京極氏城館(きょうごくしじょうかん)

京極氏城館の基本情報

通称・別名

京極氏城館[上平寺城(苅安尾城、桐ヶ城)・京極氏館]

所在地

滋賀県米原市弥高他(地図は京極氏館を示す)

旧国名

近江国

分類・構造

城館遺跡群

天守構造

築城主

京極高清[すべて]

築城年

永正年間(1504〜1521)[すべて]

主な改修者

主な城主

京極氏[すべて]

廃城年

元亀元年(1570)[上平寺城]、大永3年(1523)[京極氏館]

遺構

曲輪、竪堀、土塁、虎口[上平寺城]、庭園[京極氏館]

指定文化財

国史跡(京極氏遺跡)

再建造物

碑[すべて]、説明板[すべて]

周辺の城

長比城(滋賀県米原市)[4.2km]
不破の関(岐阜県不破郡)[5.2km]
松尾山城(岐阜県不破郡)[5.9km]
菩提山城(岐阜県不破郡)[6.1km]
横山城(滋賀県長浜市)[7.4km]
八講師城(滋賀県米原市)[8.1km]
垂井城(岐阜県不破郡)[10.1km]
三田村城(滋賀県長浜市)[10.2km]
小島城(岐阜県揖斐郡)[12.1km]
下坂氏館(滋賀県長浜市)[12.2km]

京極氏城館の解説文

京極氏城館は、鎌倉時代より近江にあった京極氏に関する、上平寺城・京極氏館の総称。

上平寺城 

京極高清が山麓に館を構えたときに、戦に備えた「詰の城」として整備したのが上平寺城である。北国脇往還を押さえる要地にあることから、高清築城以前にも砦あるいは寺院遺構があったと考えられる。

大永3年(1523)の家臣団のクーデターにより、京極氏館は北近江の守護館としての機能を終えたが、上平寺城は東山道(中山道)と北国脇往還を見下ろすことができ、北近江と濃尾平野を一望できる絶好の拠点であったことから、近江と美濃の「境目の城」として機能していくことになった。

とくに、元亀元年(1570)、浅井長政は織田信長の侵攻に備えるために、朝倉氏の築城技術を導入して大規模な改築を行った。しかし、城番であった堀秀村と樋口三郎兵衛らが信長に内応してしまったために、上平寺城は戦わずして開城となり、以後、廃城となったと考えられている。

現在見られる遺構はこのときのもので、尾根を断ち切る巨大な堀切や、放射状に堀を巡らす畝状竪堀により周囲を守り、尾根上に土塁で囲んだ曲輪を配する典型的な中世の山城の姿を見ることができる。

京極氏館 

京極氏は仁治2年(1241)に近江守護佐々木信綱の4男・氏信が、北近江六郡を与えられたのが始まりである。当初、近江における拠点は柏原館(米原市清滝)であったが、戦国時代の幕開けとなった応仁文明の乱(1467~1477)以降、北近江の戦国大名として歩み始め、これに伴って館と家臣屋敷を整備したのが「京極氏館」である。

永正2年(1505)、永く続いていた一族の内紛を日光寺(米原市日光寺)の講和で納めた京極高清は、山岳寺院上平寺があったこの地を利用して居館を築いた。伊吹神社境内全域が京極氏館跡で、庭園を伴った京極氏の住まいや、蔵屋敷、隠岐屋敷や弾正屋敷といった屋敷が立ち並んでいたようである。

『上平寺城絵図』(市指定文化財)には、内堀をはさんで館の南、現在の上平寺集落に武家屋敷や町屋敷が、さらに外堀があって市や民家がならぶ城下町が広がり、その南端に東国と北陸を結ぶ主要道「越前街道(北国脇往還)」を取り込んでいる様子が描かれている。

このように、16世紀初頭には北近江の政治拠点として栄えた上平寺であるが、大永3年(1523)高清を補佐する上坂信光の専横に対し、浅見・浅井・三田村・堀氏などが上平寺城を攻め落とし、京極氏館は廃絶したと考えられている。

情報提供:米原市教育委員会歴史文化財保護課


京極氏城館の口コミ情報

2023年12月25日 RED副将軍
弥高寺・本坊跡[京極氏城館  周辺城郭]



