小谷城(おだにじょう)

小谷城の基本情報

通称・別名

所在地

滋賀県長浜市湖北町他

旧国名

近江国

分類・構造

梯郭式山城

天守構造

型式不明[2重?/築年不明/破却?]

築城主

浅井亮政

築城年

永正13年(1516)?

主な改修者

主な城主

浅井氏、羽柴秀吉

廃城年

天正3年(1575)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(小谷城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

虎御前山城(滋賀県長浜市)[2.1km]
小室城(滋賀県長浜市)[2.6km]
三田村城(滋賀県長浜市)[5.5km]
山本山城(滋賀県長浜市)[6.6km]
田上山城(滋賀県長浜市)[7.9km]
横山城(滋賀県長浜市)[9.0km]
賤ヶ岳砦(滋賀県長浜市)[9.2km]
長浜城(滋賀県長浜市)[9.3km]
下坂氏館(滋賀県長浜市)[10.4km]
東野山城(滋賀県長浜市)[12.3km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

49 小谷城

設置場所

小谷城戦国歴史資料館[地図
河毛駅コミュニティハウス(小谷城戦国歴史資料館休館期間中)[地図

小谷城の解説文



小谷城(おだにじょう)は、滋賀県長浜市(旧東浅井郡湖北町伊部、かつての近江国浅井郡)にあった戦国時代の日本の城(山城)。城跡は国の史跡に指定されている。

概要 

日本五大山城の一つに数えられる。標高約495m小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれ、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られる城である。

戦国大名浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られたが、元亀・天正の騒乱の中で4年間織田信長に攻められ落城した。その後、北近江の拠点は長浜城に移されたために廃城となった。現在は土塁・曲輪などのほか、先駆的に取り入れられた石垣なども遺構として残っている。国の史跡に指定されている。

歴史・沿革 

築城

『浅井三代記』によると、 とあり、「1516年(永正13年)9月28日に着工同年10月20日に完成」という記述がある。しかし、浅井三代記の記述には疑問点も多く、その後の1525年(大永5年)、六角定頼が江北に侵攻した際、浅井亮政が小谷城にて篭城戦をしたことから、その1,2年前の1523年(大永3年) - 1524年(大永4年)築城説が有力である。この2説以外にも諸説あるが、いずれにせよ大永5年迄に築城されていたと思われる。その後1538年(天文7年)にも六角定頼が攻め込んだが、この時も浅井亮政は小谷城を退城し美濃国に逃亡した。

織田との攻防

亮政の孫長政は元亀・天正年間に朝倉義景とともに織田信長と戦ったことで知られる。元亀元年(1570年)6月の小谷城から南に5キロほどの地点で繰り広げられた姉川の戦いでは浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が激突し、織田軍が勝利したものの、信長は小谷城の堅固さを考慮して城攻めを断念、姉川南岸の横山城を築城、有力部将の木下秀吉(のちの豊臣秀吉)を配置し、浅井氏に対する付城(前線基地)とした。

その後もしばらく小谷城から出る浅井軍と織田軍とで争いがあったが、各拠点を守る磯野員昌(佐和山城)・宮部継潤(宮部城)ら浅井軍の諸将が徐々に寝返っていき、付城も横山城から、小谷城の南側の正面にある虎御前山へと前進した。しかし、一方で小谷城・丁野城・山本山城と小谷城から琵琶湖まで東西に並んだ支城は落城せず、小谷城の包囲へは持ち込めずにいた。

1573年(天正元年)8月8日、山本山城の守将である阿閉貞征が羽柴秀吉(7月ころに名字を木下から羽柴に改める)の調略に乗って織田方に寝返った。この城が手に入ったことで織田方は小谷城の包囲が可能になり、信長はその日の夜半に岐阜城を進発し、10日には越前から小谷城への北国街道のルートを封鎖することに成功した。このため援軍に赴いた朝倉義景の軍勢(2万といわれる)は小谷城に入ることができず、余呉や木ノ本などに布陣した。この混乱の中で焼尾の砦を守る浅見対馬守が降伏した。焼尾は小谷城と峰続きである大嶽の砦の北麓にあるため、信長は小谷城攻略の意思をさらに固めた。

8月12日(グレゴリオ暦9月8日)、畿内一帯に嵐が襲来した(京都などでも被害の記録がある)。この嵐を好機と見て信長はこの日自ら浅見対馬守の手引きで大嶽を攻撃、落城させることに成功した。さらに翌日には形勢不利と見た朝倉軍が撤退するところを一気に強襲し、朝倉軍に壊滅的な打撃を与えた(刀根坂の戦い)。信長は嫡男・織田信忠の手勢などを押さえに残して越前に攻め込んで朝倉氏を滅亡させたのち、8月26日には虎御前山に帰陣した。翌8月27日、羽柴秀吉の軍勢が清水谷の急傾斜から小谷城京極丸を急襲して陥落させ、本丸を守る長政と小丸を守る長政の父・久政を分断させることに成功した。その日のうちに小丸を落城させ、久政は自害した。さらに本丸も落ち、9月1日、長政は本丸の袖曲輪にある赤尾屋敷で自刃し[1][2]、ここに浅井氏は滅亡した。

廃城

その後、浅井氏の旧領のうち伊香郡・浅井郡・坂田郡は羽柴秀吉に与えられるが、秀吉は琵琶湖から離れた小谷城を嫌い、1575年(天正3年)に北国街道と琵琶湖に面しており港もある今浜に新たに築城して居城とした(長浜城)。そのため小谷城は廃城となり、現代に至っている。

1937年(昭和12年)4月17日、国の史跡に指定された。

歴代三代城主

初代 二代 三代
浅井亮政 浅井久政 浅井長政

最後の城主は羽柴秀吉であるが、居城としていた期間も短く、小谷城は浅井氏の発展と共に築城し、浅井氏の滅亡と共に廃城となった。

城郭 

小谷山一帯の尾根筋や谷筋をそのまま活用した南北に長い山城で、築城当時は現在の本丸跡よりさらに北に位置する大嶽城付近に本丸があったと考えられている。久政、長政によって代々拡張が重ねられ現在の城郭になった。落城後長浜城の建築資材とするため小谷城は解体されてしまったが、山王丸付近に現存する大石垣をみる限り当時としては先進的で大規模な城であったと推察される。

主郭部

城は多くの郭によって構成されており、本丸とその奥に続く中丸との間には深さ5〜10メートルほどの堀切があり主として南北2つの部分に分けることができる。これらの郭を守る形で武家屋敷跡が点在し、清水谷などの要所には重臣の屋敷が配置されていた。

御茶屋敷曲輪・御馬屋敷曲輪

御茶屋敷曲輪は番所跡の上にある曲輪で、主郭部の最先端にある。曲輪は一郭で中央に低い土塁があり、名称は「御茶屋敷」と伝承されているが、歴とした軍事施設になっている。

御馬屋敷曲輪は本丸を防備するために築かれ、三方を高い土塁で囲まれている。また御馬屋敷曲輪の清水谷の斜面側にはいくつかの竪堀が見受けられる。またこの近くには馬洗池跡があり、南北9m×東西6.6mの石組みの池で中央に仕切りがある。また黒金門跡の手前に首据石があり、今井秀信を神照寺で殺害し首をここにさらしたとの伝承がある。

本丸・大堀切

本丸曲輪は江戸時代中期の小谷城古絵図には「鐘丸共」と記載されているので、鐘丸として機能していたと思われている。規模は南北40m×東西25m規模があり、上下二段から成り立っている。また東西の裾には土塁があり、本丸下の千畳敷曲輪方向には石垣が築かれている。この本丸跡に『戦国大攻城戦』では二層天守が築かれていた可能性を指摘している。それ以外では小谷城の天守が長浜城に、そして彦根城の西の丸三重櫓として移築されたと伝承されていたが、1955年(昭和30年)の解体修理ではそのような形跡は発見されなかった。これは、1853年(嘉永6年)に8割近くが大修理されており、築城当時の建築物は発見出来ない可能性も指摘されている。また、この北側には深さ10m×幅15m×長さ40mからなる大規模な堀跡がある。ここから上部と下部を明確に分断している。『戦国の堅城』によると、上部の曲輪はこの堀切があることで、下部の曲輪で食い止め強固に守られる反面、上部から下部へ、下部から上部への戦力の柔軟な運用が難しくしている点を指摘している。

