城日影砦
城日影砦([中塔城 周辺城郭])
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城日影砦の口コミ情報
2026年01月20日 上総介赤備えヾ(・ε・。)
さて、誰でもあんまし意識する事はないて思うんだけど、信濃と飛騨は地続きで国境を接するお隣さんだ。但し、両国を隔てているのは北アルプスに代表される険し過ぎる高山地帯であり、特に厳冬期にはその往来が殆ど不可能であった。
信濃国と飛騨国とを結ぶ道筋の一つに徳本峠(とくごうとうげ)越え〜中尾峠越えがある。安曇郡島々の谷筋から島々谷川に沿って山中に入り、二俣を経て南沢に沿って西行し、徳本峠を越えて徳沢(現在の上高地の一部である。)へと至る。徳沢からは焼岳を目印にして同山の北側鞍部に位置する中尾峠を越えて国境を跨ぎ、中尾を通って蒲田川に沿って西行し、蒲田、栃尾を経て最終的には飛騨国高原郷神岡へと至る。ちなみに永禄七年(西暦1564年)七月、武田氏の臣、山県昌景が飛騨に攻め寄せ江馬氏等を降した際に進んだ道筋は、焼岳の南方に位置する安房峠(あぼうとうげ)を越えるもの。何れにせよ、山頂を目標にしないとはいえ、山岳地帯をフルで縦走するアルピニスト並の根性が必要、暇があったら地図上でルートを確認してみるとよい。
今回、紹介する物件は、飛騨国へと通じる安曇郡大野田、島々の谷筋のとば口を直接扼す砦、近世における野麦街道の冬道を眼下に収めてもいる。又、大野田の西方、梓川の対岸に位置する橋場は、稲核を経て山塊山中を南行すれば木曽福島へも通じている。
城日影砦は中塔城の南方約4.9km、梓川北岸(左岸)、標高1212mの山稜山頂から東方へ伸びる尾根中段上、標高893.5mの八景(焼)山山頂部を中心に立地する砦です。南麓の長野県道278号、大野田梓橋停車場線からの比高は200m位でしょか。城地は梓川と釜ノ沢に南北を挟まれた東西に長い急峻な山尾根に占地している。
行き方は…付近に目標も無く凄く判り難い…こんな書き方しか出来ないんだけど、山尾根の末端部付近に建つ、東京電力高瀬川線の送電線用鉄塔、No.93までどうにかして辿り着こう。西方から舗装道路が付いているんで車での進入も可能かと思われるんだけど、おいらは東側を南北に通る舗装林道の獣柵ゲート付近から釜ノ沢を渡って何とかしている。鉄塔を確認したら北側に見える山尾根の急な斜面をよじ登ろう。◯◯山なんで踏み跡ぐらいは付いているんだけど、岩場も多く尾根稜線上に上がるまではひたすらに我慢だ。
登城の留意点は熊さん対策、該地は北アルプスの最前衛山塊が梓川に消える場所であり野生動物の楽園、同川の河川敷では熊被害対策の一環として雑木林の採伐が鋭意進行中だったりする。ちなみにニホンザルがコンビニの駐車場を闊歩しているような場所だ。ぼこぼこにしたろか…て思ったんだけど先を急ぐんで勘弁してやった。命拾いしたのぅ…
築城年代は不明、築城者は安曇郡住吉荘の開発領主、滋野氏を祖とする西牧氏です。同氏の詳細については語る場所が腐る程あるので小出しにして別の機会に譲る。
段付きの主郭のみで構成される単郭の縄張だが、生意気な事に主郭の東西に二重堀切を穿っている。但し、後世、尾根上に山道が付けられてしまい、はっきりとそれと判るものは1条のみ、他にあっては殆ど埋まり気味だ。又、城域の西端部は崩落痕が形成した土橋様地形、斜面上は片側の崩落が岩盤層で止まっている事から見事なまでの竪堀様地形となっている。ちなみに城域の東端部を何処で取るのかも問題かもしれない。登城中には2箇所に堡塁様地形が見られるが自然地形との判別が非常に難しくなっている。
天正十三年(西暦1585年)八月、金森長近の飛騨攻めによって籠城する松倉城を脱した三木秀綱は、奥方等を伴って筑摩郡波田を目指して落ち延びる(奥方の実父である春日淡路守道次を頼ったとも。)。一行は途中、二手に別れたが、秀綱は落武者狩りに遭い討死し、奥方は前述した徳本峠越えの道を進む途上に杣人の手に掛かって落命したと伝わる。奥方の悲劇は、後には民話、怪談話としても伝わっているが、夏場とはいえ険しい山中を歩み、故郷を前にして最期を迎えたその無念は如何程のものであったろうか。合掌…
※徳本峠〜道は車道が通じるまでは上高地へ登るメインルート、老婆から着物を剥ぎ取り蹴り倒す小説、「羅生門」で有名な文豪の芥川龍之介は、手ぶらにも拘らず荷物を背負った案内人との距離が次第に広がっていく事を嘆いている。峠には、大正十二年(西暦1923年)に開業した山小屋、徳本峠小屋が現役、ルート上には三木秀綱の奥方の受難の碑が建っているみたいだし一度は登って泊まってみたいなぁ…
※春日淡路守道次〜小笠原氏の臣であり、同じ中塔城のリア攻めマップにある淡路城は同氏の居館城と伝わる。
※写真①は梓川に架かる沈下橋付近から撮影した近景っす。山尾根の真ん中辺りが城地だと思うんだけど何処だか判らん。









