山本山城(やまもとやまじょう)

山本山城の基本情報

通称・別名

山本城、阿閉山城、阿閉城、(朝日山陣屋)

所在地

滋賀県長浜市高月町西阿閉他

旧国名

近江国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

山本氏

築城年

平安時代後期

主な改修者

主な城主

山本氏、阿閉氏、浅見氏

廃城年

遺構

曲輪、帯曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

虎御前山城(滋賀県長浜市)[5.2km]
賤ヶ岳砦(滋賀県長浜市)[6.3km]
小谷城(滋賀県長浜市)[6.6km]
田上山城(滋賀県長浜市)[7.4km]
塩津城(滋賀県長浜市)[8.9km]
小室城(滋賀県長浜市)[9.1km]
長浜城(滋賀県長浜市)[9.5km]
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東野山城(滋賀県長浜市)[11.7km]
下坂氏館(滋賀県長浜市)[11.8km]

山本山城の解説文

山本山城(やまもとやまじょう)は、滋賀県長浜市湖北町山本にある山城。元亀争乱で小谷城防衛の一翼を担った城として知られる。

歴史
築城年代は定かではない。平安時代末期、源氏方の山下兵衛尉義経が籠もった山下城がこの城だったと伝承がある。

戦国時代には、京極氏の被官である阿閉氏が居城とした。永正年間(1504~1522)には尾上城の浅見氏が詰城とし、浅見氏が浅井氏の勢力下に組み込まれると小谷城の支城となった。浅井長政により山本山城は再び阿閉氏の城となり、浅井氏の小谷城を防御する重要拠点とされた。

元亀元年(1570)に浅井長政が織田信長から離反し元亀争乱が勃発すると、山本山城は長政が籠城する小谷城を防衛する重要拠点のひとつとなった。信長は元亀3年(1573)に山本山城への攻撃を開始し、『信長公記』にも攻防の様子が記されている。しかし、阿閉貞征が天正元年(1573)に信長に降り、小谷城の防衛線は崩壊。その結果、小谷城は孤立し落城した。

阿閉氏は信長に仕えた後に秀吉方に属したが、天正10年(1582)の山崎の戦いで明智光秀に味方したようだ。結果、阿閉氏一族は秀吉に滅ぼされた。阿閉氏の滅亡とともに、山本山城も廃城となったとみられる。

遺構
賤ヶ岳から南に派生した尾根の南端、琵琶湖東岸の山塊先端部に築かれている。朝日山または阿閉山とも呼ばれ、かつては西側と南側は湖沼が山麓に迫っていたという。

最高所に主郭を置き、南側、東側、北側に続く尾根上に曲輪群を配した構造だ。

主郭は東西約23m×南北約38m、四方は高さ2mほどの土塁で囲まれ、東・南側の2か所に虎口が開く。主郭東側には50mほど下がったところに小さな曲輪があり、やはり土塁で囲まれている。西阿閉と山本へ下りる尾根筋の分岐点にあたり、東麓の北国街道を監視すべく重視されたものと思われる。

主郭北側の曲輪群は、土塁と堀切を多用して防御を固めている。巨大な堀切は圧巻で、北端の曲輪にめぐらされた屈曲する土塁も見ごたえがある。

戦国時代後半の構築と推測できる。しかし、元亀3年の小谷城攻防戦の際に改修されたものか、浅井氏の滅亡後に改変されたものかは判断しにくく、近隣の城との比較が必要だ。

交通
北陸自動車道小谷城スマートICから車で約12分

参考文献
『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年。
『図解 近畿の城郭Ⅱ』戎光祥出版、2015年。

文:萩原さちこ

山本山城の口コミ情報

2020年06月20日 MACHT対馬守
山本山城

朝日山神社から約30分で本丸跡へ。本丸は周囲が土塁で囲まれかなり強固に守られている。北側には堀切、竪堀が連続して設けられ、こちら側からの攻めへの備えは万全。山頂からは琵琶湖もよく見え城を築くにはよい場所だと実感する。

2019年01月17日 カーネル
山本山城

北陸本線 河毛駅から直線で3.9km

駅を背に西へ向かい、国道8号で右折。次の速水北信号で左折して、ひたすらまっすぐです。この信号には山本山城の案内もあります

途中まで歩道があります。大雨だったので歩道がなくなると辛い

県道252号を超えた先の橋の脇に、山本山登山口→の看板があるので右折
正賢寺を通過した先の十字路で左折(案内あります)して先へ進み、右手の朝日山神社の参道を進みます

同神社の境内の左手に登山口があり、ここから山道

登ると獣害避けの金網と鳥居の珍しいコラボが見れます。キツメの坂道を登り、三の丸、二ノ丸を経て本丸

反対に下ると馬場跡、二重堀、土橋がありました。その先で引き返して駅に戻ったら180分経過しておりました


2017年04月06日 阿閉隊近江守Silvine
山本山城

宇賀神社から登ると、若宮山古墳までの間に段曲輪のような削平地が見られますが、種路城の遺構とのことです。
古墳を越えてからが本格的な登りで、前の方が書かれているように、かなりきついです。
30分ほどで二の丸跡の看板のところに出ますが、ここは重機で破壊されてしまったそうで、ただの段地になってしまっていますが奥琵琶湖と竹生島の眺めは良かったです。主郭から先は土塁と堀切がよく残っています。

2013年11月18日 ŧ‹”ŧ‹”。
山本山城

神社裏手より登城しました。
結構急な斜面を約30分ほど登ると、二の丸に着きます。
途中には、小さな古墳群も見られました。
案内板によると、山本山の分りやすい
容姿より、見当山とも呼ばれていたそうです。
途中、獣避けの柵がありましたが
至る所に、猪の掘り起こした痕かありました。
二の丸、本丸と連続して続きますが
かなりの広さがあり、ここからは
琵琶湖側も北国街道側も一望できます。
本丸より、賤ヶ岳側に下ると堀切や竪堀
土橋も小さいながらも2ヶ所ありました。
琵琶湖側よりも、小谷や北国街道への
守りを固めた造りなのが、竪堀の位置を見るとよく判ります。
竹生島が、直線の導線にあり
賤ヶ岳や奥琵琶湖の眺めは絶品です!
ただ、城についての説明板が
あまりにも少ないのは、残念でした。


2012年05月14日 傾奇揚げ仙兵衛
山本山城

小谷城を攻めるため秀吉が阿閉淡路守を調略した城
確かに麓に阿閉なる地名が

2010年06月13日 まったり丹波守
山本山城

宇賀神社の裏からと、朝日小学校の東側から登れます。
宇賀神社は東側に数台駐車可。社殿の裏手から登ります。途中に若宮山古墳が有ります。
朝日小学校東側は近くの神社の駐車場が有ります。
朝日小学校ルートはなだらかで登り易いが砂利道が続くので下りはしんどいです。
宇賀神社ルートは傾斜はあるが下り易いのでオススメです。見所は尾根北側に連なる郭と堅堀群。

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