長浜城(ながはまじょう)
長浜城の基本情報
通称・別名
- 今浜城
所在地
- 滋賀県長浜市公園町
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 平城
天守構造
- 独立式望楼型[3重5階/1983年築/RC造模擬]
築城主
- 羽柴秀吉
築城年
- 天正元年(1573)
主な改修者
- -
主な城主
- 羽柴氏、柴田氏、山内氏、内藤氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、石垣、横堀、井戸
指定文化財
- 市史跡(長浜城跡)
再建造物
- 模擬天守、石碑
周辺の城
-
下坂氏館(滋賀県長浜市)[2.5km]
三田村城(滋賀県長浜市)[6.2km]
横山城(滋賀県長浜市)[6.8km]
虎御前山城(滋賀県長浜市)[7.5km]
太尾山城(滋賀県米原市)[7.9km]
小谷城(滋賀県長浜市)[9.3km]
山本山城(滋賀県長浜市)[9.5km]
小室城(滋賀県長浜市)[9.9km]
鎌刃城(滋賀県米原市)[10.2km]
佐和山城(滋賀県彦根市)[10.9km]
長浜城の解説文
[引用元:Wikipedia「長浜城」の項目]
長浜城(ながはまじょう)は、滋賀県長浜市公園町の豊公園内にあった日本の城。羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城した。
沿革
1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。小谷城で使われていた資材や、1558年に火災に遭った竹生島宝厳寺の復旧資材として浅井長政が寄進した材木などを流用し築城を開始した。その後宝厳寺に対しては1598年に死去した豊臣秀吉の遺命として、大坂城の唐門などが移築されている。
同天正年間の3年4年頃に完成し羽柴秀吉が入城した。いわゆる水城であり湖水に石垣を浸し、城内の水門から直に船の出入りができるようになっていた。城下町は小谷城下(滋賀県長浜市湖北町伊部)からそのまま移した。現在でも城下町には羽柴氏当時の面影や名残が残る。のちに天下人となる秀吉が最初に築いた居城であり、秀吉の領国・城下町経営の基礎を醸成した所とされている。
1581(天正9年)、織田氏の中国遠征で不在であった羽柴氏[1]のあと、信長は荒木村重討伐や越前一向宗制圧の功から堀秀政を長浜城主に任じた。
1582年(天正10年)に本能寺の変が起こり、明智光秀の手により織田信長が殺害されると、明智に加担した山本山城主の阿閉貞征が長浜城を占領した。羽柴氏の妻ら係累は近隣の寺に逃れた。阿閉は山崎の戦いにも明智方として参加するが、明智は信長の仇討を掲げる羽柴方に敗戦し、阿閉は秀吉方に捕縛され阿閉一族全て処刑された。長浜城は羽柴氏の支配下に戻った。
1586年(天正13年)の天正地震により城が全壊し、城主山内一豊の息女が死亡した。この地震による側方流動で城の一部が琵琶湖に水没し、現在の長浜城遺跡・西浜千軒遺跡となったみられている[2]。(琵琶湖湖底遺跡)
1606年(慶長11年)に内藤信成・信正が城主になるが(長浜藩)、大坂の陣後の1615年(元和元年)に内藤氏は摂津高槻に移封され、長浜城は廃城になった。資材の大半は彦根城の築城に流用された。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられている。その他、長浜市内にある大通寺の台所門は長浜城の大手門を移したものと伝えられ、今でも矢尻の跡を見ることができる。同市内にある知善院の表門は、長浜城の搦手門を移したものと伝えられている。
現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにした復興天守で、市立長浜城歴史博物館として運営されている。
伝説
- 人柱「おかね」
- 天正2年の築城工事の際、長浜一の美女と評判だった女性「おかね」が人柱に選ばれて埋められ、天守北側にあった堀が「おかね堀」と呼ばれるようになった。天守閣跡にはこの話を伝える石碑が建てられている。
- 人柱「おきく」
- 秀吉から築城の命令を受けた京極氏の武士が人柱を探していたところ、漁師に出会ったので、人柱の事を伏せて「この辺りに娘はいないか」と尋ねた。漁師は「自分に娘が2人いる」と答えたところ、一人を人柱として差し出すように頼まれた。悩んだ漁師は2人の娘の内、盲目の妹「しのぶ」を人柱にするよう申し出たが、これを知った姉の「おきく」が妹を庇って自ら志願して人柱となった。天守閣跡側には「おきく」を祀ったといわれる祠がある。
周辺
- 長浜港
- 豊公園
- 成田美術館
- 慶雲館
- 長浜鉄道スクエア
- 長浜文化芸術会館
- 長浜駅(JR西日本北陸本線)
- 長浜太閤温泉
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長浜城の口コミ情報
2024年10月01日 NOROYAN
