知久平城
知久平城([飯田城 周辺城郭])
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知久平城の口コミ情報
2024年09月09日 RED副将軍
飯田下伊那の有力豪族である知久氏の居城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。鎌倉時代に知久氏によって築かれたと云われます。
知久氏は諏訪大社大祝神氏の支流とされ、鎌倉時代に上伊那郡箕輪上の平より地頭として知久平に築城したのが始まりとされます。
室町時代には新たに神之峰城を築いて居城を移し、知久平城は出城となったとされます。
1542年に武田信玄が伊那に侵攻すると当主の知久頼元も周辺の在地領主と同様に武田氏に帰順。
しかし1553年の第一次川中島の戦いに際して知久氏は座光寺氏らとともに武田氏から離反し反旗を翻します。翌1554年に武田氏は伊那に侵攻し神之峰城は落城。知久氏は没落しましたが、江戸時代には旗本として再興しています。
1582年、武田氏が織田信長によりに滅亡すると、知久平城には徳川家康の家臣である菅沼定利が入城。
1590年に徳川家康が関東移封となると菅沼氏も上野国に移り、知久平城は廃城となりました。
見所
天竜川東岸の河岸段丘上に築かれています。
北から南へ出丸・本丸・二の丸・三の丸・馬出と連なっていましたが、宅地または耕作地となり遺構の大半が消失。
本丸と二の丸の間の空堀は何となく分かりましたが、三の丸の土塁は判別できませんでした。
2021年07月20日 ほりーないと
1200年代前半承久の乱の後に、知久氏(諏訪氏の分流)が上ノ平城(上伊那郡箕輪町)より下伊那に移り知久平城を築き居館とした。1500年前後に神之峰城へ本拠地を移して支城となった。1554年に武田氏が伊那谷侵攻、神之峰城が落城し、知久氏は一時滅亡した。
1582年、家康の名により田峰城(愛知県北設楽郡設楽町)の菅沼氏が入城した。今日に残る知久平城址跡は菅沼氏が拡張した跡地である。
現在は小学校、市役所支所などが点在する。
写真1 出丸
本丸の北西端の三方直立の崖上にある。
写真2 三の丸土塁跡
わずかに残る土塁跡。幅11m・長さ100mと推定される。
写真3 知久平諏訪社
知久平城址に隣接する古社。神社横には堀跡の田んぼ(休耕田かも)がある。式年御柱祭が開催され、水が張られた田んぼに御柱を落とす「木落し」が行われる。
2020年02月18日 【G6】OROKA参議
下久堅保育園や小学校を中心とした、町の一帯が城跡となってます。本丸は畑になっていて、明確な遺構は外郭くらいです。
全体的に薄~い土塁や空堀ですが、地図と比較しながら町に残る遺構探しの散歩をしてみるのは結構楽しかったです♪