飯田城(いいだじょう)

飯田城の基本情報

通称・別名

長姫城

所在地

長野県飯田市追手町

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

坂西氏

築城年

13世紀前期

主な改修者

秋山虎繁、毛利秀頼、京極高知

主な城主

坂西氏、秋山氏、毛利氏、京極氏、小笠原氏、脇坂氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、赤門、八間門(移築)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

松尾城(長野県飯田市)[2.8km]
鈴岡城(長野県飯田市)[3.2km]
大島城(長野県下伊那郡)[10.5km]
駒場城(長野県下伊那郡)[11.9km]
船山城(長野県下伊那郡)[13.7km]
飯島陣屋(長野県上伊那郡)[20.5km]
妻籠城(長野県木曽郡)[23.0km]
和田城(長野県飯田市)[23.2km]
赤須城(長野県駒ヶ根市)[26.4km]
苗木城(岐阜県中津川市)[31.5km]

飯田城の解説文

飯田城(いいだじょう)は、長野県飯田市にあった城郭。江戸時代には飯田藩の藩庁が置かれた。

概要
13世紀初めに小笠原氏の一族の坂西(ばんざい)氏により築かれたといわれる。戦国時代には武田家の支配するところとなり、伊奈郡代となった配下の秋山信友により強固な城へ改修された。

武田氏滅亡後は毛利秀頼、京極高知が入り、この頃に近世城郭としての姿が整えられた。江戸時代になると小笠原氏1代、脇坂氏2代と続き、寛文12(1642年)堀親昌が2万石で下野烏山より入封し、以後明治維新まで飯田城に居を構えた。

構造
城は天竜川の支流の松川と野底川にはさまれた河岸段丘の先端部分を利用して築かれた平山城である。

縄張りは、城郭の東部に本丸を置き、断崖に面して西部に向かって二の丸、桜丸、出丸と曲輪を配していた。建造物としては、東西南北100mの規模で土塀に囲まれた本丸御殿を中心に、7棟の建物が建てられていた。

遺構
現在、城の遺構はほとんど残っていないが、本丸は神社境内となり、石塁、空堀と土塁の一部が残っている。二の丸は美術館に、藩主の居館のあった桜丸は合同庁舎として利用され、わずかに桜丸水の手門の石垣が残っている。

建物としては、赤門とも呼ばれる桜丸御門が城内に、桜丸の門が市内上郷別府経蔵寺に、それぞれ移築され現存する。また、市内松尾久井の民家に、文禄年間の建築ともいわれる八間門が移築現存する。

飯田城の口コミ情報

2021年07月20日 ほりーないと
知久平城[飯田城  周辺城郭]



1200年代前半承久の乱の後に、知久氏(諏訪氏の分流)が上ノ平城(上伊那郡箕輪町)より下伊那に移り知久平城を築き居館とした。1500年前後に神之峰城へ本拠地を移して支城となった。1554年に武田氏が伊那谷侵攻、神之峰城が落城し、知久氏は一時滅亡した。
1582年、家康の名により田峰城(愛知県北設楽郡設楽町)の菅沼氏が入城した。今日に残る知久平城址跡は菅沼氏が拡張した跡地である。
現在は小学校、市役所支所などが点在する。

写真1 出丸
本丸の北西端の三方直立の崖上にある。
写真2 三の丸土塁跡
わずかに残る土塁跡。幅11m・長さ100mと推定される。
写真3 知久平諏訪社
知久平城址に隣接する古社。神社横には堀跡の田んぼ(休耕田かも)がある。式年御柱祭が開催され、水が張られた田んぼに御柱を落とす「木落し」が行われる。

2021年07月17日 ほりーないと
松岡城(松岡本城)[飯田城  周辺城郭]



【松岡城】
天竜川の河岸段丘を利用して築城された城。舌状の段丘先端から本曲輪、二の曲輪、三の曲輪と作られています。城内の大部分が開墾されて田畑となっていますが、深く掘られた数条の掘跡は概ね現存しています。
写真1 二の掘
写真2 一の掘
写真3 山麓虎口
写真4 東側斜面にある横掘

【松源寺と井伊家】
松岡城の五の曲輪にある寺。松岡氏によって建立された。今川氏に追われた井伊直親(井伊直政の実父)が12年間にわたって匿われた。その時に代官の娘と間に1男1女を儲けたとされ、その子孫が江戸時代に飯田城下町へ移住し、飯田井伊家として現在まで継続しています。
写真5 本曲輪からの眺め(浜松方面を望む)

