大嶽城
大嶽城([小谷城 周辺城郭])
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大嶽城の口コミ情報
2023年05月17日 ん君
小谷城山王丸北端から険し目の道を高低差30mほど下り(六坊)、そこから段差の大きい階段道を高低差120mほぼ直登します。時間にして35分。思ったよりしんどいです。「ちょっと足を伸ばして」というより、小谷城と別の城をハシゴすると思った方がいいです。城域もわりと広く、曲輪間の高低差もあり、主郭を囲む高い土塁、二重堀切、竪堀と見応えありです。せっかくのよい遺構なので、時間と体力に余裕があれば行ってみて下さい。土の城が好きな方なら後悔はしないと思います。
2022年02月23日 イオ左衛門佐
大嶽(おおづく)は小谷山頂に位置し、浅井亮政が小谷城を築いた当初の本丸とされます。後に本丸は南東尾根に拡張した曲輪群に移されましたが、織田信長が小谷城を攻めた際、来援した朝倉義景が大嶽に布陣して現在の姿に改修したと考えられます。
山頂の主郭は全周を幅の広い土塁で囲み、南部と北部に土塁を喰い違わせた枡形虎口を設けていますが、灌木が生い茂っていてよくわかりません。
主郭西下の帯曲輪に下りると西辺に分厚い土塁が長くのび、土塁を越えた先は二条の長大な堀切によって北西尾根を断ち切っています。北西尾根からの侵攻により大嶽が陥落したことを思うと、これだけの備えをしていても駄目だったのか…と感じさせられます。
福寿丸や山崎丸のある南西尾根方向へ登城道を下って行くと、三方を土塁で囲んだ曲輪があり、土塁の内側には石積みが見られます。曲輪の西側と南西下には二条の巨大な竪堀があり、南西尾根から攻め寄せる敵の横移動を封じています。今なお相当な幅と深さがあり、見ただけで横移動を断念してしまうほどの規模です。
大嶽は大嶽城とも呼ばれますが、単なる出曲輪にとどまらない、分厚い土塁と巨大な堀切・竪堀をめぐらせた見事な土の城でした。
2020年12月29日 【城郭道】たっきー
小谷城番所から歩いて80分。長い大変な道をこえてやってきました。着くと土塁、空堀などの遺構や石碑、説明板などがありました。行った時は多くの人がいてびっくりしました。それで今、山城ブームであることを改めて知りました。
今ある遺構は朝倉氏が小谷城に入城した際に築いたものですね。小谷城リア攻めの際は、是非、行ってみてください。
2019年04月29日 眞田左衛門佐十兵衛
小谷山山頂の大嶽城跡(おおづく)
浅井氏の初期段階の主郭として置かれていた。その後、東側尾根に移る。
織田信長の侵攻に対応するために、朝倉氏により改造された