北近江守護である京極氏の詰め城とされる巨大な桝形虎口が見事な城郭寺院🏯

オススメ度 ★★★★★

仁寿年間(851年〜854年)に僧三修により開かれた山岳寺院です。伊吹山四ヶ寺 (弥高寺・太平寺・観音寺・長尾寺)の中核でありました。
応仁の乱後には京極氏により城塞化されていた様で1495年には京極政高が出兵し、翌年には京極高清が布陣したと伝わります。
1570年頃には浅井長政が織田信長に対する備えてとして上平寺城同様に改修をしたと考えられており、同年に織田信長による焼き討ちにより上平寺城と同時期に廃寺となった様です。

見所
伊吹山南山腹の標高650mから715mに築かれています。
土塁囲みの本坊を中心として南山麓へと延びる参道を中央に挟んで扇状に60を超える坊跡が広がります。
参道の下に大門と呼ばれる巨大な桝形の虎口があり最大の見所です。周囲に石積みもあり、外側には横堀が巡り畝堀も確認できます。全国屈指の桝形虎口です。
本坊背後の北尾根には大堀切と竪堀も確認できます。

行き方は、伊吹山上平寺登山口から上平寺城まで比高380mで約50分の登山。弥高寺は更に鞍部を越えて約20分です。京極氏館、上平寺城、弥高寺と併せて半日くらいかと思います。

2023年10月15日 陸奥守新九郎
京極氏城館



なかなか険しい山城でした。しかし、登ってみると素晴らしい遺構群。行く価値ありです!

2023年09月11日 RED副将軍
京極氏城館



登録地である京極氏館の口コミです

北近江守護である京極氏の居館跡🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。永正年間(1504年〜1521年)に京極高清により築かれたと云われます。
京極氏は、近江源氏である佐々木氏の分流で鎌倉時代に佐々木信綱の四男氏信が、北近江を与えられて京都の京極高辻に屋敷を構えて京極氏を名乗ったのが始まりです。その後、南北朝の内乱で京極道誉の活躍により室町時代には本家の佐々木六角氏に並ぶ勢力となりました。
しかし、京極氏は相次ぐ家督争いにより衰退していきます。
35年も続いた京極氏の内紛を収めた京極高清が、それまでの柏原館を廃して新たに上平寺に構えた守護所が京極氏館です。背後の尾根上に詰め城である上平寺城も築城し、 館の南側には家臣や町人が住む守護町も造りました。
1523年に長男の京極高広を推す浅見貞則・浅井亮政ら国人衆と、次男の京極高吉を推す京極高清と上坂信光らに家中は二分し、再び跡目争いが勃発します。国人一揆へと発展し、京極高吉を推す京極高清と上坂信光は敗れ落城。
京極氏は衰退し、北近江は家臣の浅井氏が実権を握ることになりました。

見所
上平寺集落の北山腹に築かれており、現在は伊吹神社の境内を最高所とし、下段に巨石を用いた庭園跡が残ります。参道の両脇には屋敷跡が残り、御屋形、弾正屋敷、蔵屋敷、隠岐屋敷、厩などの名が残ります。

近江屈指の名城である上平寺城、弥高寺とぜひ併せて訪城ください。

2023年08月18日 切岸クライマー
京極氏城館

2023/8/17訪問
山道崩落のため、入山禁止でした。

2023年03月22日 ひろ弾正少弼
京極氏館[京極氏城館  周辺城郭]



屋敷跡や京極氏一族の墓などしかありませんが 特に庭園跡が美しいです。

2023年03月06日 (紀伊守
京極氏城館



駐車場より本丸まで50分そこそこの坂道なのでかなりキツイです下は30分ほど。トイレは見当たりません。

2022年10月09日 azu近衛権中将
弥高寺・本坊跡[京極氏城館  周辺城郭]



規模の大きな虎口〜空堀、段廓と山岳寺院を城にし、その規模の大きさが伺えました。遺構もダイナミックで、竪堀、堀切、土塁、どれをとっも圧巻でした。

2022年04月24日 いち近江守
家臣屋敷地・土塁[京極氏城館  遺構・復元物]



