仁科五郎盛信のお墓

仁科五郎盛信のお墓([高遠城  碑・説明板])

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仁科五郎盛信のお墓の口コミ情報

2021年03月19日 銀猫甲斐守美和♬


高遠城から川を挟んだ南側に、五郎山と呼ばれる山があります。

天正10年(1582年)、織田信忠率いる5万の兵が、武田に対して侵攻を開始します。これに対して、侵攻ルートの伊那谷の諸城は、ことごとく降伏し、織田軍はほぼ無傷のまま通過しました。
*信玄公の弟の武田信廉ですら、信州松川の大島城を放棄して、甲斐へ逃亡してます。

この窮状に対して、勇猛果敢にも挑んだのが、勝頼公の弟、盛信公です。
高遠城は、織田軍5万に対して、武田軍3千で迎え撃ったわけですが、奮戦にもかかわらず、程なくして城は落城。盛信公以下全将兵は、露となって消えました。
高遠城は、隆盛を誇った武田氏が、大規模反抗をした、最後の戦場となりました。

激戦の後、高遠勝間の村人が城内から亡骸を運び出し、火葬して高遠城が見える勝間の裏山に、諸将を手厚く葬りました。
五郎山は、その名の通り仁科五郎盛信公のお墓が、頂上に建立されていることが、名前の由来になっています。

また、勝間の集落から山頂へは、参道が設けられているのですが、参道の途中には、四つの祠が建てられており、現地ではそれぞれを、一郎山〜四郎山と呼称するようです。一から四には、共に戦で散っていった諸士らが祀られています。(pic1・2・3_お墓、pic4・5_祠)
*五郎山参道の入口は、リア攻めマップを参照ください。

徒歩で参拝される場合は、ほりでいパークの駐車場が近くて便利です。
参道入口から五郎山のお墓までは、約20分程で到着します。(pic6_入口、pic7_参道)
*勝間の参道を使った、直登ルートの目安時間です。徒歩で車用の林道に誤って行かないよう、ご注意ください。
*車で直接行かれる場合は、先達の口コミを参照ください。

高遠城から五郎山は、目と鼻の先ですので登城の際は、合わせて英霊参拝にも訪れてみてください。

以上、登城に際して、お役に立てれば幸いです。

2019年05月02日 KAZ左大臣正勝


トンネル出て直ぐ左が林道入口(五郎山)でした。駐車スペースがないと看板があったかも…反則かもですが車で上がり、お墓入口の広めなスペースで駐車して、短時間で移動しました。

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