横山城(よこやまじょう)
横山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 滋賀県長浜市堀部町
旧国名
- 近江国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 浅井長政
築城年
- 永禄4年(1561)
主な改修者
- -
主な城主
- 浅井井演、三田村国定・野村直隆・大野木秀俊(浅井氏家臣)、木下秀吉(織田氏家臣)
廃城年
- 天正元年(1573)
遺構
- 曲輪、土塁、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
三田村城(滋賀県長浜市)[3.6km]
下坂氏館(滋賀県長浜市)[5.3km]
長浜城(滋賀県長浜市)[6.8km]
京極氏城館(滋賀県米原市)[7.4km]
小室城(滋賀県長浜市)[7.8km]
長比城(滋賀県米原市)[8.5km]
虎御前山城(滋賀県長浜市)[8.7km]
小谷城(滋賀県長浜市)[9.0km]
太尾山城(滋賀県米原市)[9.4km]
八講師城(滋賀県米原市)[9.6km]
横山城の解説文
[引用元:Wikipedia「横山城」の項目]
横山城(よこやまじょう)は、近江国坂田郡(滋賀県長浜市堀部町・石田町)にあった日本の城。山城。元亀年間(1570年 - 1573年)の織田信長と浅井長政の激しい戦いの拠点であり、信長の部将であった木下秀吉(後の豊臣秀吉)が城番として守備していたことで知られる。
歴史
横山城は近江北部の浅井郡と坂田郡とを分ける姉川の南岸の山の峰続きに永禄4年(1561年)、浅井長政が対六角氏用の防衛拠点として築城させた。城主には一門の浅井井演を任命した。
その後浅井氏は勢力を伸張して坂田郡から犬上郡まで勢力を広げるが、元亀元年(1570年)、織田信長と交戦状態になり、再び横山城の重要性が高まった。横山城は美濃の関ヶ原(岐阜県関ケ原町)から浅井氏の本拠地である小谷城(滋賀県湖北町)の西側を通る北陸脇往還街道のすぐ脇に立地するうえに、小谷城から6-7kmほどの距離しかないため、信長は重要な前線基地として横山城の攻略を目指した。同6月28日、姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を破った信長はすぐさま横山城の攻略に着手、時の城主三田村国定、野村直隆、大野木秀俊らは降伏し、落城した。
信長は城番として木下秀吉を任命。秀吉はここを拠点として浅井氏攻略を行った。
天正元年(1573年)9月に浅井氏が滅亡すると、秀吉は浅井郡・坂田郡の支配権を与えられ、本拠地として長浜城を築城。これに前後して横山城は廃城となったと考えられている。
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横山城の口コミ情報
2026年03月08日 千葉左京亮太朗
横山城
観音寺に車を駐車させてもらい、三成の水汲みの井戸を見つつ、登城開始。寺を右手に横山ハイキングコース十三仏拝ルートを選択しましたが、なかなか険しい登りでした。おそらく登りでは一番選んではいけない道では…
40分ほどで本丸に到着。天気も良く、見晴らし最高でした。
2025年11月28日 土鍋民部大輔ご飯
横山城
麓の大原観音寺の駐車場に停めさせてもらって、攻城。
登りは、西国三十三観音巡拝ルートを行きます。
よく歩かれた道ですが、お城の痕跡などは見られません。
30分ほどで登頂。
伊吹山に琵琶湖、いい景色です。
下山は、十三仏巡拝ルート。
こちらは、登山に慣れない人は通らないほうが良さそう。
往復1時間ほどの、山行でした。
2025年11月17日 尼崎城越中守一口城主
大原観音寺[横山城 寺社・史跡]
[大原観音寺・横山城ハイキングコース]
横山城登頂後に大原観音寺に下山。山門前に観光案内図(写真①)がありました。惣門(写真②)は写真①の❹より長浜城の裏門を移築したものとのことでした。惣門をくぐり長い参道(写真③)を進み、本堂(写真④⑤)をお参り🙏
本堂に向かって左手に写真①で赤文字で記載の<横山ハイキングコース十三仏巡拝ルート>(写真⑥)がありました。
