井ノ久保の城

井ノ久保の城([殿島城  周辺城郭])

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井ノ久保の城の口コミ情報

2025年11月07日 内記かずりヾ(・ε・。)


井ノ久保の城は殿島城の南西約2.2km、天竜川西岸(右岸)、藤沢川南岸(右岸)、標高約634mの河岸段丘台地東縁上平場に立地する居館城です。北麓の藤沢川からの比高は25m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている「アート石屋」を目標に設定して下さい。後はリア攻めマップを参照して該地を特定しよう。車の捨て場所は路駐でOK♪レベルだ。

該地には「井ノ久保」の小字が今も残っているが、中世には伊那郡表木郷に含まれる地域であったようだ。かつての表木村は、段丘上と段丘崖下に集落が分かれ、上段の三州吉田道(伊那往還)沿いに町屋の形成が見られたとある事から、段丘崖隅上の井ノ久保は表木郷の町屋の北端部に位置していたと考えられる。

井ノ久保は、段丘台地上を南行する三州吉田道が、藤沢川を渡った後に再び段丘崖を登る場所にあり、地名のとおり、道筋は推定城域西側の窪地形に沿い、「坂頭(さかたま)」の前を通って表木の町屋へと向かっている。井ノ久保の城の立地は同道を直接扼すものであり、広く見れば表木郷の関門の地に当たる。

建長三年(西暦1251年)二月五日、小井弖能綱譲状案によれば、小井弖能綱は、伊那郡小井弖、二吉両郷の地頭職を子の師能に譲っているが、文中には「至四堺」についての言及がある。小井弖、二吉両郷内等の境目を示したものだと考えられるが、この中には、「柳澤の堺ハ、ゐの窪(いの窪)のほそみち、たかのすを見あつへし、ひかしハ、よこ道をさかい、みなみハ、藤さわ川をきる水の立とまりまて、そのうちに御作山本より外に餘所ある間敷候、」との記述がある。他の地名等が判らず難解だが、「ゐの窪のほそみち」として井ノ久保が登場し、譲状は同地が史料に現れる唯一の書状ともなっている。ちなみに能綱は、柳澤の南の境目は藤沢川までだと書いており、同川の右岸地域に当たる井ノ久保は少なくともこの範囲には含まれていない事になる。

築城年代、築城者は不明だが、表木郷に拠った面木(表木)氏が推測出来るだろう。同氏については同じ殿島城のリア攻めマップにある表木城(伊那市の遠慮がちな可愛い佇まいのお城、但し、藪の中に見え隠れする堀や土塁が凄く立派…初見の人は思わずニヤける筈…)の口コミに譲りたい。

まず、正確な城地の位置が特定されておらず、信濃のお城の神は調査によって現況から導き出された推定地を縄張図として描いているに過ぎない。神は、東側と南側(たぶん、北側の誤記と思われる。)を急崖とする、二段の纏まりのよい平坦地を選んでおり、下段の南端部には「堀端」の小名が残っていると言っている。但し、断定出来るような城郭遺構は探し出せなかったようで、「…これだけでは何とも判断が難しい。」とも仰られている。

リア攻め後に伊那市立図書館で知ったのだが、昭和五十五年(西暦1980年)に土地改良事業に伴う発掘調査が推定城地の西側上段(井ノ久保遺跡)で行われており、該当区域からは時代不明なるも堀跡と思しき溝状遺構の部分が検出され、古銭、各種灰釉陶器、中世の内耳土器、鉄製品の部分等が出土している。或いは井の久保の城の跡とも言えそうだが、こちらの方もそれを断定するには程遠い状況である。

※三州吉田道(伊那往還)〜近世には伊那街道と呼ばれ、中山道の脇往還として需要が高かった。ちなみに該地は新道(東側)と旧道(西側)とに挟まれている。

※表木城〜大雨が降った日に天竜峡を見よう等として夕暮れ時に下手に下車すると生命に関わるDEATH TRAIN、JR飯田線の車窓から堀跡が確認出来る。ちなみに降りたはよいんだけど、残りの電車が全て運休、かずぽん、夜通し歩き続ける事(たぶん、30kmは歩いたわ…)で寒さを凌ぎ無事に生還を果たした。幻聴?も聞こえたし、真夜中の天竜峡を彷徨う事はあらゆる意味で恐怖でしかない。こんな事書くと飯田市民にぶん殴られるかもしれないんで一応弁解しとくけど、降りた駅が飯田市市内だったら何とかなる。

※JR飯田線〜始発の岡谷駅から終点の豊橋駅までの乗車時間は最大で6時間を超える。乗り続けていると精神に崩壊を来たすらしく、電車大好き乗り鉄達もお尻大爆発、発狂するらしい。ちなみに両駅間を乗換NAVITIMEで検索すると別のルートが提示される。

※DEATH TRAIN〜そんな死の列車なんだけど、感心する事に通学で利用する高校生等は優先席が空いていても決して座る事がない。

※写真①の空地の辺りが「堀端」の小名が残る場所っす。ちなみに手前の舗装道路が伊那街道の新道である。

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