殿島城(とのしまじょう)
殿島城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 長野県伊那市東春近
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 殿島(伊那部)重国、武田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、帯曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板、模擬門
周辺の城
-
赤須城(長野県駒ヶ根市)[8.9km]
高遠城(長野県伊那市)[9.6km]
福与城(長野県上伊那郡)[10.7km]
市野瀬古城(長野県伊那市)[13.0km]
飯島陣屋(長野県上伊那郡)[14.3km]
上ノ平城(長野県上伊那郡)[14.5km]
藤沢城(長野県伊那市)[18.2km]
船山城(長野県下伊那郡)[21.6km]
福島城(長野県木曽郡)[24.8km]
大島城(長野県下伊那郡)[25.8km]
殿島城の口コミ情報
2025年03月18日 ʀᴇᴅ副将軍
殿島城
上伊那八人衆のひとりである殿島重国の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。天文年間(1532年〜1555年)に殿島重国により築かれたと云われます。
殿島重国は春日城の伊那部重成の次男とされ、分家し殿島氏を称したとされます。
1545年に武田信玄は南信に侵攻し高遠城を落とすと上伊那の豪族は武田氏に従います。
しかし、1556年に武田信玄が上杉謙信と川中島で対陣中に、上伊那の諸豪族は武田氏に反抗するため信玄の娘の嫁ぎ先であった木曽氏を攻撃。
武田信玄は怒り、上杉軍との戦いを中途にして伊那へ戻り、木曽氏を攻めた八人の諸将を捕らえて狐島において磔にしたとされ、殿島重国は上伊那八人衆のひとりと云われます。
住民により艮城の東に郷土を守った英雄として八人塚が祀られ、現在も供養の法事が行われています。
見所
天竜川東岸の河岸段丘西端に築かれています。
高土塁が巡る方形の主郭を中心として、周囲を二重三重と堀が巡ります。しかし周囲の宅地化のため大部分が消失しています。
特に主郭北側の多重堀が良好に残っています。
現在は殿島城址公園として整備され駐車場もあります。
2025年01月31日 ほりーないと
宮田城[殿島城 周辺城郭]
「マニアも納得の遺構あり」と先人様の口コミに書かれている宮田城へマニア城友様2人と行ってきました。
宮田観音へ目指し、中央道の下をくぐりT字を左折すると登城口があります。登城口から宮田城を見上げると竪堀を発見! 急登を覚悟していましたが、竪堀をジグザグに横断する道があり、スンナリ登ることができました。体力に自信がない方も竪堀を楽しむことができます。(写真①②③)
主郭からは木々が多めですが、伊那谷を眺めることができます(写真④)。主郭背後の土塁を越えると…連続堀切・竪堀が待っていました♬ 縄張り図を見るとその先にも堀切・竪堀…更にその先にも…。マニア城友様2人も納得!
南信(長野県南部)にこんな山城があるとはビックリ♪ 近隣にない構造の山城です。写真は主郭背後のみです(写真⑤〜⑧)。その先の遺構は宮田城へ行って実際に見て下さい。
殿島城の説明板より
弘治二年(1556)武田信玄が伊那に侵入し、廻状によって降伏を迫った。殿島大和守重国をはじめとする伊那の諸士は防備を堅くし毅然としてこれに対抗したが力及ばず、狐島にて磔にされ、後に黒河内(長谷)の八人塚に葬られた。
宮田左近正親房は八人塚の一人として葬られました。「伊那の古城」には、他の七人の城は城郭がはっきりしているのに、宮田の場合は山城があるが、この館址というものがみえないと書かれています。城が落ちた時に水を絶たれ、馬に白米をかけて敵に水があるように見せかけたという白米伝説があるそうです。
2025年01月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
御園古城(古城)[殿島城 周辺城郭]
御園古城(古城)は殿島城の北方約4.9km、天竜川西岸(右岸)、その氾濫原に近い河岸段丘台地東縁部上平場に立地する居館城の類いです。東麓の舗装道路からの比高は10m位でしょか。城域の西辺を掠める様にして戦国時代の三州吉田道、近世の伊那街道が南北に通る。元亀三年(西暦1573年)、西上する武田勢の内、東三河を目指す、秋山虎繁、山県昌景が引率する人数が進んだのはこの道だった筈だ。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。
