山吹城(やまぶきじょう)
山吹城の基本情報
通称・別名
- 山吹城[山吹大城(おおじょう、萩倉要害、隠れ城)・山吹小城(こじょう)]
所在地
- 長野県諏訪郡下諏訪町東町上他(地図は山吹大城を示す)
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 金刺氏[すべて]
築城年
- 室町時代?[すべて]
主な改修者
- -
主な城主
- 金刺氏[すべて]
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)[すべて]、石垣[山吹大城]
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板[すべて]
周辺の城
-
花岡城(長野県岡谷市)[5.6km]
高島城(長野県諏訪市)[6.0km]
有賀城(長野県諏訪市)[8.3km]
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朝倉山城(長野県茅野市)[12.4km]
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山家城(長野県松本市)[15.1km]
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山吹城の解説文
山吹城の口コミ情報
2024年04月17日 aruu
山吹城
①山吹城(小城)
★徒歩★
•諏訪湖側国道20号から142号に入り突き当り諏訪大社下社秋宮を左方向へ道なりに進むと右側に慈雲寺が現れる。
慈雲寺建物終わりで右上方向に登る小道をあがるとすぐ小さな分岐点があり、左側に水月公園、右側に水月公園駐車場があります。ここに車を止め上方向奥に見える下諏訪清掃センター目指して歩きます。清掃センター関連建物のちょうど終わり部分対面左側に斜め上方向へ登る小道があり、登るとすぐに城説明板と小城、大城への方向板が建っており、左側へ2〜3分で小城現着。
山吹城(大城)
★徒歩★
•①の方向板右側を(幅狭、左側急斜面の少し注意が必要な小道を途中特に要注意な足場悪な小川超え)で20分〜30分、小城から500m位で現着。
★車★
•清掃センターをさらに登ってくと2差路があり左側の林道萩倉線表示方向へ入り、数えて4つ目のカーブミラーの場所にスペースがあるのでそこに車を駐車。そこから左側に分け入れば5分〜10分で大城主郭、各曲輪へたどり着けます。
2022年05月11日 ️
山吹城
山吹小城とは打って変わって至るところ段曲輪🎎だらけの城です
が、戦前は主郭を除き全山耕作🌾されていたとのことであり、どこまでが純粋な遺構であるのか判然としません🤷♂️
特に、北曲輪の西側にある出曲輪から北に続く段々は降りて行く度にデジャヴ現象🙄が起こるほど続いています
また、北曲輪の南に続く三日月型🌙の段々も曲線美に萌えること請け合いです🥰
解説板には宮坂御大🧐の縄張り図が掲載されており、御大も5段程度は遺構として取り扱っておられるようですので、その部分だけでも楽しんでみてはいかがでしょうか❓😚
中世の守備力増強💪のための曲輪普請と後世の食糧確保のための耕作🌾はどちらも必死さで負けてないだけに、たどり着く削平地も似てしまうのかもしれませんね🤔
山吹小城から歩いて🚶♂️向かいましたが、同城の駐車スペース🅿️から林道を更に北上したところにあるカーブミラー付近の路肩が広くなっているため、そこに駐車すればすぐに城域に突入することができます😊
〜以下、現地解説板より〜
山吹城跡
山吹城は諏訪大社下社の大祝であった金刺氏によって築かれた城とされている。
金刺氏の居城は下社秋宮の背後に築かれた桜城とされていたため、山吹城は有事の際の詰め城とされており、前方に小城があり、後方に本城である大城が構えられていた。
築城時期については定かではない。
金刺氏は、「中先代の乱」、「桔梗ヶ原の合戦」、「大塔合戦」などの抗争を経て、諏訪大社上社の大祝を務めていた諏訪氏との間に、政治姿勢の相違が重なり、対立していった。
やがて上社と下社は武力衝突し、上社勢が下社を攻め、社殿を焼き払う結果となった。
その後も上社と下社の抗争は続いたが、おおむね下社の劣勢であり、衰退の一途にあった。
永正15年(1518年) 諏訪頼満が、金刺昌春が籠城していた萩倉の要害へと攻め入った。
この萩倉の要害が山吹城の大城ではないかと推定されている。
上社大祝家に伝わる 「当社神幸記」によれば、萩倉要害は自落して、一類の面々家風ことごとく断絶、没落したとある。
ここに、金刺氏の没落は決定的となったとされている。
2022年05月11日 ️
山吹城
山吹小城は3つの曲輪と4つの堀凹から成る連郭式の城です☺️
500m北側に位置する山吹大城と比較すると、単純な縄張りであり、同城の南西部を補強する出城的に機能していたのではないかと思われます🤔
駐車場🅿️は水月公園を利用してもさほど歩きませんが、下諏訪町清掃センター付近(センター営業時間中は持ち込み車両もあることからおすすめしません)も路肩が広くなっており、そこに停めれば西側尾根をヒョイと上がるだけで城域に突入できます😚
〜以下、現地解説板より〜
山吹城跡
山吹城は諏訪大社下社の大祝であった金刺氏によって築かれた城とされている。
金刺氏の居城は下社秋宮の背後に築かれた桜城とされていたため、山吹城は有事の際の詰め城とされており、前方に小城があり、後方に本城である大城が構えられていた。
築城時期については定かではない。
金刺氏は、「中先代の乱」、「桔梗ヶ原の合戦」、「大塔合戦」などの抗争を経て、諏訪大社上社の大祝を務めていた諏訪氏との間に、政治姿勢の相違が重なり、対立していった。
やがて上社と下社は武力衝突し、上社勢が下社を攻め、社殿を焼き払う結果となった。
その後も上社と下社の抗争は続いたが、おおむね下社の劣勢であり、衰退の一途にあった。
永正15年(1518年) 諏訪頼満が、金刺昌春が籠城していた萩倉の要害へと攻め入った。
この萩倉の要害が山吹城の大城ではないかと推定されている。
上社大祝家に伝わる 「当社神幸記」によれば、萩倉要害は自落して、一類の面々家風ことごとく断絶、没落したとある。
ここに、金刺氏の没落は決定的となったとされている。
山吹城の周辺スポット情報
山吹小城(周辺城郭)