薩摩池
薩摩池([不破の関 寺社・史跡])
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薩摩池の口コミ情報
2023年10月21日 釆女正佐吉。
良い子のみんな、先週の合戦祭りは楽しんだ?
お姉さんは祭りを横目に陣城見学会に参加したよ!そんなお姉さん、今日も絶賛関ケ原なう!だよ。
みんな、今日10月21日は何の日か知ってる?
オフ会の日?うん、盛況で何より。確かにそうなんだけど…
けど!10月21日って言ったら「 関 ケ 原 の 戦 い 」が起こった日だよ!!(新暦)
そう、戦国の聖地関ケ原で天下分け目の戦いが起こった日だよ!!
旧暦で言うと9月15日だってのは、アイラブ関ケ原のみんなは知ってるよね。その頃はまだ暑さが残る。ていうかバリバリ暑いよ!でも今日の気候はどう?みんなのお家もきっと肌寒いよね。 そう、実際に関ケ原の戦いが起こった日は肌寒く、前日夜間から降った雨が上がり、立ち込めていた霧が晴れてきた、そんな時に始まったんだよ。
423年後の関ケ原も肌寒いよ。てか普通に寒いよ!風もぴゅ〜ぴゅ〜吹いて何なら小雨も降っててムリしんどい、これから戦が始まる決戦直前体感5秒前だよ!
おっと!気付けばまた前置きがめちゃくちゃ長くなってた。今日はその合戦記念日にちなんだ、関ケ原の島津義弘陣跡(薩摩池)についてだよ。
義弘さんの経歴や人物像についてはまた機会があれば、だよ。逃げてるわけじゃないよッ!...時間稼ぎだよ。
島津義弘の陣跡って言ったら、案内板と薩摩から運ばれてきた大きな石碑がある、あの場所だって思うよね?でもあそこは、義弘の甥で島津隊先鋒の島津豊久がいた場所なんだよ。島津義弘本隊は、そこから北西約250mの薩摩池周辺なんだ。
この「薩摩池」の名前の由来も、薩摩の島津隊がこの池の水を軍用に使用した事からそう言われるようになったんだ。 ゴミが不法投棄されることがあって、かなり埋められちゃって今は小さい池なんだけど、昔は洪水になると水があふれるぐらい水量豊富で、古来より水が枯れることがなかったんだって。 今は、ひび割れた地面が見える事もあるけどそこは気にしないで...。ほら小さくなっちゃったから、気候によってはそういう事もあるよ...。でも体感5秒前の今日はちゃんと水が張ってるよ。
先週はそんな薩摩池近くの陣城の見学会だったんだ。講師は鬼才のお城の先生だよ。
お姉さん、以前も入った事あるんだけど、倒れた五輪塔がいくつも転がってて正直気持ちの良い場所じゃないんだよね。綺麗すぎる、まるで映画を見てるような古戦場記念館のシアターや、立派すぎる馬防柵付きの整備された笹尾山などとは違い、朽ちた五輪塔が生々しくて、ここに来ると、関ケ原はCGだけ観てたんじゃ実感できる筈もない、リアルな戦場だったんだと思い知るよ。
お姉さん、超ビビりの豆腐メンタルだから、普段はサッと行ってサッと写真撮ってすぐ帰るんだけど、この日はみんなと一緒だから大丈夫だった!単純。(季節ハズレの写真があるのはそういう理由だよ)
ここは、小関と呼ばれる関所があった可能性もあり、道で分断されてはいるけど土塁も残ってるんだ。いつの時代の土塁だろう。
石田三成笹尾山からも近く、北国街道を抑える重要な場所だったんだね。勇猛果敢と言われる島津軍。きっとこの地でも攻めの戦をしたと信じたいけど、真相はどうなんだろうね。
池の脇から奥へ入ると、倒れた五輪塔(怖いよ)があり、そのすぐ先に堀。島津は自陣から動かず攻め寄せる敵を撃退したとも言うけど、ここから銃を放ってたのかも。先生が仰るにはここから北天満山へ続く方にも遺構があるんだって。今度見にイコウ。
今も現場なう!なんだけど、ぼっちでビビりのお姉さん。民家から微妙に離れてるし、薄暗いからやっぱり怖い。奥まで入る勇気が無いから、かわりに島津義弘陣跡(豊久の方ね)脇のコスモスが満開だったから、コスモス畑と陣跡のコラボを貼っておくね。
「わぁ~!コスモスめっちゃ綺麗~〜♡」
「…君の方が綺麗だよ☆」
「やっぱり~?よく言われる〜〜♡」
脳内会話です。
異論はゼッタイ受け付けませんっ!!
あ、あうっ…そうこうしてたらみんな伊吹山方面へ敗走してくよ…。お姉さんもそろそろ撤退するよ。
423年後の現場からは以上です!キリッ
2022年03月16日 【城郭道】たっきー
島津義弘陣所より西側にある薩摩池。関ヶ原の戦いによって島津勢が軍事利用したと言われている池です。付近には説明板もあります。駐車出来そうな場所がありましたので、車でもいけると思います。
島津義弘陣所から近いところにあるから行ってみて。以城。