吉野ヶ里(よしのがり)

吉野ヶ里の基本情報

通称・別名

所在地

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手(吉野ヶ里歴史公園)/神埼市

旧国名

肥前国

分類・構造

環濠集落

天守構造

なし

築城主

不明

築城年

弥生時代後期

主な改修者

主な城主

不明

廃城年

遺構

貯蔵穴、土坑、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(吉野ヶ里遺跡)

再建造物

物見櫓、櫓門、兵士詰所、煮炊屋等、石碑、説明板

周辺の城

勢福寺城(佐賀県神埼市)[3.6km]
堤土塁(佐賀県三養基郡)[4.4km]
帯隈山神籠石(佐賀県佐賀市)[4.7km]
姉川城(佐賀県神埼市)[4.8km]
鎮西山城(佐賀県三養基郡)[5.2km]
直鳥城(佐賀県神埼市)[6.0km]
海津城(福岡県久留米市)[8.5km]
城島城(福岡県久留米市)[8.5km]
蓮池城(佐賀県佐賀市)[9.1km]
高木城(佐賀県佐賀市)[9.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

88 吉野ヶ里

設置場所

吉野ヶ里歴史公園東口[地図
吉野ヶ里歴史公園西口[地図

吉野ヶ里の解説文



吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。国の特別史跡に指定されている。

およそ117ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡で知られる。1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見された。現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園である。

遺構 

佐賀県東部は標高1,000メートル前後の脊振山地を北端に、脊振山地南麓の丘陵地帯、佐賀平野、有明海へと移るにつれて標高が低く、南に開けた地形となっている。吉野ヶ里丘陵はこの脊振山地南麓の丘陵地帯の1つである。

吉野ヶ里遺跡の最大の特徴とされるのが集落の防御に関連した遺構である。弥生時代後期には外壕と内壕の二重の環濠ができ、V字型に深く掘られた総延長約2.5キロメートルの外壕が囲んでいる範囲は約40ヘクタールにもなる。壕の内外には木柵、土塁、逆茂木といった敵の侵入を防ぐ柵が施されていた。また、見張りや威嚇のための物見櫓が環濠内に複数置かれていた。大きな外壕の中に内壕が2つあり、その中に建物がまとまって立てられている。北の集落は北内郭、南の集落は南内郭と命名されている。

内郭の内外に建物の遺構が発見された。竪穴住居、高床住居は祭祀に携わるものやその側近が暮らしていたと考えられており、祭祀が行われる主祭殿、東祭殿、斎堂とともに内郭の中で見つかっている。また、食料を保管する高床式倉庫、貯蔵穴、土坑、青銅器製造の跡なども発掘された。

多数の遺体がまとまって埋葬された甕棺、石棺、土坑墓は、住民や兵士などの一般の人の共同墓地だと考えられている。一方、遺跡の南部と北部にあわせて2つの墳丘墓(それぞれ「北墳丘墓」「南墳丘墓」と命名されている)があり、こちらは集落の首長などの墓ではないかと考えられている。発掘された甕棺の中の人骨には、怪我をしたり矢じりが刺さったままのもの、首から上が無いものなどがあり、倭国大乱を思わせる戦いのすさまじさが見てとれる。また、ガラス製の管玉などの装飾品が一緒に埋葬されたものも多く見つかっている。

多数の土器、石器、青銅器、鉄器、木器が出土している。勾玉や管玉などのアクセサリー類、銅剣、銅鏡、織物、布製品などの装飾品や祭祀に用いられるものなどがある。1998年には銅鐸が遺跡の周辺部で発見された[1]。九州北部で製造されたと推定されており、形状から福田型銅鐸とみられている。

出土した遺構や出土品には、九州北部をはじめとした日本各地のものと共通・類似した特徴を持ったものが見られるほか、中国大陸、朝鮮半島、南西諸島ともさまざまな面で共通性・類似性が見られる。

また、遺跡内にある3基の前方後方墳は、弥生時代の集落が消滅した跡に造られたと考えられている。

歴史 

縄文時代

縄文時代後期には、吉野ヶ里丘陵の周辺部に人が生活していたと推定されている。

ここに人が生活し始めた大きな理由として、この地域が海と近かったことがあると考えられている。最終氷期が終わり温暖となった縄文時代前期には、縄文海進と呼ばれる海面上昇があり、有明海は吉野ヶ里丘陵の南端付近まで広がり、遺跡から2-3キロメートルほどの距離にあったと推定されている。

