上ノ平城(うえのだいらじょう)

上ノ平城の基本情報

通称・別名

神之平城、丸山城

所在地

長野県上伊那郡箕輪町東箕輪日向前2699-4他

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

源為公

築城年

平安時代後期

主な改修者

主な城主

伊那氏、知久氏

廃城年

不明

遺構

曲輪、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(上ノ平城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

福与城(長野県上伊那郡)[4.0km]
藤沢城(長野県伊那市)[8.6km]
有賀城(長野県諏訪市)[11.9km]
高遠城(長野県伊那市)[12.2km]
花岡城(長野県岡谷市)[14.2km]
殿島城(長野県伊那市)[14.5km]
高島城(長野県諏訪市)[15.7km]
諏訪氏城館(長野県茅野市)[15.8km]
山吹城(長野県諏訪郡)[19.5km]
朝倉山城(長野県茅野市)[22.5km]

上ノ平城の解説文



上ノ平城(うえのたいらじょう)は、信濃国伊那郡(現在の長野県上伊那郡箕輪町東箕輪)にあった日本の城。長野県指定史跡。

概要 

平安時代後期に信濃国伊那谷に土着した源為公(伊那馬大夫為公)によって築かれたと伝えられる。以後、為公の嫡流が代々居住したが、鎌倉時代に諏訪氏の一族にあたる知久氏(為公の後裔とする説もある)の居城となった。

従来、鎌倉初期に城主であった知久信貞が承久の乱の後に下伊那の知久郷へ退去して以降は改築されることなく廃城となったと考えられてきたが、平成に入ってから行われた発掘調査で確認された遺構、遺物から戦国時代にも城として機能していたことが明らかとなった。また、主郭跡の地中から大量の炭化物および焦土が出土していることから、何らかの理由により焼失したものと考えられている。

現在、城跡は県指定史跡となっている[1]

参考資料 

  • 長野県・箕輪町両教育委員会「上ノ平城」説明看板

関連事項 

  • 日本の城一覧

上ノ平城の口コミ情報

2024年06月08日 RED副将軍
上ノ平城



伊那源氏発祥の地とされる城跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。平安時代末期に源為公により築かれたと伝わります。
源為公は清和源氏の源満快の曽孫とされ、11世紀中頃に信濃守に補任され上ノ平城を築いたとされ、伊那源氏の祖とも云われます。代々の居城でしたが、鎌倉時代中期に諏訪氏の一族である知久氏(源為公の後裔とも云われる)の居城となりました。
天文年間(1532年〜1555年)に武田信玄が伊那へ侵攻すると知久氏は武田氏に従属。
しかし、1553年に武田氏が第一次川中島の戦いで上杉氏と戦った後、知久氏や座光寺氏などの伊那の国人衆は武田氏に反旗を翻しましたが、武田信玄は伊那に侵攻。上ノ平城も落城したとされ、発掘調査により焦土も見つかっております。

見所
沢川と知久沢に挟まれた東に突き出た舌状台地上に築かれています。
郭内部は農地となり、改変を受けており土塁などは消失。主郭と三の郭を隔てる堀切は明瞭に残り、西端の堀切はそのまま残っています。

城域の脇まで車で行くことができ、駐車スペースもあります。

2023年12月09日 ほりーないと
大出城[上ノ平城  周辺城郭]



車で走行中に城跡の案内板を見つけて寄り道をする事があると思います。大出城跡の案内板を伊那市から伊北インター方面(北方向)へ国道153号の走行中に見つけました。

説明板には「三条(三重)の堀と、それに区間された郭があったと伝えられ…」と書かれてます。現在は国道や宅地の整備により一部の痕跡が残っています。歴史についても資料が少ないため、詳細はわかりません。

大出城跡の近くには「追分」という信号機があります。諏訪道と松本道とのわかれる追い分けの石碑などがあるようです。大出古城などいくつもの城跡があります。この地域がどんなところだったのか知りたくなります。以前、箕輪町郷土博物館を訪ねて大出城がある箕輪町の歴史に少し触れました。様々な勢力が交差する地域なので、その歴史を理解するのは難しかったです。箕輪町郷土博物館はリニューアル工事により2024年秋まで休館中です。再オープン時にまた訪ねたいです。

2023年01月22日 ともっち♪河内守
上平出の小城(小条)[上ノ平城  周辺城郭]



