御塚・権現塚古墳
御塚・権現塚古墳([海津城 寺社・史跡])
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御塚・権現塚古墳の口コミ情報
2021年11月06日 龍馬備中守【】
福岡県の久留米市にある【御塚・権現塚古墳】♪城郭ではありませんが古墳を守る様に二重に三重に堀を形成します☆
城郭の根本は個人的には古墳から来ているモノと考えています♪それは古墳を守る為に堀を造り古墳の中心部を高く盛り上げ(土塁)形を造る♪こうした土木が後に城郭へ技術が応用されている☆と考えています♪
戦国時代にもこういった古墳は戦時に利用されていて備中高松城の戦いで毛利陣営は造山古墳に布陣したとされていたり忍城の戦いでは石田三成はさきたま古墳群に陣張り水攻めを行ったりと高台として使用されたりもしました☆更に常陸国の佐竹氏はよく古墳を取り入れた城郭を築いたりもしています♪
さて♪この御塚・権現塚古墳ですが、出土した遺物などから築かれたのは5世紀後半から6世紀前半と考えられていて、この2つの古墳に埋葬された人物は『日本書記』に名の見える、この地の豪族『水沼氏』の一族と考えられています☆この水沼氏は大和政権の一員として筑紫地方を支配していたと考えられています☆
この5世紀後半から6世紀前半に、これだけの土木技術を持ち合わせている事に感激♪
御塚古墳は三重堀♪権現塚古墳は二重堀になっている事から偉い人(水沼君だとしたら…)は御塚古墳に埋葬されているのでしょう☆上空から見たらその形は綺麗な円形を描いています☆