不破の関(ふわのせき)

不破の関の基本情報

通称・別名

不破関

所在地

岐阜県不破郡関ケ原町松尾

旧国名

美濃国

分類・構造

関所

天守構造

なし

築城主

天武天皇

築城年

天智天皇2年(663)

主な改修者

主な城主

三輪氏

廃城年

延暦8年(789)

遺構

(発掘調査:土塁)

指定文化財

県史跡(不破の関跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

松尾山城(岐阜県不破郡)[1.4km]
長比城(滋賀県米原市)[4.2km]
菩提山城(岐阜県不破郡)[4.3km]
京極氏城館(滋賀県米原市)[5.2km]
垂井城(岐阜県不破郡)[6.1km]
八講師城(滋賀県米原市)[7.6km]
西高木家陣屋(岐阜県大垣市)[8.0km]
長松城(岐阜県大垣市)[10.1km]
御茶屋屋敷(岐阜県大垣市)[11.5km]
横山城(滋賀県長浜市)[11.9km]

不破の関の解説文



不破関(ふわのせき)は、古代東山道の関所の一つで、現在の岐阜県不破郡関ケ原町にあった。「不破の道」と呼ばれたこの地の東山道に、壬申の乱の翌年(673年)に関所として設置された。

東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関(後には逢坂関)とともに三関と呼ばれ、壬申の乱の後からおよそ100年の間、治安維持のため畿内と東国との間の通行を厳重に監視した。三関から東は東国または関東と呼ばれた。

歴史 

  • 672年に発生した壬申の乱の際、大海人皇子(後の天武天皇)の命により美濃国の多品治によって「不破の道」が閉鎖される。この近辺が激戦地となっている。
  • 673年、天武天皇の命により、都(飛鳥浄御原宮)を守る為に、不破関、鈴鹿関、愛発関の3つの関所が設置される。
  • 701年(大宝元年)、大宝律令によって正式に定められる。
  • 789年(延暦8年)、天皇・太上天皇の死や病などを契機として三関が廃止される。しかし非常時に関の封鎖を命じる「固関」(こげん)の儀式が江戸時代まで続いた。徳川幕府により東山道が中山道として整備されたころと推測される。その以前から関所の機能はなくなっていた。

現在の状況 

  • 現在の岐阜県不破郡関ケ原町松尾が不破関の所在地である。岐阜県と関ケ原町の指定史跡[1][2]
    • 発掘の結果、藤古川(揖斐川の支流である牧田川の支流の一つ)の左岸の自然の要害を利用した関所であり、北、東、南には土塁が設けられ、広さ12万m2に及ぶことが判明している。
    • 敷地の一角には不破関資料館が設置され、発掘された和同開珎や陶器が展示されている。

    その他 

    • 古くから和歌や俳句などにも歌われている。
      • 「人住まぬ 不破の関屋の 板庇 あれにし後は ただ秋の風」(藤原良経)
      • 「秋風や 藪の畠も 不破の関」(松尾芭蕉)

    などがある。

不破の関の口コミ情報

2023年03月03日 〒ツロ
徳川家康最初陣跡[不破の関  周辺城郭]



♪モモモモモモもももくばりやま、、♪ この冬バックホゥで削られてた?桃配山の陣跡ですが、どうやら整地が完了したモ様です、、さっそく登って関ケ原を一望すべし!以前に比べ見通しが良くなりました、関ケ原古戦場記念館モみえるし、、

壬申の乱の勝者:大海人皇子が陣を敷き、兵士たちに労いの桃を配ったと伝わる聖地、、

時は巡って再び風雲関ケ原!小雨あとの朝靄のなか家康公はここに最初の本陣を敷き、腰掛けるに丁度いい石(写真参照)に座りて勝利を確信していたのでしょうか?南宮山の毛利秀元陣跡と尾根伝いでつながってたこの場所、、背後からの奇襲なぞ恐るに足らず!!、、、って、うわっ!?ケツちべてェ💦

2022年09月23日 【城郭道】たっきー
田中吉政陣跡[不破の関  周辺城郭]



岐阜関ヶ原古戦場記念館の近くにある3000の兵を率いて黒田長政、細川忠興らと共に石田三成と戦い、壊滅させた田中吉政の陣地です。遺構は無く、石碑や説明板が建っています。この人が三成を捕縛したのも有名な話。