京極丸・小丸・山王丸

堀切より北側には、中丸、京極丸、小丸、山王丸と続いている。中丸は大堀切の北側にあり、三段からなる階段曲輪で、それぞれの段で横矢を築いている。

京極丸は京極氏の屋敷があったと伝承されている。しかし 浅井久政、浅井長政時代には京極氏は河内城にいた。また、浅井亮政が旧主京極氏を幽閉していた場所だったので京極丸と名づけられたともいわれている(この曲輪は、『信長公記』によって同時代においてもこの名前で呼ばれていた)。城内では千畳敷曲輪に次ぐ二番目に広い曲輪跡である。

京極丸の北側に小丸がある。この場所は浅井久政が切腹し果てた場所で、左右2段の曲輪からなる。

主郭部の最も北側にあるのが山王丸である。山王丸は神社が祀っていたと考えられ、現在は名称が小谷神社にかわり小谷寺の一角へ移っている。4段から成り、詰めの曲輪でもある。また、山王丸の東側には高さ5mからなる大石垣があり、また各曲輪の虎口にも石垣が確認できる。『戦国の堅城』ではこれらの石垣は浅井氏の権力の象徴となっていた可能性を指摘している。石垣は鉄砲が伝来すると共に急速に広がっていくが、まだ戦国時代末期では国人の私的権力では構築が困難で、寺社に属する石工集団を動員する必要がある。近江国では六角氏のような守護に近い権力が必要であった。そこで浅井氏は自らの権力を配下の国人衆や、浅井氏の湖北での正当性や優位性を見せつける必要があり、石垣が築かれることによって浅井氏も国人から戦国大名になったのではないかと指摘している。

金吾丸

大永5年に朝倉宗滴が入城、5ヶ月間在城し六角定頼との調停をした際に使用された。

月所丸

尾根に複数の堀切と土塁が残る。

大嶽城

山王丸から谷筋へ下り、さらに山道を登った所に大嶽城があり、小谷城の支城の一つとして機能していた。ここは小谷城の主郭部からは100メートル以上高く、小谷山の頂上もここにある(海抜495メートル)。現在は元亀年間に朝倉軍が駐留した際に築かれたと考えられる、曲輪・横堀群などが残されている。これらの遺構は直角に成型されており、小谷城の主郭部より高度な技術がうかがわれる。

浅井亮政の築城当初は、小谷城はこの大嶽にあったとの説もある。考古学的に裏付けるものはないが、六角氏の天文年間の文書には、確かに「大嶽」の単語がいくつか見られる。

福寿丸・山崎丸

大嶽城から見ると南に二本尾根が分かれている。うち東側の一本が小谷城の主郭部であるが、西側のもう一本にも小規模ながら城郭の遺構が残されている。これらは大嶽城と同じく元亀年間に援軍に来た朝倉軍が築いたものと考えられ、江戸時代の地誌などから「福寿丸」「山崎丸」と現在では呼んでいる。これらの遺構は、長方形に成形され、当時としてはとても高度なものである。

一方、福寿丸や山崎丸に現在残る遺構は浅井・朝倉両氏滅亡後に羽柴秀吉によって築かれたものとする説が近年提示された。福寿丸と山崎丸の両方にある土塁挟みの虎口は、虎御前山城の(伝)木下秀吉陣に存在する虎口に類似しているが、朝倉氏の城にはみられない。また1575年(天正3年)の越前一向一揆の際、8月13日に織田信長は秀吉の守る小谷城に宿泊して軍の兵糧を調達し、翌14日に敦賀に着いたという記述が『信長公記』にあることによる。

城跡へのアクセス 

  • 電車でのアクセス
    • 西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線「河毛駅」
  • 貸自転車
    • 河毛駅コミュニティハウスで貸出
  • 車でのアクセス
    • 北陸自動車道 長浜IC → 国道365号 → 伊部林道
    • 山腹に無料駐車スペース有
  • 徒歩でのアクセス
    • 河毛駅より徒歩約25分程度で登山口、登山口から本丸曲輪部分へは徒歩約25分 (道は岩が多く歩きづらい。)
  • 熊出没注意。

参考文献 

  • 小谷城戦国歴史資料館『史跡小谷城跡案内図』
  • 【書籍】「戦国大名浅井氏と小谷城 」
  • 【書籍】「 越前朝倉氏の築城技術の疑問点 : 越前国と他国築城縄張りの相違について 」
  • 【書籍】「戦国の堅城 」
  • 【書籍】「近江の山城ベスト50を歩く 」
  • 【書籍】「浅井長政のすべて 」
  • 【書籍】「日本城郭大系 」
  • 【書籍】「戦国大攻城戦 」
  • 彦根市教育委員会文化財課『重要文化財西の丸三重櫓』

小谷城の口コミ情報

2022年07月17日 【城郭道】尾張守たっきー
大石垣[小谷城  遺構・復元物]



小谷城大石垣、滋賀県長浜市。
小谷城の本丸や京極丸よりも上の山王丸がある場所の付近にあるのが大石垣です。名前の通り、立派な石垣が苔を生やしながら生きています。
少し細い道を行った側面なので表側以外は壊さなかったことを示しているようです。
もうご褒美だよね、この石垣。

2022年05月02日 キャサリン丸
小谷城

下の入り口から、山頂迄は、役2キロちょいの登山になります。最近クマらしき目撃情報もあったらしく、熊鈴はつけて歩かれたほうがいいかと思います。そして、絶景箇所は、いたる所にあります。大石垣は見てください♪立派で最高でした♪

2022年03月23日 千葉相模守早雲
小谷城



小谷城戦国歴史資料館に駐車。
展示を見たら、是非MAPをゲットしておきましょう!
私は時間が無かったため、追手道ルートのみを探索しましたので、そのルートをご紹介します。見どころは沢山ありますので、時間のある方は是非、他も回ってください😁

小谷城戦国歴史資料館の目の前に「←追手道」の看板が見えるので、磯野屋敷跡の脇を通って登城しました。
金網フェンスがあります。開けて入る事は出来ますが、必ずチェーンを掛けて戸締りしましょう。そのような表示があります。

なかなか険しい山道ですが、是非城攻め方の気持ちになって、周囲に気を配りながら登ってみてください😁
真柄峠を登り切ると、追手道とぶつかり、車道が現れますが、引き続き尾根道を登りましょう!

まずは金吾丸から攻略。六角高頼が小谷城を攻めた時に朝倉金吾教景(宗滴)が布陣したそうです。
番所跡を過ぎると御茶屋跡、御馬屋跡、桜馬場跡などの段郭が次々と現れ、石垣を形成していたと思われる石があちらこちらに見えます。馬洗池の石積みはしっかりと残っています。

黒金御門を抜けると、広大な大広間跡、本丸です。大広間跡には礎石や井戸跡が、本丸には石垣が残っています。本丸と中丸との間の大堀切は見どころの一つ。

ここで時間切れにて退散しました😅
この先は、ご自分の目でお確かめください😆

1.磯野屋敷跡からの登城路
2.金吾丸
3.番所跡
4.黒金御門
5.馬洗池
6.本丸から見た大広間跡
7.大堀切
8.御茶屋跡

2022年03月14日 修理大夫かじくん
小谷城



日本五大山城に数えられる、全国屈指の堅城は見どころ満載。信長軍によって破壊された石垣も当時を想像させる荒々しさで、浅井氏の悲哀を想いながら見るとより一層感慨にふける事が出来ますよ(^^)

2022年02月24日 イオ紀伊守
中島城[小谷城  周辺城郭]



中島城は、築城者や築城時期は不明ながら、織田信長の小谷城攻めに際して来援した朝倉氏により現在の姿に改修され、浅井氏の重臣・中島宗左衛門直親が守将となったことから中島城と呼ばれています。中島城も丁野山城と同時期に落城し、そのまま廃城となったと思われます。

中島城は丁野山城(岡山)から東にのびる大鳳山と呼ばれる尾根上に位置し、両城の間を遮断する施設は見られず、丁野山城の出城として機能したと考えられます。

説明板の建つ虎口から入ったところは出丸で、土塁で囲まれベンチが設けられています。東側の虎口の先が主郭で、四方を分厚い土塁に囲まれています。主郭の北辺、東辺は横堀と土塁で防御し、小さい出城ながら厳重な構造です。さらに、主郭の北東麓には堀切を設けて東尾根からの侵攻を遮断しています。

