伝・江上四郎城

伝・江上四郎城([城島城  周辺城郭])

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伝・江上四郎城の口コミ情報

2022年04月29日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


福岡県の久留米市にある【伝・江上四郎城】♪筑後川下流の左岸に立地します☆
天慶の乱(平安時代)後には太宰府の官人として大蔵姓原田氏(原田種成)の第4子の原田種光が中世に入り土着♪江上三郎長種と称しました♪
この江上三郎長種には二子いて、江上四郎種冬の城館となります☆
この筑後、肥前での江上氏の歴史もまた古く6代目・江上氏種の時、元寇の役の軍功により肥前国神崎荘地頭職を賜り移住☆
南北朝時代には8代目・江上近種が護良親王の命で行動しています☆戦国時代には太宰少弐氏の再興を図ろうとしたり等その活躍は素晴らしいです☆少弐氏の側近として力強く生き抜きました♪始まりはこの江上四郎城(江上三郎城)ですが、後々は勢福寺城で勢力を奮いました☆15代目・江上武種は少弐氏の執権となり、龍造寺隆信と激しく打ち合いましたが、主家である少弐冬尚は龍造寺隆信により自刃に追い込まれ少弐氏は滅亡…☆
江上武種は江上家を守る為にこの勢福寺城攻めの直前に龍造寺隆信に降りました☆
龍造寺氏に属する事になる江上武種ですが後に離反し大友氏に従った事で、龍造寺氏の征討を受ける事になります☆
江上武種は和議を申し出て隠居☆
後継には養子として龍造寺隆信の子の家種が江上を名乗り迎えられる事になりました☆

この伝・江上四郎城のある場所は江上村として鎌倉時代〜戦国時代にかけて村名が出てきます☆天正12年(1584年)に豊後国・大友義統の家臣である戸次道雪、高橋紹運は佐賀の龍造寺政家の属城・高牟礼城(post済)を攻めているのですが、龍造寺政家は筑後・鷹尾城主の田尻鑑種に救援を命じます☆
龍造寺氏の重臣・鍋島信生(後の直茂)はその報酬として、『江上四百町』を与えると約束をしたと残されています☆

伝・江上四郎城は若宮神社一帯に築かれていたとされていますが、写真のとおり遺構は全く残ってません☆標柱が立っているのみでありました♪

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