岩村城(いわむらじょう)

岩村城の基本情報

通称・別名

霧ヶ城

所在地

岐阜県恵那市岩村町

旧国名

美濃国

分類・構造

梯郭式山城

天守構造

なし

築城主

遠山景朝

築城年

承久3年(1221)以降

主な改修者

河尻秀隆、各務元正

主な城主

遠山氏、森氏、大給松平氏、丹羽氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、移築門

指定文化財

県史跡(岩村城跡)

再建造物

藩主邸、石碑、説明板

周辺の城

明知城(岐阜県恵那市)[8.1km]
久須見城(岐阜県恵那市)[15.0km]
小里城(岐阜県瑞浪市)[15.5km]
武節城(愛知県豊田市)[17.0km]
鶴ヶ城(岐阜県瑞浪市)[17.0km]

岩村城の解説文

岩村城(いわむらじょう)は岐阜県恵那市岩村町にある中世の日本の城(山城跡)で、江戸時代には岩村藩の藩庁であった。付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城とも呼ばれる。岐阜県指定史跡。

概要
岩村城は恵那市の南部に位置し、明知鉄道明知線岩村駅の南東に位置する城山山上にある。本丸が諸藩の居城中最も高い海抜717mに位置していた。このため、日本三大山城の一つに数えられている。「女城主おつやの方」の悲哀の物語が残る。

歴史・沿革
戦国時代以前
鎌倉幕府の征夷大将軍源頼朝の重臣加藤景廉の長男遠山景朝が築き、その子孫の岩村遠山氏が戦国時代に至るまでこの地を治めた。

景朝が遠山荘に赴任した鎌倉時代中期頃には平坦部に築かれた砦あるいは城館的なものであり、織田氏・徳川氏・武田氏の抗争が激しくなった戦国時代末期の16世紀中に遠山氏・武田氏の手で本格的な城山が構築されていったとみられる。遠山氏の菩提寺であった大圓寺 跡や古市場という遺存地名からも、当初は富田・大円寺に城館や城下町があったと考えられている。

太平記の1337年(南朝:延元2年、北朝:建武4年)金ヶ崎城の戦いにおいて「美濃霧城遠山三郎」なる名が出る事から、鎌倉時代の終わりには諸国に認知される遠山氏の城が存在している事が分かる(ただし巖邑府誌では霧城とは当時の遠山氏諸城の通称で、太平記の霧城が現在の岩村城の場所にあったかは分からないとしている)。なお同記述によれば遠山三郎が城を捨てて逃げ行方知れずとあり、景廉・景朝の嫡流は一度ここで断絶している。

戦国時代・安土桃山時代
1570年(元亀元年) 遠山氏最後の城主は遠山景任であったが、甲斐国の武田氏の家臣で、信濃伊那郡の大島城を拠点に伊那郡代であった秋山虎繁(信友)が東濃に侵攻、上村での戦いに勝利し西進してきたが、織田信長の武将、明智光秀が小田子村でこれを撃退した(上村合戦)。
1571年(元亀2年) 12月3日、景任が病没すると信長は5男で幼少の坊丸(織田勝長)を遠山氏の養子とした。後見は信長の叔母にあたる女性(通称はおつやの方など)で幼少の養子に代わって女城主として差配を振るった。
1572年(元亀3年)10月、信玄は大軍を率いて遠江の徳川家康を攻撃するために出陣し、同時に再び虎繁に岩村城の攻略を命じた。しかし、城はこの際も容易に落ちなかったが、翌1573年(元亀4年)2月末に虎繁は夫人を説得し妻に迎え、翌3月に岩村城は落城した(岩村城の戦い)。
1575年(天正3年) 同年5月21日の長篠の戦いの後、武田勢が弱体化した期に乗じ信長は岩村城奪還を行った。信長は嫡男・信忠を総大将に攻城戦を行い5ヶ月にわたる戦闘の後、武田勝頼の後詰が間に合わず城は陥落した。開城の際、虎繁の助命が約されていたが織田方はこれを翻し、虎繁夫妻ら5名が長良川河川敷で逆さ磔となり処刑された。織田方の城となった後、河尻秀隆が城主となり城の改造を行い現在の城郭に近いものとなった。
1582年(天正10年) 河尻秀隆が甲斐国に移封となると、団忠正の居城となるが3ヶ月と経たぬ内に本能寺の変で忠正は戦死。岩村城は信濃国から戻った森長可が接収し、長可死後は森忠政が引き継いだ。この時の城代となった森氏家老、各務元正は、この後約17年を費やし近代城郭へ変貌させ、現在の城郭が完成した。
1584年(天正12年)、小牧・長久手の戦いにおいて、徳川家康の元に逃れていた明知遠山氏の遠山利景が攻め寄せるも、元正により退けられる。
1599年(慶長4年)豊臣秀吉の死後、森忠政が信濃国松代に移封となると田丸直昌が入城。...

