東野山城(とうのやまじょう)
東野山城の基本情報
通称・別名
- 東野山砦、実山砦、左禰山砦、左祢山砦
所在地
- 滋賀県長浜市余呉町大字東野字大谷
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 東野氏
築城年
- 不明
主な改修者
- 堀秀政
主な城主
- 東野氏、堀秀政
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口
指定文化財
- 市史跡(東野山城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
田上山城(滋賀県長浜市)[4.7km]
塩津城(滋賀県長浜市)[5.3km]
玄蕃尾城(福井県敦賀市)[5.6km]
賤ヶ岳砦(滋賀県長浜市)[5.7km]
疋壇城(福井県敦賀市)[11.1km]
山本山城(滋賀県長浜市)[11.7km]
小谷城(滋賀県長浜市)[12.3km]
虎御前山城(滋賀県長浜市)[13.2km]
小室城(滋賀県長浜市)[13.9km]
海津城(滋賀県高島市)[15.8km]
東野山城の解説文
東野山城の口コミ情報
2021年02月17日 【城郭道】治部少輔タッキー
中谷山砦[東野山城 周辺城郭]
余呉川西標高330メートルの尾根上にある賤ヶ岳の戦いで徳山則秀(柴田方)が築いた砦。二カ所に土塁付の正方形の曲輪。その周囲の尾根線上に雛壇状曲輪がある。
2020年08月13日 近江守Silvine
別所山砦[東野山城 周辺城郭]
別所山砦は余呉湖と玄蕃尾城の間にある砦で、元々は廃寺だった跡を賤ヶ岳の戦いの際に前田利家、利長親子によって柴田方の陣城として築かれたと言われています。
遺構は土塁に囲まれた単郭で、ほぼ方形ですが角を一部曲げて横矢が掛かるようになっています。尾根に当たる東西に堀切が見られます。藪もなく良く整備されています。
砦へは近くまで未舗装ながら林道が繋がっており、そこからなら10分程度です。麓の毛受兄弟の墓からは登山道で約2km・徒歩1時間ほどですが、道中には橡谷山砦や林谷山砦もあり、併せて見たい方はそちらから登られるのも良いかと思います。なお、さらに奥の行市山砦まではさらに1.2km。厳しい山道です。
2020年06月28日 OROKA和泉守
堂木山砦[東野山城 周辺城郭]
【織豊期の土の技巧を楽しもう♪】
堂木山砦は東野山城から西に位置し、賤ヶ岳の戦いでは羽柴方に属した砦です。神明山砦と同様に山路正国らが築き、守将は丹羽長秀らとの事です。
アクセスとしては、前述の神明山砦とほぼ同じで、余呉支所の西にある西天神社から用水路沿いに東に向かい、登山道を進みます。そして尾根まで登るとある堀切の看板「←神明山砦 堂木山砦→」のところを右に進みます。しばらく登ると小さな郭が連続した部分に到達します。(麓からは15分ほどです。)
遺構については、しっかり残っています。
大きな郭は3つほど、それに小さな郭や帯郭で構成されています。主郭などの大きな郭はガッツリと土塁で囲っていて、食い違い虎口などで結ばれてます。また、横堀や堀切が明確で楽しめます。
全体的な雰囲気としては、プチ玄蕃尾城という感じで、技術的な面も良く似ています。
そういう意味では、賤ヶ岳の戦いが同じ技術と文化を持った集団同士の内部争いだという事が実感として認識できます。何か、しみじみ。
いずれにせよ、織豊期の高い技巧の詰まった陣城(砦)であり、神明山砦とセットで見れば登り時間とかもお得感があり、かなりオススメです(´▽`)
2020年06月27日 OROKA和泉守
神明山砦[東野山城 周辺城郭]
【作りかけの砦が体感できる?!】
神明山砦は東野山城の西に位置する砦で、賤ヶ岳の合戦の際には羽柴方に属し、山路正国らに築かせたとの事です。(守将は木村重茲)
アクセスですが、まずは長浜市役所の余呉支所を目指します。ここからさらに西に移動し、八戸集落を方向に移動すると田んぼの奥の山裾に案内板が設置してあります。農道に入りその案内板の方に行くと西天神社という神社があります。(車は案内板あたりに路駐しました。)