次に本堂に向かって右手に進むと薬師堂(写真⑦)横に写真①で緑文字で記載の<横山ハイキングコース西国三十三観音ルート>(写真⑧)がありました。
2025年11月17日 尼崎城越中守一口城主
石田三成水汲みの井戸[横山城 遺構・復元物]
[大原観音寺・三献のお茶・水汲みの井戸]
境内に入るとお寺の説明板と井戸の看板🪧(写真①)が見えてきます。説明板(写真②)を見ると宝亀年間(770〜781)に開基された古刹で戦国期は当地の武将達から信仰されていたようです。
井戸の看板の左手の道(写真③)を蓮池(写真④)に沿って進むと水汲みの井戸(写真⑤〜⑧)と出会えました✨
2025年11月14日 尼崎城越中守一口城主
石田登山口(日吉神社口)[横山城 その他]
登山口の名称は山頂の道標表記の通りにスポット登録させてもらいました。
横山城登山前に石田バス停周辺で三成公の史跡巡りの際、横山城関連の説明板・案内図があったので3枚撮りました。石田バス停🚏付近のパネル(写真①、②:写真①の説明文及び地図ズーム🔍)、石田三成公史跡案内図(写真③:中央やや左の石田山公園より入城)
日吉神社前に<横山城趾石田山公園入口>の看板🪧があり看板付近に秀吉公と横山城(出世城)についての説明板(写真⑤)がありました。道標に沿って境内を進み(写真⑥)まずは登山前に神社の階段を上がって本殿に安全祈願👏
本殿から降りて鳥居に向かって右側(東側)の横山ハイキング道の道標(写真⑦)に沿って進みました。
参考までに私の足で日吉神社からの登山で約25分で山頂(標高312m)に到着⛰️
口コミを書きながら体感的に300m級の山を登った気がしなかったので日吉神社から徒歩5分程の石田三成公一族及び家臣供養塔付近から眺めた横山城の遠景(写真⑧)を見直してみました。比高が気になったので調べたところ長浜市石田町が108.5mだったので、日吉神社登山口もそれに近い標高だと思われ、312mー108.5m程で比高は200m前後ではないかと思われます。
2025年11月14日 尼崎城越中守一口城主
横山城
[石田登山口(日吉神社口)よりの登山前半]日吉神社より横山城趾石田山公園入口や横山ハイキング道の道標に沿って進み、写真①の石碑や道標がある所より登山開始🥾写真①地点より約4分で四阿がある曲輪跡と思われる広場(写真②)に到着。山頂への道中、写真③:ハイキング道、写真④:分岐点での道標、写真⑤:山頂までの距離、写真⑥:ピクニック道などがあったお陰で迷わず進め保存会の方々に感謝します🙇🏻♂️参考までに私のあと七町〜あと一町の所要時間ですが1町あたり2、3分でした。あと5町〜あと4町間には折れた木が落下しており逆茂木気分を味わえました💦
写真⑧の急な高低差が生じている所は段曲輪が築かれていた痕跡が感じられました。山頂の説明板より横山城は40ヶ所以上の曲輪があったとのことで道中、数多くの曲輪を見落としてしまったようです😢
2025年11月14日 尼崎城越中守一口城主
横山城
[石田登山口(日吉神社口)登山後編及び大原観音寺下山編]
日吉神社より登って行き、城跡まであと1町(写真①)まで辿り着くと本丸近くということもあってか本丸を間近で守るための曲輪(写真②)が見られました。
写真①②地点から約2分で山頂(写真③)に到着。秀吉公ゆかりのお城ということもあってか瓢箪の碑がありました。天気の悪い日に登ったので周囲の景色を楽しむことが出来ませんでしたが先人方の投稿写真で晴天時の風景を楽しませてもらいました🙇🏻♂️😄晴れた日は写真③の瓢箪や城跡碑方面から伊吹山が間近に見えるようです⛰️
山頂で横山城略史(写真④)や標高(写真⑤)を確認して三献のお茶🍵の大原観音寺方面へ<坂下登山口>方面から下山。下山途中、写真⑥の道標を前にどちらに進むか迷いましたが観音寺下山道(十三仏巡拝)を選択。麓に下りて観音寺前の観光案内図を眺めて分かったのですが西国三十三番観音巡拝の方へ下っても観音寺(※薬師堂横)に辿り着けるようです。私が選択した十三仏巡拝ルートだと観音寺本堂横に出れたようですがどこかで他のルートに入ったようで「右さめが井、左たにぐみ」の道標(写真⑦⑧)の所に出てきました。写真⑦⑧の道標付近の蓮池のほとりに三献のお茶の水汲みの池があったので丁度良かったです🍵
