垂井城(たるいじょう)

垂井城の基本情報

通称・別名

所在地

岐阜県不破郡垂井町垂井(専精寺)

旧国名

美濃国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

平塚為広

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

長松城(岐阜県大垣市)[4.1km]
菩提山城(岐阜県不破郡)[4.5km]
御茶屋屋敷(岐阜県大垣市)[5.4km]
不破の関(岐阜県不破郡)[6.1km]
松尾山城(岐阜県不破郡)[6.9km]
大垣城(岐阜県大垣市)[8.3km]
曽根城(岐阜県大垣市)[9.4km]
京極氏城館(滋賀県米原市)[10.1km]
長比城(滋賀県米原市)[10.4km]
西高木家陣屋(岐阜県大垣市)[10.6km]

垂井城の解説文

垂井城(たるいじょう)は、美濃国不破郡(現・岐阜県不破郡垂井町)にあった日本の城。明確な遺構がないため正確な位置は不明だが、文献や地形などから専精寺境内が所在地に比定されており、案内板と石碑が建っている。

概要
今須領主長江氏の一族の長屋景頼が、垂井の領主になってから築かれたとされている。天文年間に長屋景興が相羽城に居を移したが、1547年(天文16年)に斎藤道三の侵攻により相羽城で景興が戦死し、長屋氏は没落する。この時に垂井城も廃城もしくは機能が大きく損われたとされている。その後、1600年(慶長5年)に平塚為広が垂井領1万2千石で入封すると、垂井城を居城として整備拡張したと思われるが、同年の関ヶ原の戦いで為広が討死したため廃城になる。景興が戦死してから為広が入城するまでの期間は不明である。

交通
・JR東海東海道本線垂井駅北口より西へ500メートル(徒歩7分)

参考文献
・不破郡教育振興会『不破のあゆみ』

垂井城の口コミ情報

2021年08月26日 乱会
垂井城

遺構は残っていません。垂井駅から片道7分なので、東海道本線垂井駅で降りて次の電車が来るまでに城跡まで行って帰ってくるという垂井駅リア攻めRTAが可能といえば可能です。体力に自信がある方は試してみてください。
あと、駅前の垂井観光案内所の方々はものすごく親切です。でも超朝型なので午後2時には案内所は閉まります。お気をつけを。

2021年08月12日 くっしー飛騨守尚人
垂井城



石柱と説明看板があるのみ、遺構は残っていません。でも、周辺には文化財が多数あります。例えば、垂井の泉・中山道・南宮大社・春王安王の墓などなどです。

2021年08月08日 やまぴぃ
垂井城



垂井城に行ってきました。関ヶ原は有名なので良く知っていますが、垂井には行ったことが無く、今回初めて訪れて関ヶ原と共にとても重要なエリアだと知り、お恥ずかしい限りです。竹中半兵衛から関ヶ原の戦いまで関わりが深く、もう少し勉強します。
近くに南宮大社や南宮山の陣跡もあり、見所満載です。

2021年07月24日 北風
垂井城



JR垂井駅前には、竹中半兵衛公がお迎えいただきます。駅前サークルに観光案内所があります。ここから西へ突き当たりのお寺さんがリア攻めマップです。と言うか、大鳥居は中山道垂井宿の中心で、ここから南奥の山の端が毛利の陣城南宮山が、麓に美濃一宮、旧国幣大社南宮大社が鎮座します。中山道絵巻にこの鳥居、その南に地名の由来ともなった「垂井の泉」と大ケヤキがありました。その上、濃尾平野が見渡せる丘に城がありました。

2021年05月05日 近江守佐吉。
長曽我部盛親陣跡[垂井城  周辺城郭]



南宮山の南東端に当たる栗原山の東側斜面、標高214m。

ナビを「清水寺公園」に設定します。
「清水寺公園」(せいすいじ)の看板を右手に入る。すぐ左手は長宗我部盛親陣跡登城口。(画像①)
入り口は狭いですが奥は広く、10台近く駐車できるスペースあり。

栗原連理のサカキ・栗原九十九坊跡の看板がある防獣フェンスから入ります。(画像②)
コンクリート製の小さな橋を渡り(画像③)、奥の案内板に沿って、右手から進みます。
所々木の遊歩道や案内板がありますので、迷うことはないかと思います。
運動不足の私の足で20分弱で「栗原九十九坊跡」に到着。
ここにある五輪塔や石仏群は、一種独特な雰囲気で見応えあります。(画像④⑤)
奈良時代〜鎌倉時代初期には、この栗原山一帯に100程の僧坊がありましたが、建武2年(1335)に足利・新田の戦いで兵火にかかり消失したそうです。現状からは想像できませんが、千年近く前にはここに寺院や僧坊が建ち並び栄えたのかと思うと、栄枯盛衰・盛者必衰などという熟語が頭に浮かびます。