この西天神社から用水路沿いに東に歩くと、250m程で白ガードレールのついた小さな橋があるので、そこを渡ると鉄塔管理用の道があるので、その道を登りましょう。
尾根まで登ると堀切になっていて、「←神明山砦 堂木山砦→」という看板があります。(写真参照)
そこから左手に登りましょう。鉄塔などを越えて500mほどで砦に着きます。(麓からは25分くらい)
遺構はなかなか興味深いです。
西側(登ってきた側)は少し甘い箇所が多く、段郭のみの部分や堀切、そして土塁のある郭、と少しずつ強固になっていき最終的には土塁に囲まれた主郭になります。また、東側にはゴッツリした堀切があり敵対する柴田側(前田利家の陣など)を想定しているのが分かります。
逆に、西側は味方の砦であるはずですが堀切で守ったりと、イマイチ信用していないようにも見えます。(このあたり、賤ヶ岳の戦いの微妙な味方同士の信頼バランスかも)
また、西側は主郭に近付くにつれ徐々に構えが強固になっていくのが、砦を作る際の順序を見ているようでとても面白いです。まずは削平、段郭、そして土塁や堀切で固める、虎口を設ける、というステップが、時間が足りずそのまま残ってるように感じました。(あくまで個人の感想)
遺構は普通に見応えあります。さらに見方を変えれば陣城に飽きたマニアな方にも楽しめる城かも知れません。
堂木山砦とセットで行けばなお満足、オススメです(*^-^)
2020年05月23日 OROKA和泉守
天神山砦[東野山城 周辺城郭]
天神山砦は、賤ヶ岳の戦いの際の羽柴方の陣城です。柴田勝豊(柴田方→羽柴方へ)の与力に築かせ、丹羽長秀らと守備させたとのこと。
天神山砦は草岡神社の裏山に築かれているので、草岡神社を目標にしてください。神社内に案内板もあります。
案内板から獣避けゲートを開けて10分ほど登ると砦に到着します。
遺構は少し薄めになっていますが、帯郭を伴う主郭、土橋、堀切、土塁などが見られます。時期によっては藪ってそうだなぁとも思いますけどf(^_^;
薄めとはいえ、遺構ベーシック+αセットが揃っていて、お手軽に賤ヶ岳時期の技巧が楽しめます。
賤ヶ岳砦めぐりをする際には、天神山砦もぜひコースに加えてやってくだされ。
2019年02月17日 馬秀のすけ
東野山城
余呉駅から歩いて余呉小学校まで約40分、秀吉土塁跡を北上し、民家横の道を山へ向かう。北陸道のガード下をくぐったら登山道っぽい所を見つけたので、畑道を進み、尾根を登った。
すると、城跡への看板を発見!やったー!と思いましたよ。後はひたすら堀底のような道をひたすら登った。何度も折れ曲がるので大変だった。山頂付近に出たら舗装された林道、さらに本丸跡に到着。麓から40分ほどかかった。
余呉駅から都合90分かかりました。これなら、やっぱり素直に林道を登るべきだったかな?本丸付近は若干雪が残ってたが問題なし。この冬はホントに雪が少ない。このまま雪降らなければ、そろそろ越前へ進軍すべきかな?
2018年10月24日 木下近江守湖一郎
東野山城
東野山城跡の出城である菖蒲谷砦に登りました。登り口は東野山城跡への登り口でもある余呉小学校の近くの林道で北陸自動車道を陸橋で超えて近づきます。この林道は舗装されてませんので、林道入ってすぐの空き地に車は止めましょう。
城跡へは、林道の1つ目のカーブから斜面を登って侵入きます。道はうっすらとしかありません。
遺構は、竪堀と縦土塁、土塁、堀切と残っています。
足元はかなり悪いので、靴や服装はしっかり準備しての登城をオススメします。
2018年06月06日 あきおこ
東野山城
【アクセス】
(1)北側からの攻城路
北国街道の余呉町小谷 八幡神社脇の林道は1.5車線のアスファルト舗装。やがてカーブを越えた右手に城跡方面の分岐林道があります。ここからはダートの1車線。
(2)余呉小学校南からの攻城路
事前に問い合わせ先に電話で確認。「車で行ける」と!。
しかし…高速陸橋を越えゲートを開けるとラグナセカのコークスクリューを思わせるダートが…(汗)。
すぐに車での攻城をあきらめました。空き地に2台ほど駐車可能。尾根途中で道半分の土砂崩れを確認しました(6/2)。ただし軽なら通れそうです。
徒歩ならゲートから30~40分。健脚で時間に余裕があり健康を意識している人は麓から歩きましょう!
