太閤井戸
太閤井戸([長浜城 遺構・復元物])
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太閤井戸の口コミ情報
2021年11月21日 釆女正佐吉。
昭和14年(1939年)に琵琶湖が渇水した際に発見された井戸。同年9月に「太閤井址」の石碑が設置された。
長浜城の井戸であった可能性が指摘されるが、長浜城は廃城後、田地、桑畑、畑となっており、秀吉時代の井戸である明確な根拠はない。
①2021/09/23時点。
②2021/11/20時点。(以下同日付)
③石碑裏。
④全体像
⑤小さな石柱を囲むように配置されたかに見える石。こちらも井戸跡っぽい。
⑥長浜城廃城後、彦根城に流用するため船に積む際落下し、積み直すのも労力が要る事と、落下=落城と縁起が悪い事により捨て置かれたと伝わる石。
2021年08月26日 【城郭道】たっきー
普段は石碑以外は水中に没している太閤井戸。渇水時は石碑全体が湖面から姿を表す。
1929年、夏の旱魃期に琵琶湖の水位が下がり、湖中にあった井戸の木枠が発見された。この時、長浜町長は、この木枠を保存するため周囲に石組みし、『太閤井阯』と刻んだ石碑を建てた。
かつての長浜町長の行いによって現在の太閤井戸があることを忘れないようにしていきたいですね。近くに説明板を建てるといいかもしれません。
井戸がどのように見えるかは、その時次第なので、予想しながら行くといいかもしれませんね。
ちなみに我の場合、しっかり出ていることの方が多いです。皆さんはどうですか。
2019年06月29日 課長大和守Ver.B
秀吉が築城時に掘らせたと伝わる数少ない長浜城遺構の一つ。琵琶湖の水位が高い時期は碑だけが湖面に浮かんでいます。