松尾城(まつおじょう)

松尾城の基本情報

通称・別名

所在地

長野県飯田市松尾代田1114(松尾鈴岡公園)

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

小笠原氏

築城年

室町時代?

主な改修者

主な城主

小笠原氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(松尾城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

鈴岡城(長野県飯田市)[0.4km]
飯田城(長野県飯田市)[2.8km]
駒場城(長野県下伊那郡)[9.7km]
大島城(長野県下伊那郡)[12.8km]
船山城(長野県下伊那郡)[16.2km]
和田城(長野県飯田市)[20.8km]
飯島陣屋(長野県上伊那郡)[23.2km]
妻籠城(長野県木曽郡)[23.7km]
赤須城(長野県駒ヶ根市)[29.0km]
苗木城(岐阜県中津川市)[31.2km]

松尾城の解説文



松尾城(まつおじょう)は、長野県飯田市(信濃国伊那郡)にあった日本の城。小笠原氏の居城であった。

概要 

小笠原家の拠点

小笠原氏は鎌倉時代に阿波国守護であったが、小笠原貞宗の代に建武の新政により信濃国守護となった。貞宗は伊那郡伊賀良荘の地頭で松尾出身と伝わり、松尾城は国府に近い筑摩郡井川館と並んで小笠原氏の重要拠点であったという。

小笠原家の分裂

応永7年(1400年)の大塔合戦で失った信濃守護を取り戻し、小笠原氏を再興した小笠原政康が嘉吉2年(1442年)に死去すると、政康の兄の子小笠原持長が家督相続を主張して内乱を起こし、文安3年(1446年)に政康の子小笠原宗康を漆田原の戦いで討ち取って南下し、国府を奪い府中(深志)小笠原氏となった。しかし、宗康は戦死前に伊那郡伊賀良荘松尾城に居た弟の松尾小笠原氏小笠原光康を後継者に定めており、これに対向した。

また、府中から光康の元に逃れた小笠原政秀(宗康の子)も鈴岡小笠原氏を起こし小笠原氏は3家に分裂した。政秀は、寛正2年(1461年)の光康の死により小笠原家の惣領の家督を継承したと見られ、小笠原清宗(持長の子)から府中を奪い返して、文明5年(1473年)には幕府から信濃国守護に任ぜられた。しかし、小笠原家をまとめ上げることはできず、小笠原長朝(清宗の子)を養子に迎え、再び家督を譲っている。

松尾小笠原氏の小笠原家長(光康の子)は政秀と共闘していたが、文明12年(1480年)に政秀と合戦となり戦死した。家長の子小笠原定基は明応2年(1493年)に政秀を暗殺し、鈴岡小笠原氏は滅亡した。

武田家、織田家の侵攻と転封

天文 (元号)3年(1534年)頃、松尾家の小笠原貞忠は府中家の小笠原長棟に敗れて甲斐国に逃れ、武田信玄に臣従したが、天文23年(1554年)武田氏の伊那侵攻で小笠原信貴・小笠原信嶺父子が信濃先方衆として活躍し、松尾城を回復した。

信嶺はその後、織田信長の甲州征伐の時には織田氏に降伏し、本能寺の変の後、徳川氏の家臣となった。徳川家康の関東移封の際、武蔵国本庄城に移り、松尾城は廃城となった。

主郭の標高は487メートル、本城跡は半島状の段丘に2つの郭で主要部が構成されている。現在、主郭と二の郭の一部が松尾鈴岡公園として整備されている。鈴岡小笠原氏の鈴岡城とは毛賀沢川を挟んで向かい側にある。

城主 

  • 小笠原光康
  • 小笠原家長
  • 小笠原定基
  • 小笠原貞忠
  • 小笠原信貴
  • 小笠原信嶺

参考文献 

  • 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年
  • 南原公平 著『信州の城と古戦場』 しなのき書房 2009年

category:信濃国の城

松尾城の口コミ情報

2023年08月05日 ほりーないと
小林城[松尾城  周辺城郭]



「この道は小林城へ続いているのですか?」と近所の方に聞いてみると小林城まで案内をしてくれました。現在、小林城は畑などになっていて場所を確認していても、お城あるあるの入りにくい所にあります。この道(写真④)というのは知久平城と神之峰城を結ぶ古道だと思われます。

小林城は知久氏の一族のお城です。知久氏は戦国時代に知久平城から神之峰城へ本拠地を移しています。写真のとおり遺構はほとんど残っていません。地元でもここにお城があった事を知らない人が多いです。

お城の近くには重要な道がある事がほとんどです。人が歩かなくなった道は荒廃し、通れない道となってしまいます。小林城は旧拠点と新拠点を結ぶ道がそのまま残っています。江戸時代には秋葉街道として、この道を多くの旅人が通行したと思います。

小林城を案内してくれた方の話では、地元の子ども達と古道を歩くイベントをした事があるそうです。遺構だけではなく、お城を結ぶ古道も大切していきたいと思いました。

2022年11月01日 RED副将軍
久米ヶ城[松尾城  周辺城郭]



