金ヶ崎城(かねがさきじょう)

金ヶ崎城の基本情報

通称・別名

金ケ崎城、敦賀城

所在地

福井県敦賀市金ケ崎町1-1

旧国名

越前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

平通盛

築城年

平安時代後期

主な改修者

主な城主

新田義貞、甲斐氏、朝倉氏

廃城年

遺構

曲輪、堀切、堅堀

指定文化財

国史跡(金ヶ崎城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

天筒山城(福井県敦賀市)[0.9km]
敦賀城(福井県敦賀市)[1.6km]
疋壇城(福井県敦賀市)[7.7km]
岡崎山砦(福井県敦賀市)[8.2km]
木ノ芽峠城(福井県南条郡)[8.3km]
国吉城(福井県三方郡)[11.4km]
玄蕃尾城(福井県敦賀市)[11.9km]
西岡城(滋賀県長浜市)[15.8km]
燧城(福井県南条郡)[16.0km]
東野山城(滋賀県長浜市)[17.3km]

金ヶ崎城の解説文



金ヶ崎城(かながさきじょう・かねがさきじょう)は、福井県敦賀市金ヶ崎町にあった日本の城。別名敦賀城(つるがじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。本項では支城である天筒山城についても併記する。

概要 

敦賀市北東部、敦賀湾に突き出した海抜86mの小高い丘(金ヶ崎山)に築かれた山城である。 治承・寿永の乱(源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが最初と伝えられる。現在でも月見御殿(本丸)跡、木戸跡、曲輪、堀切などが残り、1934年には国の史跡に指定されている。 金ヶ崎城跡のふもとには、足利氏と新田義貞の戦いで城の陥落とともに捕縛された恒良親王と、新田義顕とともに自害した尊良親王を祀った金崎宮(かねがさきぐう)がある。

歴史 

南北朝時代

1336年(延元元年/建武3年10月13日、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城、直後、足利方の越前守護斯波高経らの軍勢に包囲され兵糧攻めにされる。翌1337年(延元2年/建武4年2月5日)、義貞らは、闇夜に密かに脱出し、杣山城(福井県南条郡南越前町)で体勢を立て直す。2月16日、義貞は金ヶ崎城を救援しようとするも敦賀郡樫曲付近で足利方に阻まれる。3月3日、足利方が城内に攻め込み、兵糧攻めによる飢餓と疲労で城兵は次々と討ち取られる。尊良親王、新田義顕(義貞嫡男)、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王は捕縛され、3月6日、落城する。

1338年(延元3年/暦応元年)4月(旧暦)には越前の軍事的主導権を握った義貞に奪還されるが、その後、足利方の越前平定により、越前守護代甲斐氏の一族が守備、敦賀城と称した。

室町時代

1459年(長禄3年5月13日)、守護斯波氏と守護代甲斐氏の対立が深まり(やがて長禄合戦に発展)、古河公方足利成氏征討の幕命を受けた斯波義敏は兵を引き返して金ヶ崎城を攻撃するも、甲斐方の守りは堅く、義敏方は大敗した。この戦いは8代将軍足利義政の怒りを買い義敏は失脚した。

戦国時代

朝倉氏が越前を掌握した後は朝倉氏一族の敦賀郡司がここを守護していた。 1570年(元亀元年4月26日)、援軍が遅れたため、郡司朝倉景恒は織田信長に対し開城する。しかし、浅井長政が離反して近江海津に進出し挟撃戦になったため、信長は木下藤吉郎(豊臣秀吉)らに殿(しんがり)を任せ、近江朽木越えで京に撤退する(金ヶ崎の戦い)。

