鹿江城(かのえじょう)

鹿江城の基本情報

通称・別名

鹿ノ江城、鹿江館、鹿ノ江館

所在地

佐賀県佐賀市川副町大字鹿江

旧国名

肥前国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

鹿江氏?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

鹿江氏、龍造寺氏

廃城年

遺構

横堀(水堀)、土塁

指定文化財

再建造物

周辺の城

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鹿江城の解説文

鹿江城(かのえじょう)は佐賀県佐賀市川副町にあった城である。鹿江館ともいう。

遺構 

佐賀市南部、有明海北岸の低地に位置する平城で、現在は鹿江集落の中の宅地や水田に埋没する形でその痕跡をとどめている。

かつて正法寺の東方約180m、威徳寺の南方約170mの一帯を「館中」と称していたことから、その辺りが城の主郭にあたる部分であったと考えられる。

佐賀平野には姉川城(神埼市)のようにクリークの地形を活かして環濠を周囲に巡らせた城館が数多く存在し、一見すると自然地形と人工的な城郭遺構の区別が付きにくいが、鹿江城の主郭については現在の地図からも確認できる北・東・西および南西隅にある水路は現存する水堀であるという。また、主郭北東隅の畑地縁辺には土塁跡らしき高まりが見られる。

歴史 

築城主・築城年代は不明だが、天文14年(1546)龍造寺隆信の曾祖父家兼が仇敵馬場頼周討伐のために挙兵した際、これに協力した川副一帯の領主の一人、鹿江兼明の居城であった。

また、天文22年(1553)に家臣に追われて逼塞していた隆信が再起した際にも鹿江氏が協力し、鹿江城に隆信を迎え入れてこれを支援したという。

交通 

・JR九州長崎本線佐賀駅から車で約30分

参考文献 

・『佐賀県の中近世城館 第2集』佐賀県教育委員会、2011年3月。
・『日本城郭大系 第17巻』新人物往来社、1980年。

鹿江城の口コミ情報

2022年09月24日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
松土井[鹿江城  遺構・復元物]



佐賀県の佐賀市の西与賀・東与賀に跨る様に残る【松土井と大搦堤防に授産社搦堤防】♪3つの堤は連なる様に構築されています♪佐賀平野の穀物を守る為に築かれた堤防としての役割を果たしています♪

構築は1630年と云われています♪
この松土井は構築当初はここまで立派なものでは無かった様で、都度、高潮被害などにより決壊と補強を繰り返されました♪
古くから西与賀、東与賀の地は干潟開発に力を注いでいたという訳です♪

連なる様に大搦堤防、授産社搦堤防に続きます♪西与賀、東与賀町はほぼ全体が干拓地となっています♪第2線堤と呼ばれる大搦・授産社搦堤防は、明治時代初期に造られたもので往時の有明海沿岸の干拓堤防としては最大規模であるといわれています♪

有明海という自然の脅威にさらされながら考え広げ造ってきた堤防および干拓地は穀物を守り、そして盛んにしました♪

佐賀平野は古代より有明海の海の中☆人々の努力により、海岸線は室町時代には船津、下飯盛付近へ♪室町時代から江戸時代初期には大野、今町♪同、江戸時代初期には搦付近まで♪そして、明治時代の初期には大搦堤防、授産社搦堤防に伸びていて現在はもう少し南側に伸びています♪その距離約5キロ程と思われます♪

お城では無い歴史ではありますが、こういった地域の歴史を知る事で、地元の方々の決意が垣間見えます☆益々、佐賀が好きになりました♪現在も、この堤防上部は道路として利用されています♪周りに広がる田園風景はヤッパリ癒されます♪

スポットの場所は松土井の看板の場所になります♪

鹿江城の周辺スポット情報

 松土井(遺構・復元物)

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