大島城(おおしまじょう)

大島城の基本情報

通称・別名

台城、伊那大島城

所在地

長野県下伊那郡松川町元大島古町

旧国名

信濃国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

大島氏

築城年

不明

主な改修者

秋山虎繁

主な城主

大島氏、秋山虎繁(武田氏家臣)、武田信廉(武田氏家臣)、日向虎頭(武田氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀・三日月堀)、馬出

指定文化財

町史跡(大島城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

船山城(長野県下伊那郡)[4.3km]
飯田城(長野県飯田市)[10.5km]
飯島陣屋(長野県上伊那郡)[11.6km]
松尾城(長野県飯田市)[12.8km]
鈴岡城(長野県飯田市)[13.2km]
赤須城(長野県駒ヶ根市)[17.0km]
駒場城(長野県下伊那郡)[22.1km]
市野瀬古城(長野県伊那市)[23.5km]
殿島城(長野県伊那市)[25.8km]
和田城(長野県飯田市)[28.4km]

大島城の解説文



大島城(おおしまじょう)は、信濃国伊奈郡(現在の長野県下伊那郡松川町元大島)にあった日本の城。別名台城 (だいじょう)・伊那大島城。松川町指定史跡[1]。なお、同じ下伊那郡の大鹿村にある大島城とはまったく別の城である。

概要 

平安時代末期に片切氏より分かれた大嶋氏により築城されたという。戦国期には武田信玄が秋山虎繁(信友)に命じて大改修を施したとされ、永禄(1558年~1570年)初年頃と推定される年未詳8月18日武田晴信書状では、虎繁と推定される「秋山善右衛門尉」と室住虎光の在城が確認される。虎繁は大島城を拠点に下伊奈郡代(郡司)[2]として伊奈郡の支配を行った。

信玄後期~勝頼期の平山城の特徴である、台地の突端部を利用し戦闘正面を限定させる構造となっている。甲州流築城術の特徴である丸馬出し、三日月堀、枡形虎口などの遺構も良好な状態で残る。天竜川を背に城の側面・背面は台地の断崖となっており、前面の空堀がこの断崖へと続いている。また城正面の丸馬出には外周土塁はないが、外側の三日月堀は二重となっている。この丸馬出には左右両側の土橋から入る。丸馬出から城内に入ったところには枡形虎口がある。さらに北側台地端には角馬出が設けられている。

主な城将は武田逍遥軒信綱(信廉)・日向虎頭(玄徳斎)。武田氏の伊奈谷南部の拠点であり、遠江・三河・美濃侵攻の兵站基地でもある。天正10年(1582年)3月、織田信長による甲州征伐に際し織田信忠が信濃に侵攻すると、国人衆が動揺・戦意を喪失し、城将の武田信綱や安中七郎三郎は戦うことなく大島城は織田方の手に渡った。

現在は台城公園となっている[3]

参考文献 

  • 松川町編 『伊那大島城・解説』(https://www.town.matsukawa.lg.jp/material/files/group/10/0000014408.pdf)
  • 南原公平 著『信州の城と古戦場』 しなのき書房 2009年
  • 【書籍】「 信濃堀之内城・布引城郭群の馬出の謎 」
  • 山下孝司「大嶋城」(丸島和洋編『武田信玄の子供たち』宮帯出版社、2022年)

関連事項 

  • 日本の城一覧

大島城の口コミ情報

2024年04月03日 ほりーないと
御城印・パンフレット置き場(トイレ前)[大島城  御城印]



伊那大島城の御城印が配布されることになりました。配布場所はトイレ前のパンフレット置き場です。

2023年8月の狼煙リレーで、地元の方とお話をする機会がありました。その時に「御城印が欲しい」と伝えたら「やります!」とお返事をいただきました。それから数ヶ月が経過して、城友様から「伊那大島城に御城印が登場しました」と嬉しいお知らせが届きました。

地元の方に御礼の連絡を入れると「ツツジ祭り・狼煙リレーのバージョンも作ります」とお返事がありました。ツツジ祭りは5月3日開催予定です。今から楽しみです。(ツツジ祭りの詳細がわかり次第、イベント情報に投稿します)

※大島城(台城公園)は配水管工事のため、2024年5月29日まで立ち入りが制限されています。御城印の受け取りは工事期間中も大丈夫です。

2023年11月15日 ほりーないと
本城[大島城  周辺城郭]