天筒山城

天筒山城(てづつやまじょう)は、金ヶ崎城の枝城で標高約171mの天筒山に構築された山城である。金ヶ崎城とは稜線伝いに繋がっている。

元亀元年4月25日、織田軍(10万人)に攻め込まれ、双方数千の戦死者が出る戦いとなったが陥落し、朝倉景恒は金ヶ崎城に陣を引くことになった。

現在は公園化されており、曲輪、櫓台跡などが残る。

金ヶ崎城の口コミ情報

2024年03月09日 播太郎
金ヶ崎城



金ヶ崎城址は金崎宮になっています。桜の名所であり、境内から北陸新幹線の敦賀駅が見える絶好のスポットですよ(写真の山裾あたり)。

2023年07月30日 友乃足軽隊
金ヶ崎城



小学生くらいの子でも気軽に行けるところです。月見御殿跡からの眺めは最高です。

2023年05月03日 かず
金ヶ崎城



400mほどの山の上にあります。見晴らし良いです。

2023年04月19日 隙間風備中守静謐
金ヶ崎城

金﨑宮という神社が跡地になります。階段はきついですが眺望は素晴らしいです。

2023年02月13日 やまぴぃ
金ヶ崎城



今回は若狭エリアを攻めに、かねてより行きたかった金ヶ崎城に行ってきました。特に遺構らしいものはありませんでしたが、敦賀湾や敦賀港が見渡せてとてもいいところでした。朝倉攻めに向かう中で後方より浅井勢に挟まれ、信長はこの景色を見ながら何を思っていたのでしょうか。非常に感慨深かったです。是非にお立ち寄りください。

2022年10月01日 摂津守突風丸
金ヶ崎城



金ヶ崎宮の駐車場に車を停めるとすぐです。遊歩道も整備されていて、とても歩きやすい。遺構らしきものは殆どありませんが、月見御殿跡からの眺めは良かったです。

2022年09月25日 竹中播磨守じゅん兵衛
金ヶ崎城



金ヶ崎宮を目指して行けば分かりやすいと思います。お宮さんで戦国版の御城印購入、てくてく先に進むと尊良親王御稜墓見込地の碑があり、南北朝時代の激戦地でした。その昔、大河ドラマの太平記・新田義貞はショーケンが演者でしたが途中から根津甚八にチェンジしましたね。お二人ともカッコいい義貞公でした。

2022年09月15日 小太郎左衛門督南海道22國守
金ヶ崎城



まさに半島の山城、難攻不落とも言える城で、歴史を刻むにふさわしい堅固さです。最高地で、海抜86mの本丸跡といわれている月見御殿跡からの海や市街地の眺めは絶景です。遊歩道は整備され、麓の公園無料駐車場から、2、30分よ距離で、麓近くの金崎宮で、御朱印と御城印を入手できました。9月9日情報。

2022年09月13日 雲如露絶兎
金ヶ崎城



駐車場、登山道完備。攻略しやすいよ。夏場は蚊や虫に注意必要。

2022年09月09日 尼崎城阿波守一口城主
金ヶ崎城



9月3日、敦賀城散策後に登城。道中、金ヶ崎緑地を歩きましたが第二次世界大戦中に日本に逃れてきたユダヤ人の上陸地がありました。その関連資料館の<人道の港敦賀ムゼウム>から目の前に見える金ヶ崎城に進軍出来るのかなと思いましたが不可のようでしたので赤レンガ倉庫方面から迂回して向かいました。
金ヶ崎宮の麓の駐車場に金ヶ崎城跡、天筒山城跡についての記された石碑がありました。階段を上がって金ヶ崎宮にお参りして、御朱印・御城印の受付で御城印の太平記版と戦国版のものを購入して登山を開始しました。南北朝時代には後醍醐天皇の皇子や新田義貞公の子たちが戦ったお城でもあるようで尊良親王のものと推定されるお墓がありました。
過去に読んだ歴史小説や見てきた大河で信長公が妹のお市の方から送られてきた小豆袋を見て危機を察する逸話の舞台でもあり、信長公が逃げた後に秀吉公や光秀公らが命懸けでしんがりを務めた歴史舞台を訪れることが出来感無量でした。

2022年08月31日 RED副将軍
金ヶ崎城



織田信長の撤退戦で有名な金ヶ崎の戦いの舞台です⚔

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。
1181年に木曽義仲征討のため越前へと下向した平通盛が籠もった都留賀城が現在の金ヶ崎城と言われています。
また、1336年に足利尊氏に追われて恒良親王・尊良親王とともに敦賀に来た新田義貞が拠点としたとも伝わっています。
室町時代には越前国守護代の甲斐常治の居城となり、1459年の長禄合戦では越前守護・斯波義敏が金ヶ崎城を攻撃するも退けました。
1471年には朝倉景冬が敦賀郡司に着任し、以降代々郡司の居城と位置付けられました。
1570年、織田信長による朝倉攻めの際には金ヶ崎城・天筒山城とも朝倉氏の前線基地となるも、金ヶ崎城将の朝倉景恒は抗い切れず直ぐに開城。
しかし浅井長政が反旗を翻し、朝倉勢とともに挟撃にかかったため、信長は撤退を決定。金ヶ崎の退き口の舞台となりました。
その後、廃城となったと考えられています。

