有賀城(あるがじょう)

有賀城の基本情報

通称・別名

天狗山城

所在地

長野県諏訪市豊田有賀

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

有賀次郎

築城年

承久年間(1219〜1222)

主な改修者

主な城主

有賀氏、原虎胤(武田氏家臣)、千野氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

高島城(長野県諏訪市)[3.8km]
花岡城(長野県岡谷市)[4.8km]
諏訪氏城館(長野県茅野市)[6.2km]
藤沢城(長野県伊那市)[10.1km]
上ノ平城(長野県上伊那郡)[11.9km]
朝倉山城(長野県茅野市)[12.1km]
福与城(長野県上伊那郡)[15.3km]
埴原城(長野県松本市)[20.0km]
高遠城(長野県伊那市)[20.5km]
武居城(長野県東筑摩郡)[21.1km]

有賀城の解説文

有賀峠の登り口、江音寺の裏山にあり、古くから諏訪と上伊那を結ぶ重要路に位置する。14世紀ごろに形成されたと考えられ、諏訪上社大祝一族の有賀氏が代々居城とした。

戦国時代、天文17年(1548)に、有賀氏は西方衆として武田氏に反乱したため追放され、その後有賀郷が千野靱負尉に与えられているため、このとき千野氏は有賀城に本拠を移したと考えられる。

江音寺の南には、丹波屋敷、殿小路の地名があり、有賀氏時代以来の居館と考えられる。

主郭の標高は925mで、高い土塁をつくり大きな横堀があることが特徴であり、武田氏の手が加わっていると考えられている。

主郭から続く北側の尾根には郭が数段設けられ、横堀・竪堀を配した堅固なつくりである。

諏訪市内の中では保存状態がよい山城のひとつである。

情報提供:諏訪市教育委員会


有賀城の口コミ情報

2022年09月25日 国府右京大夫城介
南真志野城[有賀城  周辺城郭]



諏訪大社禰宜の矢島氏が拠った城

【歴史】
築城者、築城年代ともに不明。
天文11年(1542)頃、諏訪大社禰宜の矢島満清が城主であったという。矢島満清は、天文11年の宮川の戦い(武田晴信VS高遠頼継)では高遠側に、天文17年(1548)の諏訪西方衆共に武田家に叛旗を翻すなど、度々武田家と戦っている。
廃城は前述の諏訪西方衆の反乱が敗北に終わった天文17年頃と考えられている。

別名:真志野城

【遺構】
有賀城の南東1.5kmに位置し、標高1,030m(麓から比高230m)の西山山系に築かれている。
主郭を中心に背後には堀切、麓方面には多段の曲輪を配置する典型的なこの地方の城郭である。主郭の三方を土塁で囲んでおり、西側の土塁は厚く、櫓台を兼ねていた。

【感想】
やや奥まった場所にあったため、中央道建設の際に破壊されることもなく、遺構は良好に残存している。また、里山として人の手が入っており、藪が少なく遺構も見やすい。

諏訪湖畔周辺にある城の中でも、かなり高所にある城(上原城や有賀城より高い)で、麓から舗装された道を一気に50m近い急坂を登る上に、所々滑りやすい箇所があるので注意してください。また、林道に入ると落石の危険性がある道であり、非舗装の上、泥濘がある場所もあります。

明確な登城道はないので、適当な場所から直登していく必要があります。登りやすい場所としては、城の南側に段曲輪っぽい地形のあたり(害獣捕獲罠や沢が目印)から登るのがいいかと思います。そこから、少し登れば、堀切の背後に繋がる細長い鞍部に出るので、右手に進んでください。ただし、土がかなり柔らかいので、雨が降った日などに登らない方がいいかもしれません。

堀切の大きさは、有賀城に比べれば小さいですが、城の規模とすれば十分な大きさだと思います。また、東側斜面には複数の曲輪が配置されており、基本的には東側から攻められることを想定しているような造りです。この東側斜面の曲輪には、所々石積みらしきものがあります。(後世の土留の可能性あり)

【アクセス】
岡谷駅からレンタサイクルで40分+徒歩10~15分(急坂に加え、非舗装林道のため)。
林道は地元の方も利用しており、停めるには注意が必要(訪城当日、5台がすれ違っていった)。

【写真】
①大堀切
②主郭の土塁
③主郭
④東側の段曲輪
⑤曲輪の石積み?