高殿・家臣屋敷跡 L形状西側土塁は残存状態も良好。南側には堀跡や石積遺構もあり
屋敷跡は南北と道路で寸断されていますが江戸初期の上平寺城絵図の古地図に三方を土塁で囲った様子で描かれており、記載の家臣名は有力な被官たちの屋敷であったと思われます(名は江戸初期に書かれたものですので信憑性は不明です ちなみに若宮の名がありますが山内一豊室の千代の一族かも‥)
高殿より南方にも家臣屋敷は広がっていますが、農作業されている様子なのでそれより先は遠慮しました
①京極氏城館の入口案内板より
②高殿(家臣屋敷跡への入口 北東側)
③L形状土塁・高殿南西側の堀跡及び土塁
④L形状土塁への入口
⑤高殿の南側下方に残る石積遺構
⑥家臣名記載、上平寺城絵図案内板より

2022年04月10日 VTR美濃守シゲ23日松江
京極氏城館



弥高山寺跡

京極氏城館跡より上平寺城跡へ山を50分程登り、主郭奥の堀切、土橋を超えて伊吹山登山道を登り、弥高山の三角点より弥高山寺方面に下るのが安全なルートです、上平寺駐車場より2時間程かかまりす、トラバースルート有りますがかなりの細道で危険です

山岳寺院跡を京極氏が改修したものと考えられます、弥高山三角点から下ると、最上段の大堀切と大土塁が現れ左手の斜面には畝状竪堀が有ります、尾根筋を下ると堀切土橋を越え本坊に至り、ここからの景色は西美濃、近江を一望。しかしここは笹原なのでマダニが生息、虫除けスプレー絶対です

本坊から下る事5分程で大門に、石の散見もあり石垣で有ったのかもしれません
凄い土木量で虎口好きには堪らない遺構、更に下ると林道の様な広い登山道になり少し下ると斜面に竪堀が2本これも見応え有りました

そのまま下ると上平寺駐車場とは違う場所に降りてしまうので、登り返して登った道に戻り京極氏城館に降りて下さい、上平寺と弥高山の遺構見学山登り含めかなり時間かかります、時間にはかなり余裕を持ってリア攻めして下さい

マダニもですが、水場にはヒルも出る様、当然サル、イノシシ、クマもいますので対策は忘れずに

2022年03月28日 いち近江守
京極氏城館



巨石を使用した庭園跡は往時を偲ばせ、城館跡、家臣屋敷跡。館跡から山地に足を運んでみると上永平寺城跡、弥高寺城跡。大門跡、土塁、大堀切、竪堀など城好きにはたまらない。また伊吹の雄大な景色にも惹かれること間違いなし。城館跡より上はそれなりの装備をしていくことが大切です。遺構などの写真は他の皆様が色々掲載されているので割愛いたします♪

2021年12月05日 名無しの温かい人。
弥高寺跡[京極氏城館  寺社・史跡]



〜英雄ヤマトタケルを退け、死に至らしめた「荒ぶる神」として古事記に登場する伊吹の神。
この強い神の力を得るため、伊吹山が修行・山岳信仰の聖地となった。 仁寿年間(851~854)には山岳寺院としての伊吹山護国寺が成立していたと思われる。これが展開して長尾寺、太平寺、観音寺、弥高寺の伊吹山4ヶ寺となる。その4ヶ寺の中心的寺院であったと伝わるのが弥高寺である。
60を超える坊跡群(地元では弥高百坊と呼ばれる様に、100近くの削平地が確認されている)や本堂などがあった。
一方で京極あるいは浅井・朝倉によって城郭に改修城郭されており、軍事的色彩の強い山岳寺院でもある。〜

2021/11/23「琵琶湖一周のろし駅伝」の一環として行われた「弥高寺跡見学会」に参加し、米原市教育委員会高橋さん案内のもと登城しました。

悉地院を過ぎ、採鉱所を左手に見つつ、チェーンが張ってある登城口から入ります。山神様へのお参りや休憩を挟み、悉地院からの登城時間は1時間半程でしょうか。まず枡形状の大門跡が現れます。
城郭としての主な見所は、大門跡の枡形虎口や巨大土塁、本坊跡、大堀切、竪堀辺りになります。
しかし折角ここまで登ってこられたのですから、ぜひ寺院としての遺構である入定窟、宝篋印塔と五輪塔なども見学していただきたいと思います。(入定窟や宝篋印塔などへ行く道は少し足場が悪いのでお気をつけ下さい)

