高島城(たかしまじょう)

高島城の基本情報

通称・別名

諏訪の浮城、島崎城

所在地

長野県諏訪市高島1-20

旧国名

信濃国

分類・構造

連郭式平城

天守構造

独立式望楼型[3重5階/1598年築/破却]、独立式望楼型[3重5階/1970年再/RC造復興]

築城主

日根野高吉

築城年

文禄元年(1592)

主な改修者

諏訪忠粛

主な城主

日根野氏、諏訪氏

廃城年

明治8年(1875)

遺構

曲輪、石垣、横堀(水堀)、門

指定文化財

市史跡

再建造物

復興天守、櫓、門、塀、石碑、説明板

周辺の城

有賀城(長野県諏訪市)[3.8km]
諏訪氏城館(長野県茅野市)[4.7km]
花岡城(長野県岡谷市)[5.7km]
朝倉山城(長野県茅野市)[9.0km]
藤沢城(長野県伊那市)[12.6km]
上ノ平城(長野県上伊那郡)[15.7km]
埴原城(長野県松本市)[18.7km]
福与城(長野県上伊那郡)[18.9km]
和田城(長野県小県郡)[20.2km]
山家城(長野県松本市)[21.1km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)130 高島城

設置場所

高島城(天守閣資料館)1階展示室内[地図

高島城の解説文



高島城(たかしまじょう)は、信濃国諏訪郡高島[1] (現・長野県諏訪市高島)にあった日本の城。諏訪の浮城や島崎城、諏訪高島城とも呼ばれる。

概要 

城郭の形式は連郭式平城である。かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている。 日根野氏によって総石垣造で8棟の櫓、6棟の門、3重の天守などが建て並べられ近世城郭の体裁が整えられたが、軟弱な地盤であったため、木材を筏状に組み、その上に石を積むなどの当時の最先端技術が用いられた。それでも石垣が傷みやすく、度々補修工事を加える必要があったという。7年間の短期間で築城したため、かなり無理をしたらしく、地元では「過酷な労役に苦しんだ」「石材を確保するため、金子城の石材は全て持ち出したほか、墓石、石仏も用いられた(転用石)」などの伝承が残る。

歴史 

高島城(茶臼山城

中世、諏訪郡の領主であった諏訪氏は現在の諏訪高島城の北方に位置する茶臼山に高島城(茶臼山城)を築いて居城とした。諏訪氏の滅亡後、諏訪郡には武田家の譜代家老・板垣信方が現在の茅野市に所在する上原城に配置され、諏訪郡司(郡代)となった。

天文17年(1548年)には上田原の戦いにおいて信方が戦死し、天文18年(1549年)正月には長坂虎房が諏訪城代となり、高島城へ入城した。『高白斎記』によれば、高島城は足軽大将の山本勘助により改修されたという。高島城の城代は虎房の後に吉田信生・市川昌房が務め、天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで昌房が戦死すると、今福昌和が務める。高島城は武田氏による諏訪郡支配の拠点となった。

諏訪高島城

天正10年(1582年)3月の武田氏の滅亡後、甲斐国と信濃諏訪郡は織田氏の家臣・河尻秀隆が領し、諏訪郡には秀隆の家臣・弓削重蔵が配置された。同年6月の本能寺の変による「天正壬午の乱」の後、諏訪郡を領した諏訪頼忠は、平城の金子城(諏訪市中洲)を築き、新しい拠点としたが、1590年(天正18年)に諏訪頼忠が武蔵国奈良梨に転封となり、代わって日根野高吉が、茶臼山にあった旧高島城に入城した。

日根野は1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて、現在の地である諏訪湖畔の高島村に新城を築いた。その際現住の村人は立ち退かせ、漁業権や賦役免除権などの特権を与える代わりに小和田へ移転させた。日根野は織田信長、豊臣秀吉の下で普請を経験していたことから、織豊系城郭として築城し、石垣を築いて天守も上げた。同時に上原城周辺にいた商工業者を移住させ、城下町上諏訪宿の建設を開始した。

1601年(慶長6年)日根野氏は下野国壬生藩に転封となり、譜代大名の諏訪頼水が2万7千石で入封。再び諏訪氏がこの地の領主となり明治維新まで続くこととなった。江戸時代は諏訪藩の政庁であり藩主の居所であった。1786年(天明6年)に石垣などの補修が行われた。