該地の現住所は伊那市山寺ではあるが、中世には伊那郡御薗に属していたらしく、「南御薗」、「御薗之郷南」等と呼ばれていたらしい。天正七年(西暦1579年)二月六日、上諏訪大宮同前宮造宮帳には、「一 瑞籬三間 御薗北南之郷 正物壱貫六百廿文 代官 新井与三兵衛 此外仁百文 小祝分 御薗南之郷 正物壱貫三百七十五文 代官 福澤神三郎 此外百五十文 小祝分 都合三貫文」とあり、御薗の南北両郷は瑞籬三間分、都合三貫文を負担している。又、誰の知行地であったのかは知る由もないが、武田氏時代には代官支配が行われていた事が判る。
築城年代、築城者は不明です。天文年間(西暦1532年〜1555年)に春日(伊那部)氏の被官、林式部が、その後は御子柴六左衛門茂久が居城したと伝わる。「長野県町村誌」には、「古城址」として、「御園耕地の南端、字古城と唱ふる地にあり。地形南北に長く東西に短し。外郭牙城等の形尚存す。天文の頃伊那部殿、旗本林式部居住し、其後御子柴六左衛門代々居住し、天文の頃その名を顕す。慶長五庚子年(西暦1600年)飯田の城主、京極修理大夫(高知)に随ひ、関ヶ原に出陣、元和元年(西暦1615年)五月、保科肥後守(正之)に属し、大坂平野口に於て武功を顕す。伊那温知集、伊那武鑑根元記等に見ゆ。」とある。
明治時代の初頭、御園村を支村として北接していた村に神子柴があった。御子柴氏とはこの在名を取った在地土豪の一氏だろう。現在の伊那市山寺に建つ曹洞宗の寺院、護法山常圓寺は、天正九年(西暦1581年)、御子柴六左衛門茂久の尽力によって現在地に移転、再興を果たし、同名は同寺の中興開基となっている。武田氏時代には伊那郡惣代官頭の役目にあったとも云われ、少なくとも一寺を再興出来るだけの権勢を持った有力者であった事に間違いは無いだろう。
城域の東辺は段丘崖に面し、南北に2郭ないし3郭で構成される連郭式の縄張、城域は宅地造成等によって改変され、現在もそれは進行中である。南端の郭には林家の墓地、北端の物見の場とも思しき小高い郭には稲荷様が祀られている。全体的に見ればある程度の纏まりは今も残っており、かつてこの場所が城館であった事は誰でも十分に感じ取る事が出来る。城郭遺構としては堀形様の窪みが東側斜面に確認出来る程度だが、現況は「長野県町村誌」に添付された絵図とも大して変わりが無いのも事実(稲荷社に移動が見られるぐらいだと思う。)、短い時間だったけどおいらは楽しめた。
該地の南南西約1.0kmの天竜川河畔には「天竜川舟付場跡」が位置している。律令制下における原初の東山道、後の杖突峠道は、諏訪湖東南部の茅野から山塊山中の谷筋を選んで伊那郡に入り、高遠の城下で遠江国相良に至る遠信古道(近世の秋葉道である。)と別れて西行し天竜川を渡り、前述の三河国吉田に至る三州吉田道と道筋を重ね合わせる。アプリの登録城、高遠城の立地とは、広く見れは甲斐と遠江、三河とを結ぶ伊那郡における結節点に当たる訳だ。高遠の地に新たに拠点城を築いた御館様の占地眼たるや流石と言うべき。諏訪四郎勝頼が城主となった永禄四年(西暦1561年)以降、常に親族衆が配されたのもそれが故だろう。単なる桜の名所で終わらせないでくれよな。
※曹洞宗の寺院、護法山常圓寺〜チラ見したけど結構な名刹だ。
※山塊山中の谷筋を選んで〜日本列島を南北に縦断するフォッサマグナ、糸井川・静岡構造線の一部、中央構造線に沿う形で道筋が付いている。構造線と古道の関係は、律令制下における「東山道支道」、謂わゆる「木曽古道(岐蘇山道、もしくは吉蘇路)」でも見られる。
※西行して天竜川を渡り〜中世には「まえふち」と呼ばれる場所だったと推測されているが、地名も残っておらずその位置にあっては不明である。
2024年09月21日 ショウちゃん
殿島城
殿島城、長野県伊那市 9月18日登城
春日城主・伊那部但馬守重成の子である殿島大和守重国の居城として知られています。重国は兄であり春日城主となった伊那部左衛門尉重親やほかの伊那衆とともに武田信玄に反旗を翻しましたが鎮圧され、処刑されました。その後は武田氏が接収して使用したと思われます。現在城址は本丸跡が「殿島城址公園」として整備されており、模擬城門が建てられています。
2024年06月17日 ほりーないと
殿島城
殿島城は城址公園となっていて県道209号(沢渡高遠線)沿いに案内板が設置されています。案内板のとおり県道から曲がると住宅地になります。この先には案内板がありませんが、住宅地の奥が殿島城城址公園です。10台くらい駐車できる未舗装の駐車場があります。
殿島城の歴史などは説明板(写真①)をお読みください。天竜川を渡る「沢渡(さわんど)」から殿島城を経由して高遠城へ続く道が古くからあったようです。高遠城から更に進むと諏訪へ繋がります。殿島城が交通の要衝にあることがわかります。
開発によって多くは埋め立てられていますが、主郭(城址公園)を囲む三重横掘が残っています。課題は三重横堀とわかる写真を撮ることができるか…何回撮影しても二重横堀の写真です。城友様たちとリア攻めする時、三重横堀の撮影チャレンジをお願いしていますが、成功した人はいないようです。
この横堀をどのように撮るのか…その人次第です!