2022年02月24日 イオ紀伊守
丁野山城[小谷城  周辺城郭]



丁野山城(ようのやまじょう)は、戦国前期に浅井亮政が築いた城で、織田信長の小谷城攻めに際して来援した朝倉氏により現在の姿に改修されましたが、大嶽の陥落により降伏・開城し、そのまま廃城となったようです。

小谷城西方の岡山(丁野山)頂部に位置し、東にのびる尾根上の中島城と西の山本山城とで小谷城の防衛ラインを形成していたと考えられます。また「丁野山古砦圖」によれば、かつては北東尾根(現在は墓地)、北尾根(現在は宅地)、南尾根にも砦が設けられていて、北陸自動車道で寸断された南尾根の先には明智光秀の付城があったとされます。

南麓の谷田神社前の道路脇に駐めさせてもらい、石段を上って境内へ。かつてこの地には浅井亮政ゆかりの弥勒寺があり、谷田神社の拝殿は弥勒寺の本堂と伝わります。案内表示に従い、境内の西側から山道を登って行くと平坦地や浅い堀切状の地形が見られますが、「丁野山古砦圖」にある砦跡か自然地形かよくわかりません。

谷田神社から15分ほど歩いたところで南端の大堀切に到着。南尾根を深く幅広く掘り込んでいます。南東斜面には堀切と喰い違わせて竪堀が配され、その先の虎口を抜けると主郭を取り巻く帯曲輪に着きます。帯曲輪の外周は土塁で囲まれ、南東隅と北西隅に虎口が設けられています。北西虎口脇の櫓台状の土塁に上ると、北尾根が深い堀切で断ち切られていました。帯曲輪の東部には東尾根の中島城に続く虎口があり、その南側が主郭への登り口です。主郭には土塁はなく、テーブルとベンチ、説明板や丁野岡山古砦圖の案内板が建てられているだけでした。

主郭と帯曲輪だけの小さな城ですが、巨大な堀切と竪堀に加えて、虎口には櫓台状の土塁から横矢が掛かるようになっており、なかなか見応えがありました。

2022年02月23日 イオ紀伊守
山崎丸[小谷城  遺構・復元物]



山崎丸は小谷山頂から南西にのびる尾根の突端に位置し、織田信長の小谷城攻めに際して朝倉義景が布陣した大嶽の出丸として築かれました。山崎吉家が守将となったことから山崎丸と呼ばれています。

登山道沿いに石碑と説明板が設置されたところが登城口で、その東側斜面には竪堀を設け、登城口から西にのびる横堀(途中に折れを設けた横矢掛り)と併せて尾根を遮断しています。横堀の堀底を西に進んで南西隅の虎口から山崎丸に入ると、南北二段の曲輪の全周を分厚い土塁が囲み、上段(北側)と下段(南側)を枡形虎口で繋いで、動線を何度も屈曲させて横矢を掛ける造りになっています。さすがに南西尾根の最前線となる出丸だけあって厳重な造りですね。登山道を下りてきた時には気付きませんでしたが、北東部にも虎口があり、虎口と平行して竪堀も設けられています。

2022年02月23日 イオ紀伊守
福寿丸[小谷城  遺構・復元物]



福寿丸は小谷山頂から南西にのびる尾根に位置し、織田信長の小谷城攻めに際して朝倉義景が布陣した大嶽の出丸として築かれました。木村福寿庵が守将となったことから福寿丸と呼ばれています。

福寿丸は南北二段の曲輪の全周を分厚い土塁で囲み、北部と東部に虎口を設けています。北辺は横堀と竪堀で大嶽に続く尾根を遮断し、東部の虎口は南側に(北側も?)横堀を設け、土塁を喰い違わせた枡形虎口です。南辺はなかなかの切岸になっていました。

じっくり見ても15分程度の小さな出丸ながら、土塁に横堀(堀切)に竪堀、枡形虎口まで備えた縄張は大いに見応えがありました。

2022年02月23日 イオ紀伊守
大嶽城[小谷城  周辺城郭]



大嶽(おおづく)は小谷山頂に位置し、浅井亮政が小谷城を築いた当初の本丸とされます。後に本丸は南東尾根に拡張した曲輪群に移されましたが、織田信長が小谷城を攻めた際、来援した朝倉義景が大嶽に布陣して現在の姿に改修したと考えられます。

山頂の主郭は全周を幅の広い土塁で囲み、南部と北部に土塁を喰い違わせた枡形虎口を設けていますが、灌木が生い茂っていてよくわかりません。

主郭西下の帯曲輪に下りると西辺に分厚い土塁が長くのび、土塁を越えた先は二条の長大な堀切によって北西尾根を断ち切っています。北西尾根からの侵攻により大嶽が陥落したことを思うと、これだけの備えをしていても駄目だったのか…と感じさせられます。

福寿丸や山崎丸のある南西尾根方向へ登城道を下って行くと、三方を土塁で囲んだ曲輪があり、土塁の内側には石積みが見られます。曲輪の西側と南西下には二条の巨大な竪堀があり、南西尾根から攻め寄せる敵の横移動を封じています。今なお相当な幅と深さがあり、見ただけで横移動を断念してしまうほどの規模です。

大嶽は大嶽城とも呼ばれますが、単なる出曲輪にとどまらない、分厚い土塁と巨大な堀切・竪堀をめぐらせた見事な土の城でした。

2022年02月22日 イオ紀伊守
御局屋敷址[小谷城  碑・説明板]



御局屋敷は本丸西下に設けられた帯曲輪で、城中の女房たちやお市の方と三姉妹の住居とも言われています。帯曲輪は南西方向にのびていて、桜馬場西下の竪堀や崩れた石垣がある帯曲輪に続いています。

なお、御局屋敷に建てられた説明板には「その昔の絶世の美女達の思いを秘めて今を紅に彩るもみじが悲しい」とありましたが、残念ながら説明板の上にかかるもみじは訪問日にはまだ青々としていました…。

2021年11月22日 源山城守ポンコ2…
小谷城



そこそこの降雨に今日はポチ&QR撮影だけと思い、戦国ガイドステーションで小休憩してると、シニアガイドの方にパンフとともに「車で番屋まで上がれ、番屋前に駐車できるし、紅葉も景色も素晴らしいから、これくらいの雨なら是非行って欲しい」と熱心にお勧めいただき、そこまで言われたらと登城しました。

ガイドの方にペーパードライバーやけど道大丈夫か尋ねると「ちょっと細いけど舗装されてるから大丈夫」と言われ、追手側から番屋まで車で行きました。同じようにガイドの方に勧められ、登城後に下るすれ違う数台の車と譲り合いしながら番屋まで。番屋へ向かう道中の紅葉のトンネルや下界の眺めは、言われたように確かに素晴らしく、紅葉は今が見頃でした。

番屋前のシャトルバス乗場前に駐車し、まずは金吾丸へ。木製の滑り止めに雨で濡れた落葉が付き、油断すると滑ります。金吾丸からは湖北平野が一望できました。

金吾丸を下り番屋方面に向かいますが、番屋跡の説明書があり、この説明書や案内板は断念した京極丸あたりまで要所要所に置かれており、わかりやすくてありがたかったです。番屋を過ぎ御茶屋跡前に虎御前山展望台があり、ここからは虎御前山がよく見えます。御茶屋跡には庭石?ぽい石があり、空想をかきたてました。

御茶屋跡から御馬屋へ上る登城道あたりから、崖が近いですが、これまた濡れ落葉の絨毯に足元をすくわれそうになりました。御馬屋跡や馬洗池跡に、ここまで馬上がってこれたんやろかと思いながら、首据石→桜馬場へと続き、雁木の先に黒金御門跡が見えます。石塁か一部残る他、崩れ落ちたような石も複数見られます。