河野大宮神社から寺沢川沿いを堀越地区(東)へ進むと松茸観光と書かれた大きな看板があります。この交差点を左(北)へ曲がった辺りが本城です。更に左(天竜川方向)へ曲がると車内からハッキリと堀切(写真②③)が確認できます。

車内からこの堀切を初めて見た時、こんな城がここにあるのは何故? 誰が築城したの? 周辺の城郭とは違うと思いました。説明板には築城年・築城者共に明らかではないと書かれています。"信濃の山城と城館"には「大河原(大鹿村)の南朝勢力も視野に入れる必要がある」「戦国末期まで使われた可能性が高い」とあります。

古い時代、伊那谷から大河原(大鹿村)へ行くルートは地蔵峠・分杭峠(いずれも秋葉街道)、豊丘村の唐松峠の3つだけでした。本城から堀越地区を経由して唐松峠へ行く事ができます。南北朝時代、宗良親王が大河原を拠点としていたので、本城もその勢力の城と一つと考える事もできます。
戦国時代、本城は神之峰城主・知久氏の領地でした。神之峰城は離れた所にあり、本城を支城とするなら寺沢川の対岸(南)に築城するのが自然だと思う地形です。神之峰城は武田氏によって落城しました。武田氏の伊那谷の拠点となった大島城(松川町)は本城から近い所にあります。伊那谷と秋葉街道を結ぶ主なルートは、豊丘村の唐松峠、飯田市の小川路峠(神之峰城近く)です。

豊丘村誌には本城についてほとんど書かれていません。本城がどんな城だったのか知るには、周辺の城郭、当時の道(古道)、地形などがヒントとなるだけでした。築城年・築城者共に不明のお城を知るために周辺を調べることは勉強になり面白いです。本城を東へ進んだ堀越地区にヒントがあるかもと考えましたが、松茸の季節は近づけませんでした。引き続き、本城を通じて色んな事を調べたいです。

2023年08月28日 ほりーないと
本丸[大島城  遺構・復元物]



今日残る大島城は武田信玄によって築城されたもので、在地領主大島氏から摂取した小城砦をほとんど新規築城に近い状態に造り直したものである。
(パンフレットより)

現在の本丸部分が大島氏時代の城(砦)とみられています。本丸を囲むように天竜川が流れています。武田氏が伊那郡の拠点に大島城を選んだのは、この水運があったからだと、以前参加した史跡巡りの講師からお聞きしました。

先日、武田信玄狼煙リレーが開催されました。本丸から、南側に極楽峠・久米ヶ城・水晶山・吉田城山、北側に陣馬形山の狼煙を確認できました。実際に狼煙が上がると、大島城の本丸は南北の狼煙がよく見える場所だとわかります。


◯第16回 武田信玄狼煙リレーの話
2023年8月26日開催
大島城は武田氏の拠点の城なので、狼煙を上げる城ではありません。狼煙リレーでは本丸から狼煙を上げました。この日は焚火が多く、紛らわしい煙があちらこちらで上がっていました。その影響なのか、大島城の次にリレーされる陣馬形山の狼煙が少し早かったようです。狼煙リレーはイベントなので城跡や狼煙台跡ではない場所が会場となっている地区もあります。その狼煙は大島城から全く見えません。大島城から狼煙台跡が見えるのに…。その地区の史学会では狼煙台跡で上げて欲しいと実行委員会に言っているそうです。
狼煙を見つけると、大島城の本丸が盛り上がりました。地元の人たち・城友さんたちと交流がしっかりできました。狼煙だけではなく、色んな繋がりができました。今年の狼煙は無事に長野県塩尻市までリレーされました。

飯田下伊那地区(南信州)では武田信玄狼煙会が組織され、今年で16回目の開催となります。2021年の第14回狼煙リレーでは、武田信玄公生誕500年を記念して南信州から甲斐国まで繋がりました。甲斐国まで繋がったのは1回限りでした。市町村・県境を越えて繋げるのは大変な事です。南信州も狼煙リレーを始めた頃に色んな苦労があったそうです。狼煙リレー開催に携わった皆様、本当にありがとうございました!

