小坂城
小坂城([有賀城 周辺城郭])
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小坂城の口コミ情報
2022年09月12日 国府左京大夫城介
中央道建設に伴い、破壊された小坂氏の居城
【歴史】
平安末期の久寿元年(1154)に、源(武田)信義が築いたと云われている。文明年間(1469~1487)に発生した諏訪氏の内乱(惣領家と大祝家の争い)の頃には既に築かれている。
築城者の小坂氏は、神(みわ)氏の一族で、上社大祝敦光の子・敦忠を祖としており、前期内乱においては、諏訪惣領家と組み、大祝継満や下社金刺家を駆逐している。武田信玄による諏訪攻めの際には、武田方に与し、高遠頼継らとともに諏訪頼重を滅ぼしている。しかし、上田原の戦いで武田信玄が敗れると、小笠原長時に呼応し反旗を翻すが、あっさりと鎮圧され、領主としての小坂氏は滅ぼされた。しかし、神職としての小坂氏は生き長らえている。
廃城となったのは、小坂氏が滅んだ天文17年(1548)頃、若しくは武田氏が滅亡した天正10年(1582)に廃城になったと考えられている。
別名:桜城
【遺構】
有賀城から北西2.45kmに標高860m(諏訪湖から比高100m)の西山山系に築かれている。
中央道の建設工事に伴い、遺構の大半は湮滅しており、西側の曲輪の一部、段曲輪、堀切が残っている。
【感想】
遺構の大半を中央道の建設に伴い、破壊されているが、一部の遺構は残っている。木に紛れて見つけにくいが標柱などもあり、地元ではきちんと城として認識されている。主郭には土塁や虎口があったようだが、最早縄張り図からしか確認を取ることが出来ないが、西側には幾重にも段曲輪が構築されており、岡谷市内にある花岡城と似た感じがします。
登城口は北からでも南からでも入れるが、神武神社がある南側の道路沿いに説明版があることから、こちらから登るのが正しいと思われる。
【アクセス】
岡谷駅から自転車で30分。(ただし、小坂城近くは急坂のため、電動以外は手押しが必須となる)
【写真】
①説明版
②神武神社
③曲輪(鉄条網の先が中央道になっている)
④標柱
⑤堀切
⑥切岸
⑦段曲輪