『井出の清水』
先人さんが書かなかった伝説を書いておきます〜

「小平物語」 (1687) には次のようなことが書かれている。 織田信長が高島城を水攻めにした時、不思議なことには上平出の天竜川東の山裾に穴が開き、せき止めた湖水の水が激しく流出したため諏訪湖は元のままであった。 その跡からは今もかなりの水が出ている。 これは神力のたまものであろうと言い伝えられている。
と、説明板にありました。

内容的にはむむむ(・ัω・ั)なのですが

このような伝承があるとゆうことは
当時、小平物語に係わった方は織田の配下にはなりたくないとの心情だったのでしょうか?

小平物語 資料 検索すると
京都大学の資料から本文を読むことができます。

信玄から守るために金を埋めた小平道三などの記載もあるらしく…おおっ!ヽ(`▽´)/
と、どんどん読みはずれてしまうのでこのあたりで…m(_ _)mペコリ
埋蔵金はワクワクしちゃいますよね♪


『藤の森湧水』
地元の方の話では上平出コミュニティセンター横の湧き水は雪解け水じゃないかなぁとの事。沸かして飲んでくださいねと言われました。コーヒーやお茶入れるととても美味しいらしいです。

2022年11月15日 ほりーないと
樋口内城(大石城)[上ノ平城  周辺城郭]



中央道建設により姿が変わった樋口内城へ初めて行きましたが、初めてではなかったようです。
中央道を伊那谷から岡谷JCTへ向かって走行すると辰野町でほぼ直線道路になります。ほぼ直線道路を進むと急な坂になります。その坂が樋口内城です。
曲がりくねった中央道ですので、ほぼ直線となる場所ではスピードが出てしまいます。樋口内城の付近では速度監視されています。坂が樋口内城だと意識すれば安全運転になります。

樋口内城から荒神山公園がよく見えます。その公園内にある辰野美術館は荒神山陣場です(緑色の屋根&紅葉の写真)
樋口内城も荒神山陣場も初回は城友さんとご一緒しました。伊那谷のお城の紅葉を撮ろうと約2週間後に再び辰野町へ来ました。樋口内城でカメラが電池切れ、荒神山公園の紅葉が撮れなかったです。樋口内城の菊も素敵でした。次は桜を追いかけて辰野町へ来ようと思います。

2022年11月10日 内記かずりヾ(・ε・。)
狐ヶ城(狐ん城)[上ノ平城  周辺城郭]



狐ヶ城(狐ん城)は上ノ平城の北方約2.7km、標高1120.5mの小式部城山から北西へ延びる山塊尾根上、標高約793mのピークの一つに主郭が存します。西麓の長野県道19号線、伊那辰野停車場線からの比高は80m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。取り付きは北西麓の尾根末端からで、少し藪ってますが道はちゃんと付いてます。ちなみに尾根の中腹に分岐があるのですがどっちから行っても大丈夫っす。

築城年代、築城者は不明です。長野県町村誌には、狐ヶ城は大久保山にあり、同じ上ノ平城のリア攻めマップにある樋口内城(大石城)の物見の城だとの記述がある。同誌に大石城は永仁元年(西暦1293年)、樋前城城主の樋口長門守光久が、己が城館の大道(不明)より卑下なるを以て大石城を築いて移るとある。樋口内城の口コミと相違が生じるが、人物のみならず城館の名称や経緯に誤伝、混同、推測が見られるのか何れにせよはっきりしない。又、単純に大石城の物見の城とも言い難い面(現地を訪ねてみると理解出来るが大石城は物見を必要としない。)もある。時代的な変遷や二次利用も考慮すべきで、地図上で確認すれば上ノ平城に関連する城砦群の一つとの考え方も成り立つように思える。

お城の現況は概ねで3つの郭を東西に並べた単純な縄張だけど、むしろ3つの段を持つ土塁付きの主郭部て説明した方がしっくりする。これに付随する腰郭も明瞭で、主郭北東側に浅い堀切が1条付く。又、尾根の先端部は広大な平場となっており、此処には櫓台様の高まりが確認出来る。城域最南端の土橋は少し微妙な感じ…

そんなに期待してなかったけど、訪ねてみれば愛すべき小品て感じでした。素晴らしいのは主郭部の切岸で実に見事にエッジが立っている。小さな物見の城としては充分満足出来るでしょう。