松尾小笠原氏の支城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

貞和年間(1345年〜1350年)に小笠原貞長により築城されたと云われます。
小笠原貞長は、信濃国守護職の小笠原貞宗の弟です。
南北朝時代は、小笠原氏は北朝方に付き、久米ヶ城は南信の南朝方に対する拠点として築かれた様です。
嘉吉年間(1441年〜1443年)に小笠原氏は府中小笠原氏、松尾小笠原氏、鈴岡小笠原氏に分裂。久米ヶ城は松尾小笠原氏の本拠地の松尾城の支城として機能しました。
1534年、松尾小笠原氏の小笠原貞忠は府中小笠原氏の小笠原長棟に降伏。甲斐に逃れて武田氏に降ります。
1545年、甲斐武田氏が侵攻。武田氏に庇護されていた小笠原貞忠の子である小笠原信貴が松尾城に復帰。さらに鈴岡城も落として鈴岡小笠原氏も滅ぼしました。
1582年に織田信長が信濃に侵攻すると降伏して織田氏に降ります。
同年に本能寺で織田信長が没すると、徳川家康に降り、所領は安堵。
1590年の小田原征伐後に徳川家康が関東に移封されると 小笠原氏も関東に移ったため松尾城とともに廃城になりました。

見所
標高733.1mの城山山頂に築かれていますが、公園として整備され、山頂まで車で登れます。
結構立派な模擬櫓や冠木門が建てられ、公園化により改変されています。
尾根筋に堀切が残る様ですが激ヤブで入ってません。

2022年10月08日 RED副将軍
松尾城



信濃小笠原氏の分立した3家のひとつである松尾小笠原氏の本拠地🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。
室町時代に信濃国守護の小笠原氏によって築かれたと云われます。
1402年、一時は斯波氏に信濃国守護を取り上げられていた小笠原氏を再興した小笠原政康が没すると家督争いが勃発し、府中、松尾、鈴岡の小笠原三家に分裂しました。

以下、小笠原三家の争いの変遷
小笠原政康の兄の子である小笠原持長は、小笠原政康の嫡男である小笠原宗康を討ち取り、国府を奪って府中小笠原氏を名乗ります。
小笠原宗康の後継者で、その弟の小笠原光康は、松尾城を拠点として松尾小笠原氏に。
小笠原宗康の嫡男の小笠原政秀も鈴岡城を拠点として鈴岡小笠原氏を起こしました。
当初は小笠原政秀は小笠原光康を頼っていましたが、結局は所領を巡り争うことに。
小笠原光康の死をきっかけに一時は小笠原政秀が小笠原氏を統一して信濃国守護に任ぜられましたが長続きせずに府中小笠原氏から養子を迎えて家督を譲っています。
1480年、松尾小笠原氏の小笠原家長は、鈴岡小笠原氏の小笠原政秀との合戦で戦死します。
しかし、1493年、小笠原家長の嫡男の小笠原定基は、小笠原政秀と嫡男の小笠原長貞を松尾城にて謀殺。遂に鈴岡小笠原氏は滅亡します。
1534年、松尾小笠原氏の小笠原定基は、府中小笠原氏の小笠原長朝に敗れて甲斐へ逃れ武田氏に降りました。
1554年、武田氏が伊那へ侵攻。その際には小笠原定基の子の小笠原信貴が先鋒を務め、鈴岡城を落城。その後、松尾城主に復帰しました。

1582年、織田信長が信濃に侵攻すると、小笠原信貴の子の小笠原信嶺は降伏。
織田信長が没すると、徳川家康に降り旧領は安堵。
1590年、徳川家康が関東に移封となると小笠原氏も従い武蔵国本庄へ移ったため廃城となりました。

見所
毛賀沢川に面する河岸段丘に築かれています。
対岸の鈴岡城と合わせて松尾鈴岡公園として整備されています。
見所は主郭と二郭を隔てる空堀かと思います。公園化による改変はありますが城跡の地形が残っています。
広大な城郭でしたが、主郭と二郭以外は宅地または農地となりほぼ消失しています。

2021年11月06日 ほりーないと
久米ヶ城[松尾城  周辺城郭]



【狼煙リレーのポスターより】
戦国時代の知将武田信玄が、情報伝達の手段として伊那谷から甲斐へと築いた「武田信玄の狼煙」を再現し、「世代を超えて地域の歴史文化を学び、地域と地域、人と人との交流・連携」を伊那谷から山梨へ繋ぎます。

【久米ヶ城の狼煙】
四方を見渡す事ができ、他の狼煙台からも久米ヶ城がよく見えます。
2021年10月30日に狼煙リレーを初めて見ました。約8km離れた「極楽峠」から狼煙が上がると「狼煙が上がったー!」と大きな声を出してしまいました。久米ヶ城の狼煙を上げると天竜川対岸から狼煙が次々と上がりました。
11時に飯田下伊那地区をスタートした狼煙は、約30分後に上伊那地区の陣馬形山へリレーされました。13時過ぎに甲斐国の躑躅ヶ崎館にゴールしました。