2022年09月23日 千葉相模守早雲
石田三成陣跡[不破の関  周辺城郭]



関ヶ原の戦いを肌で感じてみようと足を運びました😁
文字で読んだ事しかない笹尾山石田三成陣跡。山というよりも丘という印象です。
しかし感慨深いものがあります。
柵が幾段も設けられ、今も戦闘態勢にありました😁

1.石田三成陣跡全景。
2.通路脇には設けられた柵。
3.数段の柵で防御強化。
4.旗印が陣跡を盛り上げる。
5.笹尾山展望台。三成公になりきって関ヶ原を眺めてみよう☝️
6.陣跡。

2022年07月31日 RED副将軍✳️
不破の関



日本三関の一つ。
畿内と東国を隔てた関所のひとつです✨

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

672年な壬申の乱で、村国連男依が不破道を塞いだことが日本書紀に記されており、翌年の673年に天武天皇の命により、都の治安維持のため東山道不破に関所が設置されました。
他にも東海道鈴鹿関(伊勢国)、北陸道愛発関(越前国)の3つの関所が設置。三関と呼ばれ、畿内と東国の通行が厳重に管理されたもの。
789年、桓武天皇により三関は廃止となりました。

見所
現在は、関守跡と伝わる付近に不破関資料館が築かれています。
かつて関は、西側は藤古川を利用し、残り三方は土塁で囲まれていた様で、高さ2m、基底部の幅6mの北限の土塁が現在も残っています。

2022年07月18日 【城郭道】たっきー
矢尻の池(井)[不破の関  寺社・史跡]



藤古川橋を西に渡った先の急坂を上りから辺りの左手にある池です。大友皇子の兵士が水を求めて矢尻で掘ったものをと伝えられています。現在もその名残があります。付近に説明板もあります。

2022年07月18日 【城郭道】たっきー
自害峰の三本杉[不破の関  寺社・史跡]



672年の壬申の乱で敗れ、25歳の若さで自害した大友皇子の頭をこの丘にまつり、そのしるしに杉を植えたと伝えられています。この場所を『自害峯』と名付けられ、弘文天皇御陵候補地とされています。

森の中の階段を登ったところにあります。

2022年06月25日 【城郭道】たっきー
石田三成陣跡[不破の関  周辺城郭]



石田三成陣地、岐阜県関ヶ原町。
慶長五年九月十五日、石田三成ら西軍は大坂に向かう家康を討つために大垣城を発ち、いわゆる鶴翼の陣という包囲を作った。三成はその最左翼、笹尾山に陣を構え、柵を築き、大砲を構えた。
開戦後は黒田、細川らと戦うが既に知られているように敗走。二十一日に近江国古橋村で田中吉政によって捕縛、翌月一日に三条河原で小西行長、安国寺恵瓊と共に処刑された。

現在は柵や旗などが復元されて非常に気持ちの良い場所となっています。山頂の展望台からは東軍、西軍両方の陣地跡がくっきりと見渡されます。
駐車場やトイレもあるので非常に行きやすいかと。是非行ってみてください。

2022年05月01日 【⊕】島津図書助むつ弘
石田三成陣跡[不破の関  周辺城郭]



ここは、関ヶ原の戦いの際に石田三成が陣をおいた場所。笹尾山といわれる山に陣をおいた。山麓には馬防柵が復元されていて、当時のイメージが湧く😆 山頂からは、関ヶ原が一望できる。

2022年03月16日 【城郭道】たっきー
薩摩池[不破の関  寺社・史跡]



島津義弘陣所より西側にある薩摩池。関ヶ原の戦いによって島津勢が軍事利用したと言われている池です。付近には説明板もあります。駐車出来そうな場所がありましたので、車でもいけると思います。

島津義弘陣所から近いところにあるから行ってみて。以城。

2021年12月17日 RED副将軍✳️
石田三成陣跡[不破の関  周辺城郭]



