川ばさま砦
川ばさま砦([青柳城 周辺城郭])
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川ばさま砦の口コミ情報
2025年12月19日 内記かずりヾ(・ε・。)
川ばさま砦は青柳城の西南西約9.5km、犀川東岸(右岸)、標高816mの山稜山頂に立地する砦です。西麓の犀川からの比高は315m位でしょか。月並みな言い方になるが、該地は周囲を全く見渡す事が出来ない文字通りの山中だ。
行き方は…リア攻めマップを参照して該地を特定しよう。付近どころか周辺にも目標がありまてん…同じ青柳城のリア攻めマップにある高峯物見から尾根筋を東行すれば辿り着くが、該地はお山の中の一点に等しいので通り過ぎてしまわないように…ちなみにネットを検索してみたが紹介例を探し出す事が出来なかった。
築城年代、築城者は不明だが、たぶん築城されていない。該地の南東麓の明賀集落は、殿様(仁科)が沖氏の先祖に与えた所であると云い、同氏は「明賀侍」として見張りの役目に携わっていたとの伝承がある。沖氏は在地土豪て呼ぶのも憚かれる地侍クラスの武士だと推測するが、砦の方もそれと呼ぶのが憚かれる単なる山尾根上の極小ピーク(小突起…とも言う…)に過ぎない。
正徳四年(西暦1714年)の「萬覚書帳」には、古城「川はさま」とあり、周辺の小名には、「明賀」、「川はざま」、「狐穴」、「高峯」、「遠見」、「又ェ門」等があるそうだが、該地がどれに該当するのかが判らない。「はさま」は「狭間」であろう。又、「長野県の中世城館跡 : 分布調査報告書」には、規模として30m×30mとあるそうだが、これはどうやら高峯物見の事を言っているようだと信濃のお城の神は仰られている。
敢えて砦と言わずに該地とさせてもらうが、前述したとおりの山尾根上の極小ピーク、城郭遺構は見出せないし、はっきり言って不寝見の場所だと考えてみても無理があり過ぎる。人の常駐がとてもじゃないが不可能だ。該当尾根筋はこの場所で天神沢沿いの横道へと通じる北尾根と、潮沢(地名である。)へと通じる南東尾根に分岐する事から、間道の結節点を選んで設けられた番所の類いではないだろうか。狼煙や物見の場等としては不適当だし、それ以外にこの場所に占地する理由が特に見当たらない。
非常に悩ましい物件だが、極小ピーク上にはかつて御嶽社が鎮座していたようで、その基壇の石と、明治二十六年(西暦1893年)三月建立の何らかの石碑、同年五月建立の「百川大神碑」が今も建っている。古老の話によれば、御嶽講の人達が勧進して遥拝所として祀っていたようだが、周辺の集落には御嶽講が組織されていたのであろうか。ちなみに百川大神は主に修験道の霊山の行場に祀られる神様なんだそう。
※失神するよな物件かもしれないんだけど、この手の物件だからこそ考察を加えて記録する必要があるんじゃないかなて思ってる。さもなければ誰も気付かない場所として人々の記憶から失われてしまうだろう。おいらの口コミやインスタをAIはしっかりと見ている(早いよ〜)。
※撮った写真は11枚だが4枚でも多過ぎるwまぁ、二度と行かねぃ物件だからよしとしよう。