長浜城
琵琶湖湖畔の綺麗なロケーションのお城です。近くに広い駐車場があり、観光には非常に便利です。
2024年09月29日 ゆき丸兵部大輔
長浜城
豊公園駐車場があり、3時間まで無料で停められます。駐車場から徒歩で7分ほどです。天守からの景観は、湖畔側はとてもキレイです。
2024年09月08日 あしたか陸中守
長浜城
残念ながら、あまり魅力を感じない天守…。せっかく作るならもう少しなんとかなったんじゃないかと思わずにはいられない。豊公園自体は3時間駐車場も無料だし、駅からも遠くはないのでリア攻めはしやすい方かなと思います。
2024年04月07日 薊伍壱土佐守
長浜城
遺構的には、さして見張る物はないですが公園としては整理されてて駐車場もあるし御城印も何種類かあって宜しいのでは。
2024年04月01日 釆女正佐吉。
長浜城
長浜城歴史博物館は、令和6年(2024)4月1日から、毎週月曜日を休館日とします。ただし、月曜が祝日の場合は開館し、翌平日を休館とします。
また、展示替えや施設の点検等のため、臨時に休館する場合があります。皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。
◆令和6年(2024)4月から
【休館日】
・毎週月曜日(月曜日が祝日・休日の場合は開館し、翌平日が休館)
・年末年始(12月27日から1月2日まで)
・点検や展示替え等による臨時休館
以上、長浜城歴史博物館HPからコピペ。
(長浜城歴史博物館 兼 長浜城模擬天守)
2023年12月27日 麒麟を見たことある侍左近衛少将
長浜城
長浜城からの琵琶湖はとても綺麗でした。最上階から賤ヶ岳方面に建物があって少し見づらいかなと思いました。八本目の槍の小説旅で訪れました。
2023年12月12日 釆女正佐吉。
妙法寺 伝羽柴秀勝墓[長浜城 寺社・史跡]
全国11041人の秀吉ファンのみなさんこんばんは!
お姉さん、とある事情から日記帳買いましょ♪と本屋さんに行ったんだけど、日記帳の横にゲッターズ飯田の本が並んでて、間違えてそっちを買っちゃった!お姉さんたらホントうっかりさん。
そんなうっかりお姉さん、ある日「長浜城下町遺産候補まち歩き」に参加したよ。推し先生が長浜城下を歩いて史跡を解説して下さるの。あのイケボを至近距離で…ごく稀に歌のワンフレーズを披露して下さる事もあり…あらッ?お姉さん間違えて声楽教室に来ちゃったのかしら。それともコンサートホール?ここはどこ?私は誰、誰、誰…。
この日のブラヒロシは(あヒロシて言っちゃった)史跡26ヶ所を巡る至福の3時間。その上離れた場所には先生の車で移動で至れり尽くせりなのに、参加費たったの500円!心付けとかお車代とかお包みしなくていいのかしらお姉さん心配…。なのに参加者は先生と係員合わせてもたったの5人。しかも女性はお姉さん1人!こんなん実質デートですやん♡
今日はその日訪れた長浜の最新デートスポット「伝羽柴秀勝墓」を紹介するよレッツゴー!(賽銭泥棒する罰当たりがいるから普段は閉じられてるの。お参りしたい方は要事前連絡だよ)
お姉さん以前、敦賀城の口コミで「豊臣(羽柴)3人目秀勝」て書いたんだけど覚えてる?そう、秀勝と言われる人は3人いたんだ。
1人目→秀吉の子?羽柴秀勝。幼名石松丸?1576年(天正4年)死去。
2人目→ 信長の五男(四男説あり)。於次秀勝。18歳病死。
3人目→ 秀吉の姉、日秀尼(とも)の次男。秀次弟。幼名小吉。24歳病死。
長浜城下にあるのはこの1人目秀勝と伝わる人のお墓。お姉さんの手元には7ページにわたる先生の「羽柴秀吉実子伝承の謎」っていうレジュメがあるの。でもそれを全て書く事はムリだから、ザックリ要約しちゃう。 興味ある方は「神になった秀吉」(サンライズ出版)がオススメだよ。内容はほぼ一緒だから。
・長浜市に日蓮宗妙法寺があり、「羽柴秀勝は、夭折した秀吉実子」という寺伝がある。
・埋葬施設は安土桃山時代の大名一族の様式。墓石は天正時代の作。
・墓石正面には日蓮宗髭題目の下に「朝覚霊位」、左右に「天正四年」「十月十四日」と命日刻印。
・寺には「本光院朝覚居士」と命日が記された童子像があった。(昭和27年焼失)
・朝覚夭折にあたって、いくつかの寺院に秀吉から供養領が寄進された形跡がある。
・江戸後期には「朝覚」=「秀勝」=「次郎(於次と混同?)」という伝承が定着していたが、秀吉時代の史料からは確認できない。
・秀吉が後年2人の縁者に「秀勝」と名乗らせており、この名に執着していた。
・「於次秀勝」=「二代目の秀勝」の意味であり、「初代秀勝」がいたと考えるのが自然。
・元服前の童子に「秀勝」という元服後の実名があったのかは疑問が残る。
・竹生島奉加帳(秀吉の家族や家臣が竹生島に金品を奉納した記録)上段3番目に「石松丸」の名がある。(御ちの人と注記あり。御ちの人=御乳の人=幼児であろう)
・石松丸と奉加帳5番目の南殿は秀吉の近親者という以外何もわからない。
・朝覚=朝倉景鏡の子説もある。
で、結局この墓の主は誰なんだい!?