2022年09月13日 国府右京大夫城介
権現沢城[有賀城  周辺城郭]



曲輪や堀跡がマレットゴルフ場に変化した城

【歴史】
築城年代・築城者は共に不明。
城主は、金子民部や胡桃沢氏など。
発掘調査で、中世住居跡や青磁片が出土している。

別名:本城、北真志野城

【遺構】
有賀城の南東700mに位置し、標高848m(諏訪湖から比高85m)の丘陵に築かれている。
中央道によって、城域は東西に分断されており(跨線橋で往来は可能)、西側には説明版及び土塁らしきものが、東側は西山公園となっており曲輪や堀らしき跡が残っている。

【感想】
ここも中央道建設に伴い、遺構の一部が湮滅していますが、まだ小坂城よりはマシな状態だと思います。
東側の城域は西山公園となり、更にマレットゴルフ場となっていますが、本来あった城の遺構を活用したコースのよう見えます。勿論コース造成のために破壊された箇所はあるでしょうが、わざわざ段曲輪状にコースを作成する意味はないと思うので、おそらく元の遺構を活用したのだと思います。(あくまで私見です)
西側は畑の造成により、旧状は分からないが、明らかに土塁の張出らしき地形も残っています。

【アクセス】
有賀城から自転車で10分程。
西山公園に駐車場あり。

【写真】
①説明版
②西側の土塁
③西山公園に残る空堀跡?
④段曲輪状の地形1
⑤段曲輪状の地形2
⑥跨線橋

2022年09月12日 国府右京大夫城介
小坂城[有賀城  周辺城郭]



中央道建設に伴い、破壊された小坂氏の居城

【歴史】
平安末期の久寿元年(1154)に、源(武田)信義が築いたと云われている。文明年間(1469~1487)に発生した諏訪氏の内乱(惣領家と大祝家の争い)の頃には既に築かれている。
築城者の小坂氏は、神(みわ)氏の一族で、上社大祝敦光の子・敦忠を祖としており、前期内乱においては、諏訪惣領家と組み、大祝継満や下社金刺家を駆逐している。武田信玄による諏訪攻めの際には、武田方に与し、高遠頼継らとともに諏訪頼重を滅ぼしている。しかし、上田原の戦いで武田信玄が敗れると、小笠原長時に呼応し反旗を翻すが、あっさりと鎮圧され、領主としての小坂氏は滅ぼされた。しかし、神職としての小坂氏は生き長らえている。
廃城となったのは、小坂氏が滅んだ天文17年(1548)頃、若しくは武田氏が滅亡した天正10年(1582)に廃城になったと考えられている。

別名:桜城

【遺構】
有賀城から北西2.45kmに標高860m(諏訪湖から比高100m)の西山山系に築かれている。
中央道の建設工事に伴い、遺構の大半は湮滅しており、西側の曲輪の一部、段曲輪、堀切が残っている。

【感想】
遺構の大半を中央道の建設に伴い、破壊されているが、一部の遺構は残っている。木に紛れて見つけにくいが標柱などもあり、地元ではきちんと城として認識されている。主郭には土塁や虎口があったようだが、最早縄張り図からしか確認を取ることが出来ないが、西側には幾重にも段曲輪が構築されており、岡谷市内にある花岡城と似た感じがします。
登城口は北からでも南からでも入れるが、神武神社がある南側の道路沿いに説明版があることから、こちらから登るのが正しいと思われる。

【アクセス】
岡谷駅から自転車で30分。(ただし、小坂城近くは急坂のため、電動以外は手押しが必須となる)