またいつか、南信州から甲斐国へ狼煙リレーが繋がりますように…

2023年05月08日 長谷川雅楽助平蔵
大島城



武田流築城術 丸馬出しに三日月堀がしっかり残っています。台城公園と名を変えていますが、保存状態は素晴らしいです。御城印があると最高なんですが(笑)

2023年04月14日 ほりーないと
吉田本城[大島城  周辺城郭]



吉田本城は吉田古城と隣接しているお城です。お姫様の井戸がある横堀を進むと、2つのお城の間にある自然地形を生かした大きな堀へ続きます。一年ぶりに行ってみると、竹藪が大規模に伐採されて大きな堀が姿を現しました。その大きな堀から、主郭と二の曲輪の間の堀を見ることができるようになりました。(写真①~③)

二の曲輪の南側の横堀を進むと、東側の天竜川方向へ落ち込みます。このエリアも木々の伐採作業が行われたようです。(写真④~⑥)

城主は松岡氏家臣の吉田氏で、なかなかの土木工事をしているお城です。これからも整備活動が継続していくと思います。その土木工事が更にハッキリ見られる事を期待します。

2023年04月14日 ほりーないと
吉田古城[大島城  周辺城郭]



吉田古城で発見された桜が新品種に認定されました。名前は「高森古城桜」。今年も美しい花が咲き、平日でも訪れる人たちがいました。(写真①~④)

南側に隣接している吉田本城との間には自然地形を生かした大きな堀があります。桜の開花に合わせて一年ぶりに行ってみると、大規模に竹藪が伐採されていました。東側の竪堀もハッキリわかるようになりました。(写真⑤~⑦)

2023年03月25日 ほりーないと
福与城[大島城  周辺城郭]



福与城跡は近年までほとんど知られていませんでした。昭和56年刊行の生田村誌編纂過程で注目された城跡で、空堀・土塁などの遺構、「城ヶ平」「城南平」などの小字によって中世の城跡であることが確認されました。この城跡について記録や伝承などは存在しないため、創築年年代・存続期間、築城・在城者などの確かな事は不明です。よってこの城跡がどのように呼ばれていたかわかりません。所在地の名称をとって「福与城」と命名されたものです。
(パンフレットより抜粋)

場所は大島城に近く、主郭から大島城がよく見えます。写真⑦の真ん中の小山が大島城です。福与三柱神社のすぐ横が福与城跡です。

主郭を囲む大きな堀があり私有地になります。撮影許可をもらおうと堀の横のお宅を訪ねましたが不在でした。写真③はギリギリの場所で撮影した堀です。

2022年08月28日 千葉相模守早雲
大島城



車で攻城の場合は台城公園を目指しましょう。駐車場があります。当初は在地の大島氏の単郭の城だったが、下伊那に進出してきた武田氏の管理下の元、拠点の一つとして改修されたと城友様に教わりました。二度の拡張期があったようです。(城友様の先述の口コミにあります)

馬出と言えば、虎口の前に築いて防御力を高めるためのもの。通常城郭の最も外側に位置します。
①それがなんとこの大島城には二の丸と三の丸の間にも存在します!
②そして二の丸と三の丸間の堀は不必要な程深い!
これらの理由から、二の丸までの拡張で一旦完成とし、その後三の丸を拡張したという事が分かります。城友さんのガイドで、説明を受けながら実際に見ると全くその通りである事がハッキリと分かりました😁

三の丸前の丸馬出は二重の三日月堀を備えて防御力を高めており、一番の見どころ。三の丸は外堀と土塁、枡形虎口が残っています。南側には櫓台跡あり。馬出が三の丸北側と二の丸との間にあり、それぞれ木橋や土橋で各郭に連絡していたようです。

二の丸虎口脇には櫓台跡があります。二の丸南側の堀は規模が大きく、堀底まで下りられるので是非歩いてみてください。こちらにも馬出と見られる小曲輪があり、二重堀となっていて一見の価値あり😁本丸と二の丸間の堀底を北へ向かうと井戸曲輪。井戸の石積みがしっかりと残っています。井戸曲輪奥には搦手の脱出路があり、登って行くと本丸へと通じています。本丸からの眺めは最高です。

堀底からの寄手目線、本丸からの守り手目線の両方をお楽しみください😁

1.二重の三日月堀。
2.右手前は馬出。左手は二の丸。木橋で繋がっていたらしい。奥は三の丸。
3.馬出から見た三の丸。深い堀。
4.井戸跡。石積みが見えます。
5.搦手の脱出路。
6.二の丸南側の堀と馬出と見られる小曲輪を囲む空堀と二重になっている。
7.土塁で堀底道を隠す。船着場へと繋がっていたと考えられるらしい。
8.二の丸切岸。