寛永3年(1626年)には徳川家康六男の松平忠輝を預かることとなり、南の丸を増設し、監禁場所とした。以降も南の丸は、幕府から預かった吉良義周などの流人の監禁場所として使用された。不要ののちには薬草などの栽培場所となったとされている。

1871年(明治4年)廃藩置県により高島県となり、県庁舎として利用された。1875年(明治8年)に天守閣など大部分の建造物は破却もしくは移築され、一時は石垣と堀のみとなり、翌1876年(明治9年)高島公園として一般に開放され、1900年(明治33年)に諏訪護國神社が建てられた。

現在は二の丸、三の丸が宅地となり、1970年(昭和45年)には本丸に天守・櫓・門・塀が復元され、高島公園として整備された。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(130番)に選定された[2]

建物 

天守
かつての天守は独立式望楼型3重5階で、明治初頭に撮影された写真にその姿がうかがえる。初重を入母屋の大屋根とし2重の望楼がのせられた形状で、2重目の東西面に入母屋破風出窓、3重目には南北面に華頭窓をもつ切妻破風出窓と東西面に外高欄縁が設けられた。各所に華頭窓が用いられ、屋根は瓦葺ではなく檜の薄い板を葺く柿葺であった。

現在の復興天守は窓の大きさや位置などの細部が異なり、屋根には銅板が葺かれており、内部は資料館となっている。鉄筋コンクリート造、施工は熊谷組。

遺構 

二の丸三の丸は開発の手が入ったが、本丸は高島公園として整備され、本丸の石垣および北側と東側の堀が残る。

建造物としては、三の丸にあった城門が本丸に、どこの門か定かではないが温泉寺および浄光寺の山門として、それぞれ移築現存する。また、能舞台が温泉寺本堂の一部として移築されている。

所在地・交通 

長野県諏訪市高島1丁目20

  • JR中央本線・上諏訪駅から徒歩10分
  • 中央自動車道・諏訪ICから15分
    • 駐車場(無料、14台)

参考文献 

  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」
  • 関連書籍
    • 河西皆子著 小平陽子絵 紙芝居『高島城と殿さま』スワンこプロジェクト[3]

高島城の口コミ情報

2022年08月29日 摂政ナンバー【7】讃常美
高島城

ライトアップはあるのですが、定番の冠木橋方向からのライトの照射はないです。こちらからはISOを上げてパチリ📸。

2022年08月22日 マグロ常陸介祐平
霞ヶ城跡(手塚城)[高島城  碑・説明板]



城址は諏訪大社下社秋宮の駐車場となっています。遺構は見当たりませんが案内板と金刺盛澄の像があります。手塚治虫が金指盛澄の弟の手塚光盛の子孫との事で写真の昇運凧が数量限定で販売されています。

2022年05月11日 マイ兵庫助リバ
大熊城[高島城  周辺城郭]



大熊城は武田氏の諏訪侵攻⚔の際に落城🔥しています。中央自動車道の開通により一部湮滅しているものの、桝形と主郭を囲む堀凹と土塁凸は確認できます😚

特に主郭と中央道際の4郭を隔てる堀凹は往時の深さ7m😳あったそうで、地中に眠る💤部分を掘り起こしてあげたくなります。土塁凸上にある千野丹波守房清公を祀った石祠に手を合わせる🙏のをお忘れなく😌

〜以下、現地解説板より〜

大熊城

大熊城は千野氏居城と伝えられ、文献上では文明15年(1483年)にその名がみられる。
諏訪神社上社大祝側に属する山城で、当時対立していた下社大祝金刺 氏との攻防の場となった。
天文11年 (1542年)、武田信玄の侵攻によって落城 し、天文17年頃破却された。
城は三日月形をした自然丘陵上に主郭を築き、周囲に6か所の郭(曲輪)を配置したいわゆる連郭式城郭である。
主郭の南端には 長さ20mの土塁があり、その上には千野氏の名を刻んだ石祠が建っている。
昭和48年に行われた発掘調査では 掘・建物跡・土橋が発見され、築城の様 子が明らかになった。 また大熊城に隣接する城山遺跡・荒神山遺跡からは城主の 居館跡とみられる建物跡も発見された。

大熊区・諏訪市教育委員会

2022年05月11日 マイ兵庫助リバ
金子城[高島城  周辺城郭]