塗料の匂いに敏感なのか、自分の縄張りに見慣れない物体があるのが気に入らないのか、動物の生々しい爪痕が案内板に残ります。
開放的で見晴らしの良い本坊辺りとは違い(ここにも爪痕はある)、後方部の大堀切辺りまで行くと、堀切の向こうから今にもクマが顔を出すんじゃないかという恐怖。

伊吹山のスペシャリスト高橋さんも「基本伊吹山系は1人では登らない」と仰るので、単独登山は避けた方が賢明かと思います。

①大門跡の土塁と空堀
②大堀切
③庭園
④入定窟
⑤不完全な状態の組み合わせの宝篋印塔と五輪塔

2021年11月27日 名無しの温かい人。
伊吹山護国寺 悉地院[京極氏城館  寺社・史跡]



伊吹山護国寺 悉地院(いぶきやまごこくじ しっちいん)

〜英雄ヤマトタケルを退け、死に至らしめた「荒ぶる神」として古事記に登場する伊吹の神。この強い神の力を得るため、伊吹山が修行、山岳信仰の聖地となった。

仁寿年間(851~854)には山岳寺院としての伊吹山護国寺が成立していたと思われる。これが展開して長尾寺、太平寺、観音寺、弥高寺の伊吹山4ヶ寺となる。その弥高寺の学頭を務めたのが悉地院である。

明応八年(1499年)落雷によって諸堂を消失したのを再建したが、その後も数々の災難にあい明和五年(1768年)現在の地に移った。

宗派:真言宗豊山派
札所:近江湖北二十七名刹霊場22番札所、びわ湖百八霊場48番札所など
本尊:千手観音立像(秘仏)
その他の仏像:大日如来坐像、不動明王像、愛染明王像など

本堂・庫裏・鐘楼・山門のほか、春は八重桜、夏は紫陽花や新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と風情を楽しめる庭園があり。石組は不動三尊、池は琵琶湖を表し、四季折々美しい景色を見る事ができる。〜

2021/11/23「琵琶湖一周のろし駅伝」の一環として行われた「弥高寺跡見学会」に参加しました。弥高寺登城口に近い事もあり、登城前に悉地院さんの駐車場とお手洗いをお借りし、境内も見学させていただきました。

この日はちょうど紅葉の盛り!色とりどりの美しい境内へ入ると、黒ヤギさんと白ヤギさんがお出迎え!まさか伊吹山中腹の、由緒正しきお寺で2匹のヤギさんに出会えるとは!寺とヤギ…一見ミスマッチなのに、妙に馴染んでる。放し飼いされており、とっても人懐こくて可愛らしいヤギさん達でした。

拝観のみでなく、予約制で写経、写仏、数珠作りの体験もできるようです。(詳細は悉地院のHPにて)
俗世を離れ、美しいお庭とヤギを見ながらの手仕事は、きっと癒しのひと時となる事でしょう。

2021年11月16日 ヤンヤン
京極氏城館



山上の城跡まで1時間の登山です 城跡は山城としてトップクラスでした 規模と曲輪や土塁などの遺跡はよく残ってますのでオススメの山城です

2021年11月10日 RED副将軍
上平寺城[京極氏城館  周辺城郭]



京極氏の名城🏯
山麓に館を構えた詰め城です✨
個人的には名城揃いの近江国で最も好きな山城です🥳

オススメ度 ★★★★★

1505年に家督争いを制した京極高清が築城し、拠点を柏原館から移したもの。
1523年に再び家督争いが起こり、浅見貞則ら国人衆によって落城。京極氏の衰退に代わって浅井氏が台頭。京極高清・高広父子は小谷城へ移り住み、上平寺城の機能は消失。
その後、浅井氏により織田信長への備えとして利用されたと言われています。

見所
主郭の背後にある大堀切。尾根は分断され土橋がかかる。先を進めば弥高寺城、伊吹山へと続く。
二の丸、三の丸は二段となっており、土塁が巡る。特に土塁の残存程度が素晴らしい。
各郭虎口には堀切に細い土橋が架かる。その先にも高い土塁で囲まれた枡形が続き、一斉攻撃からは不可避。

