菩提山城(ぼだいさんじょう)
菩提山城の基本情報
通称・別名
- 菩提山寺城、岩手山城、(竹中氏陣屋、竹中陣屋、岩手陣屋、岩手城)
所在地
- 岐阜県不破郡垂井町岩手
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 山城、(陣屋)
天守構造
- -
築城主
- 竹中重元、竹中重門(陣屋)
築城年
- 永禄2年(1559)、天正16年(1588)(陣屋)
主な改修者
- -
主な城主
- 竹中氏
廃城年
- 慶長5年(1600)
遺構
- 曲輪、腰曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- 県史跡(竹中氏陣屋跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
不破の関(岐阜県不破郡)[4.3km]
垂井城(岐阜県不破郡)[4.5km]
松尾山城(岐阜県不破郡)[5.7km]
京極氏城館(滋賀県米原市)[6.1km]
長比城(滋賀県米原市)[7.8km]
長松城(岐阜県大垣市)[8.4km]
御茶屋屋敷(岐阜県大垣市)[8.8km]
小島城(岐阜県揖斐郡)[9.2km]
八講師城(滋賀県米原市)[11.7km]
西高木家陣屋(岐阜県大垣市)[11.8km]
菩提山城の解説文
[引用元:Wikipedia「菩提山城」の項目]
菩提山城(ぼだいさんじょう)は、岐阜県不破郡垂井町の菩提山にあった日本の城(山城)。竹中重元が岩手弾正を滅ぼした後、竹中氏の居城として新たに築城したものとされ、麓に竹中氏陣屋が築かれるまで使用された。西美濃では最大級の山城である[1][2]。
概要
伊吹山系の東端にある菩提山(402メートル)山頂に築かれた東西150メートル・南北300メートルの山城で、竹中重元が同地の豪族であった岩手氏を滅ぼして新たに築城した。以後、重元・重治・重門の3代にわたり使用され、重門が麓の竹中氏陣屋に居を移したことで廃城となった。
歴史
- 1558年(永禄元年) - 竹中重元が岩手弾正を滅ぼし、6千貫の領主となる。
- 1559年(永禄2年) - 竹中重元が菩提山に菩提山城を築く。
- 1560年(永禄3年) - 重元が病没し、子の重治(半兵衛)が家督を継ぎ城主となる。
- 1565年(永禄7年) - 重治が16人の手勢で稲葉山城(岐阜城)を落とす。重治は、斎藤氏の滅亡後は織田信長・豊臣秀吉に仕える。
- 1579年(天正7年) - 重治が播磨三木城攻め(三木合戦)の陣中にて病没し、子の重門が家督を継ぎ城主となる。
- 1600年(慶長5年) - 重門は関ヶ原の戦いにて東軍につき、徳川家康に菩提山城を提供する。戦後、麓の竹中氏陣屋に居を移し、菩提山城は廃城となる。
アクセス
公共交通機関
- JR東海 東海道本線 垂井駅で下車。→垂井町巡回バス(垂井・岩手線)「菩提」で下車。→菩提山の麓まで徒歩数分。
車
名神高速道路
- 関ヶ原ICから30分
東海環状自動車道
- 大垣西ICから25分
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菩提山城の口コミ情報
2024年10月28日 尾張守ダリューン
菩提山城
山城好きなら是非是非なお城です。石垣などはありませんが、堀はステキです。
2024年08月18日 羽柴筑前煮守。
竹中氏陣屋[菩提山城 周辺城郭]
【歴史】
竹中半兵衛重治の嫡子である竹中重門が菩提山城の麓に築いた居館的な城。以後は『陣屋』として存続し、江戸時代に至った。
【見所】
★数少ない現存櫓門
★地元の方々のお話
★竹中半兵衛重治の像 など
【感想】
関ヶ原の散策予定の1つとして立ち寄りましたが、とても素晴らしい場所でした。石垣や水堀などの一般的な遺構に加え、なんとなんと…『現存櫓門』もあります!通りかかった地元の方にお話を頂きました。静かな感じで、隠れた名城でした♪