御城印について伊那市観光協会に問い合わせました。高遠城近くにある高遠町観光案内所にて販売しているそうです。私は3年以上前に別の場所で販売されていた時に殿島城の御城印を購入しました。城址碑の字体で書かれた素敵なデザインの御城印です。
高遠城〜殿島城の移動はスムーズです。信濃国の伊那谷に来た時には高遠城も殿島城も寄ってみて下さい。
※口コミの写真は過去に夏と冬に撮影したものです。
2024年03月05日 ほりーないと
竹松城(宮下の城)[殿島城 周辺城郭]
駒ヶ根市から火山峠を越えた「福地(伊那市)」に竹松城(宮下の城)があります。火山峠は高遠へ年貢を運んだ道です。近くにお城があると思い、リア攻めマップと"信濃の山城と館"を見ながら訪城しました。
周囲は水田となっているので、遠くからでもお城だとわかります(写真①)。主郭には諏訪神社がまつられ、入口には神官のお屋敷があります。道路の横には三の曲輪の切岸あり、大きな堀も車内から見え、リア攻めが楽なお城です。
"信濃の山城と館"には「竹松一族の本拠地で、小城(橋場城)には竹松外記が居住し、高遠の仁科氏に属していたが、後に民間に降ったという」と書かれています。もっと古い時代から竹松一族は居住していたと私は思います。"伊那の古城"には「福地をふくめての中澤郷は諏訪上社の系統であった」と書かれています。
信濃国は山国ですので、地図上では隣接していても、峠を越えた交流はなかなかできません。その地域から少し離れると知らないことばかりです。どの道を通って高遠へ行ったのだろうか…という事で火山峠の歴史を知り、竹松城(宮下の城)を訪ねる機会ができました。高遠から諏訪への道とその周辺のお城が気になっています。お城巡りの旅はずっと続きます。
2023年01月09日 ほりーないと
北の城[殿島城 周辺城郭]
北の城(きたのじょう)は、車も渡れる つり橋"北の城橋"のたもとにあります。天竜川の眺めがとても良いお城です。経年劣化で読みづらくなった古い看板がありましたが、久しぶりに行ってみると新しい看板になっていました。
真ん中を道路が通っていますが、土塁や堀がしっかり残っています。堀を隔てた西郭と南郭は水田や畑となっているため詳しい遺構はわかりません。看板にこの地の地頭職であった中越氏に関わる城と推定されていると説明があります。
遊具はありませんが、桜が植えられて公園として整備されています。車1台しか通れないスリルある"北の城橋"を近道として利用する地元の方が多いです。ちょっとした休憩場所になっています。私自身も子どもの頃から何度も来ている場所です。お城だという認識が全くなく土塁の上を歩いて遊んだ記憶があります。
天竜川を渡って殿島城へ行くには北の城橋を通るのが一番近いです。殿島城攻めの時に寄ってみて下さい。
2021年08月01日 赤かぶ【】
城平の城[殿島城 周辺城郭]
城平の城は長野県伊那市西春近にある山城です!行き方はGoogleマップに出ますのでその通りに来れば大丈夫です。駐車場はありませんので住民の方に迷惑の掛からない所に駐車して下さいませ。
今回は白山社本殿側から登城しました。鳥居をくぐり防獣棚のゲートを開け参道を登って行きますが、夏場は雑草に覆われた一直線に長い急坂 は結構しんどいw木陰はありますが暑い~w
参道中腹辺り進行方向左側に目をやると堀切が見えるではありませんか!暑さ・疲労も吹っ飛びます(笑)本殿手前を左折 左側の方の斜面を上がります。明確な道はないので登りやすい所から上がって下さいね!ちなみに道がついてる方へ行くと下山してしまいますのでご注意を!!