その後は大広間→本丸→帯曲輪→大堀切→中丸→京極丸まで行ったところで、雨が激しくなり山王丸や大嶽は断念しましたが、番屋・金吾丸から往復1時間ほどでした。

気温13℃ながら滝の汗と、ズボン靴は泥んこ濡れ濡れと、雨の登城は避けたほうがよいと思います。クマ注意の看板出てましたが、遭遇しませんでした。
ご参考まで。

2021年11月07日 ばらく~だ
小谷城



追手口入口から入り、出丸→金吾丸に立ち寄った後、番所跡→本丸→山王丸→大嶽城へ行き、清水谷を通って帰って来るというルートでした。
小谷城は、規模が大きく、見所が多いので、マップの必要性を実感しました。
先日、河毛駅のコミュニティーセンターに立ち寄った時に頂いたパンフレット(戦国史跡小谷城跡)のマップがとても役に立ちました。登場前に入手しておくといいと思いました。

2021年11月07日 鼓舞民部卿勘助
小谷城



念願の小谷城に初登城。久々の山城で思ったより足場が悪く歩きにくかったですが何とか山王丸まで行くことが出来ました。この辛さも山城の魅力ですよね。個人的には浅井長政の無念が感じられた赤尾屋敷跡に感慨。

2021年11月05日 美濃守与助
小谷城



小谷山南西の麓から大嶽城まで尾根筋に沢山の丸や曲輪が連なり、登窯のような形の壮大な城です。西には午後の日差しに輝く琵琶湖が広がっていました。

2021年08月30日 まるすみ商店
河毛駅コミュニティハウス[小谷城  関連施設]

北陸方面行きの電車を利用の場合、下車後に踏切を渡って下さい。

2021年06月23日 イオ紀伊守
徳勝寺跡[小谷城  寺社・史跡]



徳勝寺は浅井氏三代の菩提寺で、小谷城落城に伴って羽柴秀吉によりこの地から長浜に移されました。

2021年06月23日 イオ紀伊守
御屋敷跡[小谷城  碑・説明板]



御屋敷跡は、清水谷の最奥部に設けられた浅井氏三代にわたる山麓居館です。石碑と説明板のほか、特に遺構はなさそうですが、小さな五輪塔が悲哀を漂わせています。

2021年06月23日 イオ紀伊守
清水沢の堅堀[小谷城  遺構・復元物]



清水谷の東側斜面には、主郭部から続く数条の長大な竪堀が状態良く残っています。

2021年06月23日 イオ紀伊守
水ノ手[小谷城  遺構・復元物]



清水谷にある水の手で、羽柴秀吉はここから京極丸に続く城道を攻め上りました。急峻な坂道であり、ほとんど整備されてなさそうなので、登るのは大変そうです。

2021年06月23日 イオ紀伊守
三田村屋敷跡[小谷城  遺構・復元物]



三田村佐渡守の屋敷跡で、登城道の西側上方に石垣が見られます。

2021年06月19日 イオ紀伊守
月所丸[小谷城  碑・説明板]



月所丸は越前へ続く山道の付け根に築かれた東西二段の曲輪で、西南部に竪堀、西北部に畝堀(畝状空堀群?)、各曲輪の東辺にそれぞれ分厚い土塁をめぐらせ、東端の土塁下に二重の堀切、さらに東のもう一条の堀切で尾根を遮断しています。

越前への道の起点でもあり、朝倉氏の関与により築かれたと考えられますが、土塁といい堀切といい畝堀といい、見事な土の城で、寄り道して訪れる価値は充分すぎるほどにありました。

2021年06月19日 イオ紀伊守
六坊跡[小谷城  碑・説明板]



山王丸から尾根道を下って行くと、浅井久政が領内の六つの有力寺院の出張所を置いたとされる六坊が広がり、南部に低い石垣、東辺には数条の竪堀が掘られています。

2021年06月19日 イオ紀伊守
山王丸[小谷城  遺構・復元物]



小谷城主郭部の最高所が詰の丸にあたる山王丸で、四段の曲輪で構成され、中央の曲輪には山王社が祀られていました。

南側の虎口には破城により崩された石垣が散乱しており、虎口の手前を案内標識に従って東側に回り込むと大石垣と呼ばれる小谷城最大の石垣が状態よく残っています。また、最高所の土塁にも石垣が見られます。

2021年06月19日 イオ紀伊守
大堀切[小谷城  遺構・復元物]



大堀切は、本丸と中丸の間の尾根を大きく掘り込んで主郭部を二分する巨大な堀切で、カメラに両端をおさめるのに苦労するほどの幅広さがあり、圧倒的な土木量に唖然とさせられました。

また、大堀切の東端下の腰曲輪にはなかなかの規模の石垣がありましたが、これも遺構なんでしょうか?

2021年06月18日 イオ紀伊守
小丸[小谷城  遺構・復元物]



京極丸の一段上の小丸は東西二段で構成される小さな曲輪で、隠居後の浅井久政が居住し、羽柴秀吉に攻められて自刃した地とされます。

2021年06月18日 イオ紀伊守
京極丸[小谷城  遺構・復元物]



京極丸は大広間に次ぐ規模の曲輪で、浅井氏の庇護下にあった近江国守護・京極氏の居所があったとされ、東辺を巨大な土塁で守っています。

西下には大きな帯曲輪がありますが、切岸は急で高さもあって、下りられそうにないのでいったん中丸まで戻って行ってみました。帯曲輪の南西部には苔むした石材が散乱する枡形虎口があります。清水谷から水の手道を駆け上がった羽柴秀吉隊が攻めかかったのがこの虎口です。

2021年06月18日 イオ紀伊守
中丸[小谷城  遺構・復元物]



中丸は大堀切の北側に位置する曲輪で、南北三段の曲輪で構成され、あちこちに石垣が見られます。上段北東部には刀洗池と呼ばれる井戸跡があり、その脇を登って行くと京極丸に至ります。

2021年06月17日 イオ紀伊守
本丸[小谷城  遺構・復元物]



大広間の北端には本丸の石垣がそびえ、本丸は南北二段の構造で、天守に相当する建物が建てられていたようです。本丸の東西両側下の帯曲輪には本丸から竪土塁が張り出し(東側は通行不可)、その先の大堀切とで奥の曲輪群との間を遮断しています。

2021年06月16日 イオ紀伊守
大広間跡[小谷城  遺構・復元物]



大広間は「千畳敷」とも呼ばれる小谷城最大の曲輪で、建物礎石があちこちに残り、北東部には石組みの井戸もあって、居住空間だった痕跡が見られます。

2021年06月16日 イオ紀伊守
黒金門跡[小谷城  遺構・復元物]



大広間に続く門は黒金門と呼ばれ、鉄を用いた強固な門があったと考えられます。通路には石段が設けられ、門の左右には破城により崩された石垣の痕跡が見られます。

2021年06月16日 イオ紀伊守
桜馬場[小谷城  遺構・復元物]



桜馬場は東西二段の曲輪で、琵琶湖方面の眺望がひらけ、浅井氏及家臣供養塔や大河ドラマロケ地の案内板があり、南下には御馬屋が広がっています。

西下には広い帯曲輪が北東にのびており、竪堀は麓の清水谷まで落ち込んでいます。また帯曲輪には苔むした石が散乱しており、かつては石垣で覆われていたようです。

2021年06月15日 イオ紀伊守
赤尾屋敷[小谷城  遺構・復元物]



赤尾屋敷は三段の曲輪で構成される…ようですが、浅井長政公自刃之地の石碑のある上段とその一段下の曲輪は確認できたものの、降りて行ってみても、もう一段下にあるはずの曲輪は見つけられませんでした。

それでも、一段下の曲輪には半ば崩れた石垣があり、その南側には竪堀も明瞭に残っていました。

2021年06月15日 イオ紀伊守
赤尾屋敷跡[小谷城  碑・説明板]



このスポットは赤尾屋敷跡そのものではなく、登城路から赤尾屋敷への分岐の位置であり、赤尾屋敷の説明板と分岐の石碑、案内標識が建てられています。

2021年06月14日 イオ紀伊守
首かけ岩[小谷城  遺構・復元物]



馬洗池から黒金門に向かう道脇には、浅井亮政が六角氏に内通した家臣を謀殺し、その首をさらしたと伝わる首据石があります。

2021年06月14日 イオ紀伊守
小谷城



御馬屋の北東部には馬洗池と呼ばれる石組みの貯水施設があり、水の手とも水堀とも言われています。

2021年06月14日 イオ紀伊守
御馬屋[小谷城  遺構・復元物]



御馬屋は三方を分厚く高い土塁で囲まれた曲輪で、中央には井戸があったようです。

2021年06月14日 イオ紀伊守
御茶屋[小谷城  遺構・復元物]



