堀の内館

堀の内館([上ノ平城  周辺城郭])

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堀の内館の口コミ情報

2022年11月08日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

堀の内館は上ノ平城の北方約4.8km、沢底川東岸(左岸)、標高約756mの山間平野部河子沢扇状地緩斜面上平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている(有)タツノ工芸を目標に設定して下さい。後はリア攻めマップで位置を確認しましょう。初回訪問時、自分は地図を見誤って場所を特定する事が出来ませんでした。

築かれた年代、お住まいになられていた方は不明、該地周辺地域は伊那郡と諏訪郡の最短距離を山塊山中で結ぶ峠道の伊那口に当たり「山寺」の地名で呼ばれる。「高白斎記」、天文十一年(西暦1542年)の条に、「九月廿六日辰刻、被仰付候間、高白藤沢口放火、案内者神長一騎、諏訪薩摩守(満隆)方竹慶(竺渓)ハ遅着陣、廿八日乙亥蓑輪次郎(藤沢頼親)出仕、廿九日丙子、信方(板垣信方)上伊那口動、十月大朔日丁丑高白陣所上伊那山寺、七日発末、諏訪西方衆鳴音室(宝)鈴、奉行高白」とあり、上伊那への侵入時に武田勢は山寺に陣を置いた事が判る。現代の人がそうするように中央自動車道を西進し岡谷JCTから中央自動車道西宮線を南下して上伊那に入った訳では決してないのだ。

在地土豪として山寺氏の名が挙がるそうだけど、この居館の主は伝承から堀の内左近の名が伝えられている。が、堀の内の左近さんて感じになるのではっきりした事は判らない。別に武田氏による道押さえの城館で、その存続期間は10年位とも考えられており、左近さんに愛着が持てず姓名が伝わらなかったのは土地の人ではなかったからとの推測が成り立つ。

居館の現況は、耕作地、耕作放棄地、一般住宅とその敷地等となっている。該地とその周辺は耕作地のくせに実に細かく小字が残っていて、該地だけでも「堀の内」の他、「腰巻」、「日影(本当に日陰になる。)」、「ホウゲ」の小字を残す。該地の北側には「古屋敷」の小字が残り、堀の内に比して古い屋敷の存在を示唆している。

該地を間違えてしまい南信の城友さんには苦労をさせてしまいました。申し訳なかったです。堀の内館に関しては発掘調査報告書がネットで落とせるので興味があったらダウンロードするがいいさ。当然全国各地に無数に存在する堀の内コンプリートを目指しているファンの方はリア攻めを。

※写真7、8が「古屋敷」の小字が残る場所っす。

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