【周辺施設】
*不破矢足の墓
黒田松寿丸を匿った本人の墓所
*黒田長政手植えの銀杏
匿われたときに植えたもの
【写真】
①門横の石垣
②現存櫓門
③竹中半兵衛重治公像
④水堀
⑤二段石垣
⑥食い違い虎口
⑦櫓門横からの景色
(↑門番の気分に😋)
⑧城内にある竹中稲荷神社
2024年06月02日 図書頭RedKing
菩提山城
垂井町街角案内の会主催の「竹中半兵衛公ウォーク」に参加しました。
午後からは禅どう寺で半兵衛公の追善法要でした。
山城の施設の写真解説は既に多数ありますので、捕逸です。
禅どう寺北隣の八幡神社からの大手登城道は、殆ど散策路に整備されて人が踏みしめ掘れた道か境界杭だらけの尾根道でコースマップに中井均Pr.作図の縄張図で間違いないと思います(青が記念館又は岩手地区センターで)。二の丸跡地に401mの4等三角点と侮らないでください。1時間ほぼほぼ藪山登山で、トイレなし途中見晴らしなしの雑木か檜林で、落葉箇所多数のうえ湿気に昆虫、野草加えて鳥の囀りです。尚、中部電力西部幹線の高圧鉄塔工事に伴う迂回が一部あります。杖の貸出は半兵衛代官屋敷(岩手小学校門)前駐車場で、登山カード代わりの登城カウンターが八幡神社脇の上り口にあります。
すぐ下流の岩手(いわで)川の螢祭りも始まったそうです。
全く関係ありませんが、この時期各所に往時を偲ぶ螢狩りが行われており、あの藤古川(かの松尾山城登城口付近)でも、...源氏螢の乱舞と言われますが、この地域では大きな方が源氏で小さい方が平家です(偶然にも法要と意味深長です。)。
町教委が本曲輪を発掘調査のご計画とのことで、屋敷の礎石や陶磁器等の生活跡が確認されれば国史跡指定の運びのようです。
山城遺構の保存状態といい半兵衛公と日本武尊の伝承に関ヶ原合戦での南宮山毛利陣城を含めた古戦場陣形、何よりも半兵衛公が岩手氏を追出してまで手にした古代からの眺望、そうです、今なら名神高速・東海道新幹線・R21号・JR東海道本線が、古代の官道東山道が手に取るように又舟運は木曽・長良・揖斐の三大河川が伊勢湾まで望めます。現況、田植えの水張りと麦秋がまだら模様と言う政府の水田農業確立対策事業の成果と言う他地域では何を言うとるか解らん圃場空撮です。これぞ濃尾平野の石高の源泉、美味くて沢山穫れる古代条里制から続く美田。
2024年03月30日 オレんじ
菩提山城
噂以上に険しい山道。虫や蜘蛛の攻撃を避けるため季節を選んだ方がいいです。
2023年12月12日 栗林主計頭義長
菩提山城
2023年12月登城。麓の陣屋跡から出発。
菩提寺側のハイキングコースからゆっくり登り1時間かけて主郭に到着。堀切、竪堀、土塁などの遺構が良好に残る。主郭、台所郭には礎石と見られる石が残っており(白いロープで囲われている。調査中?)往時を想像してみる。帰りは禅幢寺ルートで1時間かけて下山。良いお城でした。
2023年10月24日 サスケ左近衛少将
菩提山城
駐車場から〜頂上まで1時間ぐらいかかるけど~、流石、半兵衛の城、見所いっぱいや
2023年08月22日 竹中対馬守半兵衛
菩提山城
垂井駅から菩提山城まで、土日はバスがなく、徒歩で目指しました。が、途中、道を間違え、旧中山道に入り垂井宿、関ヶ原宿を通り、歩くこと約2時間、関ヶ原古戦場記念館に立ち寄り、再度菩提山城を目指しました。菁莪記念館はその日休館、小学校に隣接する竹中氏陣屋跡、禅幢寺に寄り、菩提山城の大手道コースから登城しました。熊、鹿等の動物侵入を阻止するため、入口はセルフで開閉、施錠(チェーンの鍵)する柵が設けられています。ここから1950メートルでそんなに高くはありませんが、まさに登山です。このルートには熊鈴、登城用の杖は置いてありませんでした。なかなか勾配が急でハードな道と思いきや、平坦で歩きやすい道も所々ありましたが、さすがに恐れ入りますといった感じの登城で、ここだけ何故に薄暗い?