有明海は干満の差が平均で5-6メートルと大きく、また遠浅の干潟を持つ。この干満の差や筑後川などの河川を利用した水運に優れたこと、また貝やカニといった食料が豊富に得られたことなどの好条件が揃い、この地域に人の定住が始まったと考えられている。

弥生時代

紀元前4世紀頃には、吉野ヶ里丘陵の中に集落が形成され始め、これが大規模な集落へと発展することになる。

前期には、吉野ヶ里丘陵のところどころに分散して「ムラ」ができ始める。また、南のほうの集落に環濠が出現する。

中期には、吉野ヶ里の丘陵地帯を一周する環濠が出現する。集落が発展していくとともに、防御が厳重になっている。また、墳丘墓や甕棺が多く見られるようになる。大きな墳丘墓になると南北約46メートル、東西約27メートルの長方形に近い墳丘で、高さは4.5メートル以上あったと推定されている。頂上から墓壙を掘って14基以上の甕棺を埋葬しているものもあり、本州の他の地域でも見当たらない。

後期には、環壕がさらに拡大し、二重になるとともに、建物が巨大化し、3世紀ごろには集落は最盛期を迎える。北内郭と南内郭の2つの内郭ができ、文化の発展が見られる。甕棺の数などから推測しておよそ1,200人、吉野ヶ里を中心とするクニ全体では5,400人くらいの人々が住んでいたと推測される。

海岸線は次第に遠ざかり、この時代には神埼市千代田町や佐賀市諸富町付近にあった。筑後川の河口もまたその付近に移ったと推定され、遺構からは港のようなものがあったと推定されている。[2]吉野ヶ里丘陵は東西両岸を流れる城原川と田手川を通して、この港と交流を持ったと考えられている。

吉野ヶ里墳丘墓のルーツは、朝鮮半島を経由せずに中国江南もしくは山東半島から北部九州に直接伝わったとする研究がある[3]

古墳時代

古墳時代の始まりとともに、吉野ヶ里遺跡の濠は大量の土器が捨てられ、埋め尽くされてしまう。集落はほぼ消滅して離散してしまう。このようなことは、近畿地方や各地の環濠集落も同じような経過を辿る。

また、高地性集落も消滅する。それは、戦乱の世が治まり、もう濠や土塁などの防御施設や高地性集落の必要性がなくなったからである。古墳時代になると吉野ヶ里遺跡の住居は激減し、丘陵の上は墓地として、前方後円墳や周溝墓などが築かれた。人々は、低湿地を水田に開拓出来るようになり、生活の基盤を平野に置くようになった。

律令制時代

奈良・平安の律令制時代には、神埼郡の役所的な性格の建物があったと推定されている。

律令制時代には土地の区画整理を条里制と言ったが、「吉野ヶ里」の「里」はその呼び名が今も伝わって残っているもので、旧神埼郡内には他にも「○○ヶ里」という地名が多く見られる。

近代以後

佐賀の乱の際は付近で激戦が展開された。昭和になると、弥生土器や甕棺墓などの遺物の出土が見られるようになり[4]、少数ながらもこの遺物や遺構を学術的に研究する動きが始まる。しかし、大きな盛り上がりを見せることはなかった。

工場団地造成計画

1970年代に、農地や果樹園造成、土採りによって遺跡の一部が壊される。また、このころから吉野ヶ里丘陵一帯の広い範囲で甕棺が出土するようになった。また、県立高校の移転改築の候補地になったが、広範囲にわたって遺物が出土していたため断念された。

1970年代後半に佐賀県によって調査が計画されたが、事前調査に追われて実施に至らなかった。

1980年代に入って、企業誘致の為に佐賀県は吉野ヶ里丘陵南部に工場団地の開発を計画する。その際文化財発掘のための事前調査を1983年(昭和58年)から始める。1986年(昭和61年)の本格調査によって、約59ヘクタールもの広範囲に遺跡が広がっていることが判明し、県は工場団地計画を縮小する。