岩村城の口コミ情報

昌幸武蔵守10/24下越様[2017年10月12日]
岩村歴史資料館から登城。

6段石垣と出会った後、本丸直行もアリですが、周回し南曲輪・出丸・二ノ丸訪問もいかがでしょうか?
曲輪までの2つの堀切はこの城の中で唯一
戦国時代を感じさせます。
出丸からの2段高石垣も見事です。
二ノ丸は草ぼうぼうですが、そこにある弁天池は掘り下げたところを石で囲ってます。
当時としては画期的だと思います。

もちろん石垣を見ているだけでも楽しくなってくる城です。
土岐門・畳橋・追手門と三重櫓・本丸のたくさんの虎口跡…
当時がどうだったか想像したくなります。

織田大宰大弐晃司様[2017年09月26日]
駐車場は藩主邸太鼓櫓のある岩村歴史資料館からの徒歩ルートと、本丸近くの出丸広場駐車場がありますが、途中の車道は狭く、対向車が来るとオーマイガーです。

六段壁は圧巻。

岩村城に来たら麓の城下町にも足を運んでみては。風情あります。

城下町の蕎麦屋さんで昼食を摂りました。お店の都合で11:30の開店でしたが、1時間後には蕎麦の売り切れ?で営業終了。
かなりの人気店。
蕎麦湯もちゃんと出てきました。

和菓子屋さんで栗きんとんを購入。
城友さんの情報ではかなり美味しかったらしい。
人へのお土産にせず、自分ちで食べればよかった…

木島谷和泉守山ちゃん様[2017年09月14日]
100名城スタンプ、岩村歴史資料館が休館日の場合、岩村コミュニティーセンター内にありました。
(岩村振興事務所は休館していました。)

コナン遠江守様[2017年09月05日]
岩村町歴史資料館から登城するのがおすすめです。登城コースに次々と現れる石垣は必見です。
説明板のQRコードで再現CGが見ることができます。畳橋-枡形門-三重櫓の構造は是非見てください。資料館で復元の募金をしていますが、まず、ここの一画から始めてほしいです。

雪風薩摩守@第16駆逐隊様[2017年08月27日]
岩村城の北西約1㎞のところ、国道363号沿いの資料館入口近くの小高い丘の上に大将陣があります。
現在は大将陣公園となっています。

岩村城を包囲した際、織田信忠が本陣を置いた場所とされています。

また大将塚と言われる塚もあり、岩村城に籠って戦った秋山虎繁、おつらの方ら5人を処刑し葬った場所と伝えられています。
(処刑場所については岐阜に連行され長良川で…の説もあり)

太平洋戦争時も軍事施設として使われたらしいので、詳しい遺構ははっきりしません。
駐車場はありません。
比高20m。
国道沿いの入口道標から主郭まで徒歩約5分です。