「狐」は少なくともこの地方では「物見に携わる者」の隠語で、名称に狐が付く城館や地名は数多い。このお城が物見の城であったとされるのもこれが理由だ。じゃぁ狸はあるのかと言うと、「タヌキ」は宿泊施設の業界用語で「素泊まりの客」を意味するらしいのでおいらは何時でも夕飯抜きのタヌキと呼ばれている訳だ。

2022年11月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
堀の内館[上ノ平城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

堀の内館は上ノ平城の北方約4.8km、沢底川東岸(左岸)、標高約756mの山間平野部河子沢扇状地緩斜面上平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている(有)タツノ工芸を目標に設定して下さい。後はリア攻めマップで位置を確認しましょう。初回訪問時、自分は地図を見誤って場所を特定する事が出来ませんでした。

築かれた年代、お住まいになられていた方は不明、該地周辺地域は伊那郡と諏訪郡の最短距離を山塊山中で結ぶ峠道の伊那口に当たり「山寺」の地名で呼ばれる。「高白斎記」、天文十一年(西暦1542年)の条に、「九月廿六日辰刻、被仰付候間、高白藤沢口放火、案内者神長一騎、諏訪薩摩守(満隆)方竹慶(竺渓)ハ遅着陣、廿八日乙亥蓑輪次郎(藤沢頼親)出仕、廿九日丙子、信方(板垣信方)上伊那口動、十月大朔日丁丑高白陣所上伊那山寺、七日発末、諏訪西方衆鳴音室(宝)鈴、奉行高白」とあり、上伊那への侵入時に武田勢は山寺に陣を置いた事が判る。現代の人がそうするように中央自動車道を西進し岡谷JCTから中央自動車道西宮線を南下して上伊那に入った訳では決してないのだ。

在地土豪として山寺氏の名が挙がるそうだけど、この居館の主は伝承から堀の内左近の名が伝えられている。が、堀の内の左近さんて感じになるのではっきりした事は判らない。別に武田氏による道押さえの城館で、その存続期間は10年位とも考えられており、左近さんに愛着が持てず姓名が伝わらなかったのは土地の人ではなかったからとの推測が成り立つ。

居館の現況は、耕作地、耕作放棄地、一般住宅とその敷地等となっている。該地とその周辺は耕作地のくせに実に細かく小字が残っていて、該地だけでも「堀の内」の他、「腰巻」、「日影(本当に日陰になる。)」、「ホウゲ」の小字を残す。該地の北側には「古屋敷」の小字が残り、堀の内に比して古い屋敷の存在を示唆している。

該地を間違えてしまい南信の城友さんには苦労をさせてしまいました。申し訳なかったです。堀の内館に関しては発掘調査報告書がネットで落とせるので興味があったらダウンロードするがいいさ。当然全国各地に無数に存在する堀の内コンプリートを目指しているファンの方はリア攻めを。

※写真7、8が「古屋敷」の小字が残る場所っす。

2022年11月07日 ほりーないと
日輪寺[上ノ平城  寺社・史跡]



上ノ平城の城主だった知久氏が鎌倉幕府のできる前年の建久2年(1191年)祈願寺として開いた真言宗の寺と伝えられる。(説明板より)

上ノ平城のすぐ近くにあるお寺です。上ノ平城の案内板を北へ少し過ぎると日輪寺の案内板があります。

知久氏は承久の乱の後に上ノ平城から本拠地を飯田市の知久平城へ移しました。
戦国時代に武田軍との戦いに敗れます。本能寺の変の後に旧領へ復帰しますが、徳川家臣・菅沼氏の謀略により知久家当主・頼氏は切腹。関ヶ原の戦いの後に頼氏の子・則直が旧領の喬木村阿島に陣屋を構えます。

先月、阿島陣屋で和傘(阿島傘)の展示がありました。そこで知久氏の名前の由来が話題になりました。
日輪寺の横を流れる小さな川は「知久沢川」です。飯田下伊那の村誌によると知久氏が上ノ平城にいた頃は「中津乗」と名乗っていたようであるが、知久平城(知久郷)へ移ってから「知久」となり地名も変えたといわれています。
箕輪町誌が私の手元にないので不明な点が多いです。日輪寺の西側は「日輪寺畑(洞田)居館」です。市町村誌などを読み込んで信濃国の調査している城友さんに後はお任せしたいと思います。