という箇所があり、ソワソワしながら、それらを繰り返して本曲輪を目指しました。登り進んでいくと、両サイドに竪堀があり圧巻です。切岸を過ぎ、いよいよラストスパートだと思ったそこからがまたまたキツいです。岩石でズリっと転びそうになったり、尻もちをつきそうになりましたが、無事登頂し、本曲輪でリア攻めを果たしました。二の曲輪、三の曲輪、腰曲輪、馬出、台所曲輪、何より本曲輪奥にある竪堀に脱帽でした。眺望も素晴らしく、心も体も癒やされ、また来た道を下りました。登りとは違い、気分もスッキリしていましたが、勾配はやはりキツく、つまずいて転けそうになりましたが、無事下山しました。体力消耗もかなりのものです。水分多め、虫除けスプレーは登城前に全身、塩分チャージ、熊鈴は必需品です。タオル、帽子はいつでも絞れます。
2023年07月29日 たまちゃん
菩提山城
大手道口から登り1時間程、帰りは40分かかりました。神の山口からの方が楽そうですが、橋の老朽化のため通行止です。3の曲輪と4の曲輪の間の堀切が圧巻です。本曲輪からの眺望も良いです。
2023年04月14日 RED副将軍
菩提山城
天才軍師 竹中半兵衛の居城🏯
オススメ度 ★★★★★
築上年代は不詳。在地土豪の岩手氏により築かれた岩手城が始まりとされます。
1558年、大御堂城の竹中重元が岩手城に侵攻し落城。岩手氏は滅亡し、翌1559年に竹中重元は菩提山城を築いて居城を移しました。
1560年、竹中重元が病没。子の竹中半兵衛こと竹中重治が家督を継ぎ城主となります。
竹中半兵衛は、織田信長家臣の羽柴秀吉に仕えて活躍。16人の手勢で稲葉山城を落としたエピソードはあまりにも有名です。
黒田官兵衛とともに両兵衛と称されました。
1579年、播磨国三木城攻めの陣中で病没。嫡男の竹中重門が家督を継ぎ城主となります。
1600年の関ヶ原の戦いにおいて、竹中重門は東軍に付き、菩提山城は東軍ね拠点として利用されました。
関ヶ原の戦い後、麓に竹中氏陣屋を築いて居を移し、菩提山城は廃城となりました。
見所
標高401mの菩提山に築かれており、ピークに主郭を配し、南へ二郭、三郭、出曲輪と連なり、主郭西下に西曲輪、その北尾根に水の手、南には台所曲輪が配されています。
主郭と二郭の間は空堀で区切られているのが特徴的。
南端の出曲輪は、西と南側には櫓台の様な土塁があり、南下には二条の大規模な堀切で遮断され端部は長大な竪堀となり落ちています。西側にも長大な竪堀が一条あります。この城の一番の見所は大規模な竪堀と思います。
比高は330mほどありますが、良く整備されているので登りやすいです。駐車場から45分くらいでした。
有名戦国武将の居城であり、戦国好きなら是非訪れて欲しい山城です。
2023年04月01日 あやねこ図書頭幸村
菩提山城
登りは、道のりが長く感じますが、下りは「え、これだけしか登って無いの...?」と思うくらい短く感じました。
2023年03月05日 マイロ
菩提山城
車は資料館近くの駐車場に止め、菩提寺まで歩き、そこから45分かけて登りました。下りは昔の大手の道で。とにかく山肌の、東側にいない間の風の強さが半端無かったです。濃尾平野に吹きおろす伊吹おろしは、ここから始まるんだ。と思いながら攻略しました。眺望が良いように。また、廓、堀切など要所は必ず伐採されてて、見応えありました。岐阜県に感謝^_^
2022年11月26日 きむし美濃守
菩提山城
車を観光駐車場に停めて、大手道から登りました。ハイキングコースになっており、運動不足の自分にも丁度よい感じでした。城跡はと言うと、横堀、竪堀、堀切、曲輪の作りがなかなかコレまた良い感じ♪明智城跡(恵那市)を山の上に置いた感じかな?と個人的には思いました。明智城跡も好きな城跡ですか、こちらも好みの城に加わりました♪半兵衛殿も好きな方は是非訪れて見てくだされ。
2022年06月30日 RED副将軍
