鎮西山城(ちんぜいやまじょう)

鎮西山城の基本情報

通称・別名

ごまかい城、古城山城

所在地

佐賀県三養基郡上峰町大字堤字三本黒木

旧国名

肥前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

源為朝?

築城年

平安時代後期?

主な改修者

主な城主

源為朝?

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

堤土塁(佐賀県三養基郡)[1.7km]
吉野ヶ里(佐賀県神埼郡)[5.2km]
勝尾城筑紫氏城館(佐賀県鳥栖市)[6.2km]
勢福寺城(佐賀県神埼市)[6.3km]
朝日山城(佐賀県鳥栖市)[6.4km]
帯隈山神籠石(佐賀県佐賀市)[8.4km]
一ノ岳城(福岡県那珂川市)[8.7km]
海津城(福岡県久留米市)[9.0km]
久留米城(福岡県久留米市)[9.1km]
姉川城(佐賀県神埼市)[9.9km]

鎮西山城の口コミ情報

2021年06月24日 龍馬備中守【】
上石動城砦[鎮西山城  周辺城郭]



佐賀県の神埼郡にある【上石動城砦】♪下石動(山麓部)にある石動氏館から北東側の山中の上石動城砦は存在します☆
歴史詳細は余り残っていませんが、先程の口コミ石動氏館で石動彦三郎は石動村を守ろうとして軍勢を率いて、この上石動城砦で戦に備えました♪

この石動村を手にするのは?
武雄社の宮司、武雄氏か?
ハタマタ元々この地に生きた安楽寺・寺官だったと思われる石動氏か?
結果的に探題は石動彦三郎の所領10町を召し上げ深堀時広に与えてしまうんですw
まさかまさかの展開です…☆
※この深掘時広は菊池氏をシッカリ討ちました☆
この深掘時広に与えられた石動村☆
コレに怒った石動彦三郎は探題方を離れて菊池方へ付きました!!
往時の探題の領地報酬権を目当てに与同して行く在地領主の動向が面白いですね〜☆

この石動彦三郎の子孫と伝わる石動但馬守は戦国時代に中国地方の大内義隆・家臣の陶道麟が少弐・大友征伐と称して肥前に侵攻した際に道案内を勤めていて、千栗山を初め各地の寺社仏閣を焼き払いました☆この出来事によって子孫に火を弄ぶ狂人が多く出た…と神埼町史に伝わります☆

陶道麟は三津籾岳に陣を取り所所で少弐方と転戦を行いました☆
この石動村でも合戦が行われました☆

石動村は脊振山地の南麓、田手川(石動川)上流域に立地します☆北は松隈、南は水田地帯が広がります☆
石動『いしない、いしなり』と呼ばれる、この地名の由来は鎮西山狼煙台の石積み築造、後は久留米城の石垣の築造にこの地の石を運びスッカリ無くなってしまった為に『いしない』と呼ぶ様になったと伝わります☆
ただ、古くは石動荘の頃から石動という地名が出てきている為に久留米城の石垣説は…?信憑性に乏しいですね☆
でも、あるのかなぁ〜??石切丁場☆
今度探してみます☆

村内には弥生時代中期、古墳時代後期の居住跡が出てきたり、古墳が出てきたりと古くから人の生活感が見えています☆

なかなか人が寄り付かない場所なので…藪がw

2021年06月24日 龍馬備中守【】
肥前石動氏館[鎮西山城  周辺城郭]



佐賀県の神埼郡にある【肥前・石動氏館】☆中世の平安末期から戦国期には石動荘という荘園名が出てきます♪

(安楽寺草創日記)には『石動荘 田四十町』が寄進されたと載っていてコレが初見(太宰府天満宮文書)となります☆

石動荘は太宰府天満宮の安楽寺荘の荘園で荘域は上石動、下石動、西石動の一帯に広がっていた様で下石動が荘の中心だったと考えられています☆
石動荘は安楽寺の寺官達の間で代々、領掌されて行きました☆
ただ、近隣の在地領主層の成長や鎌倉末期から南北朝期の戦乱の中で荘園経営は行き詰まったみたいで『石動荘』は姿を消します☆

南方朝時代以降は『石動村』が見え安楽寺側は寺領として考えていた様です☆
この『石動村』の初見は九州探題の一色氏は武雄社に対して南朝方の菊池武重らの追討祈願の為に石動村の田地10町地頭職を寄進すると言う事で一色氏は武雄社宮司を味方にしようと…この石動村を預けようとしました☆
宮司・武雄氏は往時、強大な勢力を持っていて九州探題側を有利にするものと思われます☆

ただ恐らく安楽寺領石動荘の荘官だったと思われる『石動彦三郎』は元々この地にいる豪族で、自分達が菊池攻めを行う!!恩賞地として知行する!!といい武雄社に下地を渡す事を拒み、軍勢を率い城郭を構え戦に備えたました☆コレがこの石動氏館の背後にある上石動城砦だと思われます☆現在は天満神社が祀られている場所が館跡と伝わります☆

2021年03月02日 龍馬備中守【】
鷹取山城[鎮西山城  周辺城郭]



佐賀県の三養基郡にある鷹取山城☆標高403mに城郭は位置します☆

綾部城の城塞群と考えられている鷹取山城もまた戦国時代に生きた城郭と伝わります♪
佐賀平野を一望出来る立地は南側に長崎街道が走り筑後と肥前を繋ぐ街道沿いを守りました☆
山腹にある遺構群は南から東に伸びる尾根をL字型に展開します☆山頂に向かう主要部分との動線を阻んでいる遺構群となってます♪浅くはなっていますが二重堀切を持っていて、北側に一条の堀切で城域を一旦区切っていてその堀切を越えて山頂の主要部へ向かいます☆ハイキングコースになっている為、道は整備されていて安心です☆

鷹取南城塞群同様に余り資料等がありません☆戦国時代には島津軍に包囲され壮絶な戦に落城した城山の支城が沢山あったエリアなのでこの城塞群も同様に島津軍に攻められたのかもしれません☆

2021年03月01日 龍馬備中守【】
鷹取南城[鎮西山城  周辺城郭]



佐賀県の三養基郡にある鷹取山南城塞群☆肥前国の仲良し城友様の援軍の下、白虎山城の北尾根から取り付きました☆白虎山城の北尾根の等高線の緩い所をヒタスラ直登してトウチャコ♪この城郭は綾部城の城塞群とも考えられてますが、郭のみ、技巧さは無くて、もっと古い時代の城郭かもしれません☆

伝承も個別名称も無くて謎ですw
情報も何にも無いのでハテナ?です?
唯一の手掛かりとしては『佐賀県史蹟名勝天然記念物調査』の中原村の項で『日向太郎城址』伝承地として触れられてますが、コレまた定かでは無い様です☆

城郭としては鷹取山の南側の600mの山中腹に位置していて鷹取山城の山腹遺構群が所在する尾根の延長線上に隣り合う様な形で存在しています☆
稜線上の複数の峰を簡易的な郭で構成し造っています☆堀切等の防御遺構は無くて、農民の避難用の城だったのか?狼煙用だったのか?街道監視だったのか?修行僧の山だったのか?癖が解りませんでしたw1番南側の尾根先に巨石があったのですが、此処に刻印石の様なモノが残っています☆(山と+)の様な刻印石はもっともっと、古いモノにも見えて益々ハテナ???その巨石は磐座にも見えるし、信仰されていた石だったのかもしれません☆

綾部城を取り巻く城塞群というよりはそれ以前よりあった城郭で標高が高い為270m位、後に使われなくなった?綾部城を中心に、少弐山城、白虎山城、臥牛城と点在している訳で、鷹取山城と同様に標高が一気に上がるこの城郭の必要性、機能がどうだったのか?関係性は…?
解らん…
また行ってみようw

2021年03月01日 龍馬備中守【】
白虎山城[鎮西山城  周辺城郭]



佐賀県の三養基郡にある白虎山城♪この辺りはまるで城館群の様に城郭が点在しているエリアになります☆半径2キロ以内に綾部城、少弐山城、鷹取山城、鷹取山南城塞群、臥牛城、権現山城塞群にこの白虎山城☆恐らく綾部城を取り巻く城郭になるのかなぁ〜?

築城年代は不明です☆九州探題・渋川氏を追って大宰少弐武藤氏の所領となるも少弐武藤氏は滅亡☆その後に綾部氏が入城☆以降の戦国時代には綾部鎮幸が城主となっています☆この綾部鎮幸は龍造寺氏の家臣団である【東肥前十九城将】の一人(神代勝利、八戸宗暘、小田政光、筑紫惟門ら)にもなっていて官位は備前守で 江上武種攻めの際に従い以降も龍造寺氏に従って活躍しました♪

主郭から北尾根に向けられた空堀が最大の見所で2重に3重にヒタスラ掘りまくってます☆主郭から空堀を横目に土橋で尾根に連結☆この尾根を北向きに山を登って行くと鷹取山南城塞群、更には鷹取山城へ向かえます☆但し途中からは道が無くなる為、等高線の緩い所を目指して行くのがベストです☆鷹取山南城塞群の西側の谷から取り付こうとしましたが。。。でした☆緩い所に取り付き後はヒタスラ直登でオッケーです♪人が立ち入りをしていないので藪に急斜面ではありますが、木の根っこを上手く掴んで登って行けば何とかなります☆ここからの取り付きはゲイターは必需☆(後で気付いたのですが…鷹取山城、鷹取山南城塞群は車でも行けるみたいw車の方が良かった…w)なのでこの2つの城郭群は車で行かれて下さいw

白虎山城は周辺の鷹取山城、少弐山城とは違い兵を配置出来るスペースは広いし居住も出来そうな中々大きな城郭です☆
北尾根に向けられた空堀の土木量も素晴らしく見所の多い城郭となっています♪

2021年03月01日 龍馬備中守【】
少弐山城[鎮西山城  周辺城郭]



佐賀県の三養基郡にある少弐山城☆標高125mの低山に位置する勝尾氏城館群の葛籠城の様に長大な横堀を4重に擁した縄張りからは臨時の際の戦闘スペースであり砦の趣を持ちます☆戦う郭スペースは狭いが横堀本当に凄いです☆

渋川氏を綾部から迫った少弐氏は重臣・馬場氏を配置☆その頃に造られたか?ただ、土木量を見る限りでは戦国末期の顔をしていて少弐氏が滅亡後に砦程度の城郭を拡大拡張したのか?謎です☆
白虎山城(※少弐山城の北西側背後の城)の横堀、土木量にも似ていて白虎山城の防衛ラインの一つかな〜?とも感じました☆麓には長崎街道☆この街道を監視と警戒した造りである事は間違いないと思われます☆
資料が少な過ぎて判断が難しいです☆

山には人が多く入り込んでいない為、藪が凄いですが、その分遺構も鮮明に残ってます♪

2021年03月01日 龍馬備中守【】
綾部城[鎮西山城  周辺城郭]



佐賀県の三養基郡にある綾部城☆綾部神社の背後が城郭になります☆

築城は12世紀前と伝わっていて平安・鎌倉時代時代に綾部氏が室町・戦国時代には綾部館の詰城として足利一門の一色氏、今川氏が居城します♪その後に渋川氏が拠点として九州探題と肥前守護を兼務し代々の居城としていきました☆

代々の居城としていきながら渋川氏はこの東肥前エリアから徐々に衰退していきます☆
渋川氏は中国地方の大内氏の後援を受けては敵対する少弐氏、菊池氏と戦い、しばしば筑前に逃亡☆この頃の綾部氏は渋川氏に従っていましたが渋川氏は滅びます☆
綾部氏は龍造寺隆信に敗れると筑紫氏が綾部城に入城していて後に龍造寺氏に譲られました☆
近隣には少弐山城、白虎山城等の戦国の山城が残ります☆

場所は綾部神社裏にある標高128mの丘陵に築かれています☆筑後川に近く日の隈山や朝日山などの山々と連なっていて博多への間道をおさえる要衝になります☆
見所は畝状竪堀群が残っていて城郭の北西側に残ります☆

駐車場もあるし主郭迄は15分位で行けるのでお手軽で行ける城郭になります♪

2021年02月08日 一寸榎備前守
鷹取山城[鎮西山城  周辺城郭]



鷹取山城は登録上は鎮西山城周辺城郭ですが綾部城を中心として狭い範囲に8ヶ所の城館が密集する綾部城群の内の一つ。

築城時期は不明ですが南北朝時代から綾部周辺が九州探題の根拠地となりその時期に築城されたと思われます。

16世紀末に周辺一帯が筑紫氏の領域となりその際に改修再利用された形跡が遺構に残ります。

鷹取山城は山頂部と山腹部で形成されており山頂部からは眼下に綾部城群、筑後平野を一望できさらに筑前とつながる山間往還も見通す要衝となります。

アクセスですが鷹取山城山腹部直下まで舗装された林道があり山腹部から山頂まで20分程の登山となります。

2021年01月13日 一寸榎備前守
少弐山城[鎮西山城  周辺城郭]



少弐山城は綾部城の西、僅か200㍍の位置にあります。長大な4本の堀切が見ごたえありますが膨大な土木量に見合うだけの防衛する曲輪が存在せずなんとも不思議な縄張りの城です。

2020年06月21日 じょーうん伊賀守
綾部城[鎮西山城  周辺城郭]



綾部神社裏にある標高128mの丘陵に設けらてます。筑後川に近く日の隈山や朝日山などの山々と連なり、博多への間道をおさえる要所にあります。
城ダンと呼ばれる曲輪や・帯曲輪・土塁が見れます。また、竪堀が複数ありますが、堆積で見づらくなってます。

綾部神社の門前町では名物ぼたもちが売られてます。綾部城を訪れた時には購入されるとよいと思います。

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