【遺構】
山中に忽然と現れる土塁と横堀が複雑に組み合わされコンパクトな陣城ながら見ごたえ十分です。登山の疲れが一気にふっとびました。麓方向に最前線を守備するテナガエビ状の特異特異な縄張りの菖蒲谷砦があります。
副郭の土塁を撮ろうとしたら木に三本の深い傷を発見…(汗)。熊鈴かラジオ必須です!!!。野うさぎにも遭遇!。山深し轍深し爪跡深し・・・
2018年04月22日 近江守TOMO
東野山城
2018年4月現在、小学校からの林道東野中ノ郷線に土砂崩れ箇所あり。軽トラ以外は通れません。
2015年12月06日 vino-s
東野山城
余呉小学校南から北陸道の陸橋を越え防獣フェンスから中之郷東野林道に2・5km登ります。ただしかなりの悪路。四駆のほうが安心(乾燥しているといいがぬかるんでいると二駆だと登れないかも)二ヶ所分岐があります。説明板と土塁が見えたら到着。林道脇になんとか寄せて駐車します。主郭まで30秒程でつきます。土塁や掘、物見台などがよく確認できます。
2012年05月13日 三河守コーキしゃん
東野山城
入口は二ヶ所ありますが、余呉小学校側は通行止め、小谷からの迂回路は土砂崩れにより通行不可。
遺構が良好に残っているようなので行けなくて残念です(ノ△T)
【歴史】
天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いの際、羽柴秀吉軍は賤ヶ岳砦、田上山城などいくつもの陣城を築いた。東野山城もそのひとつで、堀秀政が布陣した。羽柴方の砦では最前列東端にあり、北国街道東側の稜線上を抑える要衝でもあるため、急ぎ確保されたとみられる。
賤ヶ岳の戦い以前にも在地の土豪・東野氏の詰城として使われたと伝わるが、詳細は不明。
【遺構】
余呉湖の北東側にある、標高407mの山頂に位置する。西麓を通る北国街道や、周辺に築かれた堂木山砦、神明山砦、林谷山砦、岩崎山砦などを一望できる立地だ。東野山城は羽柴軍が敷いた封鎖線の東の起点となる陣城で、封鎖線は南西の尾根を土塁に見立て、菖蒲谷城を経て土塁と堀で平野部の北国街道を完全封鎖し、反対側の堂木山砦まで続く壮大なものだった。東野山は、その司令塔ともなる機能を担っていたと考えられる。
賤ヶ岳の戦いで築かれた城塞群の中でも、巧妙な縄張の陣城といえる。横堀や土塁が多用され、巧みに屈曲をつけて虎口や通路を複雑に配し、効率よく横矢が掛かる設計だ。
横堀と土塁に囲まれた中心部は、大きく3つの曲輪(北東の曲輪、南の曲輪、西の曲輪)で構成される。北東の曲輪が主郭のように思えるが、西の曲輪がもっとも広く、現在は木々に覆われているものの北国街道方面への眺望がきくことから、こちらが主郭と考えられる。
西の曲輪を主郭とすると、北東の曲輪は巨大な馬出曲輪のようにも捉えられる。西の曲輪と北東の曲輪は土塁と堀で遮断され、南の曲輪を経由して迂回しなければ連絡できない。北東の曲輪には3つの虎口があり、南の曲輪へ通じる虎口は平虎口だが、外側へ通じる2か所の虎口は複雑な構造だ。北側の虎口は喰違い虎口で、東側の虎口は横堀を挟んで西側の曲輪から横矢が掛かるよう設計されている。
南の曲輪の虎口も技巧的で、土塁で囲まれた空間があり、馬出しを伴うような虎口になっているのが見逃せない。
北東の曲輪と南の曲輪からは、それぞれ外側に向かって東方向と南方向に竪堀が掘られ、城の中心部に回り込めないよう遮断線を敷いている。竪堀の外側に広がる平坦地は、その外側にさらに堀切を設けて区画を独立させていることから駐屯地だったと考えられる。広大な駐屯地を確保していたようだ。北国街道の封鎖線となる南西方向の尾根上にも、土塁や削平地が認められる。
土塁と横堀を多用した直線的な縄張は織豊系陣城の特徴といえ、天正11年という限定された時期の遺構としても貴重だ。
【交通】
北陸自動車道木之本ICから車で約15分
【参考文献】
・『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年。
・『図解 近畿の城郭Ⅰ』戎光祥出版、2014年。