天筒山城(てづつやまじょう)
天筒山城の基本情報
通称・別名
- 手筒城
所在地
- 福井県敦賀市金ケ崎町
旧国名
- 越前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 足利氏
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 足利氏、寺田氏(朝倉氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、櫓台跡、堀切、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
金ヶ崎城(福井県敦賀市)[0.9km]
敦賀城(福井県敦賀市)[1.8km]
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岡崎山砦(福井県敦賀市)[8.6km]
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燧城(福井県南条郡)[16.0km]
東野山城(滋賀県長浜市)[16.5km]
天筒山城の解説文
[引用元:Wikipedia「天筒山城」の項目]
金ヶ崎城(かながさきじょう・かねがさきじょう)は、福井県敦賀市金ヶ崎町にあった日本の城。別名敦賀城(つるがじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。本項では支城である天筒山城についても併記する。
概要
敦賀市北東部、敦賀湾に突き出した海抜86mの小高い丘(金ヶ崎山)に築かれた山城である。 治承・寿永の乱(源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが最初と伝えられる。現在でも月見御殿(本丸)跡、木戸跡、曲輪、堀切などが残り、1934年には国の史跡に指定されている。 金ヶ崎城跡のふもとには、足利氏と新田義貞の戦いで城の陥落とともに捕縛された恒良親王と、新田義顕とともに自害した尊良親王を祀った金崎宮(かねがさきぐう)がある。
歴史
南北朝時代
1336年(延元元年/建武3年10月13日、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城、直後、足利方の越前守護斯波高経らの軍勢に包囲され兵糧攻めにされる。翌1337年(延元2年/建武4年2月5日)、義貞らは、闇夜に密かに脱出し、杣山城(福井県南条郡南越前町)で体勢を立て直す。2月16日、義貞は金ヶ崎城を救援しようとするも敦賀郡樫曲付近で足利方に阻まれる。3月3日、足利方が城内に攻め込み、兵糧攻めによる飢餓と疲労で城兵は次々と討ち取られる。尊良親王、新田義顕(義貞嫡男)、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王は捕縛され、3月6日、落城する。
1338年(延元3年/暦応元年)4月(旧暦)には越前の軍事的主導権を握った義貞に奪還されるが、その後、足利方の越前平定により、越前守護代甲斐氏の一族が守備、敦賀城と称した。
室町時代
1459年(長禄3年5月13日)、守護斯波氏と守護代甲斐氏の対立が深まり(やがて長禄合戦に発展)、古河公方足利成氏征討の幕命を受けた斯波義敏は兵を引き返して金ヶ崎城を攻撃するも、甲斐方の守りは堅く、義敏方は大敗した。この戦いは8代将軍足利義政の怒りを買い義敏は失脚した。
戦国時代
朝倉氏が越前を掌握した後は朝倉氏一族の敦賀郡司がここを守護していた。 1570年(元亀元年4月26日)、援軍が遅れたため、郡司朝倉景恒は織田信長に対し開城する。しかし、浅井長政が離反して近江海津に進出し挟撃戦になったため、信長は木下藤吉郎(豊臣秀吉)らに殿(しんがり)を任せ、近江朽木越えで京に撤退する(金ヶ崎の戦い)。
天筒山城
天筒山城(てづつやまじょう)は、金ヶ崎城の枝城で標高約171mの天筒山に構築された山城である。金ヶ崎城とは稜線伝いに繋がっている。
元亀元年4月25日、織田軍(10万人)に攻め込まれ、双方数千の戦死者が出る戦いとなったが陥落し、朝倉景恒は金ヶ崎城に陣を引くことになった。
現在は公園化されており、曲輪、櫓台跡などが残る。
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天筒山城の口コミ情報
2024年01月03日 下津宮内少輔平八郎
天筒山城
金ヶ崎城から尾根伝いに天筒山城を目指し見晴台跡に差し掛かった後にガサガサっと草むらに何か?動物が隠れたような感じだったので危険を感じ立ち去り、金ヶ崎宮の宮司さんに話したところ、おそらくイノシシとの事。皆さんもお気をつけください。
2022年09月09日 尼崎城駿河守一口城主
天筒山城
9月3日、金ヶ崎城散策後に天筒展望広場まで750mと書かれた道標に従い進軍。道中、二股の分岐点で誤った道を進んでしまい山の神神社を経由してかなりの遠回りをして展望広場に到着。歴史の舞台になった所を長く堪能させて貰ったからヨシと思うことにしました。
展望台からは、日本海や気比の松原、新幹線駅への工事が進む敦賀駅などを望むことが出来ました。
下山後、氣比神宮にお参りして敦賀駅に戻り次の目的地の一乗谷に向かいました。