小谷城主郭部南端の曲輪で、低い土塁で区切られた曲輪の内側西奥には苔むした石が散在し、庭園の面影を残しています。

2021年06月14日 イオ紀伊守
番所[小谷城  遺構・復元物]



小谷城主要部の入口にあたり、番所が設けられていたとされます。目立った遺構は見られませんが、周辺には多くの腰曲輪があります。

2021年06月03日 イオ紀伊守
金吾丸[小谷城  遺構・復元物]



六角氏の攻撃を受けた小谷城に来援した朝倉「金吾」教景が布陣したことからその名が付いているようですが、一帯は灌木が生い茂り、土塁と言われれば土塁かなぁ、と思える土盛りが見られるくらいでした。

麓から追手道をそれて登って行くルートと、番所側から登って行くルートがあります。

2021年06月03日 イオ紀伊守
望笙峠[小谷城  碑・説明板]



登城道と車道の合流点にある望笙峠からは、手前に虎御前山、奥には琵琶湖と浅井氏も信仰した竹生島を望むことができます。

…なるほど、「竹生」島を望む峠だから望「笙」峠なんですね(縦書き)。

2021年06月03日 イオ紀伊守
間柄峠[小谷城  碑・説明板]



追手道の登城道沿いに間柄峠の標柱と説明板があり、六角氏の攻撃を受けた小谷城に来援した朝倉教景に従って来た真柄備中守が守備にあたったことから間(真)柄峠と呼ばれるようになったと伝わります。

2021年06月03日 イオ紀伊守
出丸[小谷城  遺構・復元物]



主郭尾根の南端、城下を見下ろす位置に築かれた曲輪で、上下二段で構成される曲輪の山麓側をコの字型の土塁で囲み、切岸も急で見応えがあります。

2021年04月25日 野良犬しろチロ丸
小谷城



あまり混まない時期は土日でも規制がないので山頂付近の番所跡の駐車場まで行けます。ただ、山道は細いですので、車の運転に自信がない方は注意して下さい。

2021年04月14日 yasu
小谷城



追手道から9時15分スタート、山道石ゴロゴロ木の根っこだらけ坂道をクネクネ登り、休憩多めに取って10時40分に本丸石垣へ。私1人だったので不気味ですぐに引き返しました。途中出丸に立ち寄り涼しい空気感じました。再び追手道へ小谷城戦国歴史資料館戻り小休憩して、清水谷へ行きました。御屋敷跡まで15分程で完全に森の中、自然を感じたいい時間でした。小谷城は想像予想以上に登城がキツかった。もっと体力付けて何度でも登城したいです。

2021年04月13日 トガトガ征夷大将軍道保
小谷城

歴史資料館前の追手道から番所跡へ、各曲輪を回り六坊跡から清水谷を経て一周しました。約3時間位コースで、かなり疲れました。しかし、この城の規模の大きさを実感できますした。

2021年01月05日 【城郭道】尾張守たっきー
浅井長政自刃之地[小谷城  碑・説明板]



赤尾屋敷跡は浅井長政が最期を遂げたところである。

1573年8月29日、柴田勝家が浅井長政がいる本丸を攻撃。長政は最後まで残った200の兵と共に本丸から打って出たが、その隙に本丸を奪われ、仕方なく本丸付近の赤尾屋敷に行った。

そして、9月1日、長政は赤尾屋敷で家臣浅井日向守の介錯で自刃した。享年29。ここにて北近江を治めた戦国大名浅井氏は滅亡した。

2020年12月29日 【城郭道】尾張守たっきー
虎御前山展望所[小谷城  遺構・復元物]



ここから虎御前山城、山本山城、竹生島などを望むことができます。亮政公や長政公もここから見たかもしれないですね。


2020年12月29日 【城郭道】尾張守たっきー
大嶽城[小谷城  周辺城郭]



小谷城番所から歩いて80分。長い大変な道をこえてやってきました。着くと土塁、空堀などの遺構や石碑、説明板などがありました。行った時は多くの人がいてびっくりしました。それで今、山城ブームであることを改めて知りました。

今ある遺構は朝倉氏が小谷城に入城した際に築いたものですね。小谷城リア攻めの際は、是非、行ってみてください。

2020年12月20日 【城郭道】尾張守たっきー
赤尾屋敷[小谷城  遺構・復元物]



赤尾屋敷への道を指す看板から歩いて5分かからないくらいのところに赤尾屋敷があります。
小谷城落城時、浅井長政が自刃したところでもあります。
近くには土塁や堀があります。小谷城リア攻めの際に訪れてはいかがでしょうか。

ちなみに小谷城のリア攻めマップにもう一つ赤尾屋敷がありますが、正しい場所はこちらになります。

2020年12月13日 【城郭道】尾張守たっきー
月所丸[小谷城  碑・説明板]



小谷城搦手側にある曲輪で土塁、堀などが綺麗に残っていました。石碑、説明板もありわかりやすくなっています。小谷城から大嶽城跡へ向かう道の途中に月所丸へ道があるので時間がある方は是非、行ってみてください。興奮すること間違いなしです。楽しめますよ〜!
小谷城の裏スポットという感じで自分以外、行った時誰もいませんでした。

2020年12月08日 【城郭道】尾張守たっきー
小谷城戦国歴史資料館[小谷城  スタンプ]



小谷城跡付近なある資料館で中は充実しています。100名城をはじめとするスタンプもここにあります。この資料館では御城印を一枚三百円で購入することができるのでリア攻めの記念にどうですか。

2020年12月06日 【城郭道】尾張守たっきー
大堀切[小谷城  遺構・復元物]



本丸の後ろにある大堀切。とても立派でびっくりしました!堀切好きの自分には贅沢すぎるくらいです。山登りに自信のない方もここまできてみてください。もう感動の一言です。

2020年12月03日 【城郭道】尾張守たっきー
トイレ[小谷城  トイレ]



小谷城金吾丸付近の駐車場に簡易トイレが二つあります。ここから先にトイレは無いので小谷城リア攻め前に行くのがおすすめです。

2020年11月29日 【城郭道】尾張守たっきー
岩尾(撮影スポット)[小谷城  その他]



岩尾は六坊から大嶽城へ向かう途中にある撮影スポットです。小谷城側から見て岩盤が丸出しのところにあります。ここから望む小谷城は素晴らしく綺麗に見えます。
一番高い所から順番に山王丸、小丸、京極丸、中丸、大堀切、本丸、大広間、桜馬場、御馬屋敷、お茶屋、番所、金吾丸、出丸と続きます。大嶽城に立ち寄る際にやってみてはいかがでしょうか。感動すること間違いなしです。

2020年11月29日 【城郭道】尾張守たっきー
浅井歴史民俗資料館[小谷城  関連施設]



小谷城から少し離れたところに浅井歴史民俗資料館があります。浅井氏や浅井町などの資料館となっており四つの施設で構成されています。中には小谷城の模型や長浜城の発掘された瓦などがあります。
小谷城リア攻めの際に訪れてみてはいかがでしょうか。入場料は大人三百円、子供百五十円です。駐車場もあります。

2020年10月25日 のり。
小谷城



関西方面大阪駅から小谷城最寄り駅河毛まで新快速で2時間と少しかかりました。前4両目までに乗車したほうが乗り換えなくて便利です。
小谷城本丸までは登山口から30分ぐらいで着きました。さらに上に進めます。小谷城跡周遊は二時間ぐらいかかりました。琵琶湖の眺めが良く、道も整備されていますのでおすすめです。
電車は一時間に一本なので時間確認したほうがいいかもしれません。

2020年10月19日 Rocky丹波守
小谷城



小谷城戦国歴史資料館側とガイドセンター側の二箇所から登れます。平日はシャトルバスが走ってないので自家用車で番所跡まで車で上がれます。車を停めて15分くらいで本丸跡まで登れます。御城印は資料館で販売されています。

2020年10月12日 播磨屋右京大夫
小谷城

戦国資料館から徒歩で登りましたが、分かりやすい遺構は番所の先なので、効率よく巡るにはシャトルバスを利用するのが有効だと思います。

2020年07月06日 OROKA参議
中島城[小谷城  周辺城郭]