2021年07月04日 くっしー外記尚人
飯田城



現在、長姫神社の本殿がある所に飯田城の本丸があったそうです。説明看板には、空堀や石垣が残ると書かれているのですが、どれかわかりませんでした。

2021年07月03日 刑部卿 山城守pi_pua
飯田城

2021年7月2日攻略。遺構はほとんど確認できません。本丸跡には神社が有り、二の丸や三の丸には公共施設などが配置されています。飯田市街地と隣接しておりアクセスは容易です。

2021年05月10日 ほりーないと
富田城[飯田城  周辺城郭]



神之峰城(鈴岡城の周辺城郭)の北側にある支城。武田氏が伊那谷へ侵攻を開始。神之峰城の知久氏だけは最後まで戦う事を選択。富田城はその戦いで焼き払われた。

主郭まで車で行く事ができる。天竜川が流れる伊那谷は河岸段丘のため、眺めは対岸のみとなる。富田城は西岸も東岸も眺める事ができる。遺構はあまり残っていないが、この眺めはオススメである。

春には桜が咲く。地元でもあまり知られていない城なので、隠れた桜の名所かもしれない。

2021年04月13日 シゲシゲ右兵衛佐信繁
飯田城

桜町駅方面から銀座4丁目の信号を左折すると突き当たりが長姫神社です。そこが飯田城のあった場所の様です。手前の図書館に赤門がありました。

2021年04月05日 愛城愛国タッキー
松岡城(松岡本城)[飯田城  周辺城郭]

【松岡城の歴史】
松岡城が作られたのは南北朝時代で敵の攻撃を防ぐことが大きな役割であったため、階段状の地形(河岸段丘)を活かして作られた。
堀、土塁等で作られ、土の城として機能し、戦国時代まで整備された。

【松岡氏】
平安時代に松岡氏が始まったという。今の高森町あたりを自治。南北朝時代に松岡城を作り、拠点としていたが、戦国時代終わり頃に徳川家康によって改易された。

【亀之丞(井伊直親)】
井伊直政の父である亀之丞は九歳の時に命を狙われ、井伊氏に関わりがあった松源寺に逃れ、10年の時を過ごした。
(大河ドラマでも紹介されていたような気がします。)

2021年04月05日 愛城愛国タッキー
松岡古城[飯田城  周辺城郭]



松岡氏が松岡城に移るまでの居城。現在、南東の窪地が堀と見られています。少し、高くなっているところにあり、石碑と説明板もあります。
松岡城と同じように高森町史跡で、しっかりしています。
松岡城リア攻めの際に一緒に行くと良いと思います。

2021年04月04日 美濃守さとみっくす
松岡城(松岡本城)[飯田城  周辺城郭]



なかなか綺麗な城。この辺りに来たならば行くべき城。また、松岡城に行ったらすぐそこの松岡古城にも行くべき。

2021年04月04日 愛城愛国タッキー
松岡城(松岡本城)[飯田城  周辺城郭]



雨の中、松岡城に行きました。雨でも十分楽しめる城。

五の曲輪の駐車場から四の曲輪へ行き、三の曲輪に入る前の三の堀がもう迫力です。もういきなりやられますね。それでもなんとか三の曲輪に入り、二の曲輪へ入ろうとするとおそらく城内で最も深い堀に出逢います。この堀には入れるようになってますね。

二の曲輪は松岡開祖五百年碑があります。次の本曲輪は堀に続いて土塁もあります。土橋の左の土塁には出構があります。土橋への横矢が効いてますね。本曲輪は入ると結構広いです。一番奥に松岡城の石碑があります。景色が雨だったので雲が山にかかって綺麗でした。本曲輪から下は帯曲輪が連なっています。時間がなかったので帯曲輪の説明板があるところから引き返して本曲輪の下(犬走のようなところ)を通って二の曲輪に行きました。詳しくは駐車場付近に置いてあるパンフレットを見てください。

なかなか良い城でした。3000城の中に入ってないのが惜しいくらいです。日本にはこんな感じに3000城に入ってなくても良い城はあるので是非、自分で調べて3000城以外の城へも行ってみてください。

2020年11月02日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
松岡城(松岡本城)[飯田城  周辺城郭]



とにかくすごい!案内してくれた南信のお友達にただただ感謝。帯曲輪より下までいかなければ足腰の丈夫でない方でも十分楽しめます。これで未登録とは勿体ないと思います。
写真は二の堀、本丸下帯曲輪などですが、規模の割には短時間で楽しめるからオススメです。