郭からの浅めの堀切を経て郭更に進むと深い堀切が♬︎この子が先ほど参道から見えた堀切ですね♪この深い堀切を過ぎると主郭に到着です!主郭は土塁に囲まれていました。規模は小さめですが遺構がよく残っていて見応えありのお城です☀︎
① 登城口
② 参道から見える堀切
③ 浅い堀切
④ 参道
⑤ 深い堀切
⑥ 主郭
⑦ 主郭と間の堀切(深い堀切)
2021年07月04日 くっしー式部大輔尚人
殿島城
大きな平坦面が一つ。周りに土塁があり、その周りに堀があります。
訪問したときは、誰もいなかったですが、公園になっているので、地元の方々の憩いの場になっているのでしょうかね。
石碑は確認できましたが、説明看板がどこにあるのかわかりませんでした。。
単純な縄張ですが、もう少し雰囲気の出し方があるのではないかと思いました。やり方次第ではもっと良い観光地になるのにもったいないなぁ~と。
2021年04月05日 野良犬しろチロ丸
殿島城
公園になっおり、入り口辺りが駐車場になってます。
2021年03月31日 しげしげ主税頭信繁
殿島城
天竜川から県道209を高遠方面に行くと殿嶋城の案内板があり住宅地の中で突き当たりを右に曲がると城址でした。なかなか立派な模擬冠木門があり周りを土塁で囲まれてました。
2021年03月30日 弾正忠Snow
殿島城
殿島城址公園の看板にしたがって行き、突き当たりを右折すると駐車場に着きます。
2020年12月13日 信濃守❀兎花❀
殿島城
住宅街の中に門がひっそりあしました。案内の看板はありましたが、ちょっと分かりずらくウロウロしてしまいました。門の前に車を停めて、、門をくぐると土塁に囲まれた公園になっていました。
2020年09月22日 信濃守おかてつ
蓮台場 伊那地侍八勇士の碑[殿島城 碑・説明板]
武田信玄が川中島に行ってる隙に、殿島城主、殿島重国ら伊那の地侍8人は信玄の娘婿、木曽義昌を攻め、怒った信玄は8人を捕らえ、ここ蓮台場で磔にしました。
2020年07月03日 OROKA参議
春日城[殿島城 周辺城郭]
【超お手軽!舌状台地の美堀切!】
春日城は殿島城の西に位置する城で、春日氏の居城です。武田信玄の信濃侵攻の際に落城し、さらに織田氏の甲斐・信濃侵攻の際には城主は高遠城に籠ったが落城討死、それに合わせて春日城も廃城になったとのことです。
アクセスは、とりあえず伊那文化会館を目指しましょう。東に隣接している春日公園の先端が春日城です。公園の北側には駐車場もあります。(この駐車場側の道から見上げると堀切がすでに見えてテンション上がります。)
遺構は、公園です(笑)。
遊具もあって、地元の家族や子ども達がワーワー楽しく遊んでいます。その中に登山靴を履いて進入し、写真を撮りまくる…子ども達の視線という飛び道具で一斉射撃されます。
台地の先端を堀切で切り離すこの地方によくある城の構図で、この堀切がまたズッパシ切れっ切れで見ていて気持ちいいです。主郭はL字の堀切(というか空堀?)で隔離されていて、素晴らしいです。
鬼ごっこをする子どもらをかいくぐり、空堀の底に降りてみたくなるはずです。勇気を出してください、そこには見事なV字が待ってますよ!