天下分け目の関ヶ原の戦いにおいて西軍大将の石田三成が本陣を布いた跡地⚔

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1600年の関ヶ原の戦いの際に西軍石田三成は関ヶ原の北西に位置する笹尾山に兵力5,820人の陣を布いたと言われています。
合戦の推移は史料により差異がありますが、概ね共通していることは、9月15日の午前中に戦闘が始まり、拮抗する中、小早川秀秋らの裏切りがあり、以降は西軍が崩壊したということ。
約半日で天下分け目の戦いは東軍の勝利で終結しました。

石田三成は、笹尾山ではなく、小早川秀秋が布陣した松尾山の近くにある「自害が峰」に布陣したという有力な説があることも注目です。

見所
関ケ原を一望でき、北国街道が押さえられる山頂です。
当時の三成に想いを馳せ、それぞれの陣跡を俯瞰することができます。
よく整備され、駐車スペースも充分にあります。

2021年08月26日 乱会
不破の関

案内パネルは旧中山道沿いにあります。また、不破の関や壬申の乱について知りたい場合は、道の向かい側に不破関資料館があるのでそちらへどうぞ。優しい職員さんが、中で壬申の乱解説VTRを流してくれます。
関ヶ原古戦場記念館が出来たことによって、一部の展示品がそちらに移されてしまったのがカナシイ…

2021年08月14日 【城郭道】たっきー
徳川家康最後陣跡[不破の関  周辺城郭]

家康が最後に陣を置いた場所。戦いの勝敗が決した後、ここで首実験をを行った。現在は陣場野公園と化している。

2021年07月25日 ばらく~だ
大海人皇子沓脱石[不破の関  碑・説明板]



壬申の乱の際に、大海人皇子が脱いだ沓を置いた石だそうです。すぐそばに、兜掛石もあります。
不破の関の主要な建物は、この石の周囲にあったようです。
関守邸跡から見て、旧中山道の反対側、民家に囲まれた畑の中にあります。入口に小さな案内板があり、民家の間をすり抜けていった先にありました。
通路はそれっぽい感じになっていましたが、やはり畑や、民家の敷地内に立ち入らないよう注意が必要だと思います。

2021年04月01日 石田内蔵允佐吉
大谷吉継の墓[不破の関  寺社・史跡]



吉継が大好きな子供達と。
小学生でも安全に登れます。

2021年02月15日 ㊉島津右馬允義弘㊉
岐阜関ケ原古戦場記念館[不破の関  関連施設]



【データ】
名称:岐阜関ケ原古戦場記念館
所在地:岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
開館時間:09:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
    12月29日〜1月3日
入館料:一般 500円(団体 400円)
    高校生・大学生 300円(240円)
    中学生以下 無料(無料)
駐車場:北側無料駐車場(30台駐車可能)
    南側無料駐車場(70台駐車可能)
その他:事前予約制
写真:①〜③外観 ④5階展望室

【感想】
とてもきれいです!シアターは縦4.5m、横13mもあり、とても迫力があります。また、風がきたり、椅子が微妙に揺れたりします。
お土産もとても充実しています。【2021.02.06】

2020年12月14日 【城郭道】たっきー
大谷吉継陣跡[不破の関  周辺城郭]



大谷吉継陣跡は標高約35メートルの丘の山腹に立地し、山中城とも呼ばれました。関ヶ原の最も南にある陣地で曲輪はなく、中山道を見下ろすように土塁を伴う塹壕状の横堀が構えられていました。また、松尾山方向に馬防作が造営されました。
現在は石碑や説明板、旗があり駐車場が整備されてリア攻めしやすくなっています。大谷吉継陣跡からは松尾山城(小早川秀秋陣跡)がよく見えます。

2020年10月06日 【城郭道】たっきー
黒田長政・竹中重門陣跡[不破の関  周辺城郭]



黒田長政、竹中重門が陣を構えた地です。

長政は家臣の菅正利の鉄砲隊などを従え、切り込み隊長としてせいぐ西軍へ攻撃し、島左近を討ち取るなどの活躍を見せました。

重門は長政と共に西軍との激戦で奮戦しました。戦後は死体の片付けや寺社の修復などをしました。

2020年10月05日 【城郭道】たっきー
細川忠興陣跡[不破の関  周辺城郭]