2022年05月30日 シゲ越後守豊右衛門
天筒山城
下の駐車場から、展望台まできれいな舗装道路で、ちょっとした散歩コースです。すれ違う人は、挨拶してくれるので、疲れも気にせず、登れます。いくまてには、きれいなトイレあります。頂上は、展望台とかで遺構はないですが、付近には堀切などあるので、ある程度楽しめます。
2022年05月04日 RED副将軍
天筒山城
標高約171mの天筒山に築城された金ヶ崎城の支城
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。
1336年、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて金ヶ崎城に籠った新田義貞に対して、足利方の越前守護斯波高経らの軍勢がここに陣を布いたと云われます。新田義貞は落ち延びましたが、尊良親王、嫡男の新田義顕は自害。落城し、恒良親王は捕縛されました。
戦国時代となり、朝倉氏が越前を掌握し支配。1570年、越前に侵攻した10万の織田信長軍によって守将の朝倉景恒は金ヶ崎城に撤退し開城。朝倉軍、織田軍ともに相当な死者が出る激戦の中、金ヶ崎城も陥落。
しかし、浅井長政の裏切りにより挟撃されることとなり、織田信長は撤退戦を強いられ、朽木氏の助けで何とか京へ退却しました。(金ヶ崎の退き口)
見所
主郭から北西の堀切と切り通し。金ヶ崎城に続く尾根を分断。
主郭北東の堀切。東側への登山道はあまり整備されておらず分かりづらいです。
山頂は展望搭が建ち公園化により、遺構はほぼ消失。
2022年03月21日 ほむら「近江守」
天筒山城
金ケ崎から、尾根づたいに見晴らしの良い小山に。途中に米の備蓄庫あと、水場などあり。
2021年07月18日 しげしげ主税頭信繁
天筒山城
金ヶ崎宮に駐車場があります。金ヶ崎宮の左横が登城口で迷う事なく月見御殿跡、三の城、二の城、一の城まで行けます。そのまま隣の天筒山城まで行けます。私は海に面した金ヶ崎緑地の駐車場に停めたので、かなり距離がありました。金ヶ崎宮から入って天筒山登山口(此方にも駐車場有)まで2時間弱かかりました。日曜日だったからかウォーキングの人が多数いました。
2021年07月02日 イオ左衛門佐
妙顕寺[天筒山城 寺社・史跡]
織田信長が天筒山城を攻める際に陣を布いたとされる寺で、立派な仁王門や本堂は建っていますが、陣跡を示すようなものは特に見当たりません。ただ、朝倉方についた氣比神宮は目と鼻の先なので、ちょっと驚きました。
2021年07月02日 イオ左衛門佐
氣比神宮[天筒山城 寺社・史跡]
上古から北陸道総鎮守と仰がれ、国重文の大鳥居は日本三大木造大鳥居のひとつに数えられます。
恒良親王、尊良親王を奉じた新田義貞を自らの金ヶ崎城に受け入れ、落城時に尊良親王らとともに自害した気比氏治、織田信長の越前侵攻に抗し、天筒山城に立て籠もって織田軍と戦った気比憲直、ともに氣比神宮の大宮司です。
また、日本三大松原のひとつに数えられる気比の松原は、かつては氣比神宮の神苑でしたが、信長に敵対したことにより没収されたそうです。
2021年06月30日 イオ左衛門佐
大堀切[天筒山城 遺構・復元物]
金ヶ崎城から続く尾根を相当な深さで掘り込んでおり、山麓の永厳寺からの登城道が切通道として交わっています。
2021年04月25日 ばらく~だ
天筒山城
自分も金崎宮から金ヶ崎城跡経由で行きましたが、大堀切を右に曲がって、山の神神社へ行ってしまい、かなり大回りしてしまいました😅(天筒山展望台は左です)でも、間違った道の途中で野生のリスに遭遇しました😁
2021年03月13日 宮内卿ピロシキ
天筒山城
金崎宮から金ヶ崎城を経由して行きました。階段が多いです。敷地は広大。じっくり見たら金ヶ崎城と合わせて2時間コースですね。
2018年11月18日 GAGA関白百万石
天筒山城
尾根続きの金ヶ崎城から登城しました。
金ヶ崎城からはアップダウンの激しい尾根道を通ることになります。
しかし、天筒山城に続く尾根道は整備されているため特別な装備は必要ありません。
このまま数十分歩くと、大きな堀切があります。
堀切を超えると、曲輪らしき平坦地が見えてきます。
道なりに進むと、見張り台跡がありました。
見張り台跡には展望台があります。
展望台から敦賀の町を眺めたあと、下山しました。
金ヶ崎城の駐車場~金ヶ崎城跡~天筒山城跡~金ヶ崎城の駐車場と回って、所要時間は約1時間30分でした。
2016年03月30日 柴崎権大納言幸助
天筒山城
金ヶ崎城と合わせたハイキングコースが整備されています。少し登りが続いてキツいところがあります。熊出没地もあります。
そんな中、たくさんの方とすれ違いましたが、皆さん挨拶の声を掛けて下さるので元気を貰えます。
城跡の展望台からは、金ヶ崎城を見下ろすことができ、地形の様子や防御の様子が把握できます。
2015年03月27日 友弥
天筒山城
隣接する金ヶ崎城に比べると歴史的に地味ですが遺構はこちらの方から多い気がします。堀切、切岸、郭跡。。
山はハイキングコースになっています。
2010年09月26日 古楽侍従広家
天筒山城
見張り台跡から見ると金ヶ崎城の動きが全部わかったと思います(写真参照)。曲輪を整地したと思われる場所が休憩施設になっています。金ヶ崎との間に人工的に見える堀切があったので、これも遺構になるかも?