金子城は元々は大熊城主・千野氏の居館であったものを天正壬午の乱⚔で徳川家臣として再興💪した諏訪氏が居城として取り立て改修した城です

徳川家の関東転封により諏訪氏と入れ替わった日根野高吉が諏訪高島城を築く際に破却され、石材🪨は同城の石垣に転用👷‍♂️されています

現状で明確な遺構は見受けられません😔が、現地に立てば、宮川の流れが大きく湾曲する築城の適地であることは充分に理解できます🤔

が、8枚も被写体がありません😅

〜以下、現地解説板より〜

金子城址

諏訪湖へ流れ込む宮川の流れの湾曲を利用して、三方を濠にし、一方に人工の水路を巡らせて作られた諏訪地方最初の平城である。
この城は、諏訪神社(上社)に近く、諏訪の名族・大熊城の干野氏の居館があったところと言われているが、天正12年( 1584年) 諏訪頼忠はここに城を築いて茶臼山の城から移ってきた。
しかし、ここにいたのも僅かであり、数年にして関東武州奈良梨(埼玉県)へ移封された。
代わって諏訪に入った秀吉の武将・日根野織部正高吉は、文禄元年(1592年) 高島城の築城にかかった際に、金子城を破却しその石材を舟で運び、石垣の一部にしたという。
このようにして城の遺構は何もないが、付近には桜畑(桜の馬場跡)、三の丸、城道などをはじめ多くの地名が残っており、その昔を偲ばせている。

2022年05月11日 マイ兵庫助リバ
山吹大城[高島城  周辺城郭]



山吹小城とは打って変わって至るところ段曲輪🎎だらけの城です

が、戦前は主郭を除き全山耕作🌾されていたとのことであり、どこまでが純粋な遺構であるのか判然としません🤷‍♂️

特に、北曲輪の西側にある出曲輪から北に続く段々は降りて行く度にデジャヴ現象🙄が起こるほど続いています

また、北曲輪の南に続く三日月型🌙の段々も曲線美に萌えること請け合いです🥰

解説板には宮坂御大🧐の縄張り図が掲載されており、御大も5段程度は遺構として取り扱っておられるようですので、その部分だけでも楽しんでみてはいかがでしょうか❓😚

中世の守備力増強💪のための曲輪普請と後世の食糧確保のための耕作🌾はどちらも必死さで負けてないだけに、たどり着く削平地も似てしまうのかもしれませんね🤔

山吹小城から歩いて🚶‍♂️向かいましたが、同城の駐車スペース🅿️から林道を更に北上したところにあるカーブミラー付近の路肩が広くなっているため、そこに駐車すればすぐに城域に突入することができます😊

〜以下、現地解説板より〜

山吹城跡

山吹城は諏訪大社下社の大祝であった金刺氏によって築かれた城とされている。
金刺氏の居城は下社秋宮の背後に築かれた桜城とされていたため、山吹城は有事の際の詰め城とされており、前方に小城があり、後方に本城である大城が構えられていた。
築城時期については定かではない。
金刺氏は、「中先代の乱」、「桔梗ヶ原の合戦」、「大塔合戦」などの抗争を経て、諏訪大社上社の大祝を務めていた諏訪氏との間に、政治姿勢の相違が重なり、対立していった。
やがて上社と下社は武力衝突し、上社勢が下社を攻め、社殿を焼き払う結果となった。
その後も上社と下社の抗争は続いたが、おおむね下社の劣勢であり、衰退の一途にあった。
永正15年(1518年) 諏訪頼満が、金刺昌春が籠城していた萩倉の要害へと攻め入った。
この萩倉の要害が山吹城の大城ではないかと推定されている。
上社大祝家に伝わる 「当社神幸記」によれば、萩倉要害は自落して、一類の面々家風ことごとく断絶、没落したとある。
ここに、金刺氏の没落は決定的となったとされている。

2022年05月11日 マイ兵庫助リバ
山吹小城[高島城  周辺城郭]



山吹小城は3つの曲輪と4つの堀凹から成る連郭式の城です☺️

500m北側に位置する山吹大城と比較すると、単純な縄張りであり、同城の南西部を補強する出城的に機能していたのではないかと思われます🤔

駐車場🅿️は水月公園を利用してもさほど歩きませんが、下諏訪町清掃センター付近(センター営業時間中は持ち込み車両もあることからおすすめしません)も路肩が広くなっており、そこに停めれば西側尾根をヒョイと上がるだけで城域に突入できます😚