竹中氏陣屋[菩提山城 周辺城郭]
竹中半兵衛の嫡男が築城した竹中氏代々の陣屋跡です✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1588年、竹中半兵衛の嫡男である竹中重門が菩提山城の山麓に築城。当初は地名から岩手城と呼ばれていました。
1600年の関ヶ原の戦いにおいて、竹中重門は当初西軍につき、犬山城に籠城します。しかし、井伊直政の仲立ちにより東軍に加わり、黒田長政軍として参戦しました。
以上の経緯より、徳川家康より所領を安堵され、旗本として徳川将軍家に仕えました。
竹中氏は、旗本交代寄合として幕末まで存続。幕末期の当主であった竹中重固は江戸幕府陸軍奉行に任じられ、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍の指揮官として新政府軍と交戦。その結果、徳川慶喜と共に朝敵となり、官位は剥奪、陣屋も没収されました。
竹中重固はその後も戊辰戦争で旧幕府軍として箱館戦争まで戦い抜いたため、竹中氏は改易となり所領まで没収となりました。
見所
現在、跡地は岩手小学校となっていますが、櫓門、水堀と石垣の一部が現存しています。
また、すぐ南には天保年間に建てられた道場が残っており、菁莪記念館として史料館となっています。
2022年06月08日 みつ
菩提山城
さすが名軍師の山城です。遺構が分かりやすく説明してあり、守りも攻めも素晴らしく一見の価値ありです。眼下の濃尾平野が一望できる西美濃で1番高い山城と説明してありました。
2022年05月10日 うっきー
菩提山城
白山神社の入口のところに車2〜3台駐められるスペースがあるので、そこに駐めて脇の石段のところから登りました。片道40分ほどでした。曲輪や竪堀がよく残ってました。また、本郭からの眺望は素晴らしかったです。
2021年10月02日 ひでき左京亮
菩提山城
垂井駅北口にある観光案内所でレンタサイクルを借り、まずは竹中氏陣屋、禅幢寺へ。菩提山城へ登るのに、大手道入口からか、菩提入口から迷いましたが、菩提入口からにしました。登山道は整備されていますが、なかなかに急峻でした。しかし、城の遺構といい、景色といい、汗をかく甲斐があります。
2021年09月23日 次郎坊
菩提山城
白山神社から登るハイキングコースで山頂まで45分でした。山頂は見晴らしもよく、曲輪など残っていました。
2021年06月07日 くまなみ
菩提山城
山頂までは登り約1時間、比較的緩いと言われる大手道ルートですが細くて所々に段差もあるのでトレッキングポールがあると安心です。山頂付近はあちこちに曲輪や堀切があり興味深いです。
2021年06月06日 釆女正佐吉。
菩提山城
近年、地元の方々により木々が伐採され、割と遠方からも主郭部分がポッコリ見えます。6〜8人掛け程の木製テーブルセットが2つあり、ゆっくり過ごせます。トイレはありません。眺望が良い事から、家族連れやお年寄りのグループも多々お見かけします。
さて、本題です。
半兵衛にも菩提山にも特に思い入れは無い訳ですが、この山城が関ケ原での戦いに備え改修されたのか否かは大変気になるところです。
結局関ケ原合戦では使用されていない菩提山城ですが、南宮山に毛利勢、松尾山を大垣城主の伊藤盛正が改修(前日突如小早川の大軍により追い出された)していた事を思えば、当然菩提山城も関ケ原合戦前に西軍の命により手を加えられた可能性が浮かんできます。
当初は西軍方にいた、垂井と関ケ原(関ケ原の一部は石田三成領有)の領主であった竹中重門。菩提山城は、当初は毛利輝元を迎え入れるために改修されたのか?その後、岐阜城落城前後に竹中重門が東軍方に心変わりしたことにより、徳川を迎え入れる予定になったのみでなく、西軍の計画が東軍に筒抜けになってしまったのか?主郭の角馬出しの意味は?南西(関ケ原方面)を警戒している理由は?
