上ノ平城(うえのだいらじょう)
上ノ平城の基本情報
通称・別名
- 神之平城、丸山城
所在地
- 長野県上伊那郡箕輪町東箕輪日向前2699-4他
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 源為公
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 伊那氏、知久氏
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
- 県史跡(上ノ平城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
福与城(長野県上伊那郡)[4.0km]
藤沢城(長野県伊那市)[8.6km]
有賀城(長野県諏訪市)[11.9km]
高遠城(長野県伊那市)[12.2km]
花岡城(長野県岡谷市)[14.2km]
殿島城(長野県伊那市)[14.5km]
高島城(長野県諏訪市)[15.7km]
諏訪氏城館(長野県茅野市)[15.8km]
朝倉山城(長野県茅野市)[22.5km]
市野瀬古城(長野県伊那市)[22.5km]
上ノ平城の解説文
[引用元:Wikipedia「上ノ平城」の項目]
上ノ平城(うえのたいらじょう)は、信濃国伊那郡(現在の長野県上伊那郡箕輪町東箕輪)にあった日本の城。長野県指定史跡。
概要
平安時代後期に信濃国伊那谷に土着した源為公(伊那馬大夫為公)によって築かれたと伝えられる。以後、為公の嫡流が代々居住したが、鎌倉時代に諏訪氏の一族にあたる知久氏(為公の後裔とする説もある)の居城となった。
従来、鎌倉初期に城主であった知久信貞が承久の乱の後に下伊那の知久郷へ退去して以降は改築されることなく廃城となったと考えられてきたが、平成に入ってから行われた発掘調査で確認された遺構、遺物から戦国時代にも城として機能していたことが明らかとなった。また、主郭跡の地中から大量の炭化物および焦土が出土していることから、何らかの理由により焼失したものと考えられている。
現在、城跡は県指定史跡となっている[1]。
参考資料
- 長野県・箕輪町両教育委員会「上ノ平城」説明看板
関連事項
- 日本の城一覧
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上ノ平城の口コミ情報
2021年09月27日 ほりーないと
羽場城[上ノ平城 周辺城郭]
1年程前に上ノ平城で会った人に「お城好きならJR飯田線羽場駅のすぐ近くにある羽場城へ行ってみて下さい」と教えてもらい、どんなお城なのか聞かずに訪ねました。最初に目に入ったのは遺構ではなくマレットゴルフ場! 長野県内には色んな所にあるマレットゴルフ場、本丸に堂々とコースがあるお城もあります。羽場城のコースは特別です。堀底や土塁の上にコースがありマレットゴルフをプレイすると自然に城攻めができます!
松尾城の小笠原貞宗の四男重次郎が築城したといわれています(詳しくは説明板の写真をお読み下さい)。マレットゴルフ場だけでも驚きですが、JR飯田線が突っ切っています。この電車に乗れば飯田市の松尾城へ行けるなと考えてしまいました。
訪城した人の見方によって変わるお城かもしれません。私は堀底でマレットゴルフをプレイしたいと思いました。
写真
①手長神社
②③説明板
④東側の空堀
⑤西側の空堀
⑥主郭から天竜川を望む
⑦土塁の上のマレットゴルフコース
⑧羽場城を通るJR飯田線
2021年07月05日 くっしー左馬頭尚人
上ノ平城
高台にあるので、住宅街からどうやって行くのか迷いました。看板があって、細い道を抜けると、広い耕作地になっているのですが、ここが城跡です。
史跡について説明した看板を通り過ぎ、50メートルほど行くと、東屋があり、車を数台止められるスペースがありました。遺構として、空堀は見映えしますが、曲輪はだだ広い耕作地・空き地となっていて面白くありませんでした。眺望はなかなかいいですけどね😄
2020年08月30日 まるぴっと
上ノ平城
広い東屋があり駐車場と簡易トイレもあります。見晴らしも良く、天竜川の見事な河岸段丘と豊かな農作地を眺めることができます。中央アルプス絶景です!
2015年07月27日 摩虎羅**
上ノ平城
南北5本の空堀で4つの郭に区切られてます。主郭からの空堀は見応えあります。
主郭にはラベンダー等の花もあり場所も高台なので、山並みや町の景色も堪能できます。
入口にはポストがあり「東山山麓歴史コース」と、城跡周辺の文化財などを記載した手作りの地図&説明書が入ってます。
お時間あれば一緒に巡られるのも良いと思います。
2012年03月03日 赤いRVR甲斐守@松本
上ノ平城
県道竜東線東箕輪農協から真っすぐ東へ行くと、地区の公民館があり、そこに案内看板があります。少し道は狭いですが、普通自動車なら余裕。遺構は全体的に耕作地で、堀切の一部は埋められているものの、主郭裏手のものなど、見事な遺構も残存している。最近駐車場も作られた。トイレもある。