〜以下、現地解説板より〜

山吹城跡

山吹城は諏訪大社下社の大祝であった金刺氏によって築かれた城とされている。
金刺氏の居城は下社秋宮の背後に築かれた桜城とされていたため、山吹城は有事の際の詰め城とされており、前方に小城があり、後方に本城である大城が構えられていた。
築城時期については定かではない。
金刺氏は、「中先代の乱」、「桔梗ヶ原の合戦」、「大塔合戦」などの抗争を経て、諏訪大社上社の大祝を務めていた諏訪氏との間に、政治姿勢の相違が重なり、対立していった。
やがて上社と下社は武力衝突し、上社勢が下社を攻め、社殿を焼き払う結果となった。
その後も上社と下社の抗争は続いたが、おおむね下社の劣勢であり、衰退の一途にあった。
永正15年(1518年) 諏訪頼満が、金刺昌春が籠城していた萩倉の要害へと攻め入った。
この萩倉の要害が山吹城の大城ではないかと推定されている。
上社大祝家に伝わる 「当社神幸記」によれば、萩倉要害は自落して、一類の面々家風ことごとく断絶、没落したとある。
ここに、金刺氏の没落は決定的となったとされている。

2022年05月07日 尼崎城大膳大夫一口城主
高島城



4月30日、岡谷駅からレンタサイクルを借りて花岡城、諏訪大社上社本宮、前宮をお参りした後に登城。 
最上階の展望は、諏訪湖がよく見え良い景色だった。天気が良ければ富士山🗻も見えるそうです。
冠木橋と天守閣が撮れる撮影スポットに向かったが生憎の逆光の時間帯だったため、お堀に映える天守閣の影を撮影してみました。

2022年05月06日 内匠頭天天丸
高島城



駐車場は小さめですが、無料が嬉しいです。石垣のトンネル?をくぐって、園内に入りました。天守の色が珍しいのではと思います。晴れていたのですが、富士山見えず残念。藤棚は満開でキレイでした。

2022年05月04日 右近衛中将かげちゃんⅢ号
高島城

来週末、諏訪大社(下社)の御柱祭の関係で通行規制が敷かれるので、下諏訪町を通る時は注意して下さい。

2022年04月08日 yasu
高島城



今日の4月7日に訪れました。桜も咲き始め、人出も多めでした。真田神社も賑わってました。お城印も社務所で買えます。

2022年01月09日 ほりーないと
温泉寺[高島城  寺社・史跡]



天正10年(1582年)織田軍の侵攻の際に下伊那郡高森町「安養寺」から奪った梵鐘が諏訪市「温泉寺」にあると安養寺のご住職から話を聞いて訪ねました。高森町から諏訪市までは75km以上、有賀峠を越えた辺りに捨てて、後に温泉寺の梵鐘となったそうです。高遠城近く「桂泉院」にも飯田市「開善寺」から織田軍が奪った梵鐘があります。これらの梵鐘が残っていて良かったと思います。

高島藩諏訪家の菩提寺で諏訪湖を見渡す事ができます。本堂は高島城にあった能舞台、山門は薬医門です(先人様の口コミをご参照ください)。高遠石工の守屋貞治の石仏があります。
高島城から近く、色んな歴史を感じる事ができるお寺ですので、ぜひ行ってみて下さい。

写真
①梵鐘
②梵鐘の説明板
③④山門
⑤守屋貞治の石仏

2021年11月07日 虹ノ松能登守
高島城



秋晴れの日に訪問しました。市役所の横にあるので、場所は分かりやすいです。

無料駐車場が西側にあります。堀と石垣が残っていて城址は公園。ちょうど紅葉が見頃で、親子連れが遊んでいたり、写真を撮ったり市民にも親しまれている様子。

再建の天守閣はコンクリート造りで資料館になっていますが、そこからの眺めはなかなかのもの。諏訪湖の向こうには北アルプスも少し見えました。諏訪氏の歴史などが展示してある2階以外は、写真撮影出来ます。