本格的な発掘

考古学者の佐原真をはじめとして、県や市民団体による啓発活動が高まりを見せ、1989年(平成元年)2月23日、一部の報道機関によって大々的な報道が始まる。ちなみに、この前日の2月22日が「吉野ヶ里遺跡で大規模な環濠集落が発見された日」とされている。これにより連日全国から大勢の見学者が訪れるようになり、同年3月には県は遺跡と重複する地域の開発を中止する。

その後1990年(平成2年)5月に史跡、1991年(平成3年)4月に特別史跡に指定され、1992年(平成4年)には閣議によって国営歴史公園の整備が決定する。

報道がなされた当初は邪馬台国に関係する遺跡ではないかとも見方もあり、一部で九州王朝説も取り上げられた。現在は、九州北部にあった複数の「クニ」の1つに過ぎないのではないかという見方もされている。

なお、2006年(平成18年)4月6日に日本100名城(88番)に選定されている。

文化財 

特別史跡

  • 吉野ヶ里遺跡 1991年5月28日指定[5]

    重要文化財(国指定)

    佐賀県吉野ヶ里遺跡墳丘墓出土品(文化庁所有、佐賀県立博物館にて展示) 1991年6月21日指定[6]

    • 細形銅剣(内一口把頭飾付)5口
    • 銅把頭飾 1箇
    • ガラス管玉 79箇

    (以下は附指定)

    • 銅鏡 残欠共7面分
    • 細形銅剣残欠 1口
    • 細形銅矛鋳型残欠 1箇
    • 細形銅剣鋳型残欠 2箇
    • 巴形銅器鋳型残欠 1箇
    • 銅器鋳型残欠 1箇
    • 錫塊 1箇

    吉野ヶ里歴史公園 

    吉野ヶ里遺跡とその周辺部の117ヘクタールが公園として整備されることが決定されている。公園としての整備が決定した後、公園となる部分の最終調査を経て、遺跡の状態を損なわないように盛土によって保存し、その上に復元や植樹を行い公園整備を行った。整備計画区域内にはまだ発掘を終えていない部分が多数残っており、発掘が完了したところから順次整備が進められ公園を拡張している。2001年の開園当初は47.3ヘクタールだったが、2017年7月現在は計画の9割にあたる104ヘクタールが公園として利用されている。

    都市公園法に基づく国営公園部分と県営公園部分があるが、管理運営は国及び県からの共同での代行(指定管理者)という形で一般財団法人公園財団が受託し[7]、公園内に「吉野ヶ里公園管理センター」を設置して行っている。また、整備は国土交通省の出先機関である九州地方整備局 国営海の中道海浜公園事務所 歴史公園課と県の出先機関である神埼土木事務所がそれぞれの整備計画に基づいて行っている。なお、発掘調査関係は佐賀県教育委員会の管理となっている。

    吉野ヶ里歴史公園で実際に復元されているのは、環濠、竪穴住居、高床住居、物見櫓、柵、逆茂木、高床式倉庫、墳丘墓などである。多くは柱の跡や木材が遺構として残っており、これをもとに復元されている。遺構の保護やさらなる発掘のため、もともとあった場所から異なる場所に復元されたものもあるが、盛り土をして遺構を保護した上で真上の同じ場所に復元されたものもある。

    また、遺跡の周辺部では、遠くからも分かる目印として物見櫓が立てられているところもある。公園の南端はJR九州の長崎本線に接しており、同線の吉野ケ里公園駅と神埼駅の間では列車内から物見櫓等の建造物を遠望することができる。

    出土品の多くが、公園内にいくつかある施設内に保管され、展示が行われている。実際に手で触ることができるものもある。

    公園では、「弥生人の声が聞こえる」をテーマに整備・情報発信を行っている。年に十数回イベントが企画され、古代の文化や生活の体験ができるほか、多くの店も並ぶ。テーマのように、弥生人の生活を再現したイベントや企画が多く、勾玉などの装飾品の試作、当時の衣服の試作・試着、古代米の育成、当時の食事体験などの参加型のものが多数ある。