この辺りの考察が新書「竹中重門と百姓の関ケ原合戦」でされています。題名は地味で映えないのですが、菩提山の縄張り図だけでなく、ウワサの玉の城山(玉城)や不破関の土塁の再利用や周辺縄張り図なども載っています。(玉城は決して新発見のお城で無い事もお分かりいただけるかと…)後半はオラが村が戦地となってしまった人々の様子が書かれており、関ケ原loverにはオススメの一冊です。同じ著者による歴史REAL「関ヶ原」の特集や、少し古い出版ですが、「フィールドワーク関ヶ原」などもオススメです。これらの本を片手に、今すぐ不破郡を歩き回りたくなる事請け合いです!!
ただし新書の縄張り図については、いかんせん気持ちに眼がついていかないめぐらー世代(もちろんワタクシも)は、拡大コピーすることが肝要かと存じます。
斯くして、自分でもイヤになる程方向音痴な上にバカな私は、今後も不破郡をウロウロするのです。
画像①我が家にある(いわゆるプロが描いた)菩提山城の縄張り図たち。見比べるのも楽しい。
2021年06月03日 釆女正佐吉。
菩提山城
4〜5回リアしてるので、口コミしてみます。
但し特に菩提山城に思い入れがある訳でなく、観光協会主催のウォーキング兼見学会でのリアが多いです。
菩提山城標高401m。
遺構の規模東西約200m南北約570m。
駐車場→竹中氏陣屋前の「岩手観光駐車場」
20台以上余裕の無料駐車場。①
7分程歩くと竹中氏菩提寺の禅幢寺→そのすぐ先の八幡神社左横の登城口から登城。(ウォーキングではこの大手道コースが定番)
鳥居の中にも駐車できますが、私は何となく気が引けるので駐車しません。
さてここで!「大手道コース」のオススメその1
八幡神社!神秘的で雰囲気のある大好きな場所。私的垂井町No.1風景。②
オススメその2
イノシシのお風呂!
暫く歩くと木板にマジック書きの「イノシシのお風呂です。もちろん混浴」看板が現れます。③
…猪。ソコはウリ坊が仲良く混浴してる図に脳内変換し、不破郡だけにふわふわほんわかしてください。こういった手作り感が垂井らしいな、と感じています。
何ヶ所か土橋?と怪しい箇所がありますが、大河ドラマの折整備されたもので、土橋では無いようです。
ゼーゼー進むと右手に鉄塔が現れます。ここまでで2/3程ですが、ここからがしんどい。遊歩道の高低差だったり道が悪かったり…。ですが残り1/3ですので、気合で登っていきましょう。
さあ!半兵衛の旗と竪堀が見えました!④
ここまで、体力ナシの私で約50分。健脚さんなら40分切るでしょう。
本丸に到着したら眼下に広がる濃尾平野を見て「濃尾平野バンザーイ!ルネッサ〜ンス♪」と、叫んでみましょう♡
ちなみにある時、麓で送り出してくれた観光協会のお姉さんが本丸で「お疲れ様でした〜」とニッコリ出迎えてくれてズコーっ!車で登るルートがあるのです。
私は高所走行が超・超苦手なので車で登ったことはありませんが、検索するとルートが出てきます。お手軽に登りたい方は自己責任でご検討を。
超ヘタれな私は今後もヘロヘロで大手道から登るゼ!!
①駐車場
②八幡神社
③混浴♡
④男前半兵衛と竪堀
⑤ニの曲輪から見た本曲輪
⑥西曲輪竪堀
⑦西曲輪2つの土塁
⑧出曲輪先の畝状竪堀
遺構おっと字数オーバーだぜ!