日輪寺の紫陽花は美しいそうです。紫陽花の時期に行く事ができず、秋に行ってきました。紅葉も素敵な所です。夏にはフジバカマが咲き、旅する蝶「アサギマダラ」が飛来します。季節を楽しめる所です。

2022年11月07日 内記かずりヾ(・ε・。)
上平出の小城(小条)[上ノ平城  周辺城郭]



上平出の小城(小条)は上ノ平城の北方約6.9km、標高約750mの河岸台地丘陵頂部に城域が存します。

行き方はGoogleマップに位置登録されている北側の上平出コミュニティセンターを目標に設定して下さい。車も堂々と捨てられます。

築城年代、築城者は不明、該地には「小城」の屋号を持つ一般住宅が建ち、「小城」、もしくは「小条」の字地名が残る他、周辺には「北垣外」、「桜垣外」の字地名が残る。小城遺跡として発掘調査が行われているらしいけど、例によってこの手のものは中世の事となると二の次、三の次ぐらいの話になってくるので報告書を探すのは諦めました。これについては信濃のお城の神も未見だと言っている。ちなみに天正(西暦1573年〜1592年)の頃の上伊那十三騎には平出住として平出孫右衛門(百石)の名が見られる。

お城の現況は、耕作地、墓地、空地、一般住宅とその敷地等となっています。周囲より一段高い丘陵一つがその城域となるので纏まりが良い。在地土豪層の居館城の類いと思われますが、湧水の多い場所でもあり住するには適地となっています。又、上平出コミュニティセンターの北側は山塊尾根の末端となり上平出公園として現在整備されているが、公園には法性神社の旧地と伝わる八幡社が鎮座、蚕玉神の石祠が建ち、別に秋葉社と諏訪社の石碑が立っている。火伏せの神を祀る秋葉社の存在から公園のある場所は狼煙台の跡であった可能性を信濃のお城の神は示唆している。

周辺は今も豊富に湧水が出る場所で、上平出コミュニティセンターでは蛇口から自由に水が汲める(藤の森湧水、水質検査はしていないらしいが激美味だそう。ちなみに流しっぱなし。)。平出区誌によると「平出」とは湧水の豊かな土地に付けられた地名(断定は出来ないと考える…何となく有賀峠を越えて伊那郡に至ったと推測される東山道と関係するように思う。)なんだそうで、上水道設置以前の湧水分布図を見ると平出に残っていた井戸や湧水はこの狭い範囲に総計45箇所を数える。城域外南側には「井出の清水」と呼ばれる水神の祀られた湧水もあって、これには織田氏による諏訪高島城攻めに纏わる伝説が小平物語にあるそうだけど、伝説なので敢えて此処では書かない。

※駿州の城友さん、お付き合いありがちょです。

2022年11月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
横山城(大石平)[上ノ平城  周辺城郭]



!!!PARENTAL ADVISORY!!!

-EXPLICIT CONTENT-

※一部にセンシティブな表現を含みます。18歳未満の方は読む前に親御さんの御判断を仰いで下さい。

横山城(大石平)は上ノ平城の北方約5.5km、標高約799mの河岸台地丘陵上平場に城域が存します。西麓の長野県道19号線、伊那辰野停車場線からの比高は75m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている大石平を目標に設定して下さい。別称にあるとおり現在住宅団地となっている丘陵上の平場が城域で西麓直下には中央自動車道西宮線が南北に走っています。車は捨てるのに少し困りますね。

築城年代、築城者は不明、史料、伝承等も皆無だそう。辰野町遺跡分布図に記載があるらしいのですが、項目のみのようで発掘調査が行われたのかも不明っす。お城の存した平出郷は天正六年(西暦1578年)の上諏訪造宮帳に「前宮御宝殿造宮 上伊那郡之内宮処、平出両郷 一貫三百五十文 代官 平出左馬允」とあるので、何某かの領主の代官が出張していた事はなんとなく理解出来る。が、お城との関係性て事になると史料が無いので詰みとなる。天正(西暦1573年〜1591年)の頃の上伊那十三騎には平出住として平出孫右衛門(百石)の名が見られるが…

