フブキ垣外城
フブキ垣外城([殿島城 周辺城郭])
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フブキ垣外城の口コミ情報
2025年06月14日 内記かずりヾ(・ε・。)
フブキ垣外城は殿島城の西北西約2.4km、小戸沢川北岸(左岸)、戸沢川南岸(右岸)、両川に挟まれた標高約649mの河岸段丘台地上平場に立地したと推測される居館城です。東麓の長野県道146号、南箕輪沢渡線、かつての伊那街道からの比高は25m位でしょか。該地は第一河岸段丘面に当たり、周辺は多数の中世城館跡が密集する場所である。
行き方は…リア攻めマップを参照して下さい。付近に目標となるものがありまてん…車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。
「信濃の山城と館5、上伊那編」に掲載があり、伊那市でも埋蔵文化財としての認識がある。ちなみに過去には発掘調査が行われ堀跡が検出されたんだそう。
築城年代、築城者は不明です。史料、伝承等も無いが、立地から小井弖氏に関係する城館だと推測されている。同氏については同じ殿島城のリア攻めマップにある、カンバ垣外、薬師堂城も併せて参照して下さい。
小井弖氏の出自を藤原南家工藤氏流(小出系図、百家系図稿)と書いたが、藤原南家二階堂氏流(藩翰譜)とする説が別にあり、同氏の実系は諏訪氏と同様、信濃の古族、神人部宿祢姓だったとする設もある。即ち、諏訪郡には、諏訪社上社の五官祝、禰宜大夫、擬祝の二官を務めた小井弖氏(故に神氏ともされるが「神氏系図」には見られない。実際の出自が不明である。)があり、これが神官家と武家的性格を持つ惣領家とに別れていたとするものだ。詳細は四千文字以上必要なので割愛するが、この小井弖氏が入部した工藤氏と猶子関係等を以て結び付き、これを以て後世、工藤氏の後裔を仮冒、自称するようになったとも考察されている。現在の伊那市西春近山本地区に鎮座する鎌倉時代初頭の創建と伝わる小出諏訪神社はその傍証の一つともなり得るだろう。
小名から城館の存在が疑われていた物件である。ここでは純粋に「垣内」の外を意味するものなのかもしれないが、「垣外」は「かいと」、即ち、「垣内」が転じたものと考えられ、かつての中世の集落跡、屋敷跡等の存在を示唆している。発掘調査によって堀跡が検出された事によりその裏付けが為されたものかと思われるが、結果報告書が探し出せずその詳細を知る事が出来ないままでいる。
お城の現況は一面の耕作地、水田、畑地等となっており、耕作地写真家としての本領が思う存分に発揮される物件だ。土地の改良事業によって旧態は失われ、発掘調査で検出された堀跡も推定するしかない。東面崖地上には窪みが確認出来るが果たしてその残滓なんだろうか。又、北面斜面上には切通し状の堀様地形も見られるが…ちなみに写真にある堀様地形は用水路のもの。
薬師堂城とは小戸沢川の谷筋を挟んで南北に相対しており、両者はほぼ同一標高である。縄張が不明である以上、何とも言えないのだが、個人的には台地上の北東隅に小規模な単郭の砦、残りの部分は集落、屋敷地だったのではないだろうか。台地上の全てを使い切れば、小井弖氏の本城、同じ殿島城のリア攻めマップにある小出城にも匹敵する規模になってしまう。
※小出諏訪神社〜趣きのある素敵な神社さんだ。同じ殿島城のリア攻めマップにスポット登録だけしておく。
※月を跨ぐと何処の写真なのかが判らなくなってしまうのがこの手の物件の常…たぶんフブキ垣外城の写真で間違ってはいないと思うw