遺構は素晴らしいがヤマビルの攻撃に注意を要します。冬期の登城をオススメします。

2021年10月26日 近江守フロクニ
京極氏城館



京極氏城館 入口の橋の西に登山用の駐車場が有る。城館迄の道は一本道舗装されているので攻略し易い。

2021年08月30日 nari伊賀守
京極氏城館



京極氏館址の山、中腹には上平寺(じょうへいじ)城址が。比較的綺麗に整備され、竪堀など分かるよう標識が有ります。

2021年04月22日 橘雅楽助かずひろ
京極氏城館



整備されていて気軽に訪問し、見学出来ます。
駐車場は伊吹山への登山者用が在りますので、そこに停められます。
神社の中には京極氏のお墓と伝わっているものもあります。
滋賀県に在る史跡ですので、私の見方が悪かったのか、濃尾平野は見えなかったです。

2020年11月30日 VTR美濃守シゲ23日松江
京極氏城館



リア攻めマップに有る上平寺駐車場より登城

トイレは有りませんので最寄りのコンビニ等で済ませて下さい

京極氏城館跡を両側に見ながら伊吹神社に左折れで山道に入ります、猿、鹿、猪、熊は出るようです熊鈴は必須です。沢沿いにはヒルも生息、ヒル対策も万全に。

山道に入ってから尾根をつづら折れに登る事およそ1時間最初の竪堀が現れます。

三の丸に入ると、二の丸との間に土橋その両側に竪堀で守りを固める。二の丸虎口は土塁で囲まれて桝形虎口形状の様、ここが一番痺れました^_^二の丸から本丸へも竪堀、畝状竪堀と守りを固めてます

本丸は高い切岸に土塁で囲まれて硬い防御力

本丸背後に大堀切で搦手側も防御

弥高山寺跡には斜面をトラバースが近道ですがかなり道も狭く所々危険箇所有ります、不安な方は弥高山方面に登り、途中の分岐より降った方が安全です。

弥高山寺跡からの景色は素晴らしく琵琶湖と濃尾平野が右側と左側で見え、絶好の写真スポットですね。

御城印は伊吹山文化資料館に有ります。

2020年11月04日 疋壇城長村
京極氏城館



もっと館跡らしく整備されたらいいと思います。一見雑草地のように見えます。歴史的遺産らしくされた方が…

2020年06月25日 miharuchi
京極氏城館

ここを荒らした人がいるようですね。
当時の様子を想像するのが楽しいのに。

2017年11月28日 OROKA参議
京極氏城館

【補足:上平寺城~弥高寺の道】

上平寺城本丸の裏手の土橋から5~10分ほど登ると「→伊吹山5合目へ」というプレートがあります。
ここがルートの分岐点になっており、右が「迂回して行くルート」、左が「危険なショートルート」になります。

【迂回ルート】
伊吹山の登山道を20分ほど行くことになると思います。右手に伊吹山の勇姿が見えて来た頃にまた「伊吹山5合目」のプレートがあり、左から別の登山道と合流します。
この左からの登山道が弥高寺からの道になります。左にシフトして5~10分ほどで弥高寺背後の大堀切に出ます。

【危険なショートルート】
足場の悪い細い谷道を30分ほど行きます。
谷川を2つ越えた先に案内板があり、「行者谷・弥高寺」に登るルートと「石塔・駐車場」に下るルートがあるので、登るルートで弥高寺へ向かいます。

土塁、桝形や土橋、竪堀の組合わせなど技巧的な遺稿が多い上平寺城に比べ、弥高寺はシンプルながらダイナミックな土塁、堀切と琵琶湖の絶景が持ち味です。
どちらも最高レベルの城ですので、ぜひセットで訪れていただきたいです(*^_^*)

2017年11月26日 木下近江守湖一郎
京極氏城館

上平寺城跡と弥高寺城跡へ訪れました。先人も書かれています通り、麓の上平寺集会所、伊吹神社から50分の道のりで、上平寺城跡へ行け、そこから30分〜40分で弥高寺城跡へ行けます。
上平寺から眼下には、中山道と北国街道が、曇りでも関ヶ原とその先の濃尾平野が、弥高寺からは琵琶湖と近江は長浜、彦根、八幡あたりまで見渡せる最高の場所です。天気が良ければどこまで見えるのでしょうか。
遺構も土塁・堀切・竪堀と規模・迫力ともにお腹いっぱいになり、とっても素晴らしいです。ちなみに、弥高寺跡の土塁、平坦地、大門跡はグーグルアースでも確認できます。
道のりは、伊吹山の登山道でもありますので、きちんとした登山靴や入山届などの準備が必要です。また、上平寺から弥高寺までのルートは、先人も書かれている通り、谷を横断するルートは細く、危険ですので、伊吹山の5合目まで上がり、分岐点で、弥高寺へ下るルートの方が安全度は高いです。
下山後は、予算と時間に余裕があれば、近江牛か養老で焼肉、高月でみそやさい鍋を。さくっと行くなら近江ちゃんぽんか来来亭ではいかがでしょうか。
1日かけていく価値のある場所だと思います。

