二木豊後屋敷

二木豊後屋敷([中塔城  周辺城郭])

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二木豊後屋敷の口コミ情報

2026年06月27日 内記かずりヾ(・ε・。)


二木豊後屋敷は中塔城の東北東約7.7km、梓川北岸(左岸)、標高約596mの平野部平場に立地した屋敷です。屋敷地は安曇野市三郷明盛一日市場にあり、梓川と黒沢川が創造した複合扇状地の扇央部に当たる。用水に悩んだ土地であったようだが、中世には字名のとおり一日市場が開かれた場所でもある。直近のJR大糸線の駅名はずばり一日市場だ。

行き方はGoogleマップに位置登録されている「一日市場公民館」を目標に設定しよう。この公民館の北側の一帯が概ねの屋敷地だ。車も駐車場に捨てられる。

「南安曇郡誌」によれば、「貝梅から等々力に出て矢原・細萱・唐笠木(吉野)・中萱を経て一日市場・七日市場に至る道筋。」とあり、千国大道と伝承される四筋の内の一つが一日市場を南北に通っている。道筋は鉤の手を作りながら二木豊後屋敷の西辺に沿って伸びており、屋敷地が市場に近接した交通の要衝にあった事が判る。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは二木豊後守です。但し、二木氏で豊後守を名乗る人物は重高とその子、重吉の二人がある。御当地オンリーのマイナーな存在かと思ってたらノブヤボにも登場するらしい。

二木氏は、室町時代以降、信濃守護、小笠原氏の有力な被官となったが、前述した豊後守重吉は、特に小笠原貞慶の府中回復に大きく貢献した事で知られている。同氏は小笠原氏の分流を自称するが、個人的には◯◯氏を出自とする滋野姓であったと考えている…はっきりと書かないのは保身のためだ。現在でも安曇野市における勢力家の一つであろう二木さん一族等に卑屈なまでに忖度したい…さもないとアプリの登録城、中塔城に密かに埋められてしまうかもしれないからだ。

二木氏は突っ込み所が満載の「二木家記」を慶長十六年(西暦1611年)に編纂している。詳しくはそちらを参照してくり、小笠原氏を褒め称え、二木氏が如何にして忠義だったのかを言い訳する私家本だ。既に同時代に編纂された他の家記との矛盾が散見される他、これ等、家記でしか見られない合戦も書かれている。印象深い文句は、「十度の戦いの内、九度は勝ったが最後に負けた。」だ。一度の戦いで十回槍合わせして半分勝てば御味方の勝利は確実だと思われる…等と突っ込むのだけは止めてくり、誰だって標高1250mに近いお山の中で人生最期の瞬間を迎えたくはないだろう。

ちなみに小笠原方の史料でしか見られない、天文十九年(西暦1550年)十月に行われた「野々宮合戦」の際には、府中を退去した小笠原長時に従って、飯富、馬場等の武田スターズに勝利したんだけど、何故か勝ったていうのに長時が気弱に…呆気に取られたであろう一同を尻目に詰腹を切ろうとしたのを重高が諌止、向後を見据えて自らの詰城である中塔城籠城を進言したらしい…もはや何のために戦を仕掛けたのかも解らん信濃守護の迷惑ぶりなんだけど、この中塔城、実は位置関係から前述した◯◯氏の要害の詰城だと考えられている…おっと、無言電話が止まないのでこり以上は多くを語るまい…

屋敷の現況は…一般住宅地等となっており、連続する「屋敷添」の小名が残る場所の一部が概ねの敷地範囲と推定されている。推定屋敷地の南側の一角において、平成十三年(西暦2001年)九月に発掘調査が行われているが、検出されたものは無く出土品も無かったんだそう。城郭遺構は完全消滅している上に、彷徨いていると即通報されそうな環境故にリア攻めには地蔵の様なメンタルが必要だ。ちなみに付近には、阿弥陀堂跡、善導寺跡、長徳寺跡(山号は二木山だ。)、宝積院跡等の旧跡があり、集落の中心地であった事に間違いは無い。

天正十一年(西暦1583年)癸未八月十四日、二木豊後守(重吉)宛、小笠原貞慶判物案には、「一 西牧領(安曇郡)分上司之代官同職方之事、一 境目落着者、いねこき(稲核)、なかわ(奈川)、おふのかは(大野川)代官の事 一 にしまき(西牧)りやうふん(領分)河にしのしろき材木、薪、二木之市にて商買すへき事 右之条々、無違儀可申付者也、仍執達如件、」とあり、小笠原貞慶は、二木豊後守を、西牧領、上司の代官とし、境目が落着すれば、稲核、奈川、大野川の代官を合わせ、西牧の河西の、白木、薪を二木の市において商売する事を許している。此処に書かれる「二木之市」が、一日市場、もしくは近隣の真々部の七日市場に比定されている。

※個人的には、後に豊前国小倉藩の重臣となり、在地で存続した系統は富農として三郷村に重きを為した二木氏を、在地土豪の成功例の一つとして大いに尊重している。別の口コミでは真面目に書こうと思うので許してくらさい…

※◯◯〜西と牧が入りやす…小笠原氏とは室町時代以降、故敵、当敵の間柄にあった。二木氏は双方に負い目がある事になる。

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