お城の現況は一般住宅が立ち並ぶ団地と化していて何が何やらさっぱり…団地となる以前は起伏ある一般的な山地で一部においては耕作が行われていたらしい。かつて大石平の南側には東方の沢底(さわそこ、地名である。)へ抜ける間道が通り、沢底からは山塊山中を通って諏訪郡に入り、北行して有賀峠を越えればアプリ登録城である有賀城の西側へ出る。諏訪郡内において有賀城が武田氏によって重要視(一時期は足軽大将、鬼美濃こと原虎胤が城代であった。)されたのは実に伊那郡との境目であった事がその理由に他ならない。ちなみに沢底は古い読み方だと「させこ」と読むらしいので、沢底に居住する女性を「させこの○○さん」とか言うと大事件に発展するので注意です。

城跡に何にも無いからと言って遠慮していると多くの事を知る機会を見逃す事になる。机上の知識を現地のフィルターを通す事によってただの点が線や面にも繋がったりする訳だ。が、お城としては行ってもしょうもない色物物件である事は間違い無いので悪しからず…

2022年11月01日 内記かずりヾ(・ε・。)
樋口内城(大石城)[上ノ平城  周辺城郭]



樋口内城(大石城)は上ノ平城の北西約3.6km、標高約726mの河岸台地丘陵上平場に主郭が存します。同じ上ノ平城のリア攻めマップにある荒神山陣場の東方至近に位置し、荒神山も含めた周辺地域は天竜川の氾濫原へ向けて台地が大きく張り出す形となっている。

行き方はGoogleマップに位置登録されている東部保育園を目標に設定して下さい。城域はこの保育園から中央自動車道西宮線を挟んだ東側の丘陵地頂部へ向けて展開しています。少し前までは半ば腐った標柱が立っていたらしいけど、いくら探したってもう見付からないでしょう。

築城年代、築城者はとりま不明、このお城に関しては「信濃の山城と館5、上伊那編」よりも「伊那の古城」の方が遥かに詳しい。が、神本では史料が皆無である事から敢えて「長野県町村誌」の記述を引用しているのみなのに対し、後者では「樋前の城」として木曽義仲四天王の一人、樋口次郎兼光が城館を構えた(根拠に乏しい。)とし、兼光が誅された後は伊那郡平出の地を頼朝に安堵されたその遺児、樋口左近兼重の曾孫、大学頭光頼が当地に還住し、応仁元年(西暦1293年)、大石城として築城に及んだとしている。これ等の出典が不明なので事実として確認出来ないけど、少なくとも樋口氏の子孫は同地において存続、天正(西暦1573年〜1591年)の頃の上伊那十三騎には、樋口七郎右衛門(百五拾石)、樋口茂兵衛(百石)、樋口清右衛門(百石)の名が確認(「伊那古道記」)出来ます。七郎右衛門は別に左近光教と称し保科氏に出仕、保科氏の会津加増移封に同道したんだそう。

お城の現況は凄く難しい…中央自動車道西宮線の建設に伴い発掘調査が行われており、信濃のお城の神が描いた縄張図もその結果を元にしている。主郭、主郭と堀で隔てられた通称二の曲輪、それ等に付随する腰郭等で縄張は構成されるが、明治時代初頭に編纂された「長野県町村誌」でも「…その城判然ならず…」と記述があるので現代においては尚更でしょう。耕作地に変貌した段の付いた平場を往時の郭跡と見る事は可能だけど…

鎌倉殿の13人で一躍脚光を浴びた一本眉の巴御前は樋口兼光の娘、もしくは姉妹と平家物語等の軍記物では設定されています。秋元才加演じる巴御前に度肝を抜かれたて方は訪ねてみるのも一興す。ちなみに直江兼続は兼の通字を持つ事から解るようにこの樋口氏の後裔とされています。

2022年10月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
丸山[上ノ平城  周辺城郭]



丸山は上ノ平城の北方約6.2km、標高1027mの大城山の南方裾野、標高約765mの河岸台地丘陵頂部の一つに城域が存すると推測されます。南東麓の辰野球場(丸山球場)からの比高は25m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南東麓、前述の辰野球場を目標に設定して下さい。球場に隣接する小山が該地となります。