見所
本丸から東の尾根上に三つの木戸を配置。
二の木戸跡の堀切が最も深く良好な状態で残存。
三の木戸跡の堀切周辺は水の手と呼ばれ付近から清水が湧き出ていたと伝えられます。

2022年05月04日 みずたま
金ヶ崎城



公園化していて遺構の確認はできません。本丸があったと思われる頂上からの景色はすばらしいです。

2022年04月25日 えりこっち
金ヶ崎城

仕事で行き詰まった時に、藁にもすがる思いで 難関突破の為に、お市様ゆかりの御守りを戴きに。朝早すぎて、社務所が開いておらず、係りの方の出勤を待って、御守りを戴きました💦仕事ですか❓️ネックだった先輩が異動になりました❗️お市様、今度、お礼に伺いますね~💕

2022年04月25日 583系丹波守きたぐに
金ヶ崎城



敦賀駅から「ぐるっと敦賀周遊バス観光ルート線」で8分、金ヶ崎宮下車。レンタサイクルでも行ける距離です。写真の線路は廃線となったJRの貨物専用線ですが、線路の先の山の頂上付近が本丸になります。

遊歩道が整備され、家族連れが気軽に登ってましたが、熊の出没情報の張り紙もあり、念のため熊鈴やラジオを持って行ったほうがよいでしょう。

足利尊氏と新田義貞の戦い、信長.秀吉.家康の退却戦の地など、歴史的エピソードで関心が高い城ですが、月見御殿跡からは敦賀湾が一望でき、海上交通の監視に便利なところに築城したことがみてとれ、堀切など防御機能の遺構もあります。

なお、周遊バスは平日は1時間に1本。土日は30分に1本に増発されますが、増発便は金ヶ崎宮には行きません。その場合は煉瓦倉庫で下車して、倉庫横の写真のキハ28系気動車の横の道を通るとすぐに金ヶ崎宮に出れます。

食事や軽食、飲料の調達は煉瓦倉庫でとれますが、食べながら歩いていると、鳶にかっさらわれることも多いそうです。ある意味、熊よりたちが悪いかもしれません。

2021年11月28日 【城郭道】たっきー
鴎ヶ崎[金ヶ崎城  遺構・復元物]



鴎ヶ崎(かもめがさき)
城内最西端にある幕末に台場として整備された場所。かつては展望台として東屋があったという。

2021年11月01日 るん山城守⛄⁠
金ヶ崎城



敦賀湾から日本海を望む場所にある、山城です。戦国時代では、金ヶ崎の退き口として有名なエピソードがあるとこです。歴史に疎い私でも、なんとなく知ってます✨

ここは今は遺構は少ないですが、月見御殿や堀切なども神社の奥で見ることができました。

神社に売られているお守りは、お市の方さまが、信長さまに送ったとされる、両方結んだあずきの袋の形をしています。私が行った時は、御城印も販売されてました。

2021年10月07日 遠州琉々姫
金ヶ崎城

ご城印集めをしている方へ。ご城印はありませんでした( ノД`)…ご注意下さい。

2021年07月19日 しげしげ主税頭信繁
金ヶ崎城

金ヶ崎の退き口で有名な城趾です。遺構はあまり確認できませんでしたが、遊歩道的な感じでとても歩き易い様になっております。

2021年07月04日 イオ右近衛中将
鞠山神社[金ヶ崎城  寺社・史跡]



敦賀陣屋跡地に藩祖・酒井忠稠を祀って創建された神社で、歴代藩主ゆかりの品などが奉納されているようです。説明板には鞠山藩(敦賀藩)についての記載があります。

2021年07月04日 イオ右近衛中将
敦賀陣屋(鞠山陣屋)[金ヶ崎城  周辺城郭]



敦賀陣屋は、江戸前期、小浜藩主・酒井忠直の二男・酒井忠稠が遺領一万石を分知されて敦賀藩を立藩し築いた陣屋です。敦賀藩酒井氏は定府大名であり、陣屋には郡奉行らを置いて八代に渡り続きましたが、明治に入って鞠山藩と改称した後に宗家の小浜藩と合藩して廃藩となり、陣屋も払い下げられ取り壊されました。