埋葬者は童子「朝覚」(ちょうかく)。でも朝覚=秀勝=石松丸である確証はない。
つまり、大名一族朝覚くんのお墓だよ!って事以外わかんない!秀吉の実子かどうかもわかんない!
ただ、長浜では珍しい日蓮宗で葬っており、秀吉の姉、日秀尼(とも)は熱心な日蓮宗の信者である事から、朝覚くんは日秀尼の子(秀次や3人目秀勝の兄弟)であると推論するのが合理的と言われるの。もちろん朝覚くんを秀吉が養子にしてた可能性もあり。
お姉さん、秀吉には子種が無かったに1票入れてるからこの説が正しいと思ってる。でもこれはもう秀吉一族に聞かないとわかんない!みんなはどう思う?
見学終了後は登録したい史跡を選ぶんだけど、A4に細かく書いてあったし、暗くてお姉さんちょっぴりおめめが見えなくて。「先生すみません、ちょっと見えないです…」て小声でかわいくアピったら先生 「これ差し上げますよ」てA3拡大版をくださったの。それに「そんな風に見えないけどなぁ」って!
差し上げます…これって、特別サービ…
そんな風に見えないけどなぁ…これって、若く見え…
あ~ん、お姉さん今日もまた一段と妄想が捗っちゃう!続きは「エリカの妄想日記♡」に書いておきます。
2023年10月19日 RED副将軍
長浜城
羽柴秀吉がはじめて一城の主に出世して築いた城
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1573年に羽柴秀吉により築城。浅井長政の小谷城攻めの戦功として織田信長から浅井氏の旧領を拝領し築城を開始。
築城時に今浜と呼ばれた地域を信長から一字拝領し長浜に改名しました。
1582年に本能寺の変が起こり織田信長が没すると、明智光秀に加担した山本山城の阿閉貞征が長浜城を占領しました。
しかし、羽柴秀吉が山崎の戦いで勝利すると阿閉貞征は捕縛され一族全て処刑され、長浜城は秀吉の支配下に戻りました。
その後の清洲会議では羽柴秀吉は対立していた柴田勝家にまさかの支配権を譲渡。柴田勝家の甥の柴田勝豊が長浜城の守将として入城しました。
しかし結局は秀吉と勝家の対立は収まらず、羽柴秀吉は長浜城を攻め寄せると柴田勝豊は降伏。
1583年の賤ヶ岳の戦いで柴田氏が滅ぶと山内一豊が入城しました。
1606年に代わって内藤信成が入城。大坂の陣後の1615年に内藤氏は摂津高槻に移封となると長浜城は廃城となり、大半が彦根城の資材となりました。
見所
現在は豊公園として整備されてます。
天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルに模擬復元され長浜城歴史博物館となっています。
天守跡地は琵琶湖畔であり、本来の位置と異なり模擬天守の西側になります。羽柴秀吉時代の長浜城に天守が建てられていたかは分かっていませんが、彦根城に現存する天秤櫓や山崎丸の三重櫓は長浜城からの移築と伝わることから三重の天守が建っていた可能性が高いと考えられています。
秀吉時代に使われたとされる太閤井戸は1819年の文政近江地震で水没しており渇水時のみ見ることができます。
2023年08月20日 黄金船右近衛大将
長浜城
長浜駅西口すぐにあります。城下町もいろいろあって楽しめるとおもいます。
2023年03月31日 ときは今
長浜城
JR長浜駅から近いです。天気も良く、桜も満開でした。豊国神社や黒壁スクエアなども徒歩圏内なので、観光にもってこいでした。
2023年01月08日 こーき中務大輔
長浜城
このお城は中は鉄筋コンクリートでできているお城です。中は5階建てで、1階は受付、2、3階は特別企画展(この時は後鳥羽神社についてと羽柴秀吉、浅井長政の歴史みたいなのがありました。)歴史が好きな方にはおすすめです。そして5階は展望室です。天気が良いと琵琶湖を一望できます。(4階は入れませんでした。)
2022年11月30日 ゆうこりん☆
長浜城
紅葉の長浜城!広い公園の中にあり、駅からも歩いて7分ほどです。秀吉の出世城でもあり、資料館はなかなかおもしろかったです。駅向こうには楽市楽座の雰囲気を味わえる商店街が観光地化されており楽しかったです。近江牛も格別でした!