2021年11月07日 ぱぱ〜ん尾張守
高島城

桜の季節に行けなかったので、紅葉🍁シーズンに初登城。天守からの諏訪湖は気持ちよかったです。諏訪大社の上社と下社で神印が違うのは初めて知りました。

2021年07月05日 くっしー主計頭尚人
高島城



浮城と呼ばれていたそうですが、現在は住宅街の中にあります。天守が資料館になっていますが、展示されている古い絵図を見ると確かに諏訪湖の中に城があります。

今も江戸時代初期のそのような状態やったらもっとフォトジェニックな城やったのになと思います。しかし、今ある石垣や堀も大変美しく楽しむことができました。10台ちょっとしか止められないですが、無料の駐車場もありますよ。

2021年06月19日 lucky1023
高島城



日本三大湖城のひとつ。城内に温泉が引かれていた珍しい城で導水管やそれを支える石枡が今でも残っています。現在は高島公園として美しく整備されており、復興天守の最上階からの眺望は素晴らしく、眼下に諏訪湖が広がっていました。

2021年05月28日 つか征夷大将軍
霞ヶ城跡(手塚城)[高島城  碑・説明板]



城跡としての詳しい説明はありません。現在は諏訪大社の駐車場になっています。

2021年05月18日 ニセロー
高島城



諏訪湖が見える素晴らしいお城でした。アクセスもしやすい。駐車場もあります。

2021年02月28日 銀猫隼人佑
高島城



城郭自体の情報は先達によって、多数残されているので、高島城内から移築された三ノ丸表門を紹介します。

高島城内には、三ノ丸裏門が現存してますが、表門は城内にはありません。表門の方は、明治天皇の各地行脚の際の奉迎門として、茅野市宮川の宗湖禅寺に移築され、現在に至ります。

高島城から宗湖禅寺に直接歩いていくのは結構大変ですが、茅野駅からなら歩いて10分程度の距離にあります。
また、JRの線路を挟んで、諏訪大社御柱祭で有名な、上社側の木落とし坂がありますので、合わせて足を運んでみてはいかがでしょうか。

(木落とし坂は、上社側と下社側の2ヶ所あり、もう一つの下社側の坂は中山道沿いになります)

2020年11月09日 しげしげ左馬頭信繁
高島城



今の時期は紅葉が凄く綺麗でした。
続100名城のスタンプは館内ですので、310円を払って入城が必要です。
最上階から桑原城や上原城などが見られます。

2020年05月11日 今年いい年を願います
高島城

昔ながらの古い感じがいい。諏訪湖の感じがなかなかいい。お城がかっこいい。

2020年02月04日 恭任非参議侍従
移築能舞台[高島城  遺構・復元物]

移築門と同じく温泉寺内にあるので、温泉寺でまとめてもよいとは思いますが。
文政十年に城内で能舞台として新築された。
明治になり、火災で消失した温泉寺に移築し、これを本堂とした。

2020年02月04日 恭任非参議侍従
移築門[高島城  遺構・復元物]

臨江山温泉寺。臨済宗妙心寺派。高島藩諏訪家菩提寺。
諏訪家の墓所は温泉寺の裏山にあり、高島藩二代諏訪忠恒から、八代忠恕(ただみち)までの墓石が並ぶ。
明治3年に火災で焼失した為、高島城から、門と能舞台を移築し、再建された。
この山門は高島城門であったのだが、城のどこにあったのかは不明。
御朱印は四種(中部薬師)(諏訪観音)(諏訪湖畔七福神)(期間限定)あり、「寺カード」も頂ける。

2019年06月10日 野舘宮内少輔サラマンダー
高島城



非常に高さがあります!!野面積みなので登れそうですが、1598年ならもう鉄砲が当たり前ですよね…ですが、こちらは今は道路ですが、当時は諏訪湖です。船が無いとこちらには来れませんよ~(>_<)

2019年06月10日 野舘宮内少輔サラマンダー
高島城



2019年6月10日0855時(100分)。丁度雨が止んでいて良かったです~。天守閣は復興ですが、一般的な白い天守閣ではない所がとても魅力的です!!この時期なので石垣が緑で、また一段と綺麗でした~(>_<)

2019年05月20日 蒼空侍
高島城



駅から近く、城までの小道も雰囲気があり、門や石垣、お堀、城内の花など最高なお城です。

2018年08月18日 関西魂征夷大将軍☆青い流星☆彡
高島城

臨時休館のお知らせがありました。
平成30年8月30日12時30分より休館。
平成30年11月8日終日休館。
平成31年2月28日12時30分より休館。
ご注意下さい。