敦賀陣屋は日本三大陣屋のひとつに数えられ、往時は本陣のほか長屋、門番所、土蔵などがあったようですが、現在は陣屋跡は立ち入り禁止の更地になっていて、遺構はありません。

下調べでは鞠山神社の前に駐車スペースがあるとのことでしたが、「24時間駐停車禁止」の掲示があったため、やむなく引き返して集落手前の道路の路肩に駐め、駆け足で写真を撮り、神社にも参拝せずに撤退しました。帰宅してから調べてみると、鞠山神社西隣の公園に駐車場があるようなので、そこに駐めて歩いて行けば良かったかもしれません。

2021年06月29日 イオ右近衛中将
焼米出土地[金ヶ崎城  遺構・復元物]



三の木戸と二の木戸の間の曲輪からは炭化した米が出土していて、兵糧庫があったと考えられています。

2021年06月29日 イオ右近衛中将
月見御殿跡[金ヶ崎城  遺構・復元物]



月見御殿は金ヶ崎城の本丸とされ、月見御殿という名は、散在する石灰岩を庭石に見立てて月見の宴をしたとする伝承によるものです。

目の前に発電所やセメント工場が広がり、眺望が良いとは言い難いですが、突端からは敦賀湾が一望でき、麓には恒良親王が落ち延びる際に松の木に御衣を掛けたと伝わる絹掛崎があります。

2021年06月29日 イオ右近衛中将
尊良親王御陵墓見込地[金ヶ崎城  碑・説明板]



登城路沿いの案内標識から道をそれて上がったところに、尊良親王御陵墓見込地の碑が建てられています。親王の墓所は京都市内に指定されているため、自刃の地とされます。

2021年06月29日 イオ右近衛中将
金崎宮[金ヶ崎城  寺社・史跡]



金崎宮は尊良親王と恒良親王を御祭神とし、境内には金ヶ崎城と天筒山城の模型や、金ヶ崎の退き口についての説明板が展示されています。また、お市の方が兄・信長に夫・長政の離反を知らせたとする逸話にちなんで、袋の両端を縛り小豆を入れたお守りが難関突破守として授与されています。

2021年06月28日 イオ右近衛中将
旧敦賀港駅ランプ小屋[金ヶ崎城  関連施設]



前方を照らす照明がまだ機関車に備え付けられてなかった頃に用いられたランプを保管・管理するための小屋で、開業当時のランプ小屋内部を再現した部屋と、案内パネルやパンフレットの置かれた部屋があります。

城とは直接関係ありませんが、金ヶ崎城と周辺の城のパンフレットが置かれていますので、金ヶ崎城の縄張図をお持ちでない方はまずこちらからどうぞ。

2021年05月24日 越前の怜
金ヶ崎城



林道から外れて散策すると隠れた遺構が発見できます。

2021年03月13日 宮内卿ピロシキ
金ヶ崎城



敦賀駅から徒歩で金崎宮まで。20分位です。金崎宮からは10分位で本丸と言われる月見御殿跡。眺めがいいです。

天然の要害なれど、天筒山城より低いうえに峰続きなので天筒山城を落とされた時点で勝負確定ですね。

2020年11月19日 橘雅楽助かずひろ
金ヶ崎城



季節外れの暖かさで、もう汗だくで攻め上がりました😅じっくり堪能しようと思ったら1時間は欲しいです。平日だったので清掃などメンテナンス業者さんたちが頑張ってくれてました。ありがとう御座います。

2020年11月05日 野良犬しろチロ丸
金ヶ崎城



10分くらいで登頂できます。ほぼ舗装してあるルートもあるので、散歩気分で大丈夫です。

2020年10月19日 たぁー
金ヶ崎城



『袋のネズミじゃー!』『おのれ長政!!裏切ったなぁ!』がやりたくて訪問。
金ヶ崎撤退の遺構は少ないものの、南北朝時代のものが残っていて楽しめました。敦賀城がすぐ近くだったのが意外。


2020年10月08日 カツ
金ヶ崎城

眺めは良いけど、お城に来た感がほとんどない。

曲輪・堀切は確認出来ます。

2020年09月07日 めぐむ
金ヶ崎城

金崎宮の裏から岬の方経由で登る方が楽です。月見御殿(本丸跡)は崖崩れでロープが張ってあり立ち入り禁止でした。(またいで入りましたが 汗)

2020年08月30日 だんでい日向守
金崎宮[金ヶ崎城  寺社・史跡]