駒ヶ根ソースかつ丼を食べた後の、腹ごなしに丁度いいお散歩レベルの城です。興味を持った方は、ぜひぜひ♪
2020年06月25日 OROKA参議
宮田城[殿島城 周辺城郭]
【マニアも納得の遺構あり!】
宮田城は、殿島城の南西に位置する城で宮田氏の居城。宮田氏は鎌倉から続く地元豪族ですが、武田信玄の信濃侵攻に小笠原氏に与して抵抗し、敗れてしまったようです。(城がいつまで存続したかは不明)
高速の中央道を走ってると「宮田観音」という金ピカの観音様が見えるんですが、その裏山が城となります。
一旦高速を降り、宮田霊園を目指して一般道の東側から高速の下を通り抜けます。突き当たりを右に行くと宮田霊園、左に行くと宮田城となります。案内板が設置してあり、車も1台くらい停めれます。宮田霊園に停めて歩いたとしても大した距離ではないです。
ここから20分ほど登ると宮田城にたどり着きます。
郭としては、主郭=ほぼ単郭のシンプルなものになります。高い土塁と虎口、復元された木柵のある良い郭となってます。
…が、この城の魅力は郭ではありません。背後の尾根に沿って、これでもかと堀切が連続していて、しかも1つ1つが深くて明瞭、そのまま竪堀となって落ちて行く素晴らしい仕様です。
これはマニアも納得の遺構でしょう。連続堀切の眺めは、陸上のハードル走を見てるようで(逆に魅力の減る例えか??)、まぁとにかく走り出してしまうことは間違いなしです。
整備も程よくされていて見やすく、ホント未登録城にしておくのが惜しい逸材です。伊那地方に城攻めに来る際にはぜひメインにして欲しいオススメの城です(´▽`)
2020年06月24日 大隅守上
春日城[殿島城 周辺城郭]
城跡は春日公園になってます。
2020年06月24日 大隅守上
宮田城[殿島城 周辺城郭]
竪堀、堀切、虎口等遺構が良好に残ってます。
2016年12月17日 カーネル
殿島城
飯田線沢渡駅から北に歩き、国道153号に合流して北上を続けます
沢渡交差点で右に曲がると、歩行者専用道路で天竜川を越えれます。このまま西進を続けて、中殿島交差点を越えてすぐに道の右斜面に『殿島城趾公園300m』の看板がありますが、その脇から山に入る細い道があるのでこれを登るとショートカットできます
平坦地にでて、南に進むと北側の二重堀にでて、堀の底を登ると公園入り口に着きます
本丸は土塁に囲まれて、その外側を堀がめぐっています
本丸の案内図では本丸の南側に石垣のようなマークがあるのでいってみましたが、ただの斜面でした
帰りは北側の堀から、観音様を辿ると麓の護国寺出られました
駅から堀まで30分。見学が30分で合計1時間半でした
2012年02月17日 赤いRVR甲斐守@松本
殿島城
県道竜東線中殿島交差点を東に行くと、看板があるのでわかります。城跡に隣接して駐車場もありますが、周囲は住宅地ですので、注意です。
殿島城の周辺スポット情報
蓮台場 伊那地侍八勇士の碑(碑・説明板)
宮田城(周辺城郭)
春日城(周辺城郭)
小出城(周辺城郭)
北の城(周辺城郭)
城平の城(周辺城郭)
座籠城(ざんご城)(周辺城郭)
古城(周辺城郭)
小田切城(下の段館)(周辺城郭)
下の城(周辺城郭)
中越館(城)(周辺城郭)
古町の古城(爪ヶ崎城)(周辺城郭)
洞口城(北の城)(周辺城郭)
乾の古城(乾城)(周辺城郭)
城林の城(周辺城郭)
お寺の山(城)館(周辺城郭)
竹松城(宮下の城)(周辺城郭)
橋場城(竹松の小城)(周辺城郭)
南福地の御岳山砦(周辺城郭)
牛ヶ城(周辺城郭)
保谷沢の城(周辺城郭)
殿屋敷(丸山の城・経塚林)(周辺城郭)
中条の城(周辺城郭)
黒ん城(周辺城郭)
小沢の古城(周辺城郭)
狐林城(周辺城郭)
御園古城(古城)(周辺城郭)
小黒城(周辺城郭)
フブキ垣外城(周辺城郭)
薬師堂城(周辺城郭)
内城(周辺城郭)
丸山の城(中山城・細窪の城)(周辺城郭)
眼子田原の城(沢渡城)(周辺城郭)
上島の城(周辺城郭)
村岡城(周辺城郭)
荒城(新城)(周辺城郭)
田城(周辺城郭)
鳩吹城(周辺城郭)
義信の城(周辺城郭)
中村の城(安岡城)(周辺城郭)
表木城(周辺城郭)
井ノ久保の城(周辺城郭)
恩徳寺の城(周辺城郭)
町屋の城(周辺城郭)
西春近 物見や城(周辺城郭)
下牧の古城(周辺城郭)
珍しい土塁の中のトイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)