2018年08月16日 和泉守yukinezumi
高島城

続100名城のスタンプはお城の中にあり、入場料(大人300円)を払って中に入らないと押せません。公園内にトイレもあり、お城のすぐそばの市役所前(広い)と市役所反対側(8台位)にお城見学者用の無料駐車場もあります。滞在時間30分位でした。

2018年05月12日 織田上総介晃司
高島城

無料駐車場がありますがそんなに広くありません。

高島城は天守としては珍しい柿葺の屋根だった。(復興天守は銅板を葺いている)

諏訪湖の景色は雄大で、上諏訪温泉もあります。高島城の近くに日帰り温泉施設がありますので城攻めの後は温泉に浸かるのもいいでしょう。

2017年08月16日 まるき〜主殿助
高島城

3月中旬〜11月、日曜、祝日
10時〜

高島城の角櫓でお茶、呈茶(ていちゃ)ができまーす。お茶を飲む作法や形は気にしなくとも、お気軽にお立ち寄り下さいとの事。角櫓を茶室に見立て、城内の竹林、天守を見ながらの一服はオツなもんです。

古の神々の話が好きな高島城の席主の利休←(勝手に命名した)が諏訪の歴史や近隣の成り立ち等を楽しく語ってくれますよ…

呈茶料金 二種
お抹茶+季節の主菓子 900円
お抹茶+半生菓子 600円

お抹茶銘柄『優霧』『栄佳』
100g 2万円の京都の高級茶葉を使用との事。少々お高いお茶になりますが城の雰囲気やリラックス効果、少し高貴な気分になれます…。

2016年01月29日 御狐神左近衛大将双熾
高島城

JR中央本線 上諏訪駅から諏訪市役所方面へ徒歩で15~20分。マイカーの場合、諏訪市役所の駐車場にお城観光者用の無料駐車スペースあります。そのすぐ横にコンビニがあるので次の城を攻める為の準備もできます。

2015年12月19日 フー甲斐守
高島城

上諏訪駅のいずみ屋で夕食を頂きましたが、地元押しのみそ天丼美味しかったです。ミニ天丼にミニトロロ蕎麦とお豆腐がついて値段も観光地価格の割にお安かったです。おいでになる機会があればご参考に。

2012年06月04日 マイ兵庫助リバ
高島城

大河ドラマ「風林火山」放映中は「由布姫ゆかりの城」と喧伝され、誤った情報が広まったものでした(>_<)

晴信&由布姫&勘助の時代には諏訪郡代の居城は上原城やもう1つの「高嶋城」であり、「高島城」は姿形も無かったのです(^^; 以上、意外と知られていない話でした(^_^ゞ

2012年06月04日 マイ兵庫助リバ
高島城

城下のプラモメーカーが高島城のプラモを発売しています。キットの出来映えもなかなか(^^)。しかも諏訪姫なるキャラクターも考案し、フィギュアまで発売してます(^^;

信州繋がりで上田城&小松姫もありますので、興味のある方は諏訪湖サービスエリア下り線売店へどうぞ。

2010年11月12日 雪之丞
高島城

近くに酒蔵が4軒あります。中には有名な真澄も。ただ、真澄だけは、試飲が有料です。

高島城の周辺スポット情報

 かぶきばし(遺構・復元物)

 移築能舞台(遺構・復元物)

 移築門(遺構・復元物)

 隅櫓(遺構・復元物)

 川渡門跡(遺構・復元物)

 冠木門(遺構・復元物)

 大天守(遺構・復元物)

 小天守(遺構・復元物)

 富士見櫓跡(遺構・復元物)

 三ノ丸御門(移築門)(遺構・復元物)

 持方月櫓跡(遺構・復元物)

 土戸門(遺構・復元物)

 冠木橋(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 高島城本丸碑(碑・説明板)

 復興碑(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 霞ヶ城跡(手塚城)(碑・説明板)

 三之丸跡(碑・説明板)

 高島城南之丸(碑・説明板)

 山吹大城(周辺城郭)

 山吹小城(周辺城郭)

 金子城(周辺城郭)

 大熊城(周辺城郭)

 桜城(周辺城郭)

 上原城(寺社・史跡)

 温泉寺(寺社・史跡)

 御城印販売所(御城印)

 天守閣資料館 1階展示室内(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 市役所の駐車場(駐車場)

 観覧者用駐車場(駐車場)

 亀さんの石(その他)

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