鈴岡城(すずおかじょう)
鈴岡城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 長野県飯田市駄科1729(鈴岡城址公園)
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 小笠原氏
築城年
- 室町時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 小笠原氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- 県史跡(鈴岡城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
松尾城(長野県飯田市)[0.4km]
飯田城(長野県飯田市)[3.2km]
駒場城(長野県下伊那郡)[9.3km]
大島城(長野県下伊那郡)[13.2km]
船山城(長野県下伊那郡)[16.6km]
和田城(長野県飯田市)[20.6km]
飯島陣屋(長野県上伊那郡)[23.6km]
妻籠城(長野県木曽郡)[23.7km]
赤須城(長野県駒ヶ根市)[29.4km]
苗木城(岐阜県中津川市)[31.1km]
鈴岡城の解説文
[引用元:Wikipedia「鈴岡城」の項目]
鈴岡城(すずおかじょう)は、長野県飯田市にあった日本の城。
概要
鈴岡小笠原氏の居城である。小笠原氏は政康の死去後、府中(深志)小笠原氏、松尾小笠原氏、鈴岡小笠原氏に分かれて対立したが、鈴岡城は鈴岡小笠原氏の居城であった。
天文23年(1554年)、武田信玄の伊那侵攻に際して松尾小笠原氏の小笠原信貴・小笠原信嶺父子は信濃先方衆として活躍し、松尾城を回復したが、鈴岡小笠原氏[1]の小笠原信定は敗れ、落城した。
毛賀沢川の谷を挟んだ北側には松尾小笠原氏の松尾城があり、その後は松尾城の支城として使用された。現在は鈴岡公園として整備されている。
参考文献
- 南原公平 著『信州の城と古戦場』 しなのき書房 2009年
category:信濃国の城
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鈴岡城の口コミ情報
2024年08月24日 VTR美濃守シゲ
鈴岡城
鈴岡城跡とナビセットで二の丸の駐車場までご案内
城内まで車で行き 直ぐ横に空堀が有る超お得物件 堀も幅広で深く見応え十分です 二の丸まで車そしてトイレも完備 そして城エキス十分なお城是非リア攻めを
一枚目 二の丸と本丸間の空堀駐車場すぐ横
二枚目 二の丸切岸に横堀
三枚目 本丸の土塁
四枚目 本丸と出丸間の堀切 奥の切岸に土塁足してかなりの高さ
五枚目 二の丸の横堀
2024年04月01日 ほりーないと
西平城(城山)[鈴岡城 周辺城郭]
松尾城主小笠原貞宗の弟貞長を初代とした久米ヶ城の支城と考えられています。登城口から久米ヶ城がよく見えます。浄玄寺(飯田市山本)を目指すと大きな看板があります。
西平城の後背には梨子野山があり、清内路街道の梨子野峠に通じています。清内路街道は木曽へ通じる重要な道です。戦国時代には武田信玄により清内路関所が設置され、江戸時代も関所が置かれました。甲州征伐では松尾城主の小笠原信嶺は織田軍に寝返りました。
清内路関所跡には行ったことがありますが、梨子野峠ルートはなんとなくわかる程度でした。口コミを書くために地図を確認しました。その位置関係を知ると西平城が重要だとよくわかります。
今回参考にした中嶋豊さんのイラストマップ「信州山歩き地図」には"梨子野峠 清内路街道"①清内路関所跡②青木地区からの2つコースがあります。青木地区コースのマップは飯田市の山本公民館からの依頼により作成されました。山本公民館では久米ヶ城の狼煙リレーに子供たちが参加できる企画も行っています。西平城の登城路は歩きやすく、その整備にも関わっているのかなと思いました。山本地区の皆様、ありがとうございます!