2022年11月28日 名城100
駐車場[長浜城 駐車場]
3時間以内なら無料です。十分に散策できます。ありがたい😊
2022年10月31日 みつ
長浜城
復興天守で犬山城がモデルだそうです。天守跡には秀吉公の銅像がありました。周りは豊公園としてとても整備が行き届いています。
2022年05月31日 火拳近江守
長浜城
直ぐ近くに無料(時間制限あり)の駐車場があり、リア攻めにもってこいです。近くに親子丼の美味しい店もあるよ。
2022年05月16日 雲如露絶兎
長浜城
最上階からは琵琶湖や長浜の町が見渡せます。なお駐車場は3時間まで無料です。
2022年05月06日 蒼龍遠江守
長浜城
公園の駐車場は3時間無料です。3階まではエレベーターがありますが、展望室になってる5階には階段のみです。展示室にはエレベーターで行けますので、階段が苦手な方でも問題なく見学できます。藤吉郎時代の書状があったりと見どころはありますが、刀剣や鎧兜については展示がありませんので少し残念に思う方もいらっしゃるかもしれません。
2022年01月03日 グッサン
長浜城
戦国時代には珍しい琵琶湖の沿岸に築かれた典型的な平城です。
豊臣秀吉が浅井家の滅亡後に山城の小谷から城下町共々移したとのことですが、長浜駅から簡単にアクセスでき防衛面ではかなり貧弱さを感じた分、交通の要所に城を配置したことは、秀吉はすでに平和な時代の到来を見越していたのではないかと感じました。
2021年11月28日 前田利家猫耳メイド萌
伏見城移築対面間[長浜城 遺構・復元物]
広間は、大通寺最古の桃山時代の建物で重要文化財に指定されています。東にある本堂とは渡廊によって結ばれています。
南を正面にして正面(桁行)12.9㍍、側面(梁間)20.9㍍の大きな建物で、屋根は寄棟造り、本瓦葺となっていますが、周囲は桟瓦葺きとなっています、元は伏見城にあった建物が、本願寺に移され、更に承応年間(1652〜55)に大通寺に移されたと伝えられています。
玄関部分は、宝暦十年(1760)に当寺 住職 横超院の内室であった彦根藩主 井伊直のぶの息女 数姫によって建てられた事が、棟札により明らかで、間口を大きくとり入母屋造りの屋根に軒唐破風をつけた大らかな建築である。
2021年11月28日 前田利家猫耳メイド萌
伏見城移築殿舎(大通寺本堂)[長浜城 遺構・復元物]
本堂は、元伏見城の殿舎で、秀吉が朝鮮出兵に先立って軍議をした所とも云われている。
徳川家康より、東本願寺 第十二代 教如に贈られ、本願寺の御影堂として移築されたが、後に徳川家光より、富士裾野の巨材の寄進を受けて、御影堂を改築するにあたり、旧堂を大通寺の本堂として再移築されたと伝えられている。
2021年11月28日 前田利家猫耳メイド萌
大通寺台所門(長浜城大手門移築)[長浜城 遺構・復元物]
大通寺台所門 (市指定文化財)
この門は、元長浜城の大手門であったと伝えられている。大通寺は、始め長浜城の一廓に長浜御坊と称して創立されたが、その時、城の大手門を御坊の門とした。
慶長十一年(1606)[一説には寛永十六年(1639)]に大通寺が現在地に移転された時、門もまた移されたが、文化五年(1808)に重層の山門を起工するにあたって、これを現在の場所に移したもので、裏門とも台所門とも呼ばれている。
門柱や側柱の用材、扉の菱形金具と八双金具、門柱正面のまんじゅう金具、両端の男梁上に置いた板蟇股等は、創建当時のもので、桃山時代の様式を持ち、雄大なことはやはり城門の遺構であるとうなずける。
説明板より