2016年05月31日 みず
京極氏城館

ヒルに要注意!
首もとをタオルなどで防御した方がいいです。あと、クマ除けの鈴も持参して下さい


2016年03月04日 鬼美濃近江守Silvine
京極氏城館

京極氏館から上平寺城へは50分ほど。登りはきついですが急坂というほどではありません。道幅もしっかりあります。
また、弥高寺へは麓の弥高にある悉地院より林道があります。大門まで10分ほどのところまで車で上がれるようですが、舗装されておらず、ぬかるみや岩もあります。上に駐車場もあり。歩く分には問題ありません。こちらも歩いて50分。
以前にも書かれていますが、問題は上平寺城〜弥高寺間の道です。人1人分もない幅の場所や、斜面に近い道など、危険を伴う場所が多く、私も帰りは断念しました。
麓の悉地院から京極氏館(伊吹神社)までは歩いて40分ほどです。戻るのが危険と判断された場合は、そちらでも良いかと思います。

2013年09月21日 ŧ‹”ŧ‹”。
京極氏城館

この京極氏館からは車で
20分ほど離れていますが
JR 柏原駅から徒歩20分の所に
丸亀城主であった京極高豊が
歴代当主の墓を集め建立した
清瀧寺徳源院があります。

京極家歴代墓所の他、三重塔
回遊式庭園は、一部山城を利用した
立派な庭園で秋には紅葉が有名です。

夏には、幽霊画の掛軸が展示されるようです。
拝観料は300円
お茶付きでした。
こちらまでこられたなら
ぜひ京極家の菩提寺にもお立ち寄りしてみては?


2013年06月09日 ŧ‹”ŧ‹”。
京極氏城館

伊吹神社から約50分で上平寺城へ

かなり急勾配な登りになっているので
前日の天候も考えての登城が良いかと

三の丸付近から、大きな土塁や
土橋、長く急峻な堀切もあり
主郭からは、関ヶ原も一望できます。

長い道のりを登る価値はあるかと

その上平寺城から更に約30分で
弥高寺跡へ行けますが、勾配は緩くはなりますが
道幅がかなり狭いため
要注意!

寺院跡ですが、土塁や虎口も
遺構として残っていました。
こちらからは、遠く琵琶湖も望めます。


2013年05月16日 ŧ‹”ŧ‹”。
京極氏城館

この辺り一帯は、京極氏が築いた
北近江初めての城下町だった様子

現在でも、集落の中に屋敷跡や
寺院、井戸などの遺構もあります。

国道に案内板があり、杉本坊に
駐車場があります。

国史跡の上平寺までは、約50分

余談ですが、この辺りは土もよく
米作りには、最適なためここで
収穫されたコシヒカリは
上平寺米として販売されています。


2010年10月18日 三河守コーキしゃん
京極氏城館

上平寺館から登って行くと上平寺城があります。主郭までかなり距離があり時間が無くて途中で断念しました

京極氏城館の周辺スポット情報

 上平寺城本丸(遺構・復元物)

 弥高寺・大門跡(遺構・復元物)

 弥高寺・大堀切(遺構・復元物)

 京極氏庭園跡(遺構・復元物)

 家臣屋敷地(遺構・復元物)

 家臣屋敷地・土塁(遺構・復元物)

 天清城跡(遺構・復元物)

 分水嶺(碑・説明板)

 京極氏館(周辺城郭)

 弥高寺・本坊跡(周辺城郭)

 上平寺城(周辺城郭)

 杉沢城(周辺城郭)

 伊吹山護国寺 悉地院(寺社・史跡)

 弥高寺跡(寺社・史跡)

 杉沢遺跡(寺社・史跡)

 杉本坊跡駐車場(駐車場)

 伊吹山登山駐車場(駐車場)

 京極氏一族の墓(関連施設)

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