2024年04月01日 たまちゃん
鈴岡城
外郭、2郭、主郭、出郭が城址公園になっています。外郭、2郭の一部、2郭の直下が駐車場になっています。2郭にトイレあり。
郭の間には堀切がありますが、郭間の比高差はほとんどなく3,40分あれば十分見て廻れます。
毛賀沢川を挟んで北側に松尾城址があり、橋で渡れますが、階段を登り降りします。
2023年03月12日 三河守ぱーる
鈴岡城
公園になっています。駐車場前から堀がお出迎え、とても素敵でした。毛賀沢川を挟んで松尾城があります。目の前に見え、歩いて行けますが、結構下までくだってまた登ってとなります。楽して車で移動…とするとかなり大回りになり悩ましいところです。松尾城のご親戚とは仲が悪かったようです。こんなに近いのに…壮絶な親族間喧嘩だなぁと思いました。最後の写真は松尾城からの鈴岡城です。
2021年05月05日 ほりーないと
神之峰城[鈴岡城 周辺城郭]
諏訪氏分流の知久氏が戦国時代に知久平城(飯田城の周辺城郭)から本拠地を移した標高771mの山城。ふもとに静岡へ続く秋葉街道が通っている。1554年に武田氏が伊那谷へ侵攻を開始。伊那谷の武将たちは降伏を決めた。知久氏だけは最後まで抵抗。神之峰城に籠城して戦い続けたが落城した。
現在、本丸などに多くのテレビ電波塔が建っている。このことは昔も今も伊那谷全体を見渡す事ができる要衝の地であることを物語っている。山頂まで車で行くことができる。土塁や堀はあまり発達していないが、地の利を最大限に活かした所堅固の城といえる。
逃げ延びた知久氏は下伊那郡喬木村阿島に旗本として復帰した。阿島陣屋には茶室・曙月庵が現存する。(一般公開はされていない)
2020年09月22日 織田上総介晃司
鈴岡城
二の丸まで車で行けて駐車場とトイレがあります。
車を降りて徒歩1分で規模の大きな空堀が見れるとはなんて贅沢なんだ!
二の丸には遊具もあり、空堀を見ながら遊べるとはなんて贅沢なんだ!
2018年06月25日 ソバッソ80.0
鈴岡城
300624情報
●松尾城跡公園から歩いて、谷に架かる橋を渡って登城可能(出郭に取り付く)、クルマで駐車場(2郭)まで上がる事も可能
●公園化されているが、郭、堀切、土橋などかなりキレイに残って見所多い
松尾城跡から橋を渡り10分ほど登る。出郭と表記された平坦地に取り付く
各郭間の堀切がとにかくエグい
2郭には総合遊具のようなモノがあり、親子がキャッキャしていてカワイイ。1郭は遊具なしで、大学生か若い社会人の男女グループが何やらキャッキャしていて感じ悪い。
5郭はヤブってて散策出来ず。資料には「松尾城跡と尾根が繋がっているため、端に段郭を設けている」と書かれているが未確認。
北西端に堀切表記あるがココも未確認。5郭から高台になっているコトだけ見て散策せず。
個人的には、4郭と2郭を接続していた土橋跡(かなぁ?)が、コンクリ舗装されているところです。
松尾城跡と鈴岡城跡、敵対勢力が谷を挟んで対峙した軍事拠点ですが、両方とも公園化されて憩いの場となっています。
ホッコリする城跡でした。
散策目安時間1時間(登城時間含む)
2012年01月25日 赤いRVR甲斐守@松本
鈴岡城
松尾鈴岡公園ですが、松尾城と比べて遺構の残りが良好。堀切がすごい!
鈴岡城の周辺スポット情報
堀切(遺構・復元物)
外郭(遺構・復元物)
空堀(遺構・復元物)
空堀(遺構・復元物)
二ノ丸(遺構・復元物)
出丸(遺構・復元物)
神之峰城(周辺城郭)
兎城(周辺城郭)
野田の狼煙台(野田の十三塚)(周辺城郭)
龍江城山城(周辺城郭)
小野郷城(城山)(周辺城郭)
鶯ヶ城(周辺城郭)
西平城(城山)(周辺城郭)
麦種城(周辺城郭)
茶臼山城(周辺城郭)
切石城(周辺城郭)
桜山城(鐘撞堂)(周辺城郭)
七々呼ばり物見(周辺城郭)
下の城(周辺城郭)
夜明山狼煙台(周辺城郭)
米山城(周辺城郭)
甲賀城(甲賀氏館・城)(周辺城郭)
荒城(周辺城郭)
山本陣屋(周辺城郭)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
毛賀沢水路橋(その他)