脇門の門扉には、本能寺の変に呼応した京極軍による矢や銃弾の痕が残っているという。
2021年11月27日 前田利家猫耳メイド萌
天守跡[長浜城 遺構・復元物]
この石碑が建つ位置は、長浜城の天守閣があったといわれる所です。江戸時代の絵図によれば、東西12間✕南北10間とあります。
長浜城は、天正2年(1574)から翌年にかけて羽柴(豊臣)秀吉公が築いた城です。その後、山内一豊公など4人の城主が入りましたが、元和元年(1615)には廃城となっています。このように長浜城の歴史は約40年に過ぎず、江戸時代の大半は城がなかったので、その構造(専門的には「縄張」といいます)は現状から推定することは出来ません。
古絵図などを基にした長浜城の復元によれば、上図のように2重の外堀と内堀に囲まれた水城で、南北1.2㌔・東西0.7㌔の大きさであったと考えられます。
さらに、今回『秀吉公ゆかりの石碑・石柱建立事業』では、左図に示したような、石碑・石柱を豊公園周辺の城跡に建立し、城があった頃の状況がわかるようにしました。
説明板石碑より
2021年11月27日 前田利家猫耳メイド萌
長浜城内堀跡[長浜城 碑・説明板]
この辺りにあった内堀が、おかね堀なのだろうか?説明板が有ると良かったのだが…。
2021年11月27日 前田利家猫耳メイド萌
長浜城内堀跡[長浜城 碑・説明板]
長浜市豊公園駐車場出入口近くの歩道橋脇に、内堀跡を示す石碑がひっそりと佇んであります。
歩道橋を渡って、蔵屋敷跡〜御馬屋跡辺りの歩道に石が置かれているが、内堀石垣に使われていた石材なのだろうか???気になる…。
2021年11月27日 前田利家猫耳メイド萌
御蔵屋敷跡[長浜城 遺構・復元物]
この石碑付近は、内堀内の港の跡で、蔵屋敷あったことを示す地名が残っています。
説明板石碑より抜粋
2021年11月27日 前田利家猫耳メイド萌
長浜城御馬屋跡[長浜城 碑・説明板]
長浜城の構造
天正二年(1574)から翌年にかけて、羽柴(豊臣)秀吉公によって築城された長浜城の推定復元図です。
現在の豊公園に本丸・二ノ丸があり、内堀を隔てて家臣団屋敷が並び、それを囲む外堀の東に城下町(現在の長浜市街地)が展開していました。
この石碑付近は、内堀内の港の北側で、馬場があったことを示す地名が残っています。
説明板石碑より
2021年11月21日 釆女正佐吉。
太閤井戸[長浜城 遺構・復元物]
昭和14年(1939年)に琵琶湖が渇水した際に発見された井戸。同年9月に「太閤井址」の石碑が設置された。
長浜城の井戸であった可能性が指摘されるが、長浜城は廃城後、田地、桑畑、畑となっており、秀吉時代の井戸である明確な根拠はない。
①2021/09/23時点。
②2021/11/20時点。(以下同日付)
③石碑裏。
④全体像
⑤小さな石柱を囲むように配置されたかに見える石。こちらも井戸跡っぽい。
⑥長浜城廃城後、彦根城に流用するため船に積む際落下し、積み直すのも労力が要る事と、落下=落城と縁起が悪い事により捨て置かれたと伝わる石。
2021年09月22日 治部卿丸に澤瀉
長浜城
公園の中にあって見学しやすいところでしたが、残念ながら耐震工事中でした。また改めて来たい。
2021年08月26日 乱会
長浜城
模擬天守内が博物館になっています。解説パネルではやたら山内一豊とお江と黒田官兵衛と明智光秀が強調されており、大河ドラマ効果ってすごいよね…となります。博物館内で聞ける謎のおね・秀吉・浅井長政のモンタージュ・ボイスは必聴です。なんで浅井長政だけ標準語?