    広い公園内は、レストランや売店のある入り口ゾーンおよび、それぞれ趣旨の異なる3つのゾーンに大きく区分されている。「環濠集落ゾーン」では多数の遺構が復元されており当時の様子を垣間見ることができるほか、出土した土器や装飾品などを陳列した展示室、発掘や土器復元を見学できる施設、体験工房などが設けられている。「古代の原ゾーン」は主にレクリエーションを行うゾーンで、広場・水辺や遊具、野外炊事コーナー、赤米などの古代米を栽培する水田などが設けられている。「古代の森ゾーン」は整備中のゾーンで、官衙跡の復元、古代植物の栽培、キャンプ場などが計画されている。

    12月31日および、1月の第3月曜日とその翌日が休園日であるのを除き、原則として毎日開園している。開園時間は9時から17時までで、6月から8月までは18時まで延長されている。

    維持管理や整備の資金源等を目的として、入園料や駐車料金を徴収している。中学生以下の割引、65歳以上の割引、団体割引、身体障害者割引が設定されているほか、年間パスポート、無料開放日もある。また、一部の体験イベントは有料となっている。

    交通 

    • JR九州長崎本線吉野ケ里公園駅より東口(メインゲート)まで約700m
    • JR九州長崎本線神埼駅より西口まで約600m
    • 西鉄天神大牟田線西鉄久留米駅、JR鹿児島本線久留米駅よりバス(40系統)、田手停留所下車。(西鉄バス神埼線)
    • 福岡空港より吉野ヶ里歴史公園経由佐賀第二合同庁舎行き高速バス(1日1往復のみ)乗車、吉野ヶ里歴史公園前下車。(西鉄バス福岡空港線)
    • 自動車にて福岡・大分方面からは、長崎自動車道東脊振ICにて国道385号を南下。東脊振ICより約5分。
    • 自動車にて佐賀方面からは、国道34号または県道269号にて東へ。
    • 自動車にて熊本方面からは、国道208号・国道385号を北上。

    吉野ヶ里遺跡公園でロケが行われた作品 

    • run for money 逃走中(2011年1月16日。フジテレビ系列。地元ではサガテレビで放送)- 「弥生時代のとある国」という設定でゲームが行われた。
    • まぼろしの邪馬台国
    • 男はつらいよ

    周辺の歴史遺産・観光地・施設 

    • 東妙寺(吉野ヶ里町田手、東口すぐ南。)
    • 石塔院(吉野ヶ里町田手、田手川西側で公園に隣接。)
    • 九年庵、仁比山神社、仁比山地蔵院、水車の里(神埼市神埼町的)
    • 宝珠寺のヒメシダレザクラ、日の隈山の桜並木、背振山修学院(坂本修学院)の桜
    • 櫛田宮、神埼宿・田手宿の町並み(長崎街道沿い)
    • 姉川城跡(戦国時代の平城、国史跡、神埼市神崎町姉川上分)
    • 吉野ヶ里夢ロマン軽トラ市(公園東口駐車場、毎月第1日曜日に開催)
    • 霊仙寺跡・日本の茶葉栽培発祥の地記念碑(吉野ヶ里町松隈、脊振山麓)
    • 道の駅吉野ヶ里(吉野ヶ里町松隈、国道385号沿い)
    • イオン上峰ショッピングセンター(上峰町大字坊所)

    出典 

    • ブント・ワークショップ 吉野ヶ里遺跡・土井ヶ浜遺跡を訪れて(http://www.bund.org/culture/20050805-1.htm) 長田武
    • 有明海の造陸現象(http://suido-ishizue.jp/nihon/10/01.html) 水土の礎
    • 古代の佐賀平野と有明海(http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou44/kaihou44.html) 下山昌孝、『古田史学会報』四十四号、2001年6月6日
    • 高島忠平、『Consultant』Vol.237
    • 吉野ヶ里歴史公園(https://www.pref.saga.lg.jp/web/kurashi/_1261/kk-matidukuri/_32459/yoshinogarirekishikouen.html) 佐賀県
    • 国営吉野ケ里公園事務所。公園概要、歴史、整備計画など。
    • 2010年11月29日
    • 都市公園の管理 国営吉野ヶ里歴史公園(http://www.prfj.or.jp/works/park/yosinogari.html) 財団法人公園財団

吉野ヶ里の口コミ情報

2022年05月03日 大五郎
吉野ヶ里

⭐️5月3日から吉野ヶ里遺跡で最大の謎エリアの発掘調査がはじまりました。
⭐️ここは祭司王であった女性が眠っていた場所の近くで、より高い丘の端に位置しています。
⭐️さらに神社があったので、江戸時代から未開の地でした。
⭐️神様に場所を移っていただいての発掘調査が始まりました。期待高いですね!