【丁野山城に追加された城か】

中島城は、小谷城の西に位置する城で、織田の小谷攻めの際あたりに、浅井家家臣の中島氏が築いたとされる城です。丁野山城と尾根続きの低い山に作られており、丁野山城を補うように追加されたようにも見えます。

アクセスは前述の丁野山城とほぼ同じで、北陸自動車道の側道から谷田神社に向かい、登城口を登ります。尾根に着くと左が丁野山城、右が中島城となっているので右に進みます。神社からは10分ほどで着きます。

遺構は丁野山城より後の時代のせいか、より発達してるように見えます。
土塁や空堀に囲まれた郭がメインで2つ、折れのある虎口や薄めですが土橋もあります。個人的には丁野山城より見応えがありました。

小谷攻めの際には織田方の有名武将(何しろ攻め手はオールスター)もこの城を取り囲んだはずです。守り手として彼らに囲まれる様を想像するのも楽しいかも知れませんね~。丁野山城とセットで楽しんでください(´▽`)

2020年07月05日 OROKA参議
丁野山城[小谷城  周辺城郭]



【浅井氏の旧本拠城!?】

丁野山城は、小谷城の西に位置する城で、浅井亮政が1518年に築城したとされます。丁野は浅井氏発祥の地とされているので、もしかしたら小谷城より前の本拠城だったかも知れませんね。

アクセスですが、小谷城スマートインターそばの北陸自動車道の北側の側道を西に進み、谷田神社を目指します。神社鳥居の前に車は停めました。このあたりに案内があるので、東に少し進んだところから山に入ります。尾根に出て左手に進むと丁野山城で、右手に進むと中島城です。神社から15分くらいで丁野山城に着きます。

遺構ですが、主郭をぐるりと空堀が巡っています。このあたり大嶽山と似た雰囲気でやはり浅井氏を感じます。
また、副郭や堀切があり、防御施設はそれなりに整っています…が、時期によっては藪だらけなので、そのあたり注意しましょう♪

浅井ファンなら、中島城とセットでぜひ亮政おじいさまを感じに行きましょう(´▽`)

2019年11月04日 織田上総介晃司
小谷城

前回、本丸で引き返したので今回更にその先(山王丸まで)を見たい!
ということで、シャトルバス(60分ガイド付き往復500円)で番所跡まで行きました。

ガイドは番所跡→本丸跡までなので、そこから先に進む時はプレートをガイドさんに渡して進むようになります。

番所から本丸までも見所はありますが、個人的には本丸から山王丸までのほうがもっと見所があると思います。

浅井亮政(長政の祖父)が築いた大嶽城をまわって一周すると少なくみても半日は有するかと…

2019年11月04日 saizo
小谷城

御城印がありました。ポストカード付きの上、ミニクリアファイルにも入れてくださり、感動しました。受付窓口に貼り付けてある“スマートETC記念シール”をねだると快く下さった上に興奮気味の私を見て、浅井の家紋のミニスタンプと、大スタンプを押したポストカードもくださりうれしかったです。

2019年10月05日 晴海大炊頭
小谷城



山道はわかりやすく、景色も素晴らしくキレイです。熊注意の看板が、自然の中と確認させられます。ぐるっと山を超えて、山崎丸跡を過ぎたあたりで、野生の動物に遭遇。熊の親子に見えたので身構えましたが、正体は野生の猿でした。数頭いたんですが、スマホから音楽を大音量で流しつつ下山しました。もし出丸跡から山越えで行かれる際は、音の鳴るもの(鈴やスマホなど)で、自分の存在を知らせつつ歩いてください。今回は猿だったので良かったけど、子連れの熊だと、最悪な結果になります。あとは単独では行かないほうがいいです。


2019年05月06日 七代目尾張守宗春
大堀切[小谷城  遺構・復元物]



本丸と中丸との間の空堀。わかりづらいですが、10メートル程の崖になっています。本来はなだらかな山の斜面だったところを人為的に掘り下げたもの。

2019年05月06日 七代目尾張守宗春
小谷城シャトルバス発着所[小谷城  駐車場]



小谷城は車両で登城する事は出来ません。ここに車を停めて歩くか、シャトルバス(本丸跡までのガイド付き500円)に乗るか。

2019年05月04日 ( *¯ ³¯)っ旦
小谷城

大嶽城から福寿丸跡方面へ少し降りると右手側に曲輪跡があります。
そこを入っていくと見事な竪堀の始まりがあります。

場所は分かりにくいので
「小谷城戦国歴史資料館」で入場料300円払うと「史跡小谷城跡案内図」がもらえますので、その地図に繊細が載っています。
コースから横堀、竪堀なども詳しく載っていますので資料館代だと思ってお金を払われたら価値はあると思います。

資料館は映像を観なければ10分もかかりません。

各曲輪を繊細に歩くなら此処で
「浅井三代の山城・復元・小谷城・歩いて体感、戦国の城」350円
に各曲輪図が分かりやすく載っています。
内容は資料館の映像コーナーの右手壁に掛けられている物を一枚の紙にしたものです。

山崎丸は大嶽城を守る一番目の曲輪ということもあり、迷いやすい作りになっていますので注意です。
入ってきた出口だと思って行ったら行き止まりだったりしたら、土塁に登ってショートカットしてください。

2019年05月04日 ( *¯ ³¯)っ旦
小谷城

大嶽城跡から福寿丸跡、山崎丸跡方面へ降りるのは
主郭には「福寿丸・山崎丸・脇坂甚内屋敷方面方面」とありますが、一段下の曲輪に降りますと
表示が変わり「赤谷荘」となります。
なんでこんな迷わすような表示しているのか意味不明ですが、この道で正解です。

まず居ないと思いますが「赤谷荘」に行かれる方は同じコースを降りて途中右手に「脇坂甚内屋敷」とありますので其方に向かいますと「脇坂安治候生誕地」でコースを左手にとると「赤谷荘」方面です。

2019年05月03日 アッツ参議蝦夷守
小谷城



春から秋にかけて、北陸本線のJR長浜駅から、小谷城麓の戦国ガイドステーションまで有料シャトルバスが運行しています。
(100名城スタンプが置いてある小谷城戦国歴史資料館とは別の建物なのでご注意下さい。)
麓の小谷城戦国ステーションに到着してか
ら運賃をここで支払います(ガイドの案内付きで1000円です。)ただし、往復があるのは1日1本だけで、行は長浜駅10:00発、帰りは戦国ガイドステーション12:25発の便だけです。帰りの便は最寄り駅の河毛駅へ行き、長浜駅には戻らないので、出発時に駅のロッカーに荷物を預ける人は注意をしてください。
ガイドに乗車人数確認のためのプレートをもらい、マイクロバスに乗り換えて、途中の金吾丸まで乗せてもらい、ガイドの案内のもと本丸跡まで登城し、マイクロバスの停留所まで戻り、そこからまたマイクロバスに乗って麓に引き返すコースです。
初心者の方や時間のない方は、このガイド付の案内をオススメします。
そのまま、もっと上の大獄城跡まで行きたい方はガイドに人数確認のプレートを返してから、個人的に登城となります。

2019年05月01日 アッツ参議蝦夷守
大野木屋敷跡[小谷城  遺構・復元物]



浅井氏の重臣大野木土佐守の屋敷跡。谷側に石段が2段設けてある。

2019年05月01日 アッツ参議蝦夷守
月所丸の堀切[小谷城  遺構・復元物]



写真だと分かりにくいですが、奥の堀切と手前にもうひとつ大きく堀こんだ堀切があります。

2019年05月01日 アッツ参議蝦夷守
月所丸[小谷城  碑・説明板]



小谷から越前えとつながる「越前忍道」な途中に気づかれている。
ここに来るまでの道は細くてすぐ横は谷なので足場に注意してください。

2019年05月01日 アッツ参議蝦夷守
六坊跡[小谷城  碑・説明板]



浅井久政の時代に領国内にあった6つの寺院の出張所を集めたところを集めた

2019年05月01日 アッツ参議蝦夷守
小谷城



大石垣は大獄城まで980mの案内板が出ている標識から谷側の方に進んだ50m程先にあります。
途中崩れた石垣がゴロゴロしていて人が独り通れる位の幅になっていますので足元に気をつけて進んでください。

2019年05月01日 アッツ参議蝦夷守
大堀切[小谷城  遺構・復元物]



本丸と中之丸を隔てて大きく掘りこまれています。

2019年04月29日 眞田左衛門佐十兵衛
小谷城



①大石垣
登城経路から50m程奥に見事な大石垣があります→見に行く価値あり!
②③④本丸周辺
本丸へは少し急なところを登ります
雨が降った後などは注意が必要
⑤水ノ手
清水谷からこの水ノ手を登り、秀吉が京極丸へ攻め込み、落城まで追い込みました!