※現在は臨時休館中です
2021年08月26日 【城郭道】たっきー
太閤井戸[長浜城 遺構・復元物]
普段は石碑以外は水中に没している太閤井戸。渇水時は石碑全体が湖面から姿を表す。
1929年、夏の旱魃期に琵琶湖の水位が下がり、湖中にあった井戸の木枠が発見された。この時、長浜町長は、この木枠を保存するため周囲に石組みし、『太閤井阯』と刻んだ石碑を建てた。
かつての長浜町長の行いによって現在の太閤井戸があることを忘れないようにしていきたいですね。近くに説明板を建てるといいかもしれません。
井戸がどのように見えるかは、その時次第なので、予想しながら行くといいかもしれませんね。
ちなみに我の場合、しっかり出ていることの方が多いです。皆さんはどうですか。
2021年08月19日 イオ左衛門佐
豊国神社[長浜城 寺社・史跡]
豊臣秀吉の死後、遺徳を慕う長浜町人によって創建されるも、大坂の陣の後は廃されました。しかし、江戸後期に「恵比須宮」として再建し、密かに秀吉を祀り続けてきた(明治以降に豊国神社に復しました)という長浜における秀吉信仰の中心地です。
境内には御祭神の一柱、加藤虎之助清正公の銅像も建てられています。
2021年08月18日 イオ左衛門佐
知善院表門(長浜城搦手門移築)[長浜城 遺構・復元物]
知善院表門は長浜城の搦手門が移築されたものと伝わります。
知善院はもとは小谷城下にありましたが、長浜城築城の際に羽柴秀吉が鬼門守護のため現在地に移したとされ、本堂には大坂城から移された秀吉の木像が祀られています。
2021年08月18日 イオ左衛門佐
徳勝寺[長浜城 寺社・史跡]
徳勝寺は浅井氏三代の菩提寺で、小谷城廃城に伴って羽柴秀吉により清水谷から長浜城内に移され、江戸前期に井伊直孝により現在地に移されています。境内奥には浅井氏三代の墓所があります。
2021年08月15日 イオ左衛門佐
長浜城石垣出土地[長浜城 遺構・復元物]
湖岸埋立工事時の発掘調査で発見された石垣が埋め戻されていて、石垣出土地の石碑と石垣根石の並びを示す標石が設置されています。
2021年08月04日 釆女正佐吉。
長浜城
長浜城歴史博物館は、耐震補強等改修工事のため、現在全館休館中です。(令和3年8月1日(日)から令和4年3月31日(木)まで)
来春の開館の際は、ぜひ5階戦国パノラマ展望台(望楼・回縁付)から秀吉公になった気分で琵琶湖を一望してください。
「琵琶!(ビバ!)琵琶湖!!」
と叫ぶと、テンション上がってなお良いでしょう。
私、私は遠慮します…。
しかし、いやぁ参った!長浜城休館時にガッツリ豊太閤イベント…ごにょごにょ。
TOKYO2020を2021年に行う的な?コロちゃんによる大人の事情でしょう。
あゝでも!間違いなく豊太閤イベントのメイン城だったハズなのに!!
お城EXPOでは長浜城にわんさか人が訪れるハズだったのに!!
みんなが「琵琶!琵琶湖!!」って叫ぶハズだったのに!!
2021年07月27日 おやぢ
長浜城
天守閣から見える琵琶湖の眺めが素敵です。彦根城の天守閣は残念ながら網ごしですが、こちらは網もなく琵琶湖を眺めることができます。
2021年07月14日 HappySachi宮内卿
長浜城
さすが秀吉ですね。コンパクトで守りと利便の良い立地です。秀吉の銅像が可愛らしかった!
2021年03月27日 【城郭道】たっきー
石碑[長浜城 碑・説明板]
本丸跡北東隅にある石碑。1933年、滋賀県が建てたもの。
天守との撮影によく合う。
2020年12月19日 小太郎左衛門督南畿道19國守
長浜城
秀吉躍進のシンボル城。雪化粧の天守を模した長浜城歴史博物館も見ごたえあり。同館で御城印を購入。12月17日訪問。
2020年10月20日 さとっち左近衛少将
長浜城
天守閣からのパノラマが素晴らしかったです。関ヶ原戦跡まで見れると案内あり。
2020年10月19日 Rocky丹波守
長浜城
長浜城の天守閣は昭和に再建されて中に歴史博物館になっています。ここで御城印が売っています。秀吉の最初に一国一城の主となった拠点であり、秀吉と長浜城のことが3階に展示されています。
2020年10月19日 くまなみ
長浜城
駅からすぐ、真っ直ぐ入口に向かいがちですが、周囲は公園なので湖岸にも廻ってみるのもよいです。正面からの撮影は早朝がお薦めです。
2020年09月22日 かたつ刑部卿
長浜城
長浜駅から歩いて5分程度で、着きます。
琵琶湖畔にあるので、散策が楽しいです。
江戸時代の地震で遺構が湖に沈んだものも多いため、これから新発見も期待できると思います。
模擬天守は博物館になっています。
2020年09月19日 【城郭道】たっきー
天守閣(長浜城歴史博物館)[長浜城 関連施設]
現在の模擬天守は独立式望楼型三重五階で犬山城や伏見城をモデルに鉄筋コンクリートで造られ、市立長浜城歴史博物館として運営されています。受付では御城印やクリアファイルなどが販売されています。
よく特別展が開催され、それらを見てから一番上まで行って周りを見渡せば伊吹山や竹生島などが見え、建物良い景色です。長浜に行ったら行くべき場所ですよ!