2021年07月27日 【✾】源九郎筑前守牛若丸
吉野ヶ里



兎に角敷地が広大です。
なので事前に見学時間やどこを観るか等をある程度計画しておくのが良いと思います。
そしてここは雷が発生しやすい地域だそうです。

また夏場に来る際は、熱中症対策をしっかりされてください。帽子、日傘は必須です。
私の登城口としての入り口は東口からでしたが、そこの券売機付近に案内のパンフレットがあり、それに地図が載っています。注意深く観て何処に自販機があるか等を事前に知っておくと良いと思いました。
(私が行った時は)園内だと北墳丘墓と展示室は空調が効いていて特に北墳丘墓が涼しかったです。

さて、城としての視点です。この遺跡をどれほどの方が城として観てたかは不明ですが(笑)、環壕の内側ではなく外側に城柵があり、内側には逆茂木がありました。その配置は攻め難いとは思いますが守り難いとも思います。それで中世の城の配置は合理的だと改めて思いました。

そして此処が邪馬台国だったのかどうか、ですが当時の他の地域の集落と比べたことがないので国としての防備が施されていたのか、または周辺集落も同じような防備設備があったのかで見方が変わるように感じました。
ただ此処が邪馬台国だったとして考えると、三国時代の魏が本気で攻めて来たら、兵力や軍備の差は歴然としているので30分も持たないのではないかと思いました。なので国交というよりも属国、しかも呉を牽制する役目も残念ながら余り果たせなさそうに感じました。

こうした点を考えると、私が邪馬台国側の人間なら、魏の使節団に邪馬台国の正確な場所を知られないように方向間隔を鈍らせて時間をかけて案内しようとするかもしれないと思いました。

上記のような考察や妄想を膨らませながら城域を巡っていたので、とても楽しい一時でした。何度でも訪れたい城?遺跡です、お勧めです😆

中でも北墳丘墓は特にお勧めします。当時の人の死を含めた生活を垣間見れる所です。

2021年05月18日 龍馬備中守【】
日吉城[吉野ヶ里  周辺城郭]



佐賀県の神埼郡の日吉城☆田手川の西岸の舌状低丘陵地で吉野ヶ里遺跡の中にある戦国時代の城郭になります☆遺構は残りません☆唯一高まりのみです☆
現在は日吉宮が祀られてます♪

この地に根を張った土豪・執行直明の館で後に龍造寺隆信の家臣・江上武種が、ここに隠居しました☆北側にある勢福寺城、長者原城の出城として機能しました☆

この江上氏は少弐氏の家臣を経て少弐氏滅亡後は龍造寺氏の家臣として活躍♪

江上武種は一時は神代勝利・八戸宗暘・小田政光・筑紫惟門、含む19将と共にこれに与し龍造寺隆信と対立しました、が…在城していた勢福寺城に龍造寺軍が来襲すると江上武種は防ぎきれず城を出て仁比山へ退きました☆

その後、少弐氏を滅亡に追い込むと龍造寺隆信と和睦を結びました☆そして勢福寺城へ戻る事が出来ました☆
和睦を結んだ江上武種は以後、龍造寺氏に属して神代氏攻めなどにも参加しますが豊後・大友氏が肥前へ侵攻してきます☆江上武種は龍造寺隆信へ援軍を要請しましたが…援軍出さず☆生き残る為に…豊後・大友方に合力して村中城(後の佐賀城)攻めに参加しちゃいます☆
【今山の戦い】で豊後・大友方の龍造寺攻めが頓挫すると龍造寺隆信の逆襲が始まります☆龍造寺隆信は鍋島直茂に2,000の兵を与え江上武種を攻めました☆
この攻めに対して江上武種は一度はこれを退けますが、結果的に龍造寺隆信の圧力に屈し龍造寺隆信の子の家種を養子に迎え入れ再度、和睦を成立させていきます☆以後、江上氏は家種の指揮のもと龍造寺旗下として活躍しました♪

2021年05月12日 まも左京亮
吉野ヶ里



吉野ヶ里公園駅から歩いて10分ほど。有料エリアは入場料460円です。


2021年03月07日 ら陸奥守
吉野ヶ里



壮大なスケールで弥生の時代に古代政権の先駆けとなるものが興隆した事が伺えます。三内丸山遺跡と相まって古代遺跡群の双璧と言えます。必見です!