岩村城に登城した際は是非お立ち寄りいただき、ここからの岩村城を眺めてもらいたいものです。
信忠が、秋山夫妻らがどんな思いで岩村城を見たのかを感じとれる場所です。

駿河守武蔵守様[2017年07月18日]
本丸の近くに駐車場がありますが、
そこに至る道が狭く、ガードレールが
ありません。
途中対向車が来たときはバックで
待避地点まで戻る恐怖を味わう
ことになります。

下の資料館に車を止め、地道に
登城するのがオススメです。
日本三大山城、苦労しても登る
価値はありますよ。

太閤勘解由長官傾奇紋次郎様[2017年05月13日]
城めぐらーさんから勧められ岩村城と苗木城を同日登城しました。また違った雰囲気で両方感動しました!岩村城へ行かれた時は苗木城も是非回った方が良いかと!

しもじま様[2017年04月08日]
登城中、本丸とかの少し手前の通路で石垣が大きく崩れかけています。予定のある方はお気をつけて。

しもじま様[2017年04月05日]
QRコードの看板、なかなか見た目的に雰囲気損ねる…。もっとなんとかならなかったのかな。

ギア右近衛少将様[2017年01月04日]
本丸近くの出丸駐車場まで車で行けますが、車の1台分の横幅しかないので、すれ違いが出来ません。冬場は昼間でも凍った箇所があるので、資料館から登ってきた方が怪我の危険が少ないかもしれません。

マスボ安房守マスボ様[2017年01月04日]
100名城スタンプ、岩村城歴史資料館内にありますが、年末年始お休みのため(1/4まで)、資料館から1キロくらい下った恵那市岩村振興事務所内に設置されています。

殺三千世界鴉⚡️晋作様[2016年10月08日]
木曽義昌は武田家滅亡後、家康に仕え下総に移封。
家臣の千村良重も行を共にするが、義昌の嫡男、義利の代に取り潰しとなり、家臣も浪人となる。

良重は故郷に戻ったが、家康による上杉征伐に従軍する。西軍挙兵の報に接した家康は下野小山で良重や山村良勝らに密命を与え、帰国させる。

彼らはいずれ通りかかるであろう徳川秀忠軍のために東濃周辺の制圧に取りかかる。
遠山友政とともに河尻秀長留守中の苗木城を攻略。
遠山利景・小里光明・妻木頼忠らと連携して、田丸直昌留守中の岩村城も攻略する。(東濃の関ヶ原)

これらの功により、千村良重は美濃久々利4,000石となり、陣屋を置く。
大坂冬の陣では信濃飯田城や妻籠付近を守備、夏の陣では天王寺口で奮戦。
家康死後、秀忠によって旗本交代寄合となり、のち尾張徳川義直附属となる。寛永7年没。
墓は久々利城麓の東禅寺。

ドラガン尾張守店長様[2016年04月13日]
今回は明知鉄道岩村駅から徒歩で登城しました。景観保存地区に指定されている城下町を抜けて、二種類の桜咲く太鼓櫓。歴史資料館で勉強して、石畳の曲がりくねった急坂を本丸へ。途中、蛇の骨を入れると霧が立ち込めるという霧ヶ井、全国的にも珍しい菱櫓跡、何層にも成る高石垣、出丸跡を経て、恵那山を眺める本丸(三重櫓)跡。717メートルからの景色はなかなかです。帰りは城下町、鳥兵さんで鳥の肝と名酒女城主を頂き、松浦堂さんでは長崎に伝わったカステーラとかしわ餅を頂きました。観光案内所では、案内人の方に復元計画などを教えて頂きました。やっぱり歩くと色々な事が見えてきます。明知鉄道の車窓からの景色も綺麗でした。

【孫】征夷大将軍クララ姫様[2016年02月16日]
山城の代表イメージが強い岩村城跡ですが、直近まで林道が通っており車なら楽々行けます。勿論、無料駐車場も完備され、巡ラーには優しい城跡でした。