2022年06月19日 ほりーないと
大島城



「今日は正式ルートで行きます」
地元史学会の史跡巡りで大島城へ行きました。講師は資料館の元職員さんです。
お城の正式ルート? それは大手筋?!
三日月堀の向こう側(丸馬出し・枡形虎口)は民家のため正式ルートから入る事ができません。講師はその民家へ向かって歩き出す…。初めて丸馬出しに入らせていただきました。

大島城は武田信玄の命によって構築されました。片切氏分流の大島氏の小砦城をほとんど新規築城に近い状態に造り直したものです。
本丸は大島氏時代の城→二の丸が拡張→三の丸が拡張されたものだろうと出土品から実証されています。正式ルートで行くとよくわかります。

現在は公園の大島城、その入り口には二重三日月堀があります。丸馬出しには民家があり、土橋は車両通行できます。以前はリアカーが通れる程の幅だったそうです。枡形虎口から三の丸へ入ります。発掘調査で礎石が4つ確認されているので、立派な大手門(櫓門?)があったのでは…。
二の丸方向へ進むと馬出しと大きな堀が待ち構えています。三の丸増築以前の外堀と大手虎口馬出の跡です。この先へ…進める気がしない。地元史学会の見学も時間切れのため、本丸にたどり着けませんでした。

史跡巡りの日、守る会の皆様が三日月堀の草刈り作業をしていました。ありがとうございます。

【写真説明】
①丸馬出しから見た二重三日月堀
貴重な撮影チャンスでしたが、木々が生い茂っています。
②台城公園入口の二重三日月
(投稿枚数制限のため写真投稿は2枚です)

2022年05月05日 RED副将軍
大島城



今日は端午の節句
いつもは緑か茶色の空堀ばかりですが、カラフルな大空堀を口コミ投稿

オススメ度 ★★★★★

平安時代末期に船山城主の片切氏が大島郷を分知され、大島氏を名乗り城を築いたのが始まりと云われます。
1571年に、武田信玄は飯田城代であった秋山信友に命じて大島城を大改修を実施。郡代として伊那郡支配の拠点としました。
二重三日月堀や桝形虎口、やり過ぎとも言える複雑な空堀は武田流魔改変の特徴が出ています。
1582年、織田信長による甲州征伐に際して、織田信忠が飯田城を落とすと、国人衆は動揺し戦意を喪失。守将の武田信綱、安中久繁は戦わず城に火を放ち逃亡し落城しました。

見所
現在は台城公園として整備されています。
天竜川に突き出した台地上に、東から西へ本丸、二の丸、三の丸が連なり、天竜川を背後に天然の要害を利用。それぞれの曲輪は大規模な空堀が周囲を巡ります。
城域西端は、二重の三日月堀と丸馬出し、桝形虎口で強力な防御線が張られています。丸馬出しと桝形虎口は民家となっていますが、二重の三日月堀は見事に残存しています。
二の丸と三の丸の間は、二重の空堀に馬出しが併設される技巧的な縄張り。
本丸と二の丸の間も巨大なな空堀で分断。現代はキリシマツツジでカラフルにデコレートされています。
本丸の北側が搦手であり、石組みの井戸と埋門跡が残ります。

写真
①②本丸と二の丸を隔てる巨大な空堀。キリシマツツジと鯉のぼりで鮮やかに彩られていました。
③④二重の三日月堀
⑤ 二の丸と三の丸の間の二重空堀に馬出し
⑥三の丸を巡る空堀
⑦二の丸の櫓台
⑧井戸跡

2022年04月19日 ほりーないと
吉田古城[大島城  周辺城郭]



お城の桜と聞くと古木をイメージする方が多いのではないでしょうか。吉田古城に咲く「高森古城桜」は新品種への認定が期待されています。

かつて竹林が生い茂り、吉田古城は荒廃地と化していました。吉田城址愛護会の皆様の尽力で美しく整備されています。1998年に城跡の竹藪から発見されたのが「高森古城桜」です。花びらの形や葉などが類似品種と異なるそうです。原木の保護、苗木を育てて、現在17本が城跡に植わっています。「高森古城桜」は、古城で生まれ、古城で育っている桜です。

吉田古城については先人様の口コミをご参照ください。武田信玄狼煙リレー会場の一つです。吉田古城から次のリレー先の大島城が見えます。武田氏が大島城の普請をした中に「吉田」の郷名が入っているそうです。