2025年11月13日 尼崎城越中守一口城主
石田治部少輔三成屋敷[横山城 周辺城郭]
[屋敷跡及び産湯の井戸]
11/9、長浜駅から横山城への道中、登山前に三成公の史跡巡りをしようと石田バス停🚏で下車(※長浜駅東口の秀吉公、三成公の三献のお茶の場面の像(写真①②)付近のバス停から近江長岡駅行きに乗車🚌長浜駅〜石田12分¥380-)バス停を降りた所が出会いの広場(写真③)で屋敷跡の石碑(写真④)が建っていました。出会いの広場より北の徳明寺方面へ進み産湯の井戸の道標(写真⑤)に従って路地を進むと産湯の井戸(写真⑥⑦)がありました。写真⑥左側の文字が見えづらいかもしれないので文字起こし🔍<石田三成産湯の井戸>永禄三(一五六〇)年治部屋敷の北側にあったとされ、三成の産湯の水を汲んだとされる井戸。
周辺地図は石田会館にあった石田町の案内(写真⑧)を参照願います🙇🏻♂️
2025年11月13日 尼崎城越中守一口城主
石田三成公屋敷跡・石田治部少輔出生地石碑[横山城 碑・説明板]
[石田会館]
石田バス停🚏付近の屋敷跡の石碑側面の道標(斜視①)に従って顕彰碑(石田会館)や石田一族供養塔方面へ向かいました。道標の示す方角へ路地を直進していき写真②の道標方向へ進み石田会館(屋敷跡)を訪れました。(※写真②地点から幟がたっている方へ直進すると石田一族供養塔があります)
石田会館(写真③)に到着したところ、会館(写真④)は休館でした🥲屋敷跡には三成公像・出生地碑(写真⑤)や治部池(写真⑥)を見学。顕彰歌(写真⑦)もありました。屋敷跡の湖北の史跡案内(写真⑧)を眺めてみると三成公出生地の北に小谷城や姉川、賤ヶ岳の古戦場西に長浜城、南に居城の佐和山城、東に関ヶ原古戦場(三成公陣の笹尾山)があり、戦国のホットスポットで生まれたことが感じられました。
余談ながら当日は三成公史跡巡りの後に日吉神社の登山口から横山城へ登り、三献のお茶🍵の大原観音寺に下山。観音寺で北海道北見市から三成公史跡巡りをされている歴女に会い、レンタカーで周っているけどカーナビや携帯のナビを使いこなせていないから石田会館が分からなかった😢とのことでした。当日訪れたばかりだったので助手席にお邪魔して会館を案内。写真④の三成公パネルや像の横で写真を撮ったところ感激されてい
たので良かったです‼️私も全国の三成公ファンの行動力に感動してしまいました✨
2025年11月13日 尼崎城越中守一口城主
石田三成公一族及家臣供養塔[横山城 寺社・史跡]
[八幡神社・石田三成公一族及び家臣供養塔]
石田会館にあった説明板(写真①)の右から3項目に八幡神社と石田三成公供養塔の説明文がありました。石田会館から徒歩2分で神社・供養塔(写真②)に到着。まず石田氏の氏神と伝えられる八幡神社⛩️(写真③④)にお参り👏
続いて神社裏手の供養塔(写真⑤⑥)をお参り🙏供養塔の隣には三成公辞世の歌碑(写真⑦)がありました。供養塔建立の由来の説明板(写真⑧)があり読み取れる範囲で文字起こししてみました🔍
「昭和十六年に隣接の八幡神社の地中より故意に破壊された多数の五輪塔の残欠が発掘されました。その一部に「永禄五年六月」「天正十四年正月一四日」「妙性霊?」或いは「缶禅定門」等の文字が刻まれこれらの墓石の残欠は石田三成公の先祖に深い関係ある?のと推定されおそらく関ヶ原合戦直後の里人が徳川方の追及を逃れる為に神社を隠れ蓑に密かに埋め隠したものと思われます。さらにこれに触れると腹が痛くなる」と云い伝えられて堅く発掘を戒めてきましたが顕彰会の手で発掘され、その後?これらの墓石を仮の墓所で三十余年間供養して参りましたが昭和四十八年十一月地元はもとより全国大吉数十人の石田三成公に理解ある方々の浄財を以って墓所を整備改めて墓石を安置し新たに石田三成公及び一族家臣の供養塔を建立して公の霊を慰め一層事蹟の顕彰をすることになりました。毎年十一月六日を公の命日として墓前に於て慰霊法要が厳修されます」
2025年11月09日 しげぽん
横山城
