鷹取山城

鷹取山城([鎮西山城  周辺城郭])

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鷹取山城の口コミ情報

2024年11月10日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


佐賀県の三養基郡みやき町にある【鷹取山城】♪標高403mの山間奥まった場所に所在する、中世の山城です♪真北には脊振山(標高1055m)、南に比高を緩め蛤岳(標高862m)、標高500m付近にある坂本峠・七曲峠(やや東側)、更に南西側に鷹取山(標高403m)と山陵が続きます♪
この付近は城郭が密集し合うエリアであり、半径2キロ以内に綾部城、少弐山城、白虎山城、鷹取山南城塞群、臥牛城、権現山城塞群に、鎮西山城、この鷹取山城などなど、多くの城郭があります♪この密集し合う城郭は?いずれも綾部城を中心とした、綾部城群とも呼ばれる城郭達です♪

この鷹取山城のあるエリアは、鎌倉時代には綾部庄として成立しています♪肥前第一の鎌倉幕府御家人として『日向四郎太夫通俊』が源頼朝に所領を与えられています♪日向四郎太夫通俊は、後に綾部氏を名乗り、この地を領しています♪元久2年(1205年)鎌倉鶴ヶ岡八幡宮を勧請し社殿を建立していて、これが現在の綾部八幡宮となります♪綾部城のある場所です♪
南北朝時代になると、綾部城は一色氏、今川氏、渋川氏らの歴代の九州探題が在城した事から、探題府と肥前の守護所に位置づけられました♪この城塞群はこの頃に築かれた城郭と思われ、鷹取山城は綾部城の詰めの詰め城では無いか?と思われます♪南北朝時代にあるあるの深山、高所に築かれる城郭は、その特徴をよく出ています♪

何でこの場所に、九州探題の城郭を置いたのか?ですが、筑前と肥前の境目である七曲峠、坂本峠を監視する目的があったのでしょう♪この場所は脊振山地の中でも、まだ標高が緩い場所にあり(高所でも550m前後)、北に抜ければ那珂川に抜ける間道があったのでしょう♪現に、鷹取山城、綾部城のある東麓の谷間を北に抜ければ筑前街道と交わる場所があり、更に山深い場所には戦国時代の一ノ岳城(筑紫氏)もあり、何らかの交通網があったと思われます♪因みに、戦国時代のこの山間部は、標高が大きく上がる脊振山(標高1055m)を境に、東側は勝尾城を本城にした筑紫氏、西側を山内二十六ヶ山を領した神代氏の領域と感じています♪

今川氏や渋川氏ら九州探題が在城した後には、少弐氏VS大内氏の戦場となり、更に筑紫氏、龍造寺氏の勢力下になった後に、支城として残り機能したんではないか??と想像がつきます♪綾部城を取り巻く城塞群は、戦絶えない世の中で、徐々に拡大と改修がなされ使用されていった城塞群なのでは無いか?と思いました。

鷹取山城は、標高403mをピークに主郭を展開します♪南北に長い尾根に数段の郭を構成♪郭間を連続した堀切で遮断しています(当日は下草があり分かりずらかった)南側の尾根伝い(標高250m〜280m付近が二郭か?二郭の南側にも段があり、三郭か?)までも城域となり、城内の比高差は120m程で、主郭は詰めの詰めといった印象です♪二郭と思わしき削平地も、浅めにはなっていますが連続堀切で、区画を造っています♪主郭に見られる連続堀切と同じ造りとなっています♪


〜綾部城と、取り巻く城塞群メモ〜

①綾部城
宮山(123m)のピークが城郭。その中腹に綾部八幡神社がある。綾部氏累代の城郭であった後、九州探題、少弐氏や龍造寺氏と続く。城は建久頃(1190年〜1199年)から存在。主郭斜面には畝状竪堀群を巡らせている。
口コミ済み。

② 白虎城
宮山の北西側1.2キロの白虎山(260m)にあり、綾部城の主城か?西側中腹に平坦部があり石垣が残る。戦国時代末期を彷彿とさせる巨大な空堀が残る。主として九州探題今川・渋川両氏の居城である。
口コミ済み。

③臥牛城
宮山の南東側600mにあり。崖を巡らす小丘は大城・小城といわれ、東方急斜面に深い交通堀があって、少弐山・宮山へ続く。白虎城の出城と思われる。

④少弐山城
宮山の西側200mにある。『しょういんさん』と呼ばれる高地にあり、4条の堀が東西に走る。永正年間頃(1504年〜1521年)からの少弐氏方の城郭で、居館は麓の綾部村にあったと推定されている。
口コミ済み。

⑤鷹取山城
白虎山から北側へ峰続き600mの鷹取山に所在。背面の峰続き尾根には、稜線を数カ所切った堀切等の防衛施設あり。南側の鷹取南城は出丸か?

※良かったら過去口コミ見てみてくださいね♪

まだ色々ありそうだけど、ザックリと。 
綾部城を取り巻く城塞群は本丸・出丸の関係で、最初から一環として構築されたものか?別々に構築されて利用されたものか?ハッキリと分かっていません。が、古来より軍略上の要地であった、この地に構築された綾部城を巡り、南北朝時代から戦国期にかけて攻防戦が幾度も繰り返されている。この事実が城郭を巨大化させ、拠点を幾多も設けさせ、拡大を繰り返したのでしょう。

2021年03月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


佐賀県の三養基郡にある鷹取山城☆標高403mに城郭は位置します☆

綾部城の城塞群と考えられている鷹取山城もまた戦国時代に生きた城郭と伝わります♪
佐賀平野を一望出来る立地は南側に長崎街道が走り筑後と肥前を繋ぐ街道沿いを守りました☆
山腹にある遺構群は南から東に伸びる尾根をL字型に展開します☆山頂に向かう主要部分との動線を阻んでいる遺構群となってます♪浅くはなっていますが二重堀切を持っていて、北側に一条の堀切で城域を一旦区切っていてその堀切を越えて山頂の主要部へ向かいます☆ハイキングコースになっている為、道は整備されていて安心です☆

鷹取南城塞群同様に余り資料等がありません☆戦国時代には島津軍に包囲され壮絶な戦に落城した城山の支城が沢山あったエリアなのでこの城塞群も同様に島津軍に攻められたのかもしれません☆

2021年02月08日 榎晴信肥後守


鷹取山城は登録上は鎮西山城周辺城郭ですが綾部城を中心として狭い範囲に8ヶ所の城館が密集する綾部城群の内の一つ。

築城時期は不明ですが南北朝時代から綾部周辺が九州探題の根拠地となりその時期に築城されたと思われます。

16世紀末に周辺一帯が筑紫氏の領域となりその際に改修再利用された形跡が遺構に残ります。

鷹取山城は山頂部と山腹部で形成されており山頂部からは眼下に綾部城群、筑後平野を一望できさらに筑前とつながる山間往還も見通す要衝となります。

アクセスですが鷹取山城山腹部直下まで舗装された林道があり山腹部から山頂まで20分程の登山となります。

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