2019年04月29日 眞田左衛門佐十兵衛
大嶽城[小谷城  周辺城郭]



小谷山山頂の大嶽城跡(おおづく)
浅井氏の初期段階の主郭として置かれていた。その後、東側尾根に移る。
織田信長の侵攻に対応するために、朝倉氏により改造された

2018年04月29日 くまジョウ
小谷城

山には売店やトイレはなく、トイレは追手道入口、出丸入口、ガイドステーションを利用。
資料館・ガイドステーションへの分岐点である郡上南の信号前にコンビニアリ。
2018年小谷城ふるさとまつりは9月30日(日)に開催予定!

2018年04月29日 くまジョウ
小谷城

小谷城戦国歴史資料館、又は少し離れた 戦国ガイドステーションからの登城。どちらも駐車場無料。ガイドステーションからは土日祝日500円で小谷山中腹(番所跡付近)までバス運行。観光シーズン時はガイド付。 資料館は大人300円小人150円歩広くないので登城前に入っておくと手がかりになる駐車場代と考えても安価。

2017年06月10日 土岐美濃守頼康
小谷城

今年は熊の目撃情報が多数とのこと。
城攻めの際には充分な備えをするよう注意書きがありました。
熊の奇襲攻撃に注意してください。

2017年05月28日 右近衛中将かげちゃんⅢ号
小谷城

番所跡近くまで行くのに、車じゃなくて鉄馬をおすすめします・・・単騎で攻め込んでる気分になります・・・多分(^_^;)

2017年04月13日 織田上総介晃司
小谷城

小谷城スマートICの開通で車でのアクセスが楽になってます。

小谷城登城の拠点は小谷城戦国歴史資料館と小谷城址ガイド館の2ヶ所です。

戦国歴史資料館前には大手門の推定復元があります。
ガイド館前には大河ドラマを記念してモニュメントがあります。

ガイド館側から登り、時間の関係で本丸までしかいってませんが石垣は見事でした。
日を改めてじっくり見てみたい。

2017年03月19日 フー甲斐守
小谷城

河毛駅で電動付自転車1千円。そこから小谷城番所まで20分程度。そこから徒歩で本丸跡まで400m。但し、フル充電のバッテリーがなくなる位の急坂なので、お気を付けて(^o^)
かなり疲れます(笑)

2017年03月01日 長い夜♪征夷大将軍クララ姫
小谷城

【須賀谷温泉】
小谷城の山麓にある温泉。
我が家お勧めの赤茶系濁り温泉、かけ流しで身体がポカポカ。
お市の方や浅井長政も湯治に通ったという歴史の湯です。
戦国武将が傷を癒すのに使ったといわれています。宿泊も出来るようです。

2017年02月26日 Pan参議太郎
小谷城

小谷城スマートIC H29年3月25日午後3時開通。車での来城が便利に!
しかし、以前よりあった国道365号線のファミリーマートが閉店。食料の確保には気をつけて❗


2016年10月06日 橘若狭守次郎吉
小谷城

《近江小谷城移築建造物一覧》

・移築現存櫓 滋賀県彦根市金亀町1-1 彦根城内西の丸三重櫓
(*移築されたという証拠はないが、伝承では小谷城の天守が移築されたらしい)

・移築現存門 滋賀県長浜市平塚町149 実宰院山門

2016年08月17日 ぶる~す大蔵卿馬場美濃守
小谷城

小谷戦国歴史資料館のおみやげ売場には、来年の卓上カレンダーや手帳など、すぐ売り切れてしまうものが、すでに並んでいてバッチリ購入しました。ガイドのお話しがとてもよかったです✨

2016年05月20日 第六傾奇王右近衛中将紋次郎
小谷城

天守跡まで山道を登る事往復約1時間前後程?やったかな?
かなり険しく、膝をいわす可能性あり。
登り口の杖を女性の方は特にお持ちいただくと
よいかと存じます。
達成感は抜群です!足元もあまり整備されていないので、
スニーカー系では砂地で滑ります!
出来れば登山系か軽装の方は
手ぶらをおすすめします!

2016年05月18日 国士無双河内守
小谷城

100名城スタンプ目的で軽い気持ちで立ち寄った小谷戦国歴史資料館でしたが、ガイド風のおじさんが、「ちょっとさわりだけ」と言いつつ100%説明してくれました。
お礼を言った去り際に、「入口までですけど乗せて行ってあげましょうか!オープンカーですけど」と軽トラの荷台に嫁と二人を虎ヶ谷道の手前〜番所跡まで途中何度か説明をしもって乗せてくれました。
おじさんの話では、今年の7月から武家屋敷跡の発掘調査が始まるとの事ですし、高速道路にも小谷インターを建設中でアクセスも良くなり、人気が再燃するかも。

2016年05月15日 橘若狭守次郎吉
小谷城

小谷城は浅井家代々の城跡で、浅井長政の時代に織田信長に攻められ炎上しました。この時、浅井長政は家臣の赤尾屋敷で自刃した。赤尾屋敷跡にその碑がたっています。
通りすがりに聞こえたガイドさんの話によると、小谷城跡も霧がかかると天空の城となるそうなのです。ただ山の麓でしかその景観は見れないとのこと。
本丸跡に石垣がありますが、そこを越えて行くと山王丸の手前右手辺りに大石垣があります。残っている小谷城跡の石垣の中で一番規模がデカイやつです。また、本丸跡から山王丸に行く途中に大堀切はあり、これもまた見事なものです。
小谷城跡の縄張り図は麓にある史料館に入館(300円)するとパンフレットと一緒にもらえます。100名城スタンプもここで押せます。スタンプだけなら入館しなくても大丈夫ですが、やはり小谷に来たなら入館しとくべき。
車の方は番所跡辺りまで車で行けます。そっちのほうが楽です。

2016年02月11日 シバヤン大和守雲外蒼天
小谷城

河毛駅から今度は小谷城です。駅東口にある案内所で道筋を聞き自転車をレンタルし、500円です。東口から365号線から南に行けば小谷城祉看板あり戦国資料館ありました。追手門口から入ってすぐの山道の苔•シダ類等の植物に目を奪われました。足を止めて触って楽しみました。金吾丸跡迄の山道が勾配きつく一苦労。尖った石多くしっかりした登山靴を用意して下さい。ここを過ぎたら勾配も柔らかくなり本丸跡へほぼ真っ直ぐです。右手に伊吹山、左手は虎御前山見えて、しばし景観。本丸周りは侵入禁止のロープあり。
山王丸まで行き清水谷を降りて下山しました。
この城は本丸までの道筋が山の瀬にある為に攻める場合常に敵に真っ正面から当たらなければならず(左右は崖又は斜面)城側から集中攻撃を受け続ける誠に厄介な城です。また山道の尖った石が歩行を難しくさせ、当時は草鞋しか履いていなかったことから攻城は被害ばかりで難儀したと想像します。
日本の中で指折りの難攻不落の山城要塞、と体感致しました。
登山路にはトイレや水飲み場等がないので資料館にて準備して望んで下さい。そして頂上にて達成感を満喫して下さい( ^o^)ノ



2016年01月14日 近江守Silvine
小谷城

月所丸への道は細く足元も悪いので、行かれる方は十分に気をつけてください。

2015年12月17日 カーネル
小谷城

北陸線河毛駅から東に進み、国道365号線にでて右へ。歩道のさらに外側に側道あって、雨でも快適でした

資料館手前の細道から山に入ります。20分強で番所跡に到着。ここの鳥瞰図を見ると「資料館から番所までで、この距離だと、大嶽はどんだけ遠いんだ?」と思うかも知れませんが、かなりデフォルメされてるから安心しましょう
本丸や石垣を見てから大嶽山へ。山道は距離はあっても、平場が多数あり、見たり写真撮ったりしてると、これがちょいちょい休憩になります。また標識も多数あって歩きやすいです
大嶽山から山崎丸へ向かう途中にエイリアン2のあらすじが書かれたナゾの板が木にぶら下がってましたが、今もあるのかな