観音寺から登城しました。本堂からの登城路は左側、右側の両方にあるようですが、右側の西国三十三観音拝観ルートから登りました。防獣柵の扉を開け観音様の石像を拝みながら登っていきます。足場も良く整備されているので登り易いので30分程度で主郭まで登れました。主郭からの見晴らしが良いです。
2025年10月20日 とんかつおやじND
名越ごえの山城[横山城 周辺城郭]
名越ごえの山城 北側の城と南側の城と二城で構成されているようです 北側の城域は「天神山」と「山室」のピークを繋ぐ城域 南側の城域は「山室」から300m弱南側のピーク どちらも南北の尾根に堀切を入れて護り 一部東側尾根にも堀切が入っていた 北の城域主郭と思われる削平地下段斜面の南側から西に連続竪堀風地形らしきがみられた
2024年11月03日 左京大夫吉川
横山城
登りごたえのある山城で伊吹山が綺麗に見えますが春から秋にかけてはスズメバチやマムシに充分に注意が必要です。
2024年10月17日 tracer_azu
名越ごえの山城[横山城 周辺城郭]
名越ごえの山城(山室城)
横山城のある横山連峰より南に位置し、どう尾根には鳥羽上城などもあります
こちは京極氏の家臣小足備前守の築城のようです 北、東、南の三方に対して堀切を築き防御しています西の名越町側には防備がないことから、西側の勢力が築いた山城と推定されています 見どころは岩盤の堡塁のある二重堀切でそのほかの堀切も高低差あります
2024年05月23日 釆女正佐吉。
西山城(城山城源氏山の遺構)[横山城 遺構・復元物]
よい子のみんな、元気にしてる?エリカだよ。
平城大好き🫶エリカのバイブルは「近江の平城」(髙田徹)なんだけど、エリカ最近それだけじゃなくて「北近江の山歩き」(西岳人)って本読んでるのね。山歩き、すごいでしょ。エリカ冒険してるの、照れちゃう。でね、この本読んでたら、源氏山っていう山が出てきたの〰️。そこには秀吉が植えた杉並木と中世のお城があるって書いてあるじゃん?そんなアーモンドグリコな山が米原にあるなんて、エリカ全然知らなかった!エリカの別荘から近いし、標高225mだからエリカでもヨユー…て程じゃないけど、行ってきたの〰️。杉並木の方はヘンなおばさんが口コミ書いたらしいからそっちを見てね。そうそう、ヘンなおばさん、最近木に目覚めたらしく「北近江の巨樹を見に行く」(西岳人)て本を予約した♪ってはしゃいでた。エリカ、キモ〰️て思ったけど、大人だから愛想笑いしておいたの〰️アハッ!
さあ、車は西山会館に停めるのよ。お城には西山八幡神社左手の遊歩道から歩くの。 源氏山にあるお城は「滋賀県中世城郭分布調査」を見ると(通っぽいでしょフフッ)、「西山城(城山城源氏山の遺構)」として登録されてるの。…ややこしいわねッ!でもエリカ、その通りに登録しておいたわ。こう見えてエリカ、文献重視派なの🫶
城主はきっと、佐々木一族の大原さんよ。だってここ、大原荘だもん。ちなみに大原さんの祖、大原(佐々木)重綱さんは、歯抜けおじいちゃん佐々木秀義さんのひ孫に当たる人よ。なぁに?ホントに歯が無かったのかって?知らな〰️い。
大原さん、室町時代には足利将軍の奉公衆(官僚ね)にもなってたんだけど、戦国時代には血統が途絶えて、佐々木一族の六角さんから養子を迎えたの。でも結局1601年(関ケ原合戦の翌年よ)、大原家は絶家になっちゃた。チョット悲しいわね。
じゃ、歩くの。5~10分ほどで山の中腹に出るわ。削平されてて、竪堀があるっ。そこからまた5~10分歩くと山頂だよ。 着いた!削平されてて東屋がある。…あら?大きな蜂が数匹いるわ!もしかして、スズメちゃんバチ!?ううん、あのずんぐりむっくりした感じはクマちゃんバチねきっと。エリカ、来た道とは別の遊歩道から下りたいのに、クマちゃんバチがハチの字描いて通せんぼしてるっハチだけに。エリカ、同じ道を戻るのは嫌なのっ!エリカの辞書には前進しかないのっ!…クマったわね。しばらく様子を見るわ。…やだっ!エリカの事、完全にロックオンしてるっ!たまにブゥ〰️ンッ!と勢いよく明後日の方向に飛んでフェイントかけて、また素知らぬふりで定位置に戻ってエリカの方を向いてハチの字飛行。エリカを翻弄してるのかしらっ!?