関ヶ原の戦いでここに陣を構えた細川忠興。
黒田長政と共に石田三成本隊と戦い、136の首級をあげたそうです。

2020年09月26日 【城郭道】たっきー
大谷吉継の墓[不破の関  寺社・史跡]



大谷吉継陣跡から歩いて10分ほどで大谷吉継の墓に着きます。
大谷吉継陣跡をリア攻めした場合、是非行ってみてください。途中、別れ道があり、そこから平塚為平の碑に着くことができます。

2011年08月07日 三河守コーキしゃん
不破の関

松尾山城の北側にあります
周辺に陣跡などがあるので歩いて色々散策すると楽しいです

不破の関の周辺スポット情報

 不破関南限土塁跡(遺構・復元物)

 不破関北限土塁跡(遺構・復元物)

 田中吉政陣跡(遺構・復元物)

 関ヶ原古戦場 開戦地(碑・説明板)

 関ヶ原古戦場 決戦地(碑・説明板)

 岡山烽火場(碑・説明板)

 平塚為広の碑(碑・説明板)

 大海人皇子沓脱石(碑・説明板)

 兜掛石(碑・説明板)

 石田三成陣跡(周辺城郭)

 島左近陣跡(周辺城郭)

 徳川家康最後陣跡(周辺城郭)

 田中吉政陣跡(周辺城郭)

 小西行長陣跡(周辺城郭)

 島津義弘陣跡(周辺城郭)

 宇喜多秀家陣跡(周辺城郭)

 大谷吉継陣跡(周辺城郭)

 藤堂高虎・京極高知陣跡(周辺城郭)

 細川忠興陣跡(周辺城郭)

 黒田長政・竹中重門陣跡(周辺城郭)

 本多忠勝陣跡(周辺城郭)

 徳川家康最初陣跡(周辺城郭)

 山内一豊陣跡(周辺城郭)

 福島正則陣跡(周辺城郭)

 松平忠吉・井伊直政陣跡(周辺城郭)

 脇坂安治陣跡(周辺城郭)

 蒲生郷舎陣跡(周辺城郭)

 平塚為広陣跡(周辺城郭)

 戸田重政陣跡(周辺城郭)

 木下頼継陣跡(周辺城郭)

 朽木元綱陣跡(周辺城郭)

 小川祐忠陣跡(周辺城郭)

 赤座直保陣跡(周辺城郭)

 寺沢広高陣跡(周辺城郭)

 加藤嘉明陣跡(周辺城郭)

 筒井定次陣跡(周辺城郭)

 生駒一正陣跡(周辺城郭)

 金森長近陣跡(周辺城郭)

 古田重勝陣跡(周辺城郭)

 織田有楽斎陣跡(周辺城郭)

 島津豊久陣跡(周辺城郭)

 筒井定次陣地(周辺城郭)

 生駒一正陣地(周辺城郭)

 金森長近陣地(周辺城郭)

 織田長益陣地(周辺城郭)

 古田重勝陣地(周辺城郭)

 寺沢広高陣地(周辺城郭)

 小川祐忠陣地(周辺城郭)

 赤座直保陣地(周辺城郭)

 朽木元綱陣地(周辺城郭)

 大谷吉継の墓(寺社・史跡)

 東首塚(寺社・史跡)

 西首塚(寺社・史跡)

 島津豊久奮戦の地(烏頭坂)(寺社・史跡)

 長寿院盛淳の墓(寺社・史跡)

 薩摩池(寺社・史跡)

 黒血川(寺社・史跡)

 自害峰の三本杉(寺社・史跡)

 矢尻の池(井)(寺社・史跡)

 関の藤川(藤古川)(寺社・史跡)

 西城門跡(寺社・史跡)

 東城門跡(寺社・史跡)

 鍛治工房跡(寺社・史跡)

 井上神社(寺社・史跡)

 若宮八幡宮(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 笹尾山の駐車場(駐車場)

 開戦地の駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 関ヶ原町歴史民俗資料館(関連施設)

 関ヶ原駅前観光交流館(関連施設)

 岐阜関ケ原古戦場記念館(関連施設)

 不破関資料館(関連施設)

 笹尾山交流館(関連施設)

 関ヶ原ウォーランド(関連施設)

 関ヶ原戦国甲冑館(関連施設)

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