小谷駅-歴史資料館-金吾丸-桜馬場-本丸-京極丸-大石垣-山王丸-六坊-大嶽城跡-福寿丸-山崎丸-小谷駅。再訪なので、資料館は寄りませんでした。それでトータル3時間ちょいでした

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2015年05月12日 銀英5ロイエンタール左近衛少将
小谷城

資料館の方によると、土日祝は、人の気配に熊も、あまり、見かけないそうですが、平日のように、人がまばらだと熊や鹿、猿が目撃されるとの事で、リアル登城はなるべく、土日祝に行く事をお勧めします、又シャトルバスは完全に無くなった訳ではなく、不定期ながら、運行してるとのお話しでした。

2014年12月28日 コロ助
小谷城

河毛駅から徒歩25分程で戦国歴史資料館(\300)に到着。

追手道入口から登り始めた時は雪は全く無かったのですが、金吾丸跡くらいから雪が残っていて、登るにつれて雪が多くなっていきました。
六坊跡で、雪がショートブーツの中に入ってくる深さになったので大嶽城跡には行かず引き返しました。滑って歩けないといった事は無かったですが、山王丸跡から六坊跡へ下る箇所と大石垣へ続く細い道は特に注意した方が良いと感じました。

雪で縦堀が全く分からなかったのが残念。

2014年07月07日 まったり丹波守
小谷城

大河の効果も衰えシャトルバスの運行が無くなりました。以前の様に自家用車で番所跡付近まで行けます。
ガイドさんの話しによると朝鮮、琉球の貨幣や備前、美濃などの陶器が出土しているそうです。



2013年02月03日 城山 城ノ助
小谷城

大獄にて目の前にカモシカがいる。

2013年01月23日 ぽえぞお弾正少弼黄金旅程
小谷城

大河真っ最中のGWに車で登城。
戦国資料館Pに停めました(無料)ちなみに、この時は広場でイベントをしており、こちらのPは有料…(-_-#)
すぐ脇に大手登り口と書いてある看板があり畑(田んぼ)の脇をすり抜けいざ山登り開始!イベント&大河効果でたくさんの人が上り下りする中、ゆっくり遺構が無いか見ながら登り始めて15分程で右手に『金吾丸』が、『金吾丸』側に登ると数人が上がってるのみ…(^_^;)
城好きはあまり来てないなと判断しました(笑)
『金吾丸』を降り5分弱で主郭部分に到着。入口に『クマ出没』の注意看板が…(-o-;)
遺構はかなり残っているのですが城好き以外には石垣だけで登るまで大変ってだけなのかもしれませんね…
大嶽城側などには行ってないのでピンじゃないときに、また行きたいと思います。

2012年10月21日 ばしこん
小谷城

百名城ガイドブックのスタンプは小谷城戦国歴史資料館にあるよ。会館時間は朝はわからんが17:00迄となっております。

2012年10月13日 ŧ‹”ŧ‹”。
小谷城

でっかい兜の横から、¥500(往復+ガイド付き)のシャトルバスに乗ると、お市の方様のアナウンスが流れる!
ガイドさんは、中丸虎口までなので、山王丸や大石垣までは自力で約10分!
せっかくなので、一見すべし!!

2012年07月18日 右衛門督kiyoshi
小谷城

大河ドラマが終わってから、観光客が激減したのが原因か、案内役の人の強引な客引きが鼻に付きます。
こちらに大した説明をせずにひたすらバスに乗せようとされました。

遺構は長浜城へ移築を決めた秀吉の手によりかなり破壊され、遺ってる物はほとんどありません。城めぐりの価値をどこに見いだすか、人によって違うでしょうが、ライトユーザーは本丸まで登るのを回避してもいいかもしれません。コアユーザーなら、地形を見て、当時の布陣などを考えて楽しいかもしれませんが、家族連れには退屈な城趾です。
案内役の人も良し悪しです。大河ドラマの話を中心に話しますので見てない人間からするとこれまた退屈極まりないです。いろんな人が来るから仕方ないのかもしれませんが。。。
その話の中で大河ドラマの撮影のためにここの木は切ったなど数ヶ所で聞かされます。
廃城は廃城らしく、そのままにしておいて欲しかったですね。NHKって…なります。

2012年05月04日 傾奇揚げ仙兵衛
小谷城

小谷城跡に向かうシャトルバス(500)乗り場に大河ドラマ『お江』の撮影記念碑のドデカイ兜がある。

地元の人から「熊が出る」と言われました。戦国歴史史料館に熊避けの鈴が売っています。

2012年04月19日 チェリ治部少輔
小谷城

小谷城戦国歴史資料館は、小谷城麓のお屋敷跡近く、清水谷入り口にあります。小谷城に登る前の予習ができます12月4日まで、戦国大河ふるさと博覧会開催中!

2011年03月31日 徳川内大臣源朝臣康武
小谷城

城跡から少し離れた北近江リゾートに、「復元小谷城」と大きなジオラマ(ツッコミ所満載)が平成23年3月に完成し、無料公開されてます
ちなみに、同じ敷地に愛・地球博のエジプト館が移転公開されてます。こちらは有料

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
小谷城

[武将像]浅井長政像
小谷城に近いJR河毛駅前にお市との座像、長浜市役所浅井支所前に家族像が鎮座。
また、愛知県春日井市に、長政の子孫が住み着いた浅井屋敷があり、跡地に甲冑立像あり。

2010年06月08日 まったり丹波守
小谷城

小谷城戦国歴史資料館でかなり詳しい案内図をもらえます。本丸付近のみ散策される方は資料館から尾根を挟んで東側から車で番所跡付近まで登れます。数台駐車可。
谷間の屋敷跡群から畝堀が確認出来ます。

小谷城の周辺観光情報

姉川古戦場

元亀元年(1570年)伊吹山を源流とする姉川の両岸で壮絶な合戦が繰り広げられた。現在、戦死者の慰霊碑が立てられている。また周辺には、姉川合戦に関連する史跡が多く残り、史跡を説明する看板が立てられている。

情報提供:長浜市産業経済部観光振興課

小谷城の周辺スポット情報

 首かけ岩(遺構・復元物)

 桜馬場(遺構・復元物)

 黒金門跡(遺構・復元物)

 大広間跡(遺構・復元物)

 京極丸(遺構・復元物)

 月所丸の堀切(遺構・復元物)

 大野木屋敷跡(遺構・復元物)

 三田村屋敷跡(遺構・復元物)

 清水沢の堅堀(遺構・復元物)

 虎御前山展望所(遺構・復元物)

 桜馬場跡(遺構・復元物)

 山崎丸(遺構・復元物)

 福寿丸(遺構・復元物)

 金吾丸(遺構・復元物)

 大手門(遺構・復元物)

 赤尾屋敷(遺構・復元物)

 出丸(遺構・復元物)

 番所(遺構・復元物)

 御茶屋(遺構・復元物)

 御馬屋(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 中丸(遺構・復元物)

 小丸(遺構・復元物)

 山王丸(遺構・復元物)

 水ノ手(遺構・復元物)

 大嶽城 堀切(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 大石垣(遺構・復元物)

 帯曲輪(遺構・復元物)

 馬洗池(遺構・復元物)

 京極丸虎口(遺構・復元物)

 赤尾屋敷跡(碑・説明板)

 浅井氏家臣供養搭(碑・説明板)

 六坊跡(碑・説明板)

 月所丸(碑・説明板)

 御屋敷跡(碑・説明板)

 浅井長政自刃之地(碑・説明板)

 小谷城石碑(碑・説明板)

 間柄峠(碑・説明板)

 望笙峠(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 片桐且元公の里 須賀谷(碑・説明板)

 木村屋敷跡(碑・説明板)

 御局屋敷址(碑・説明板)

 京極丸(碑・説明板)

 大嶽城(周辺城郭)

 丁野山城(周辺城郭)

 中島城(周辺城郭)

 徳勝寺跡(寺社・史跡)

 城下町 大谷市場跡(寺社・史跡)

 戦国歴史資料館(御城印)

 小谷城戦国歴史資料館(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 小谷城シャトルバス発着所(駐車場)

 浅井歴史民俗資料館(関連施設)

 河毛駅コミュニティハウス(関連施設)

 岩尾(撮影スポット)(その他)

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