……まだかしら。エリカ、クマちゃんバチとかれこれ10分は睨みあってるわよ?花の命は短いのっ。エリカ、クマちゃんバチにお付き合いしてる場合じゃないのっ。…決めた。強行突破するわっ。
…シュタタタッ!! (エリカは疾風の如く走ったつもりだけど、多分早歩き速度よ)
……………ブゥゥゥンッッ!!!!……………
ぎゃッッ!!エリカの耳に体当たりしてきたっ!!
だからっ!顔はやめてって言ってるじゃないっ!
私、女優なんだから。
…クマちゃんバチの当たって砕けろ体当たりの愛情表現はわからないでも無いわ。でもゴメンなさい。エリカ、もう恋愛はこりごりなの。エリカには女優しかないの。今までこれで生きて来たんだもん。源氏山にいて欲しいって言われたって、今更無理よ。エリカ、山で籠城していられるタイプじゃないの。野戦で勝負に打って出たいの。…そんなクマった顔しないで!エリカだってサヨナラするのは辛いけど、笑顔でお別れしましょ…。
ふぅっ…エリカ、ハチと後期高齢者だけにはモテるの。
何故かしらね。
2024年05月17日 釆女正佐吉。
八幡神社の杉並木[横山城 寺社・史跡]
全国11044人の秀吉ファンの皆さんこんばんは!
お姉さんある日、滋賀県米原市西山「源氏山」の麓に鎮座する、八幡神社にレッツらゴーしてきたよ。ここには秀吉に纏わる杉の木があるんだ。
もう、ワクワク☆豊豊だよ~~ッ! !
駐車場は無いので、近くの西山会館を使用させてもらったよ。そこから徒歩数分で神社に到着。鳥居手前の案内板によると、推定樹齢300年以上の杉の大木があって、県の自然記念物に指定されているんだ。
石造りの鳥居をくぐると、本堂へ向かう急な石段(80余段)の両脇に、デデンっ!と杉の木が連なってそびえ立ってる。これは凄い、壮観。鳥居の先にも案内板があって、それによると杉の木は17本植えられており、樹齢400年以上と推定される、とある。え、樹齢300年と400年?どっち?
いずれにせよ、この杉の木は秀吉が植えたと伝わる(だったら樹齢400年だね)。秀吉は、長浜城主の頃からこの八幡神社を武神として崇敬していて、後に大坂城主になってこの神社に安産祈願したところ無事に秀頼が生まれたので、そのお礼として薩摩から杉の苗木を取り寄せて植えたんだそうな。「豊公薩摩大杉」 とも呼ばれ、地域の人々から親しまれてるそうだよ。
ちなみに「滋賀県神社庁」によると、西山八幡神社の御祭神は應神天皇。應神天皇は武勇伝が多く源氏の氏神になっている。そして、鎌倉中期の武将、大原氏累代の庇護が大きいとも書いてある。「源氏」の氏神、そして、宇田「源氏」佐々木氏支流の大原氏が庇護。だから「源氏山」なんだね。大原氏は坂田郡(現在は米原市)が発祥の地で、西山は大原荘の最南端に当たる。「鎌倉殿の13人」でいうところの、佐々木の歯抜けじいちゃんの子孫。じいちゃん、やっぱ完全な勝ち組じゃん!