2020年08月15日 【城郭道】たっきー
駐車場[長浜城 駐車場]
ここに車を停めることができます。
ここから長浜城天守までは10分歩けば着きます。是非、ご利用ください。
2020年03月10日 【城郭道】たっきー
長浜城
長浜城から長浜駅の方に歩いて行く途中に内堀や外堀の石碑や長浜城関連の石碑がたくさんあります。
2020年02月27日 陸奥守たろす
長浜城
御城印はホテルサンルート彦根の売店で販売(お土産品?)されているようです。
他にも長浜・彦根・大津周辺の城の御城印もあるようですが、各自治体や観光協会・地権者発行のいわゆる「公式」な物かは不明です。
自治体発行ならば城保存・広報等の財源になるかな?と思いますが、単にホテルの営利目的だと…
真相お知りの方、補足・訂正あれば追記願います
2020年02月26日 刹那F精鋭渡島守【元親】
長浜城
2/24御城印は販売していませんでした。
2019年12月08日 saizo
長浜城
豊公園の摸擬天守では御城印は販売していませんでした2019.12.8
2019年06月29日 課長大和守Ver.B
太閤井戸[長浜城 遺構・復元物]
秀吉が築城時に掘らせたと伝わる数少ない長浜城遺構の一つ。琵琶湖の水位が高い時期は碑だけが湖面に浮かんでいます。
2017年06月29日 中務卿Pan太郎
長浜城
もぐもぐ様の口コミに補足の駐車場の情報です。
豊公園駐車場は3時間以内は無料です。
イベント等がありますと出入口が込み合いますの時間に注意してください。
2017年05月17日 ŧ‹”ŧ‹”。
長浜城
長浜城には、豊公園の駐車場が便利なのですが2017,6/1より有料となります。
公園内には、国民宿舎豊公荘がありその中にある太閤温泉は日帰りでの入浴も可。
入浴料は、¥600
6/1以降の駐車料は3時間まで無料。
温泉は、総鉄イオンの鉄泉。
効能は、貧血・リウマチ・冷え性等
秀吉が長浜に移り男子を授かった事から
子宝の湯とも。
湯船は、薄茶色の湯と白湯(熱め)
サウナはありません。
壁が、城郭の白壁風になっており
鉄砲狭間・弓狭間もあり狙われている感じもあり(笑) 瓦も石垣も!
浴室からは、伊吹山が見られますが長浜城は見えません。
長浜城歴史博物館(長浜城)の割引券もあるので登城前に体を清めてからも良いかと。
2017年04月15日 織田上総介晃司
長浜城
慶長様式で復興された天守は昭和に建てられたが、長浜のシンボルとなっている。
元々、今浜の地名を羽柴秀吉が織田信長にならい長浜に変更した。
豊公園には桜が多く植樹されて桜の名所にもなっている。
豊公園の駐車場は2017/06/01から有料になります。車でリア攻めされる方は参考にしてみて下さい。
2017年02月08日 青き巨星弾正少弼かみ
長浜城
お城メダルは天守最上階にあります。お城にひょうたん柄のもの1種類です。
2016年02月09日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
長浜城
滋賀県のこの湖北方面は城も多く見所満載で迷う方がいらっしゃると思います。ここはJR線長浜駅から西口から降りて100m琵琶湖に向かえば長浜公園に城それに歴史博物館がありビギナーから大人まで楽しみ歴史に興味を持ってもらえるように実によく考えて整備されておられます。建築関係の仕事をしている我々の目から見てもこのお城は美しい中にも力強さを感じます。
近代の建築技術を使ってもここまで自然の中に溶け込み嫌みがない大成功なお城だと思います。2月末迄博物館は整備の為に閉館でしたがこの日は大変満足でした。老若男女がくつろげるこのスタイルをいつまでも継続していってほしいです。
近くの長浜港から遊覧船も巡航しており船上から見る長浜城も秀逸です。私は関西1日パスをよく利用します、この他の琵琶湖周りの城を幾つもの城巡りができてお薦めします(´▽`)ノ。100名城には選ばれていませんがお薦め致します。
2015年10月12日 【鶴丸】兵部大輔葉侍
長浜城
長浜城主時代の秀吉ゆかりの地として、豊国神社、三成と秀吉出逢いの広場以外にも浅井三代の菩提寺である徳勝寺、秀勝の菩提寺である妙法寺、朱印地の石柱を回る事が出来ます。
・徳勝寺
小谷城から長浜城下へ秀吉によって移されました。拝観料無し、御朱印300円。浅井亮政、久政、長政の墓があります。本堂はネットの情報では予約が必要だそうですが、予約無しでも参拝出来ます。玄関のチャイムを鳴らすと案内して下さります。本堂には浅井三代の座像、小谷城の資料、また、運が良ければ伝久政自刃の刀を見せて頂けます。
・妙法寺
羽柴秀勝の菩提寺です。秀勝の金塗りの位牌を見る事が出来ます。拝観料無し。御首題300円。御朱印帳でも押して頂けます。本堂を参拝すると秀勝の資料を頂けます。都合が良ければ聞き取りにくいですが、ご住職に説明もして頂けます。長浜城博物館の割引券を頂きました。
・是従◯長濱領石柱
秀吉が定めた長浜の年貢免除の朱印地境界には35の石柱が建っています(うち、5本は江戸時代から残っている物)。
2015年10月10日 河野治部少輔かぱ通
長浜城
長浜駅から徒歩ですぐ着きます。模擬天守内部は歴史博物館になっています。入場料400円。展望台からの景色は良く、琵琶湖や近隣の有名な歴史の舞台がぐるっと見渡せます。
2015年07月14日 ひろり
長浜城
長浜駅二階のエスカレーター辺りから長浜城を見てみて下さい。“しろじい”(長浜城のキャラクター)がいますよ。私はもうしろじいにしか見えません。
2015年03月17日 ŧ‹”ŧ‹”。
長浜城
長浜城歴史博物館は、1983年の市政40周年記念事業として再建。
建設費用の約7割、4億3000万円が市民や企業の寄付で造られたそうです。
2012年09月15日 ポリタンク大和守
長浜城
管理事務所南側(遊歩道を挟む)に石垣出土地の石碑と説明板があります。また、石があった場所に白い標石を埋め込んでくれてます。
2012年05月04日 傾奇揚げ仙兵衛
長浜城
太閤井戸の石碑が琵琶湖内に建っていた。井戸の水じゃなく琵琶湖の水じゃん!
2012年05月01日 瀧乃道大蔵卿ユズル
長浜城
展望室の外では、角から角へ移動する度に、7、8割りの確率で1〜3両が貰えておもしろかったですよ。
2011年03月21日 出雲守りらくま
長浜城
長浜城歴史博物館を見学しました。駅から湖岸道路を挟み、徒歩約5分。9時~17時開館、入場料400円。港町方面ホテル上階客室では彦根城になり、長浜城は盗れませんでした1階で攻略可能
2010年09月19日 古楽侍従広家
長浜城
実際に城があった場所は、今の秀吉像がある場所。
2010年08月26日 堀久太郎秀政
長浜城
俺っちの地元です!天守閣から!琵琶湖を一望また、北には!小谷城跡、虎御前山、横山城跡、景色が綺麗です
2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
長浜城
[武将像]山内一豊と千代像
大河「功名が辻」放映を記念して、千代の生誕地や、一豊の母の墓に近いJR坂田駅前に建立。
秀吉時代の長浜城内にあった屋敷跡に、二人のモニュメントがある。
2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
長浜城
[武将像]加藤清正像
黒壁スクエアに近い長浜城大手門跡付近に豊国神社があり、境内に鎮座。
2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
長浜城
[武将像]秀吉・三成出会いの像
長浜駅前にある。城跡には太閤秀吉像が鎮座。
長浜市の石田屋敷跡には、石田三成座像が鎮座。佐和山城入口の龍潭寺像と同じ
長浜城の周辺スポット情報
太閤井戸(遺構・復元物)
天守跡(遺構・復元物)
御蔵屋敷跡(遺構・復元物)
本丸跡(遺構・復元物)
大通寺台所門(長浜城大手門移築)(遺構・復元物)
長浜城石垣出土地(遺構・復元物)
伏見城移築殿舎(大通寺本堂)(遺構・復元物)
伏見城移築対面間(遺構・復元物)
知善院表門(長浜城搦手門移築)(遺構・復元物)
御殿跡(遺構・復元物)
天守跡(遺構・復元物)
石碑(碑・説明板)
大手門跡(碑・説明板)
外堀跡の碑(碑・説明板)
外堀跡の碑(碑・説明板)
長浜城家臣団屋敷跡の石碑・地名起源歌碑(碑・説明板)
伊右衛門屋敷跡(碑・説明板)
博物館建立経緯(碑・説明板)
長浜城内堀跡(碑・説明板)
長浜城御馬屋跡(碑・説明板)
長浜城内堀跡(碑・説明板)
宮川陣屋(周辺城郭)
豊国神社(寺社・史跡)
増田長盛屋敷(寺社・史跡)
徳勝寺(寺社・史跡)
妙法寺 伝羽柴秀勝墓(寺社・史跡)
長浜城歴史博物館(模擬天守)(御城印)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
天守閣(長浜城歴史博物館)(関連施設)
噴水広場(関連施設)
豊公園管理事務所(関連施設)
豊臣秀吉と石田三成出会いの銅像(関連施設)
国友鉄砲ミュージアム(関連施設)
天守閣入口(その他)
豊臣秀吉像(その他)
黒壁スクエア(その他)
鉄道スクエア(その他)