信濃の山城と館5、上伊那編に記載があり、同じ上ノ平城のリア攻めマップにある丸山秋葉砦の項に付随して記述があります。推測地である丸山秋葉砦のおまけ扱いである色物中の色物物件…此処での丸山は山名てよりは地名感覚なんでしょう。山とは言いながら実際は独立した丘陵、集落内のレモンケーキの様な可愛い小山です。

まぁ丸山ですわ、丸山…信濃では丸山の名称を持つ城館が数多く存在しており、この辰野町だけでも2箇所を数える。砦である事が殆どで総じて薄い印象、地山に近いものが多いっす。独立した丸い山には何かしら人を引き寄せるものがあるんでしょかね。簡単に囲まれても別に構わないんでしょう。

同じ上ノ平城のリア攻めマップにある王城(大城)、竜ヶ崎城に連なる砦と推測出来ますが、大兵を引き寄せ易いので禍乱時に兵は置かないものなのでしょう。丸山北側の周辺は地名(上方、上屋、集落の上限を物語るそう。)から根小屋の存在を窺わせるそうなので、これに付随する平時の物見台の類いかと考えます。

現況は南中腹に墓地、丘陵頂部はある程度の削平があったかもしれません。此処には祠や石板が立っています。ただそれだけ。丸山なんでそれでいいと思います。

信濃のお城の神は展望が絶佳であると褒めているけど本当なんか…雑木が邪魔して何も見えないっす。しかし…物見台程度の推測地を書くのに添削含めて約1時間…やっぱり阿保なんだろうなぁ…

※写真5は登城口…てか南中腹の墓地に至る道、墓地に着いたら後は適当頑張って下さい。

2022年10月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
王城(大城)[上ノ平城  周辺城郭]



王城(大城)は上ノ平城の北方約6.9km、標高1027mの大城山山頂に主郭が存します。南麓の辰野球場(丸山球場)からの比高は290m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。比高は結構あるのですが、日本中心の標に至る林道王城枝垂栗線てのが山塊山中を南北に縦断しており車で登れて且つ駐車場も付いてます。が、大城山への分岐の所から道は悪くなるので潔く此処に車を捨てるのがよいでしょう、歩いても大した距離ではないけど坂道なのが辛いところ…

該地は単純に遮るもの無く辰野町市街地が一望出来る観光スポットの一つでもあり、武田信玄狼煙リレーのポイントの一つでもあるみたい。

築城年代、築城者は不明です。現代においてもそうですが、中世の辰野(実は意外にもはっきりしない事だらけ…辰野町誌もあえて多くは語らない。)は交通の要衝、諏訪郡から天竜川沿いに進めば辰野を経て伊那、飯田に至り、塩尻峠の戦いの場にも比定される善知鳥峠を越えれば小笠原氏の本拠であった府中に至る。武田氏の勢力が伸張する以前は小笠原氏の影響力の及ぶ地域であった事は疑いが無く、小笠原氏に関係する狼煙台、物見台であったと考えるのは自然でしょう。又、王城の名称も気になるけど、親王とか坂上田村麻呂とかのその辺の話になってくるので無視する方向で…

お城の現況は大城山展望台として変貌、整備されていてすっきりとした印象、長方形の主郭に腰郭の付いた単純なものとなっています。遺構としては堀切、竪堀、土塁が、他には横堀様の地形なんかも確認出来ます。竪堀の内2条は集合し、且つ長大だったりするんですが、写真は死ぬ程難しいのですっぱり諦めて下さい。全体的には当然改変も含んでいるので薄いっす。

信濃のお城の神マジックで俯瞰図なんかを見ると「おぉぉっ!」とかなったりするんですが、現地を実際に訪ねると「おろろっ?」てなったりします。ただ此処から見える展望は素晴らしいし、夜景なんか見に行ったら最高なんじゃないでしょか。従って夜間の訪問を推奨しますが、夜中に1人で訪ねるには勇気が必要、意中の人を誘って行けば「もぅいいから早く帰ろうょ…」とか言われると思います。

2021年09月27日 ほりーないと
羽場城[上ノ平城  周辺城郭]



1年程前に上ノ平城で会った人に「お城好きならJR飯田線羽場駅のすぐ近くにある羽場城へ行ってみて下さい」と教えてもらい、どんなお城なのか聞かずに訪ねました。最初に目に入ったのは遺構ではなくマレットゴルフ場! 長野県内には色んな所にあるマレットゴルフ場、本丸に堂々とコースがあるお城もあります。羽場城のコースは特別です。堀底や土塁の上にコースがありマレットゴルフをプレイすると自然に城攻めができます!