気が向いたら続く…
2021年05月14日 とんかつおやじND
五明稲荷神社[菩提山城 寺社・史跡]
天正6年(1578)、羽柴秀吉が播磨平定を進める中三木城攻めのおり、織田家家臣の荒木村重が摂津で謀反を企てました。
村重と旧知であり、秀吉の部下であった黒田官兵衛が説得に当たりましたが、逆に石牢に幽閉されてしまいます。
黒田官兵衛が裏切り村重に寝返ったと判断した織田信長は、秀吉に人質として預かっていた
「 黒田官兵衛の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)」を殺すよう命じます。
秀吉の当時の軍師 竹中半兵衛は、黒田官兵衛の無実を信じ、密かに「 松寿丸(黒田長政)」を五明(岐阜県垂井町)に匿います。
1年後、黒田官兵衛が有岡城から助け出されると、「 松寿丸(黒田長政)」も許されました。
この地をさるときに「五明稲荷神社境内のイチョウの木」を植えたと伝えられています。
ぎふの旅ガイドより
菩提山城への途中にあり 分かりやすい特大看板でています
2021年05月01日 とんかつおやじND
禅幢寺[菩提山城 寺社・史跡]
禅幢寺(ぜんとうじ)は岐阜県不破郡垂井町岩手の菩提山山麓にある曹洞宗の寺院。この地方の領主であった竹中重治の菩提寺として知られる。また、西美濃三十三霊場16番札所としても知られる。
室町時代の明応3年(1494年)に岩手の領主であった岩手典長が薩摩国金幢寺の住職であった盛庵正蹟を招聘して開いた。永禄元年(1558年)に岩手忠誠を竹中重元が滅ぼすと新たに領主となった竹中氏の保護を受けるようになる。天正15年(1587年)に竹中重門が父の竹中重治の墓を病没した播磨国三木から改葬した。寛文3年(1663年)、竹中重門の子である竹中重常により本堂が建立された。本堂及び所蔵する竹中重治画像が垂井町の文化財に指定されている。 ウィキペディアより
すぐ近くに菩提山の登山道あります
防獣フェンスあり
2021年02月26日 【城郭道】たっきー
水堀[菩提山城 遺構・復元物]
かつて陣屋は水堀に囲まれていたが、現在では櫓門のそばに一部残るのみとなっている。敷地内は小学校などになっている。 ディアゴスティーニ日本の城118巻より
2021年02月26日 【城郭道】たっきー
めかくし石垣[菩提山城 遺構・復元物]
門を入った正面に築かれた石垣。門の内側は枡形になっており、さらにこの石垣を設けて外から見えにくくしていた。 ディアゴスティーニ日本の城118巻より
2021年02月26日 【城郭道】たっきー
櫓門[菩提山城 遺構・復元物]
幅約11m、奥行約5.4mの規模をもつ木造白壁塗の櫓門。石垣や堀の一部とともに城域の東側に残された、現存する唯一の建築物である。 ディアゴスティーニ日本の城118巻より
2021年01月20日 村国根室守稲葉
菩提山城
山頂付近は雪が積もっていました。途中、登山道を整備する男性に会いました。「たくさんの人に来てもらいたい」とのこと。途中の道も城跡も安全に手入れされており、本当に感謝です。縄張図にある北の水の手方面からも登城ルートがあるようですが、ハイキングコースの地図にはありませんでした。
2020年11月04日 小山 美濃守 政光
菩提山城
以前竹中氏陣屋と竹中半兵衛の墓のある禅幢寺に行った時、禅幢寺横に菩提山城への入り口を発見し、日を改めて登城。15時すぎ。
午前中に南宮山を登ったのもありますが、この1950メートルが思いのほか大変でした。
途中少しわかりにくい道もありましたが、16時ちょい前に本丸に到着。西の丸など含め15分ほど城内散策した後急いで下山、なんとか日の入り前に山を出ました。
後で垂井町観光協会のハイキングコースを見ると、菩提寺と白山神社の近くのコースの方が距離が短いことが分かり、事前にしっかり確認してから行くべきと反省。しかしいい山城でした。
2020年09月24日 織田上総介晃司
竹中陣屋[菩提山城 寺社・史跡]
現存の櫓門の斜め向かいに駐車場があります。陣屋の敷地は岩手小学校となってますのでむやみやたらと入らずに櫓門周辺だけにしておきましょう。
陣屋を建てたのは竹中重門(半兵衛の子)で、時期も関ヶ原の後なので半兵衛は陣屋にはいなかったのですが半兵衛の銅像があります。
滋賀県方面に少し進むと関ヶ原古戦場跡があります。なぜかいつも夕方から薄暗くなる時間に関ヶ原を通ってしまうのでいまだに古戦場跡を散策しておりません。(そのような日程を組む私が悪いのですが…)
2020年08月15日 :::真田土佐守持郎❖
菩提山城
昨日、白山神社より登頂しました。
前に登った時は知識も時間も準備もなくただただ焦って往復しようとしました。
真っ暗な山を降りると言う怖い思いをし、もうここには登らないと決めていましたが美濃守を頂き菩提山城に背を向け帰える事はできないと思い再チャレンジしました。
また間違えたら…熊と遭遇したら…など緊張しながら登りました。
あれから5年、山城登山のレベルも少々上がったようで、準備もして前回のミスも見つけそれを生かし無事に登頂、下山できました。
濃尾平野の絶景感激、城跡も前より見えるようになり楽しめました。
5年間のモヤモヤした気持ちが晴れてスッキリ千葉に帰る事ができました。
登って本当によかったです
また登りたいと言う気持ちになりました!
