(犬塚氏は三犬塚と称されていてそれぞれ、直鳥犬塚は直鳥城、崎村城は東犬塚、蒲田江城はココ西犬塚)が治めました☆南北朝時代に菊池氏が築いた旧城に犬塚家重が築いたと考えられています☆
豊後の大友宗麟が肥前・龍造寺隆信を攻めた際に東犬塚の犬塚鎮直は龍造寺氏に味方して、西犬塚の犬塚尚重は大友氏に荷担しました♪東西犬塚氏は、この戦闘によって同時に主君を失いました☆
東犬塚では犬塚鎮直の遺子・百十丸(後の犬塚家広)は龍造寺隆信の支援を受けて中津隈城に移封されました☆この蒲田江城は犬塚鎮家が継ぐも龍造寺隆信に追われて筑後に逃亡しますが…☆
龍造寺隆信は藤津郡への有馬義純の勢力を討つ為に、もう一度犬塚鎮家を招請しました☆
この有馬義純排除に成功した犬塚鎮家は龍造寺隆信より藤津郡に二百町歩を与えられました♪名前を播磨守盛家と改名し、鹿島市にある森岳城に入城しました☆犬塚鎮家の移封で蒲田江城は廃城…も、犬塚氏の子孫は鹿島支藩に代々支えていきました☆
2019年07月14日 風祭すぅ
蓮池城
看板や城堀の水路などは残っているが、ほとんど説明書きがないのでよくわからない。城跡に作られた蓮池神社も今はない。城域は、蓮池公園として整備され、桜の名所。しかし、もうすこし整備されれば素敵な公園になりそうだけど、荒れてるのが残念。
2016年09月17日 カーネル
蓮池城
直鳥城を南にでて、住宅街を右左折を繰り返して1時間かけて蓮池公園へ
道中は車1台分の細い道で交通量は少なく散策には最適です
蓮池公園は城というより庭園のようです。遺構はよくわからず、城に関する案内もあまりありませんでした
公園をでて西へ向かい、県道48号にでて北上します
国道264号にぶつかり、右に行くと[西原の町]バス停があり佐賀バスセンター(佐賀駅です)に戻りました
神崎駅-直鳥城-蓮池城-バス停で4時間。ずっと舗装路を歩いたので余計に疲れました
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです