狐林城
狐林城([殿島城 周辺城郭])
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狐林城の口コミ情報
2025年08月23日 内記かずりヾ(・ε・。)
さて、皆さんがお住まいになられている場所の近くに「狐」の文字が当てられている地名はないでしょか。他県ではどうだか知らんけど、長野県ではその殆どが中世〜戦国時代に端を発する地名であり、「狐」は物見の役目に携わる者の隠語、つまりは「狐」の付く地名は物見の場所であった事を示唆している。今となっては何の変哲もないただの場所である事が殆どだけど、お城の名称にも散見されたりするんで暇だったら探してみるのもいいさ。壁や天井の染みを数えるよりも遥かに有意義な事だと思う。そういえばおいらのかつての仕事場であった東京都三鷹市にも「狐久保」なんて交差点があったなぁ…
狐林城は殿島城の北方約4.5km、天竜川西岸(右岸)、小沢川北岸(左岸)、標高約682mの河岸段丘舌状台地上平場に立地する居館城です。東麓の伊那北駅前交差点からの比高は比高は40m位でしょか。該地は第一河岸段丘面に当たり、天竜川を見下ろす東方への展望は開けている。ちなみにこの台地の舌状っぷりはかなりイケてる。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車の捨て場所は己れの持つ器量で何とかしよう。駅近物件なんだけど逆にそれが仇になっている。面倒だったら判り難いけど台地上の西側から城域にダイレクトインしても怒られないと思う。
築城年代は不明、築城者には林氏が推測出来る。同氏は同じ殿島城のリア攻めマップにある御園古城、最初の城主であったと伝わる。林氏は、金山様を氏神とし、その先祖は鍛治を生業としていたとも。ちなみに現在の古城には林家の墓所の他、同家の稲荷社が鎮座している。
「長野県町村誌」には「古堡」として、「山寺耕地の西岡にあり目今林となる、狐林と稱す。東北南の三面は渓水を廻らし、西は空濠を隔てて原野に接す。何人の據りしや、事跡分明ならず。」とある。
未見だが、「高遠記」には、林式部、林次郎の名が城主としてあるらしい。又、「伊那の古城」によれば、林式部は春日氏の旗本、天文年間(西暦1532年〜1555年)、武田氏が伊那へ討ち入るとこれと戦って討死したとあり、その子、次郎は民間に下ったとある。
お城の現況は高尾公園となっており、別に高尾町公民館が建ち、高尾神社が鎮座、推定城域の西側部分は、耕作地、空地、一般住宅地等となっている。信濃のお城の神は連続する台地上を断ち切る2条の堀切を推定しているが根拠となるような堀形は確認出来ない。改変著しく城郭遺構は消滅、要害地形を楽しむのが関の山だ。
狐林城の南西約1.5kmの位置には林氏の主家、春日(伊那部)氏の本城、春日城(殿島城のリア攻めマップにスポット登録されている。)が立地する。同氏は北東の守りを林氏に委ね、天竜川の川筋を見張り、東麓を南北に通る三州吉田道を扼する役割を担わせていたのであろうか。城跡の地名に「狐」が付いたのもそれが理由なのかもしれない。
「狐林」は「きつねばやし」て読ませるのかと思ったら「こりん」だった…こりん星のりんごももか姫ぢゃねーか、リア攻め中はずっと小倉優子が頭に浮かんでは消えてたわ。まぁ、おいらもファンや一部の城友さん達からは「⭐︎エターナル美少年かずりん⭐︎」て呼ばれているんで何とも言えないんだけどね…ちなみに探索中は推定堀内に建つ民家のお庭で放し飼いにされていたムカつく子犬に吠えられまくり…マウント取ろうとして「きしゃーっ!」て返したら火に油を注ぐ結果に…あいつとは一生涯を掛けても溝を埋める事が出来ないと思うさ。
※伊那谷の河岸段丘上にある城館の全てに言える事だと思うが、安易に斜面の堀様地形を竪堀の堀形と断ずるのは早計ではないかな。城跡以外でもあらゆる場所で散見される。
※「伊那の古城」〜お持ちの方で安く譲ってもよいよて方がいらっしゃいましたらお手数ですが伝言の方、宜しくお願い致します。
※写真⑧は東麓、歩道橋上から撮影した近景っす。