田多井古城下居館

田多井古城下居館([中塔城  周辺城郭])

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田多井古城下居館の口コミ情報

2025年09月11日 内記かずりヾ(・ε・。)


田多井古城下居館は中塔城の北東約5.9km、標高約598mの段丘台地上平場に立地した居館です。該地とその周辺一帯は烏川扇状地の扇端部に位置しており、水田地帯には明瞭な条里型地割が見られ、平安時代の中期以降には開発が始まっていたとも推測されている。

行き方はGoogleマップに位置登録されている「田多井公民館」を目標に設定して下さい。この公民館に車を捨てたらリア攻めマップを参照して該地を特定しよう。

該地の田多井郷は、安曇郡内矢原庄を構成する一郷であった。長享仁(西暦1488年)戌申年七月吉日之写、「春秋之宮造宮之次第」に、「十八間 多田井(田多井)郷」とあるのが文書上の初見、田多井郷は「御瑞籬四拾三間之内」の十八間を負担している。明鷹十年(西暦1501年)辛酉二月十一日、「三宮穂高社御造宮定日記」に、「御柱一本 猪鹿牧、柷戸(神戸)、た々井三ヶ郷所役」とあり、田多井は、猪鹿牧、柷戸と共に御柱一本を負担している。天正六年(西暦1578年)戉寅二月七日の「下諏訪春宮造宮帳」には、「一 春宮瑞籬八間造宮領 矢原之庄内多田井(田多井)郷」として、「去壬申取所 合弐貫弐百文 田々井代官市右衛門 取手 諏方勘解由左衛門尉」とあり、武田氏時代の田多井郷の代官に市右衛門があった事が判る。又、天正七年(西暦1579年)己卯正月廿日の「下宮春宮造宮帳」には、「玉垣八間 田多井 正物 貳貫貳百文 執手 小井川勘解由 代官津嶋 此外七百 手師小祝」とあり、玉垣八間を他の矢原庄内の諸郷と共に負担している。此処での代官、津嶋とは前述した市右衛門の事であろうか。

築かれた年代は不明、お住まいになられていた方には田多井氏が推測されている。「信府統記」には、同じ中塔城のリア攻めマップにある田多井城の城主として田多井大隈の名が見られるが出自、事跡等が伝わらない。

天正七年(西暦1579年)己卯二月六日の「上諏訪造宮帳」には、「上野之郷 正物仁貫五百文 代官 田多井安右衛門尉 古屋又右衛門尉 此外百文 手師小祝分」とあり、諏訪社上社の大宮東方大鳥居を負担する(「西牧之内」)上野郷(安曇郡)の代官として田多井安右衛門尉の名が見られる。田多井郷を離れて西牧氏の本貫地の代官を務めていた経緯にあっては推測の域を出ないが、元来から西牧氏の影響下にあった田多井氏は、文明十二年(西暦1480年)十月、仁科氏、山家氏に同心して府中小笠原氏に叛した西牧氏の失敗によって田多井郷を逐われ、以降は同氏の被官として存続したのではないだろうか。

別に居館の主として可能性のある者を探せば、天正年間(西暦1573年〜1592年)に田多井郷の地頭となった青柳対馬守が挙げられるだろう。但し、同名は同年間中には失脚したらしく、堀金氏に預けられて堀金郷、南原の地に住していたらしい。

屋敷の現況は…田地、畑地、空地、一般住宅とその敷地等となっており、館域は長野県道25号、塩尻鍋割穂高線によって派手に分断されている。居館敷地範囲は明確ではなく、城郭遺構も完全消滅しているが、昭和六十三年(西暦1988年)には、三田地区県営圃場整備事業に伴う発掘調査が「田多井 古城下遺跡」として部分で行われており、複数の住居址、複数の土壙、溝址(薬研掘りの堀跡と結論されている。)等が検出され、溝址からは中津川産と思われる中世陶器片等が出土している。ちなみに該地は「殿畑(との畑)」地籍にあり、その西側には「城下」、南側には「わかさ垣内」、東方には、「庄司屋敷」、「本屋敷」の小名がかつて残っていた。

「吾妻鏡」、文治二年(西暦1186年)三月十二日庚寅の条、「関東御知行国々内乃貢未済庄々注文」の中には、貢税を未済する左馬寮領、信濃国二十八牧の内に多々利牧の名が見られるが、この「多々利」は「田多井」に比定されている。その位置は、深沢以南、後に小田多井村が成立した田多井原に置かれていたと考察されており、周辺にはその傍証の一つとも言える、「馬瀬口」、「まよみ田」等の牧に関係する小名が残っていた。田多井郷とは、牧経営が困難となった多々利牧の牧田等を基盤に耕地化が進められた郷村であったようだ。

※「城下」を含む、信濃のお城の神の館域の捉え方には誤りがあるように思う。

※多々利牧〜該地の西南西約0.3kmの山林には平安時代初期の創建と伝わる賀茂神社が鎮座する。京都府京都市の賀茂神社、特に上賀茂神社は競馬発祥の地として知られ、かつて宮中で行われていた競馬会の儀の神事が行われる事でも有名だ。馬に深い繋がりを持つ神社であり、田多井の賀茂神社でも「お練り馬の神事」が例大祭として行われている。

※「まよみ田」〜「馬斎田」、牧の守護神を祀るための費用を賄う祭田のあった場所を意味している。

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