【写真】
①「極楽峠」から見た「久米ヶ城」
手前の山が久米ヶ城です
②「久米ヶ城」から「極楽峠」の狼煙を見る
③「久米ヶ城」の狼煙
④天竜川対岸の狼煙
⑤「陣馬形山」
よく見ると山頂付近で狼煙が上がっています

2021年09月06日 ほりーないと
久米ヶ城[松尾城  周辺城郭]



標高733mの山城、由来などは説明板の写真をご覧下さい。山頂までクルマで行くことができ、南信州を一望することができます。遺構はあまり残っていません。
眺めが良く、気軽に行けるので、お城ファンでない方もよく来られています。模擬櫓の展望台があり「城山って呼ばれているから、ここにお城があったんだ」と地元の人にとって身近に感じるお城の一つです。
写真をした登城日は天気があまり良くなかったので、お城からの眺めを撮影できませんでした。天気が良い日に再登城して撮影したいです。(天気が良い日に撮影できた時は写真を追加します)

2021年07月05日 くっしー民部大輔尚人
松尾城



松尾鈴岡公園として整備されています。なので、駐車場とトイレがちゃんとあります。そして、主郭がいかにも公園という感じなんですが…主郭と二の郭の間が谷になっていてアスファルトの道が南に続いているのですが、これが大きな堀ですね。そういった目で見ていくと、他にも空堀や出丸のような平坦面群など、あちこちにあります。

その踏査を助けてくれるのが、説明看板に描かれている縄張図です。これ下伊那農業高校の社会科研究班によって作成されているそうです。かなりしっかりとした図面ですよ!!30分しか滞在していないので、全体像はよくわかりませんが、一日かけて踏査すると面白いと思います!!!

2021年06月18日 ほりーないと
開善寺[松尾城  寺社・史跡]



1582年、織田軍の信濃侵攻により焼き払われ、この寺の梵鐘が奪われた。陣鐘として打ち鳴らしながら北へ進み、高遠城へ運ばれた。現在は伊那市高遠の桂泉院(高遠城内にあった法幢院)の梵鐘として長野県宝指定。開善寺(飯田市)から高遠城は約60km離れている。

【歴史】1335年に信濃守護の小笠原貞宗が清拙正澄を招き開山し、信濃国最大の禅寺として栄えた。二度の火災により衰退、1549年に松尾城主の小笠原信貴が再興。1582年に織田軍の信濃侵攻により再び焼失。1601年に飯田城主の京極氏が再興し妙心寺派に転派。

写真1 開善寺の現在の梵鐘
写真2 織田軍の兵火を免れて現存する山門(重要文化財指定)

2021年06月02日 ほりーないと
松尾城



昭和と江戸時代の農業用水が交差する松尾城。水田となっている遺構が多くあります。写真の棚田は東側にある「サカヤシキ」です。水田の水源を辿ると廃城後の歴史を感じる事ができます。

[毛賀沢水路橋]
昭和25~43年に造成された「竜西一貫水路」の構造物。鈴岡城との遊歩道としても使われている。
[九十九折井(つづらい)]
延宝7年(1679年)に開削された。毛賀沢川の取水口には水神様を祀っている。

2020年12月29日 装鉄城大膳大夫乱怒
松尾城

松尾城は電車で行く場合、JR飯田線毛賀駅から行くが非常に大回りしないといけません。駄科駅から鈴岡城経由で行くのが早いです。
鈴岡城から徒歩約10分で到着

2018年06月25日 ソバッソ80.0
松尾城

300624

●城跡公園として整備、駐車場無料、トイレ、自販機有り
●鈴岡城跡と河川を挟んで対峙しており、城域南西端に強固な防御設備があるようだが、ヤブで確認出来ず。
●他遺構に関しては公園化農地化の折の改修を受けたか、大半を発見出来ず。

①見所は1郭から南東出郭様の大土塁間に入る堀切。
②1郭と2郭間、北西の堀切跡に設備されたブランコ。
主郭から西を見下ろすと土塁があるらしいですが、ヤブってましたので分かりません。
マジメに散策して損した気分でした。

城跡の平和利用として、公園化されたとてもゆったりした光景に癒されました。
散策は10分そこそこに、ささっと堀跡を確認したら、鈴岡城跡に行くのがおススメです。

2012年01月25日 赤いRVR甲斐守@松本
松尾城

松尾城と鈴岡城は、松尾鈴岡公園として整備されています。両者の間には伊賀良井の深い渓谷があり、戦国時代の分裂して争っていた小笠原氏の関係を感じることができます。両者とも堀切がすごい!

松尾城の周辺スポット情報

 久米ヶ城(周辺城郭)

 小林城(周辺城郭)

 松尾館(松尾城)(周辺城郭)

 開善寺(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 毛賀沢水路橋(その他)

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