贄川の千村氏屋敷

贄川の千村氏屋敷([武居城  周辺城郭])

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贄川の千村氏屋敷の口コミ情報

2025年08月12日 内記かずりヾ(・ε・。)


さて、中山道の三十三次にして木曽路最北端の宿場町、贄川宿を知ってるかな。世界一の映え宿、奈良井宿の一つ前の宿場でもある訳なんだけど、観光客で賑わう奈良井宿の喧騒とは裏腹に贄川宿を訪ねる人は誰一人としていない。正直、贄川関所以外に見るべきものは無いんだけど、そんな寂れた宿場町にとある物件を片付けるためだけに訪れてみた。

贄川の千村氏屋敷は武居城の南南西約12.0km、奈良井川西岸(右岸)、標高約887mの河岸段丘台地緩斜面上平場に立地した屋敷です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている高野山真言宗の寺院、揚梅山「観音寺」を目標に設定して下さい。この寺院の北側に見える一般住宅地の中の一角が概ねの該地である。車はお寺さんの駐車場に捨てればよい。

戦国時代、該地は筑摩郡贄川に含まれており、中山道の謂わゆる木曽路は正に此処から始まる。ちなみに贄川(熱川)の地名の由来は古代に渓間から温泉が湧き出した事にあるそうだが温泉自体は僅かな期間で枯れてしまったらしい。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは千村右衛門尉俊政です。何処まで信じてよいのかは悩むところだが、千村氏は木曽氏の一族、木曽讃岐守家村の五男、家重が上野国千村郷に住して千村五郎を名乗ったのがその始まりと伝わり、俊政はその十一世の裔なんだそう。同名は木曽義康、義昌に仕えて贄川に住し、奈良井に住した奈良井治部少輔義高と共に贄川の砦(同じ武居城のリア攻めマップにある桜沢砦か。)を預かっていたらしい。天文年間(西暦1532年〜1555年)には洗馬から出張した武田勢を、弘治年間(西暦1555年〜1558年)には伊那郡から出張した同勢を、何れも前述した義高と共に防いだんだそう。天正十年(西暦1582年)二月十六日の「鳥居峠の戦い」の際には木曽義昌の麾下に属して勇戦力闘し織田勢と共に武田勢を破るが、天正十二年(西暦1584年)三月から続いた「小牧・長久手の戦い」の際に主家の木曽氏が徳川氏から離反するとこれに苦慮、最終的には義昌によって誅されたと伝わる。

天正十年九月廿五日、千村右衛門尉(俊政)宛、木曽義昌宛行状案には、「今度其方因忠勤、小野、飯沼、横川、一之瀬之他、箕輪諸職之事任置候状(條」、不可有違背候、仍如件、」とあり、木曽義昌は、千村俊政に、小野、飯沼、横川、一之瀬の各郷(何れも伊那郡である。)を宛行い、併せて箕輪(伊那郡)の諸職の事を同名に任せている。徳川家康は信濃経略において伊那郡箕輪の諸職を義昌に一任しているが、この役目を在地で務めていたのが俊政だ。主家の徳川氏からの離反に同名が苦慮したのは当然であろう。

屋敷の現況は…空地、一般住宅地等となっている。例によって改変著しく旧態は全く想像出来ない。但し、寺社に隣接し、西方山塊を背負い、木曽路の古道を前にした屋敷地としては適地なんだろう。水の手だったと思しき堀抜き井戸も現役だ。

書状にも登場する千村右衛門尉俊政だが、千村氏系図を見ると該当する人物が見当たらない…或いは改名があるのだろうか。同氏の祖を鑑みれば多数の一家を輩出していたと考えられるが、俊政は誅されたとはいえ千村氏は断絶しておらず、平右衛門家、良重の家系は江戸時代を通じて伊奈代官と榑木山支配を兼ねた尾張藩藩士として存続し、当時としては異例とも言える幕藩両属の立場にあった。

※「関ヶ原の戦い」において東軍の木曽谷の通行を可能たらしめたのは、山村甚兵衛良勝、千村平右衛門良重等の尽力による。慶長五年(西暦1600年)八月十五日、伊那侍従(京極高知)宛、徳川家康書状案には、「急度申候、仍木曽谷中之儀、申付山村甚兵衛、千村平右衛門、差遣候処、妻籠江相移由申來候、人衆之儀、右両人申次第、御加勢頼入候、猶江雪(板部岡)可申候間、令省略候、恐々謹言、」とあり、徳川家康は、山村甚兵衛、千村平右衛門の両名を木曽谷に差し遣わした事、谷中の地侍等を同心させ妻籠へ移った両名が加勢(美濃表へ押し出す事である。)を家康に求めて来た事を併せて京極高知に報せている。

※贄川の南方山塊中には楡沢山城と称する、国内最高所(標高は1754m…)、日本一登城が困難な物件が立地する。スポット登録出来ないのでアレだが、体力が有り余り、ガチの遭難の危険性や何かに襲われる覚悟を持てる方は挑戦するのもよいだろう。責任は負わないがそもそも論で遭難しても誰も気が付かない。一報を受けてから救助隊が発見するのには数日を要すると思う。ちなみに辿り着いても熊笹以外に何も無い。

※贄川関所〜口コミはしないので同じ武居城のリア攻めマップにスポット登録し写真だけ置いておく。関所に併設された木曽考古館は一見の価値があるらしいけど休館日だった…が〜んっ!

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