すぐ近くには米原市指定天然記念物の大木 「西山の欅」もあるよ。お姉さん最近、木が気になる気になる木〜で、巨樹巡りをしたいと密かに思ってる。ちなみに巨木と巨樹の違いは、幹周りが3m以上を巨木、5m以上を巨樹と呼ぶんだって。知らなかった〜。
運営さん、本来なら「ニッポン史跡めぐり」アプリを開発して欲しいところだけど、史跡ともなると膨大な数で難しいかもしれないから、「ニッポン巨樹めぐり」アプリなんて如何でしょう?お姉さん、秒でDLするよ!
ところで、実は源氏山には中世のお城もあるんだ。 お城の口コミに関しては、エリカさまが「エリカが書くのっ!」って張り切ってるから、待っててね。
2024年02月13日 sigesige主税頭信繁
横山城
麓の観音寺(石田三成ゆかりの寺)さんの本堂の左側に登城口があります。かなり足場は悪いのでしっかりした靴などそれなりの装備があった方が良いですね、ピンク色のテープが要所要所に木に付けてあり、それを頼りに進みました。途中ロープが設置してあり助かりました。主郭付近まで行くと鐘撞き堂があり誰でも鐘撞きできます。さらに進むと鉄塔があり更にその先に進むと北城にあた
る所まで行けました。眺めがとても良いので疲れも吹っ飛びました。
2023年11月24日 ᴿᴱᴰ副将軍
大原氏館[横山城 周辺城郭]
佐々木四兄弟の長男である佐々木重綱を祖とする大原氏の居館🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。大原氏により築かれたとされます。
大原氏は、鎌倉時代初期に佐々木信綱の長男である佐々木重綱が大原庄地頭職を与えられ、大原氏を称したのが始まりとされます。
近江源氏であり近江国守護の佐々木信綱の四兄弟は、次男の佐々木高信は清水山城を拠点とした高島氏に,三男の佐々木泰信は観音寺城を拠点とした六角氏に,四男の佐々木氏信は柏原城を拠点とした京極氏に分かれました。
佐々木重綱は長男ですが庶子であったため廃嫡され、家督は三男の佐々木泰信が継承しています。
見所
居館を巡る幅約5mの空堀と高さ約1mの土塁が竹ヤブの中に残っています。視認はできるのですが、竹ヤブの密度が濃いので写真では無理でした。
東側の公園に入り口があり、大原中村城の城跡碑と字が薄くて読めない案内板が立っていました。
2023年06月29日 とんかつおやじND
鳥羽上城[横山城 周辺城郭]
鳥羽上城 城主は京極高延方の 荒尾三郎左衛門尉。観音寺境越えと鳥羽上・菅江山越えの二つの間道見張りの為の城砦 尾根を400m程に渡り曲輪が点在 西側の武者走りは 主郭手前まで略並走 東側は途切れ途切れに武者走りあり。大蔵、馬塚古墳、と主郭がハッキリ分かる曲輪で 後は小曲輪となります。御城印が発売され 整備されたと聞き伺ったが 登城路と主な曲輪は整備されてますが 他は判別不能かも…
2022年07月04日 ᴿᴱᴰ副将軍
横山城
織田信長と浅井長政の激戦において重要拠点となった城郭🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。元々は京極氏による築城と云われます。
1517年に浅井亮政による侵攻で浅井氏の支配となり、1561年には浅井長政が六角氏との防衛拠点として築城改修し、浅井井演を城主に置いた様です。
1570年、織田信長が越前朝倉氏を攻めると、浅井長政は織田信長と決別。
姉川の戦いでは、織田信長は横山城の北尾根に竜ヶ鼻砦を築き、柴田勝家・羽柴秀吉が横山城を攻略し落城となりました。
その後、信長は1573年に浅井氏が滅亡するまで羽柴秀吉を横山城主とし、小谷城を抑える重要拠点としました。
その後、秀吉は本拠地として長浜城を築城し移転。横山城は廃城となりました。
見所
山頂に北城、南東尾根のピークに南城を構え、北城の南西尾根にも曲輪を連ねるL字型の縄張りです。
北城の鋭い切岸と、南西尾根筋を隔てる二重堀切が一番の見所。
全体的に堀切、竪堀は薄く、登山道を離れるとヤブ化しています。
行き方は、麓の観音寺を目指してください。