2020年09月22日 織田上総介晃司
飯田城

朝駆け(早朝)めぐらーさんに朗報です。

早朝は合同庁舎・図書館や美術館の駐車場は柵がされて駐車できませんが図書館の臨時駐車場には停める事ができます。(リア攻めマップ参照)

2020年02月18日 OROKA和泉守
知久平城[飯田城  周辺城郭]



下久堅保育園や小学校を中心とした、町の一帯が城跡となってます。本丸は畑になっていて、明確な遺構は外郭くらいです。
全体的に薄~い土塁や空堀ですが、地図と比較しながら町に残る遺構探しの散歩をしてみるのは結構楽しかったです♪

2020年01月04日 OROKA和泉守
座光寺北本城[飯田城  周辺城郭]



ナビ等で座光寺小学校を目指してください。城跡はほぼ小学校になっております。駐車場は特にないので私は校門の横に案内板があるのでその付近に路駐させていただきました。(自己責任で)

本郭は学校で遺構が消えているものの、周辺には遺構が結構残っているので散策してみると意外と楽しめます。
見所は座光寺保育園沿いの土塁、耕雲寺前から続く空堀と堀底道でしょうか。学校の中には井戸跡や土塁がありそうですが不審者扱いは怖いので休日でも入れずf(^_^;

全体的な雰囲気としては「館跡」で防御施設は南本城と比べると弛い…けど、ガチガチに固めてある山城の南本城よりも高い位置にあるというのが面白い。これが南信の館の特徴なのか、南本城は織田家の侵攻に備えた武田家が改築したという説の裏付けになるのか…想像が膨らみますな。

2020年01月03日 OROKA和泉守
座光寺南本城[飯田城  周辺城郭]



元善光寺のすぐ西にある麻績神社の裏手の山が城になります。麻績神社には広い駐車場もあります。
神社から本丸は登り10分強ほど。木々が多いものの、それなりに整備されてるので見やすいです。見所は各竪堀と土橋、本丸の土塁や奥にある馬出です。
探せばいろんな遺構の出てくる良い城です。元善光寺と一緒に見学しては(´▽`)

2019年05月06日 はとまめ
井戸跡[飯田城  遺構・復元物]



飯田城二ノ丸跡の一部は現在、美術博物館になっています。
窓越しに骨格模型が見えるのでこの場所の井戸は写真を撮ると不思議な写真になります。
また安富桜と呼ばれる樹齢450年の桜の巨木があり、見応えがあります。

この美術博物館では飯田城の散策マップがもらえます。
変わった外観は京都駅等をデザインした建築家が飯田を囲む山々を表現したそうです。また飯田出身の明治の日本画家、菱田春草の常設展もあります。

2019年05月06日 はとまめ
櫓台跡石垣[飯田城  遺構・復元物]



飯田城本丸の石垣です。昔はこの上に白塀が巡らされていたと言われています。長姫神社の本殿の後ろにあり敷地を通らないと見れないので、見る場合は失礼の無いようにお願いします。(石垣の一部だけなら三宜亭という温泉旅館側からも見えます)

2019年05月06日 はとまめ
水の手御門跡(石垣)[飯田城  遺構・復元物]



飯田城の水の手御門跡の石垣です。
追手町小学校(昔の出丸)と民家の間の細い道を下っていくとあります。
この石垣の少し上。駐車場を挟んで反対側の民家の床下にも少し石垣が見えますが、それは二の丸に続いていた土橋の跡です。

2019年05月03日 はとまめ
赤門(桜丸御門)[飯田城  遺構・復元物]



飯田城の桜丸の正門。弁柄で赤く塗られており通称赤門と呼ばれています。
普段は門は閉まっていますが道向かいの小学校(有形文化財)の入学式の頃には門が開きます。この赤門を含め、飯田城の門は4ヶ所が移築されて残っています。

2015年05月01日 まー刑部卿
飯田城

駐車場は美術館の駐車場を利用すると良い。休館日でも第一駐車場は開いているので停めてください。見所はあまりありません。桜門くらい。

2013年09月15日 傾奇揚げ仙兵衛
飯田城

国道沿いに模擬天守発見!「お菓子の里 飯田城」
赤飯まんじゅうが名物らしい

2011年02月03日 御屋形
飯田城

飯田市美術博物館の駐車場が良いかと思います。

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