高遠城(たかとおじょう)

高遠城の基本情報

通称・別名

兜山城

所在地

長野県伊那市高遠町東高遠

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

武田信玄

主な城主

高遠氏、秋山氏、武田氏、仁科氏、下條氏、保科氏、毛利氏、京極氏、鳥居氏、内藤氏

廃城年

明治5年(1872)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、門

指定文化財

国史跡(高遠城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

福与城(長野県上伊那郡)[8.9km]
殿島城(長野県伊那市)[9.6km]
市野瀬古城(長野県伊那市)[10.5km]
藤沢城(長野県伊那市)[10.9km]
上ノ平城(長野県上伊那郡)[12.2km]

高遠城の解説文

高遠城(たかとおじょう)は、長野県伊那市高遠町にある城。兜山城の別名をもつ。桜の名所としても有名である。国の史跡に指定されている。

歴史・沿革
戦国時代・安土桃山時代
-高遠氏-
高遠城は諏訪氏一門の高遠頼継が居城としており、甲斐国守護の武田氏と同盟関係にある諏訪氏当主の頼重とは反目していた。頼継は1541年に甲斐守護武田晴信(信玄)に内応して諏訪攻略を援護している。頼重は武田により滅ぼされるが、諏訪の領有を巡り武田と頼継は対立し、1545年4月に武田勢は高遠城と藤沢頼親の福与城攻めを行い、伊那地方への進出拠点とした。

-武田氏時代-
1555年 武田氏は続いて小笠原氏や知久氏を撃破し、木曾氏を制圧して信濃を平定した。『甲陽軍鑑』によれば、高遠城は信濃への進出拠点として1547年に、伝説的軍師である山本勘助や秋山信友に命じて大規模な改築が行われたという。1556年には秋山信友が城主となり、坂西氏などを伊那衆とした。

1562年 、晴信の庶子で諏訪氏の娘を母とする四郎勝頼(武田勝頼)が諏訪氏を継承し、同時に高遠城主となる(『軍鑑』によれば伊那郡代に就任)。城主であった秋山は飯田城代となる。『軍鑑』によれば入城に際して改築が行われ、勝頼衆が預けられ親族衆に加えられたという。勝頼は1570年 に武田氏の正嫡であった義信が廃嫡される義信事件が起こると後継的立場となり、信玄により本拠の躑躅ヶ崎館に呼び戻され、高遠城主は信玄実弟の武田信廉となった。なお、勝頼の嫡子信勝の誕生と、信玄の父信虎の死去は、いずれも高遠城でのことである。

信玄後期から勝頼期にかけて武田氏は領国を接する織田・徳川氏と対立するようになり、高遠城は対織田・徳川勢力の重要な軍事拠点となる。武田氏は長篠の戦いにおける敗退を契機に領国の動揺を招き、勝頼は1581年 に領国維持のため韮崎(韮崎市)への府中移転と同時に異母弟の仁科盛信を高遠城主とした。

翌1582年、勝頼は内通した木曾氏攻めを行い、仁科は大将として出陣し城代として小山田昌成(二代目備中守)が入っている。同年2月に織田信長は本格的な武田攻め(武田征伐)を開始し、長男の織田信忠に5万の大軍を与えて高遠城に迫らせた。高遠城に籠もる守備兵の数は3千で、仁科は信忠の降伏勧告を退けて抗戦するが、守備隊は玉砕、仁科自身も城を枕に討ち死、城は落城した。高遠城の落城により織田勢は伊那方面からも甲斐へ侵攻し、武田氏は滅亡した。

-織田氏時代-
織田氏の支配のもと、高遠城攻めに功のあった毛利長秀が城主となるが、そのわずか3ヵ月後に本能寺の変が起こり、高遠城には突如、武田家の旧臣・木曾義昌が攻め込み、これを占領した。以後、徳川家康と木曾義昌の攻防の舞台となるが、結局、家康によって木曾義昌は高遠城を追われて深志城に撤退した。

江戸時代
江戸時代になると高遠藩の藩庁となり、京極氏・保科氏・鳥居氏と城主が交代した。1691年に内藤清枚が3万3千石で入封。以後、高遠城は内藤氏8代の居城として明治維新を迎えた。...

高遠城の口コミ情報

宮内式部丞大輔様[2016年10月31日]
高遠城で秀忠の隠し子の保科氏を大河ドラマに、というポスターあり、仁科盛信の扱いが小さい。武田に亡ぼされた怨み?からなのかな

フー甲斐守様[2016年10月30日]
高遠城まで車で5分、市野瀬古城から美和湖沿いに車で10分位にある、道の駅南アルプスむら長谷パンや、のクロワッサンがいけます。予約でなかなか買えない様ですが、ハネ物は無料で頂けます。私達夫婦も二つ頂きました(^o^)
何時迄もご好意が続くように、大人の対応で楽しんでみて下さい(^o^)

【鉄騎兵】右衛門督かげちゃん様[2016年10月30日]
高遠城の支城:春日城ですが、元々、殿島城主の本家筋が城主をしていて、武田信玄が伊那地方を制圧したのを契機に高遠城の支城として位置付けしたみたいです。
建物跡は、残っていませんが郭と空堀跡は、確認出来ます。各郭に桜の木が植えてあって、桜の名所の支城の役割を果たしている感じです。駐車場があるので車で来ても大丈夫です。トイレは、二の丸広場と三の丸広場にあります。

まるき〜淡路守様[2016年07月23日]
100名城スタンプの場所は高遠町歴史博物館入り口に設置されています。

絵島囲屋敷や城のジオラマ等があり、城について予習のつもりで先ずはこちらに来た方が良いかと思います。入場は400円

駐車場の奥にダム管理事務所があってダムカードを発行しています。
高遠ダムがライトアップされたすご〜く綺麗なカードで珍しいタイプですよd(^_^o)

タコ武蔵守イカ様[2015年09月22日]
2015/09/21 JR飯田線 伊那市駅 から徒歩で攻略しました。

駅から直線距離で9.5km、国道361号一本道でいけるため迷うことはありませんが、徒歩だと片道1.5時間はかかるので、体力と時間に相当余裕のある人以外はオススメできません。

駅からバスでの攻略をご検討の場合、休日は伊那市駅から高遠行きのバスの本数がかなり減るのでご注意下さい。
13:15 の次が 15:57 となっており、真っ昼間なのに3時間近く次のバスが来ない時間帯があります。

私はこの魔の時間帯に嵌まってしまい、やむ無く徒歩行軍するはめになってしまいました(-_-;)
電車での行軍を検討されているかたは事前にバスの時間をしっかりと確認することをオススメします。

まさ大膳大夫猛虎 様[2015年09月10日]
飯田線伊那市駅を下車、高遠駅行きJRバスで高遠下車(600円前後)。
城方向にいていると、街並みには城下町の雰囲気が有る。
橋を越えると、その正面が城跡です。駐車場・トイレも有る。
100名城スタンプは、本丸の向こう側の博物館に有る。玄関外にスタンプ設置。その敷地に城主・母親の石像有ります。
車道をいて、博物館に行くには、城跡を迂回する樣になりますから、本丸横断を進めたい。
城郭は、深い堀切・水掘・本丸・曲輪・門等素晴らしいです。門の前には、勘助曲輪が有る。本丸より面接が大きな感じ。勘助による縄張り・設計の城ですからね。

ぶる~す左衛門督馬場美濃守様[2015年08月02日]
100名城スタンプは、歴史資料館の入り口外にあります。
真夏の高遠城、緑が美しくよかったです

笑姫壱岐守様[2015年06月27日]
女性トイレは、自動扉付きのキレイなトイレがありますが、季節によっては、蜘蛛、蛾などの虫がいっぱいです(>_<)
虫が苦手な方は、お手洗いを済ませてから訪れることをおすすめします。

銀之助様[2014年04月16日]
本日、高遠城址公園に来ました。桜満開!駐車場満車!アルプスの雪山も見れて、とても綺麗です。

柿崎和泉守景家様[2013年06月14日]
地元に住みながら毛利様が一時期、主だったとは。個人的には毛利元就公だったら良かったのに。

赤いRVR弾正大弼@松本様[2012年01月25日]
城の遺構を見たいのなら、冬です。桜の時期は混雑。三峰川を挟んだ対岸には、織田軍の陣城とされた一夜城もあり、土塁が残っています。

堀久太郎秀政様[2010年09月28日]
織田軍に、対して、徹底抗戦した!仁科盛信公の居城ですか!さすがに!武田の武士ですね〜m(_ _)m

古楽侍従広家様[2010年09月13日]
諏訪御料人の墓や、絵島囲い屋敷と絵島の墓など見所満載。大河誘致にも積極的。

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年08月25日]
伊那の名物ローメン、スープ焼そばなヤーツ

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年06月11日]
桜の時期は見頃

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