「高森古城桜」は、ソメイヨシノより5日程開花が遅く、見頃は4月初旬から中旬です。古城に新品種の桜をぜひ見に来て下さい♪

2021年09月26日 ほりーないと
吉田城山城[大島城  周辺城郭]



吉田城ともいう。吉田上段地区のほぼ中央、残丘状の台地上にある。松岡氏の家臣吉村氏が永正年間頃には居城としていたとされる。主郭・二の郭・出郭からなる連郭式の城で、土塁・空堀が残る。(南信州山城マップより)

旧吉田小学校が建てられ、その後、公園として整備されています。春には桜が咲き、秋には彼岸花が咲き、地域の憩いの場となっています。このような城山公園は南信州に沢山あり、その公園で遊んだ子ども達が将来お城好きになってくれたら良いなと思います。
※一部、立入禁止エリアがありますので、ご注意とご配慮をお願いします。

写真
①公園入口の埋められた空堀
②主郭からの眺望
③空堀
④北側斜面

2021年03月08日 OROKA参議
天伯の城[大島城  周辺城郭]



【期待しすぎ禁物の城】

天伯の城は、大島城の西に位置する平山城です。築城年代や城主などは不明ですが、この地方によくある台地先端に作られた城で、地元豪族の城という雰囲気はあります。

アクセスとしてはこのスポットの北側の農道からアプローチしてください。ちょうど城との境は墓地がいくつかあり、お墓参り用なのか路駐もしやすいスペースがあります。お墓の目の前の林が城です。

道から城方面の林に一歩踏み入れると、立派な空堀と土橋のようなもの、その先に土塁と虎口的なやつが現れます。
のっけから強制的に期待が高まります。ええ、誰もが期待せずにはいれないでしょう。
しかし、この城で1番の見所はこのスタートの堀です。本丸はうっすら土塁に囲まれ、その下にある堀切と櫓台のような土塁に上から見ると心奪われますが、近づくと近世の石積でコーティングしてあり、少しがっかりします。
いえ、それでも切岸はとてもキレイです。

また、その下の郭は畑になっていて、さらに尾根沿いに段郭が展開されています。このあたり、土塁囲みぽくなっていて、なかなか楽しめます。

スタートで期待をしすぎなければ、なかなか良い城として楽しめるでしょう。自身の期待スイッチをオフにして、レッツキャッスル♪(´▽`)

2021年03月07日 OROKA参議
吉田本城[大島城  周辺城郭]



【スリルある木橋、渡れるか?】

吉田本城は大島城の南西にある平山城。

吉田古城と同じく詳細は不明で、松岡氏の家臣である吉田氏の居城。古城との関係も謎ですが、距離的に考えると同時に使っていた可能性もあるかもです。

アクセスと復元図は吉田古城を参考にしてください。駐車場から出丸を経由して徒歩数分の距離なので、一気に2城回りましょう。

間にある出丸跡は、現在は祠があり土塁や堀切がありそうですが藪でイマイチ。

二の郭から本郭の間には堀切に竹を束ねただけの簡単な木橋がかかっています。揺れるし滑るし手摺ないしでマジ怖いですが、スリルを楽しみたい方はぜひ。ちなみに、木橋を使わなくても横から堀切は渡れます(笑)

木橋を渡ると本郭の虎口と土塁があり、虎口が食い違いぽい配置になってる等、たしかに古城より技巧的に感じます。
しかし、本郭の下にある横堀と土塁は藪でほぼ確認できず…全体的には古城の方が満足度が高いかな?という感じです。もう少し藪刈りなどの整備がされれば逆転しそうですけど。

けど、どちらもコスパ最高な城。吉田古城とセットでぜひ~♪(´▽`)

2021年03月07日 OROKA参議
吉田古城[大島城  周辺城郭]



【シンプルだが侮れない、お手軽】

吉田本城は大島城の南西にある平山城です。詳細は不明ですが、あのステキすぎる未登録城・松岡城の松岡氏の家臣である吉田氏の居城のようです。

アクセスは、このスポットに向かって南から普通にアプローチしてください。最後に畑のような道に入るのが少し不安になりますが、その先にはキレイに草を刈り整備された駐車スペースと復元図の看板があります。そして、そこは本丸のすぐ横です。

