中津隈城

中津隈城([海津城  周辺城郭])

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中津隈城の口コミ情報

2021年06月09日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


佐賀県の三養基郡にある【肥前・中津隈城】☆北茂安町の平坦地を見下ろす丘陵地に設けられた平山城となっています♪古くは鎌倉時代、南北朝時代は中津隈荘(荘園)となっていました☆

鎌倉時代には松浦氏一族の中津隈氏が居たと伝わっています☆南北朝時代には北朝方の勢力が中津隈に要害を構えて南朝の少弐・菊池勢と戦っています☆この頃には城郭として機能していたと思われます☆更に戦国時代には豊後・大友氏の軍勢が肥前国へ攻め入りこの中津隈に陣所を構えてます☆
また北肥戦誌には『隆信(龍造寺の事)先づ当城を開きて帰陣すべし、犬塚三郎右衛門家広を崎村(崎村城)より中津隈に移し、姉川中務大輔信安を姉川(姉川城)より米田(米田城)に移し、横武(横武氏)が知行の内を米田村にて百町押し取り信安に給はり』と残っていて崎村城主・犬塚家広が龍造寺隆信から中津隈を賜り築城しました☆
コレは恐らく元々は松浦氏の一族が居館したものを後に犬塚氏が城郭へと変化させていったモノと思われます☆

徳音寺の南東に「館(タチ)」その西側には「館堀(タチボリ)」と呼ばれる場所があってこの辺りが中津隈氏の館跡と考えられています☆高台に位置する北側の宝満神社境内には土塁が残っていて、これが犬塚家広が造った中津隈城(要害)の遺構と思われます☆

因みに犬塚家広の子孫達は後に鍋島直茂の家臣となり生きていきました☆


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