【写真】
①説明版
②神武神社
③曲輪(鉄条網の先が中央道になっている)
④標柱
⑤堀切
⑥切岸
⑦段曲輪

2020年11月09日 しげしげ主税頭信繁
有賀城



有賀峠に向かう県道沿いに登城口が有り、路肩に4〜5台位の駐車スペースがあります。
そこから20分くらい登り主郭跡にたどり着きます。

2019年12月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
有賀城



有賀城の登城路入口は写真のとおりです。

北麓の江音寺の墓地裏手にありますが、墓地は見通しが良いので直ぐにに冠木門は見付かるかと思います。ちなみにもう一つの登城路もこのお寺にあります。

お城は尾根上を利用してほぼV字に築かれており、主尾根と派生した支尾根に挟まれた鞍部を登って行く事となります。先を見てると遠く感じますが、途中に「右に行って下さい。」という看板がありますので安心して下さい。

お城は素晴らしい整備具合です。登城路から堀切でぶった斬られた尾根の稜線が見えてテンション上がります。コンパクトな縄張で遺構も集中していますので1時間もあれば廻れます。縄張図にある遺構は浅くなったり消失気味のものもありますが、ほぼ全ての遺構は労せずして確認出来る稀有な山城だと思います。苦労対効果が非常に高く、遺構の残存率も高いので、山城に普段行かない方にはその入口となるかもしれません。

ちなみに江音寺の御供え物を狙って山猿が現れるらしいですが、山猿なら何とか勝負出来ると思いますので大丈夫です。

2019年05月04日 龍馬備中守【】
有賀城



(左)副郭(右)櫓台?(奥)主郭☆横堀の中より☆3つの盛土上より攻撃を仕掛る☆攻守共に重要拠点☆

2019年05月04日 龍馬備中守【】
有賀城



主郭背後の大堀切☆諏訪湖の南西岸の高台に築城☆江音寺の背後の尾根先端附近を縄張りとする☆諏訪氏の一族の有賀氏が築き代々居城とする☆

2019年05月04日 龍馬備中守【】
有賀城



主郭を守る大土塁☆背後は大堀切☆堀底から大土塁上までは10mは超える☆土木量が凄い♪

2016年12月17日 カーネル
有賀城

中央線岡谷駅から
直線距離で5.5km。遠いなぁと思いながら歩き出すと岡谷駅の駐輪場でレンタサイクルをやっているので借りました
500円/日です。麓の江音寺を目指してサイクリング。諏訪湖の湖畔なので、高低差はなく、景色もよく40分ほどで江音寺着(しかし湖畔からお寺への坂は、ほとんど押して歩いた)

お寺の真南にあたる、背後の墓地の奥には冠木門があり、そこから登れます。門の手前には案内板もあります

ゆっくり10分くらい登ると本丸で、眺めがよいです。背後の副郭から北に階段状の連続した曲輪が見事です。第五曲輪までは看板があり、まだ下に下れそうなので下ると、江音寺の西に降りれます

帰りに花岡城に寄りました。少年達がサバゲーしてました。諏訪湖を眺めたりで、岡谷駅から往復して3時間半

楽しかったです

2010年09月13日 マイ兵庫助リバ
有賀城

江音寺の背後が城跡です。墓地の東側と西側に登り口がありますが、オススメは西側(解説板と冠木門があるため、モチベーションが上がります)下草が刈られた斜面を登ること10分弱で虎口や高さ約5mの土塁が残る主郭へ到着

主郭直下の竪堀&横堀が形成する防御ラインは見応えがあります二の曲輪から五の曲輪まで堪能しながら、ちょっと急な斜面を降りれば、千野家家老墓地がありますので、合掌して城攻めの無事を感謝しましょう(^人^)

有賀城の周辺スポット情報

 登城口(碑・説明板)

 南真志野城(周辺城郭)

 権現沢城(周辺城郭)

 小坂城(周辺城郭)

 江音寺(寺社・史跡)

 登城口(関連施設)

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