そこから3分程で、「長宗我部盛親陣跡」「栗原連理のサカキ」「竹中半兵衛閑居の地」に到着します。(全て同一削平地にあり、一部は花広場となっている。画像⑥)
陣跡の中心部は、永禄7年(1564)竹中半兵衛が稲葉山を放棄した後に、隠棲した場所であると言われます。(画像⑦)
削平地の一段上部に、土塁で囲まれた方形区画あり(画像⑧)

陣跡近くまで登城すると、上部辺りからしきりに獣が鼻を鳴らす音か唸り声のような音が聞こえました。猪か…?
また、麓の案内板まで戻ると案内板の奥に山藤があり、綺麗〜と奥の方まで見に行くと、すぐ横をスズメバチが通過し、アタフタ来た道を引き返しました!
諸々鑑みると、女性1人ではハードル高いかな。

しかし、史跡として見学する価値は充分あります。
山中の石仏・墓石群、僧坊跡かと思われる山中にある数々の削平地、一連の南宮山陣跡巡りの一環、半兵衛ファン、長宗我部ファン、縁を結びたい方(連理のサカキ→枝が癒着して結合しているので縁結びの木と伝わる)ぜひ足をお運び下さい。

あの人たらし秀吉も、半兵衛を口説きにこの山を登ったのかしら?と妄想しながら登城するのも一興ですね🎵

2021年04月12日 近江守佐吉。
毛利秀元陣跡[垂井城  周辺城郭]



駐車場ですが、南宮大社の駐車場は基本参拝者の駐車場です。
休日は参拝者で駐車場も満杯近いことも。
警備員さんに「参拝ですか?登山ですか?」と尋ねられますので、ソコはアレして、アレして下さい。登山者用の駐車場は、別場所にあります(説明しづらい。汗)警備員さんが説明してくださいます。

標高419.2mの南宮山から、南東に伸びる標高404mの稜線頂部にあります。ハイキングコースから、約1時間程で到着します。
いやぁ、私的には何度行ってもシンドいお山…。
80近いおじいちゃんにスイスイ追い抜かれるカナシミ…。

気を取り直して!
主郭と、三方に伸びる尾根筋にそれぞれ副廓と、その先端に構えられた堀切があります。
北東尾根筋の副廓→折を設けた巨大な土塁を南東側に構え、先端に堀切。
南東尾根筋の副廓→未削平の小曲輪と堀切。
西尾根筋の副廓→折を設けた土塁と先端に堀切。南側のみ竪堀。
南東堀切は、現在位置が記された地形絵図のすぐ下です。松やらなんやらが自生していますが、下りましょう。多少イテテっ!となるだけです。

①ニセ恵瓊陣跡横のハイキングコースから登城
②北東尾根筋の折を設けた土塁
③北東の竪堀
④虎口
⑤南東堀切から主郭を見上げる(案内板が小さく見えます)
⑥西尾根筋へ続く道
⑦西尾根筋の堀切
⑧下山中に会った♡子鹿♡ちゃん

見所としては
・主郭に入る前の土塁と堀切・竪堀
・主郭下の堀切
・西尾根筋の堀切
辺りでしょうか。

こうして写真で振り返ると、南宮山も悪くないですね🎵
※何だか写真が思った順番になってくれません!
私の技術では、コレが限界です!
これはきっと◯番だね。と頭の中で合わせてくださいね🎵

2021年04月11日 近江守佐吉。
安国寺恵瓊陣跡[垂井城  周辺城郭]



南宮大社の背後、標高112.1m。東蛇溜池の東側尾根筋。

従来から「安国寺恵瓊陣跡」の立て看板がある場所は、本来の陣跡の場所ではありません。
実際の陣跡は、以前は何の案内もありませんでしたが、現在は2本ののぼり旗が掲げられています。

従来からある恵瓊陣跡看板手前の、東蛇溜池をフェンスを開けて渡り(画像あり)、真っ直ぐ尾根筋に沿って登ります。ところどころ木にピンクのビニール紐で目印がありますし、陣跡まで数分程度ですので、迷う事は無いかと思います。
陣の構造としては、2本の堀切で尾根を切断し、その間が曲輪になっています。曲輪部分はほぼ自然地形。