松尾城の小笠原貞宗の四男重次郎が築城したといわれています(詳しくは説明板の写真をお読み下さい)。マレットゴルフ場だけでも驚きですが、JR飯田線が突っ切っています。この電車に乗れば飯田市の松尾城へ行けるなと考えてしまいました。

訪城した人の見方によって変わるお城かもしれません。私は堀底でマレットゴルフをプレイしたいと思いました。

写真
①手長神社
②③説明板
④東側の空堀
⑤西側の空堀
⑥主郭から天竜川を望む
⑦土塁の上のマレットゴルフコース
⑧羽場城を通るJR飯田線

2021年07月05日 くっしー治部大輔尚人
上ノ平城



高台にあるので、住宅街からどうやって行くのか迷いました。看板があって、細い道を抜けると、広い耕作地になっているのですが、ここが城跡です。

史跡について説明した看板を通り過ぎ、50メートルほど行くと、東屋があり、車を数台止められるスペースがありました。遺構として、空堀は見映えしますが、曲輪はだだ広い耕作地・空き地となっていて面白くありませんでした。眺望はなかなかいいですけどね😄

2020年08月30日 まるぴっと
上ノ平城



広い東屋があり駐車場と簡易トイレもあります。見晴らしも良く、天竜川の見事な河岸段丘と豊かな農作地を眺めることができます。中央アルプス絶景です!

2015年07月27日 摩虎羅**
上ノ平城

南北5本の空堀で4つの郭に区切られてます。主郭からの空堀は見応えあります。
主郭にはラベンダー等の花もあり場所も高台なので、山並みや町の景色も堪能できます。

入口にはポストがあり「東山山麓歴史コース」と、城跡周辺の文化財などを記載した手作りの地図&説明書が入ってます。
お時間あれば一緒に巡られるのも良いと思います。

2012年03月03日 赤いRVR甲斐守@松本
上ノ平城

県道竜東線東箕輪農協から真っすぐ東へ行くと、地区の公民館があり、そこに案内看板があります。少し道は狭いですが、普通自動車なら余裕。遺構は全体的に耕作地で、堀切の一部は埋められているものの、主郭裏手のものなど、見事な遺構も残存している。最近駐車場も作られた。トイレもある。

上ノ平城の周辺スポット情報

 上ノ平城(碑・説明板)

 龍ヶ崎城(周辺城郭)

 大出城(周辺城郭)

 羽場城(周辺城郭)

 丸山(周辺城郭)

 王城(大城)(周辺城郭)

 横山城(大石平)(周辺城郭)

 狐ヶ城(狐ん城)(周辺城郭)

 上平出の小城(小条)(周辺城郭)

 堀の内館(周辺城郭)

 樋口内城(大石城)(周辺城郭)

 陣場ヶ原(陣場ノ原・陣場・陣場平)(周辺城郭)

 丸山秋葉砦(周辺城郭)

 天白の城(天白の古城)(周辺城郭)

 要害(周辺城郭)

 政所(周辺城郭)

 新町原田館(周辺城郭)

 新町の木戸(周辺城郭)

 新町丸山(周辺城郭)

 古城(平出の古る城・高住城)(周辺城郭)

 荒神山陣場(周辺城郭)

 羽場古城(草間肥前の城・柴河内の城)(周辺城郭)

 大洞城(城山)(周辺城郭)

 小式部城(古式賀城・城山)(周辺城郭)

 舟窪砦(周辺城郭)

 寺山砦(周辺城郭)

 城ヶ峰(お鉢・堀の内)(周辺城郭)

 豊久保砦(トヨクボ)(周辺城郭)

 日輪寺畑(洞田)居館(周辺城郭)

 中の小屋(周辺城郭)

 岩ヶ城(周辺城郭)

 でゑら(周辺城郭)

 荒城(砥沢荒城)(周辺城郭)

 えびら城(周辺城郭)

 大出古城(沢古城)(周辺城郭)

 松島城(本城)(周辺城郭)

 上の山城(城)(周辺城郭)

 日輪寺(寺社・史跡)

 駐車スペース(駐車場)

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