駐車場もあり、登山口の案内もあります。
比高は約190mで整備されたハイキングコースを40分くらいで辿り着きます。
2021年10月10日 曳馬左兵衛督弘康
横山城
石田会館に車を止めて日吉神社からハイキングコースへ。少し登ると横山城への案内板とあと10丁の表示が。ひたすら歩くと土塁を発見し曲輪跡に到着。二重堀切を越え本丸跡へ到着。北方は姉川の向こうに小谷城、西方に長浜城、と展望は良好。この場所から姉川合戦は一望できたんだと感じました。
2021年08月26日 イオ飛騨守
石田三成公一族及家臣供養塔[横山城 寺社・史跡]
石田氏の氏神と伝わる八幡神社の裏手には、石田三成公一族及家臣供養塔が祀られています。これは八幡神社から多数の墓石が出土し、刻まれた文字から関ケ原の戦いの後、徳川方の追及を避けるべく石田一族や家臣の墓石を埋められたものと考えられ、新たに墓所を整備して供養しているものです。
2021年08月26日 イオ飛騨守
石田氏館[横山城 周辺城郭]
石田氏館は、戦国期に京極氏や浅井氏に仕えた地侍・石田氏の居館で、石田三成の出生地として知られています。
石田会館から北側の石田バス停にかけてが居館跡とされ、明瞭な遺構はありませんが、石田会館には「石田三成公屋敷跡」「石田治部少輔出生地」をはじめとする多くの石碑、説明板、石田三成公の銅像が建てられ、南西隅の堀端池は治部池とも呼ばれ、堀の一部とも言われます。石田会館には三成についての資料が展示されているようですが、訪問時(2021/06/20)はコロナ禍により休館中でした。
石田会館の北の石田バス停には「石田治部少輔三成屋敷跡」と「石田三成公邸跡」の石碑、案内板や説明板があり、石田バス停から北西に少し行ったところには、石田三成産湯の井戸があります。
2016年10月15日 OROKA中務卿
横山城
大原観音寺からハイキングコースで登城、整備された歩きやすい道で30分くらいでした♪
あと、ふもとの三成と秀吉が出会ったという観音寺では三成展をやっていて、サービスでお茶を飲ませてくれました…ぬるいのから熱いのまで3杯ではなかったですが(笑)
2015年03月29日 柴崎大納言幸助
横山城
石田三成が秀吉に「三碗の才」を発揮した観音寺から登れます♪山頂まで1時間ほどだそうです。
横山城の周辺スポット情報
虎口(遺構・復元物)
二重堀切(遺構・復元物)
北城中心部(遺構・復元物)
竪堀(遺構・復元物)
南城(遺構・復元物)
石田三成水汲みの井戸(遺構・復元物)
伝長浜城裏門 観音寺惣門(遺構・復元物)
西山城(城山城源氏山の遺構)(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
横山古墳(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
名越ごえの山城(南城)(遺構・復元物)
石田三成公屋敷跡・石田治部少輔出生地石碑(碑・説明板)
石田三成産湯の井戸(碑・説明板)
大原氏館(周辺城郭)
石田氏館(周辺城郭)
七条城(周辺城郭)
石田治部少輔三成屋敷(周辺城郭)
龍ケ鼻砦(周辺城郭)
鳥羽上城(周辺城郭)
名越ごえの山城(周辺城郭)
龍ヶ鼻陣所(茶臼山)(周辺城郭)
山ケ鼻砦(周辺城郭)
小倉砦(周辺城郭)
総山砦(周辺城郭)
坂南砦(周辺城郭)
北平砦(周辺城郭)
梶原砦(周辺城郭)
石田三成公一族及家臣供養塔(寺社・史跡)
大原観音寺(寺社・史跡)
法性寺院跡(寺社・史跡)
小倉寺遺跡(寺社・史跡)
醍醐遺跡(寺社・史跡)
八幡神社の杉並木(寺社・史跡)
右さめが井/左たにく゚み(道標)(寺社・史跡)
石田会館(御城印)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
名越しごえの山城駐車場(駐車場)
展望台(関連施設)
大一大万大吉マンホール(その他)
登山口(その他)
分岐点(その他)
石田登山口(日吉神社口)(その他)
名越ごえの山城登城口(やまぶきの道)(その他)