登る際は竹中陣屋跡隣にある菁莪(せいが)記念館にて話を聞いてみてください。
4コースあるのでご自分にあったコース選びが必要かと思いますし、地元の方の助言は必ず役に立つはずです。
熊よけの鈴、杖貸していただけます。
また、山の中で怪我をした時の連絡先など聞いておくと良いでしょう。
携帯の電波はギリギリでしたau
山頂付近で骨折した方の話しも聞かせて頂きました。
準備をして心にゆとりを持ち、楽しい山登りになる事を願っています。
上級者の方、説明付きの写真載せて頂けると勉強になります。
よろしくお願い致します。
2018年10月02日 玄蕃助がげちゃんⅡ号T型
菩提山城
竹中陣屋跡ですが、櫓門の内側は、小学校と幼稚園の敷地になっているみたいです。むやみに櫓門の内側に入らない方が、無難かもしれないです。
2017年09月07日 安田大蔵卿秀俊
菩提山城
山麓の 竹中氏菩提寺 禅幢寺には、
竹中(半兵衛)重治
・(父)竹中重元
・(妻)得月院(安藤守就の娘)
・(弟)竹中(久作)重矩
・(家臣)所太郎五郎(半兵衛の稲葉山城乗っ取りの時の1人)
の墓があります。
2015年12月29日 :::真田土佐守持郎❖
菩提山城
本日、登頂しました。初心者が軽い気持ちで登ってはいけませんね。
片道40分往復で90分あれば戻れると勘違いし、白山神社登山口から城跡を目指しました。その時点で15時。
ハイペースで登るもぬかるんだ足場に急な斜面、体力には自信ありですが、半分くらいで息切れしはじめ、なんとかやっとのおもいで菩提山城跡に到着、絶景に城跡に感動!しかし、楽しむ時間もなく急いで下山。
やはり足場がわるく滑って二度転倒!来た道を戻っていたはずがいつの間にか道ではない(; ̄O ̄)
左右上下目指す方向がわからない、こんな時はどうしたら良いですか?選択したのは下。とにかく山を出たい思いで道なき道を下ると神社に着きました。そこは竹中半兵衛様が眠るお墓のある禅幢寺でした。
軍師様に導かれ下山することができたような気がしました。浅はかな知識で誰もいない山に入るのはとても危険です、体力も失った時に熊に遭遇でもしてたらと思うと、ゾッとします。
菩提山城跡を目指す方、安全に無事に登頂下山して下さい。
1日に岐阜城とダブル登山は無理がありました、とにかく反省です。
2011年08月07日 三河守コーキしゃん
菩提山城
竹中半分兵衛の父、重元が築いたぉ城です。
白山神社から登りましたが駐車スペースがあり道も整備されています
主郭まで徒歩30分位でした。
主郭に入る時の土橋と空堀がはっきり残っていました他にも土塁や竪堀などがあります
主郭部の眺めは絶景です
2010年07月23日 徳川内大臣源朝臣康武
菩提山城
[武将像]竹中半兵衛像
麓の竹中氏館に甲冑座像が鎮座。同スタイルの像が、タイトピア(垂井町図書館、歴史資料館)、関ヶ原町歴史民俗資料館にありますが、首の向きが違うような・・・