少しわかりにくいてますが、金ヶ崎宮専用の駐車場があります。駐車場からは階段を少し登れば金ヶ崎宮の社務所で、ここで御城印も購入出来ます。

2020年08月16日 とざちゃん越前守
金崎宮[金ヶ崎城  寺社・史跡]



金崎宮の社務所にて2020年1月より配布がはじまった金ケ崎城の御城印を入手できます。もちろん金崎宮の御朱印もあります。

2020年06月07日 越前守cxbx110
朝倉神社[金ヶ崎城  寺社・史跡]



朝倉宗滴などの朝倉氏を祀ってある神社です

2018年11月18日 GAGA関白百万石
金ヶ崎城

金ヶ崎城の駐車場から登城しました。駐車場の後ろにはJR敦賀港線の廃線跡(正式には休止)があります。登城道はハイキングコースとして整備されています。

しばらく登ると、金ヶ崎合戦の石碑があります。それからすぐのところに月見御殿があります。月見御殿は、南北朝時代には金ヶ崎城の本丸として使われていました。 戦国期にはその名の通り、ここで月見が行われていました。ここからは、敦賀湾の絶景を眺めることができます。

少し戻ると天筒山展望台という看板があり、その看板の指示通りに進むと天筒山城跡に行くことが出来ます。天筒山城へ続く尾根道は整備されているため、特別な装備は必要ありません。尾根道からは堀切や畝状竪堀群を見ることが出来ます。このまま道なりに進むと大きな堀切があり、大きな堀切を超えると天筒山城跡に行くことが出来ます。

金ヶ崎城の駐車場~金ヶ崎城跡~天筒山城跡~金ヶ崎城の駐車場と回って、所要時間は約1時間30分でした。

2015年12月17日 カーネル
金ヶ崎城

金ヶ崎城へは、天筒山城を経由した縦走コースでも行けますよ

敦賀駅から北に歩き、天筒山の南南西にある登山口から登る。天筒山城の本丸を通過して、そのまま北西に尾根を進むと金ヶ崎城へ行けます。尾根から見下ろすセメント工場のパイプがかっこいいですよ

歩道は舗装されていて、歩きやすいです。標識はあるけど、地名がわかっていないとどちらに行っていいのかわからないので、予習していれば安心です

下山後は金崎宮でお参りしてから市中を歩いて敦賀城に行き、その後、敦賀駅へ戻りました。敦賀市内はアーケードがあって傘いらずがうれしい

敦賀駅-天筒山城-金ヶ崎城-金崎宮-敦賀城-敦賀駅で3時間弱かかりました。その前の小谷城のダメージもあったり、終日の雨ということもあって疲れた

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

2015年03月14日 うえおー織部佑
金ヶ崎城

散策道に熊出没注意の看板が。。。鈴持っていった方がよさそーですね。

2010年09月26日 古楽侍従広家
金ヶ崎城

三つの城戸跡にある堀切が見応えありですね。

2010年08月09日 傾奇揚げ仙兵衛
金ヶ崎城

月見御殿から眺望は・・・生コン工場に原発 名前のわりに風流ではない

2010年07月03日 tomm加賀守
金ヶ崎城

金ヶ崎宮は「恋愛成就・難関突破」で有名です!

金ヶ崎城の周辺スポット情報

 月見御殿跡(遺構・復元物)

 二の木戸跡(遺構・復元物)

 一の木戸跡(遺構・復元物)

 三の木戸跡(遺構・復元物)

 焼米出土地(遺構・復元物)

 畝状竪堀(遺構・復元物)

 鴎ヶ崎(遺構・復元物)

 金ヶ崎城・天筒山城碑(碑・説明板)

 尊良親王御陵墓見込地(碑・説明板)

 石碑(碑・説明板)

 金ケ崎城跡説明板(碑・説明板)

 敦賀陣屋(鞠山陣屋)(周辺城郭)

 金崎宮(寺社・史跡)

 朝倉神社(寺社・史跡)

 絹掛神社(寺社・史跡)

 金ヶ崎古墳(寺社・史跡)

 鞠山神社(寺社・史跡)

 金崎宮 社務所(御城印)

 金崎宮・金ヶ崎公園1駐車場(トイレ)

 便所(トイレ)

 金ヶ崎公園駐車場2(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 旧敦賀港駅ランプ小屋(関連施設)

 東屋(関連施設)

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