峯高寺
峯高寺([飯田城 寺社・史跡])
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峯高寺の口コミ情報
2023年06月27日 ほりーないと
飯田城主 小笠原秀政の正室・福姫(登久姫)が眠るお寺です。福姫は松平信康と五徳姫の娘で、徳川家康と織田信長の孫娘にあたります。秀政は、疱瘡により31歳で病死した福姫の菩提を弔うため、毛賀村(飯田市松尾)にあった慶林寺を城下へ移し、福姫の法名にちなんで「峯高寺」と改めました。宝篋印塔の墓石には徳川家の家紋"三葉葵"が刻まれています。昭和22年(1947)の飯田大火で古い建物はすべて焼失しました。
地域おこしとして、ひさかた和紙&飯田水引で"福姫のしおり"を作っています。飯田藩領内は古くから和紙の産地で、その和紙から"元結"が作られて江戸時代に特産品となりました。明治時代の断髪令により元結の需要が減り、元結を改良した水引が作られるようになりました。手漉き和紙は昭和30年代頃に途絶えました。現在、飯田市下久堅では"ひさかた和紙"の復活に取り組んでいます。和紙の材料である楮(コウゾ)を育てて、ほぼ手作業で和紙を作っています。楮畑は知久平城跡にあります。
"福姫のしおり"の販売店の店長さんが、松本城おもてなし隊の登久姫(福姫)が有名なので福姫が飯田城で過した事を知らない人が多い、このしおりを通じて福姫を知って欲しいと話していました。