2年ほど前に訪れた際は、陣跡すぐ近くに浮浪者が陣取り、ラジオを流し木の枝に洗濯物を干し、優雅な生活を営んでおられました。
か弱い私はそそくさと写真を撮り速攻その場を後にしましたが、現在は新たな居城を見つけられ、心機一転そちらで新生活を営んでおられる様ですので、安心してお越しくださいね🎵


2021年04月02日 【城郭道】尾張守たっきー
毛利秀元陣跡[垂井城  周辺城郭]



南宮山にある毛利秀元の陣跡。山頂ではなく、山頂から派生する山陵にあるので注意してください。
土塁、堀切等の遺構が良く残り、当時の状態を伺うことができます。あ、堀切は南宮大社から登った場合、陣跡から別の道へ行ってください。ぜったい行ってください。もう感動ものですから。堀切と土橋が上手くかけ合わさってます。
また、石碑、説明板、ベンチがあります。
陣跡から見えるのは大垣城の方。大垣を主戦場とする想定があったことが読み取れます。
麓の南宮大社から一時間かからないくらいですが、見逃してはいけない場所ですので、是非、行ってください。


御朱印好きな方へ。南宮大社に御朱印ありますよ。

2021年01月31日 竹下半兵衛(^^)v
毛利秀元陣跡[垂井城  周辺城郭]



朝イチでトウチャコしたら雪だった。南宮大社の駐車場も係の人が雪掻きしてた。お疲れ様ですm(._.)m雪の神社さんは美しいです(*´-`)

奥にハイキングコース案内板を見っけてズンズン登ってくと、五合目より上は○○合目表示がある。木製階段が雪で埋まりつつある頃に、ヘッコミが♡
竪堀と土橋の表示板があって山城遺構を確認♪主郭展望台には毛利秀元陣跡の説明板とあずまやもあるある。そして..眺めは..雪雲で見えず.
( ̄_ ̄|||) どよ~ん
TVで写した赤色立体図で散策すると奥には堀切♪しかも残し土橋♪落ちてく竪堀♪
雪に埋もれながらもハッキリわかる
登って来たとき通り過ぎてたクランク土橋もクッキリ♬٩(*´◒`*)۶主郭に戻り城友様とやり取りすると晴れ間が♪(^o^)/名古屋のビル群まで見える最高の眺め♪

しかーし手足が痛くなってきてすぐ下りなきゃスタコラ..ヘ(゜ο°;)ノそんな雪でも6人程すれ違いました。人気のハイキングコースなんですね

あー寒かった'`,、(^o^;) '`,、

2021年01月10日 とんかつおやじND
牧田合戦古戦場[垂井城  寺社・史跡]



一鉄の祖父・稲葉通貞(塩塵)は伊予国の名族・河野氏の一族であったが美濃に流れて土豪になったとされている。また、安藤氏と同族で伊賀氏の末裔とされることもある。

永正12年(1515年)、美濃の国人・稲葉通則の六男として、美濃池田郡本郷城に生まれる。幼少時に崇福寺で僧侶となり、快川紹喜の下で学んでいたが、大永5年(1525年)の牧田の戦いで父と5人の兄達が全員浅井亮政と戦って戦死したため、還俗して塩塵と叔父・稲葉忠通の後見の下に家督と曽根城を継いだ。 ウィキペディアより

石碑があります
稲葉一鉄が 家督を継ぐキッカケになる古戦場です
多良街道の唯一残る場所
道を挟んだすぐ前の山は 象鼻山古墳群

2020年09月16日 とんかつおやじND
美濃府中城[垂井城  周辺城郭]



山城国西之岡の住人松井蔵人直家は、六波羅探題に仕え、元弘元年(1331年)の笠置山落城の際に後醍醐天皇を探し出して、鎌倉幕府から恩賞として美濃国に数か所の荘園を得ると、不破郡府中村に移住して不破氏と改姓し、子の直重以下も代々府中村に住んだと伝わる。直家との系譜は明確でないが、『美濃国諸家譜』によると、府中城主不破河内守直道は長禄元年(1457年)に土岐氏の家督争いで揖斐左近太夫基春らに与して斎藤利永らと戦って武功があった。その子不破小太郎は、応仁の乱に土岐成頼に属して山名宗全方に加わった。その子不破孫左衛門道広は西之保城(西保村 (岐阜県)、現・岐阜県安八郡神戸町西保)に移り、道広の孫が不破光治であるという。   ウィキペディアより

安立寺に石碑あります 

近くに美濃国府跡もあり

2020年09月16日 とんかつおやじND
垂井城



2020.09.15 垂井観光案内所にて関ヶ原合戦420年記念特別仕様「関ヶ原合戦陣跡御朱印」発行されました。即日完売と言うより 販売1時間半で残り5組でした

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