フー甲斐守様[2015年12月19日]
城下のかんから屋さんのお餅柔らかくて美味しかったです。きな粉とあんこと胡麻の3種5個は食べ応えあり。お土産に買ったお餅も今から楽しみです。

真生相模守如猪斎様[2015年08月16日]
予習に小説「霧の城」を読んでから行きました。
歴史資料館の駐車場に車を止めて、徒歩で登りました。
距離にして700mくらい。少し登りがきついですが、ゆっくり休み休み行けば、女性や小学生でも問題なし。
但し、サンダルとかは止めた方がいいです。とくに下りは、石畳が滑るので。

タバスコ様[2014年08月12日]
麓の太鼓櫓のあるところに車をとめて出発、車で、本丸の近くまであがれますが、麓から本丸まで、20分程なので、歩くのが、おすすめです。あと、岩村の町並みもおすすめです。

丸に片手蔓柏だんな様[2014年04月27日]
登城口にある岩村山荘に宿泊。戦国料理とラジウム温泉が最高。湯船から桜が望めます。

尾張守ひろっちぃ様[2013年11月09日]
岩村駅から100名城スタンプの置かれている資料館までは車道にそって歩いていくことができます。
その資料館の門をくぐったあとからいよいよ登山口になります。
20分もかからないうちに本丸跡に着くことができます。
最初は石畳の道で次は山道になりますが他の山城の道と比べるとかなり楽で簡単に山頂に着くことが出来ます。
登山口の入り口にクマの標識がありご注意を。

すかんぴん杉丸美濃守様[2013年07月29日]
他の方も書かれている、257号線からの出丸の駐車場への道ですが、整備されてました。
私が訪れた時は衛生車が来てました。つまり、その大きさでも問題無いと思われます。

駐車場も整備されており休憩場とトイレが完備です。下の資料館のトイレよりも新しそうです。
年配の方や小さい子のいる親子連れが車でいらしてました。

この出丸の近くは戦国期の遺構が、江戸時代もあまり手をいれられる事なく現在も残っているそうです。ただ夏場は藪で、よく分かりません。

地元の方が仰るには、冬場は積雪よりも、その後の凍結が危ないとのことです。

ご城下の有名なカステラは、長崎やポルトガルでも失われたレシピと型だそうで、その優しい甘さには疲れも癒されます。
是非ご賞味下され。


三河守餡様[2013年02月06日]
本丸近くに駐車場がありますが、そこまでの道は、凍結してました(2月)。でも霧の中から不意に現れる石垣はなんとも幻想的で圧巻でした。
麓の昔ながらの街並みにも癒されます。
麓の街からは、お城は全く見えなくて、さっきの霧の中のお城の様子が夢のように思えました。
雨の日を狙って、是非霧ヶ城をご覧下さい!
天空の城ラピュタのようでした。

雪之丞様[2012年08月11日]
城の石垣は、間違いなく一見の価値ありですが、道中の明智鉄道も味があります。途中の駅で寝過ごしそうになって慌てて降りようとするお婆さんに、「待ちますからゆっくり身支度して下さい。」と運転手兼車掌さんが声をかけてました。ほのぼのさせる一幕です。

桑名式部大輔はまぐり〜様[2012年04月01日]
雪化粧の岩村城。絶景でした!

tomm加賀守様[2010年11月25日]
100名城スタンプは歴史資料館にありますが、できればそこから歩いて登られる事をお薦めします(20分程です)
次第に現れてくる石垣に感動する事間違いナシですよ

明知鉄道の岩村駅のスタンプは岩村城の六段石垣の絵柄です

古楽侍従広家様[2010年09月13日]
織田勝長、川尻秀隆、森蘭丸…

この城に関わった信長関係者が本能寺の変をきっかけに命を落とすのは、お艶の方の呪いかも?

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年06月08日]
付近に極楽と言う無人駅がある

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