伊那地区によくある、舌状台地の先端に作った典型的な城で、本丸あたりは畑になっていますが、とても見やすいです。
構造もいたってシンプル…ですが、侮っちゃなんねぇ。本丸前後を台地からぶった切る両堀切は、とにかくキレッキレのゴリゴリで深く鋭いです。

また、東側の堀切の先には櫓台とされる土塁とさらに続く尾根に堀切があり見応えがあります。

西側の堀切は壁面が改修されてますが、深さを味わう分には問題なし。大地が裂けたような土木量に感心しきりです。
あ、本丸にはほんの少しだけ土塁が残っています(笑)

駐車スペースから本丸まで20秒のお手軽城、大島城や松岡城のついでにぜひぜひ~♪(´▽`)

2020年09月20日 JC大宰大弐VD
原城[大島城  周辺城郭]



読み方は「はらんじょう」となります。Google Mapの検索で示された場所に、スポットを置かせていただきました。

2019年05月03日 はとまめ
二重の三日月堀と丸馬出[大島城  遺構・復元物]



二重の三日月堀と丸馬出が本当に見事です。
ここの馬出は現在、民家が立っているので入らないようにご注意下さい。

2019年04月30日 大隅守
駐車場[大島城  駐車場]

駐車場に説明板があります。

2018年05月09日 青コアラ美濃守
大島城

まずは駐車場に置いてある縄張図を手に入れましょう。この縄張図を見ながら歩いていると、駐車場から進入する道が本来の道ではなく、公園化にあたって造られた道である事に気付きます。この道の建設によって一部の土塁が破壊され、堀が埋められてしまっているようです。
これにより二の曲輪まで簡単に到達出来るようになっていますが、往時は二の曲輪と前面の馬出は木橋で結ばれていたようです。
この城最大の見所は何と言っても大手にある二重三日月堀ですが、その内側にある馬出は民家が建っていて見学出来ません。

2016年12月17日 カーネル
大島城

飯田線 山吹駅から

線路沿いに北に100mほど歩き、線路を越えて国道153号にぶつかったら左折して、100mくらいで右の斜面に入り込む坂を登ります

目指す台城公園は、地図で見ると北西と南東からアプローチできますが、北西の駐車場からだと、案内が充実しててよいかと思います。南東からも堀の底を歩いて公園に入れます

お城は、公園として整備されてますが、堀が深くて明瞭に残っているので、楽しめました

駅から公園まで片道20分、お城の滞在時間40分で合計1時間半弱を要しました

2016年04月30日 tossy
大島城

本丸と二ノ丸を分ける堀切に植えられたツツジが見頃でした。城跡も堀や土塁などの遺構がほぼそのまま残されていて見応えがありました。

2012年10月01日 三河守コーキしゃん
大島城

トイレ、駐車場は完備されています。

多少変革はされていますが、甲州流築城術を堪能できるお城です。

堀は谷の様に深く、迷路の様に複雑です。

丸馬出や三日月堀、土塁、堀底にある井戸等、見所満載です♪



2012年02月17日 赤いRVR甲斐守@松本
大島城

国道153号線から、台城(大島城)公園に行く道があります。駐車場完備(三日月堀を埋めて造った)です。

大島城の周辺スポット情報

 二重の三日月堀と丸馬出(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 馬出(遺構・復元物)

 原城(周辺城郭)

 吉田古城(周辺城郭)

 吉田本城(周辺城郭)

 天伯の城(周辺城郭)

 吉田城山城(周辺城郭)

 福与城(周辺城郭)

 桃井城(落合城)(周辺城郭)

 南方の城(周辺城郭)

 南方の城山城(周辺城郭)

 北の城(周辺城郭)

 沼ノ城(周辺城郭)

 山吹城(周辺城郭)

 山吹陣屋(周辺城郭)

 吉田南城(城・東城)(周辺城郭)

 吉田茶臼山城(周辺城郭)

 千駄木の城山城(周辺城郭)

 巻ヶ城(牧ヶ城・槙ヶ城)(周辺城郭)

 巻ヶ城支城(周辺城郭)

 茶臼山城(周辺城郭)

 上の城(周辺城郭)

 社人ヶ城(三人ヶ城)(周辺城郭)

 中の城(周辺城郭)

 本城(周辺城郭)

 北の城(周辺城郭)

 戸中城山城(周辺城郭)

 御城印・パンフレット置き場(トイレ前)(御城印)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 松川町資料館(その他)

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