2020年11月24日 左衛門督みの
吉野ヶ里



バスはあてにできません!とにかく広いので覚悟して行ってください。駅の案内所みたいなところで200円で自転車貸してくれます。

2020年11月22日 ぐっさん^。^)y-
吉野ヶ里

25年ぶりに来ました。昔に行った時は、南内郭と北内郭ぐらいしか回れなかった記憶が有ります。今は、復元もかなり進んでますしまだまだ復元工事してるヵ所も有ります。

入場料は大人460円、小人は無料、駐車場310円です。チケット購入後一度出ても本日のチケット見せたら東、西、北口ゲート側からまた入れます。遺跡はかなり広大で全体見せたら半日以上はかかるんじゃないかなと思います。

園内は歴史を学べる他、西口側には子供の遊び道具もかなり充実してます。(城旅行の口実も子供を使って計画出来るんじゃないかな-w)場所も高速インターからも近く国道34号に出れば色々あるので便利だと思う。東ゲート側にはお土産コーナー、飲食コーナーも充実します。一度は訪れる価値有ると思います。

2019年06月02日 小豆_釆女正
吉野ヶ里



とても広い施設に、遺構群や資料館が点在しています。
入園料は大人460円。

2019年06月02日 小豆_釆女正
吉野ヶ里歴史公園東口[吉野ヶ里  スタンプ]



券売機の左側、団体受付のカウンター近くにスタンプが設置されています

2019年05月17日 ちろりん薩摩守
北内郭[吉野ヶ里  遺構・復元物]



板屏で囲まれた北内郭は、祭祀が行われていた主祭殿(王宮殿)を中心に物見櫓・斎堂・兵士詰所等がある

2019年05月17日 ちろりん薩摩守
北内郭[吉野ヶ里  遺構・復元物]



重要施設(北内郭)に入れる唯一の入り口
直接中が見えず、敵の侵入を阻止する仕掛けがある

2017年05月07日 織田上総介晃司
吉野ヶ里

駐車場は東口・西口・北口の3ヶ所ありますが、GWに訪れたので一番遠い北口に停車。

東口入口にはお土産屋があります。

かなり広大な敷地に復元された住居跡・資料館もありかなりの時間は必要です。
(ちなみにもっと広大な弥生遺跡としては鳥取県のむきばんだ遺跡があります)

15年前に訪ねた時は有料だったけど、いつから無料になったんだろう?
(駐車場も無料です)





2014年01月04日 三日陸奥守落人
吉野ヶ里

国営公園となっている遺構は、園内バスがあるほど広大です。しっかり見て回るなら半日は必要と感じました。
復元の仕方には不自然に思える部分(逆茂木・土塁・掘の並びが普通と逆)もありますが、国営だけにしっかり分かりやすく整備されています。
案内所横のショップ&レストランのメニューも地産品を使ってて、意外にいけますよ~

2012年09月13日 はせちゃん弾正忠
吉野ヶ里

吉野ヶ里遺跡にて、9/15発掘調査現地説明会が実施されます。環濠が新たに発掘調査にて確認されたとのこと今後当面、発掘調査現地説明会は実施されないですから、貴重ですよ

吉野ヶ里の周辺スポット情報

 北内郭(遺構・復元物)

 南内郭(遺構・復元物)

 北墳丘墓(遺構・復元物)

 甕棺墓列(遺構・復元物)

 倉と市(遺構・復元物)

 日吉城(周辺城郭)

 吉野ヶ里歴史公園東口(スタンプ)

 吉野ヶ里歴史公園西口(スタンプ)

 多機能トイレ(トイレ)

 多機能トイレ(トイレ)

 吉野ヶ里遺跡展示室(関連施設)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore