臥牛城
臥牛城([鎮西山城 周辺城郭])
鎮西山城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「臥牛城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
臥牛城の口コミ情報
2025年11月23日 龍馬備中守【】
佐賀県三養基郡みやき町の原古賀にある【臥牛城】♪臥牛山に立地する臥牛城。綾部氏の本城である綾部城から、南東600mの場所に位置しています。綾部城の支城群の1城なのでしょう。他にも綾部城の周辺には、本城を取り巻く支城群が点在していて、少弐山城、白虎山城、鷹取山城、木太刀権現城塞、そしてこの臥牛城が、半径1.8キロ以内に密集しています。佐賀の中でも、この城郭の密集具合は随一であります。
この原古賀ですが、『はるのこが』『はるこが』とも呼びます。九州では『原』の字を『はる』や『ばる』と呼び、なかなか特徴的であります。この原古賀は、筑後川の支流である寒水川右岸部の扇状地平野に位置し、北方に鷹取山を望みます。地内には、弥生前期から古墳後期の集落跡である町南遺跡や、弥生中期頃の甕棺石棺墓群のドンドン落遺跡、天神遺跡、上地遺跡などがあります。また条里制の遺称として六ノ坪の名が残っていて、古くからの遺跡が多く出土している場所であります。
古来軍略上の要地であったこの地に構築された綾部城を巡り、南北朝時代から戦国期にかけて、攻防戦が繰り返されています。背振山地から南に突き出た丘陵上の臥牛山(標高70m位)に設けられた山城です。別名を大城小城とも呼ばれます。築城年代は不明です。探題一色氏の命によって、建武年間、綾部四郎次郎幸郷・綾部幸依によって築城された可能性が強いとされます。臥牛城を始め、各諸城は探題方の拠点として存続したと思われますが、何れも綾部城の支城であった事でしょう。元亀2年(1571年)綾部鎮幸が龍造寺隆信に滅ぼされると同時に、臥牛城も消滅したとされます。
臥牛城は、綾部城の南東600mにあり、崖を巡らす小丘陵は大城、小城と呼ばれます。東方急斜面に深い交通堀があり、この堀底道は少弐山や宮山へ向かって行く事から、やはり支城群なのでしょう。また、明瞭な郭群が確認でき、土塁も残ります。ただ、ヤブ藪、竹藪が行く手を阻んできます。行かれる際は、気をつけて行かれてください。









