小島城(おじまじょう)

小島城の基本情報

通称・別名

木戸城

所在地

岐阜県揖斐郡揖斐川町春日六合

旧国名

美濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

鎌倉時代

主な改修者

土岐頼康

主な城主

西尾氏、土岐氏

廃城年

明徳元年(1390)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

揖斐北方城(岐阜県揖斐郡)[4.9km]
菩提山城(岐阜県不破郡)[9.2km]
垂井城(岐阜県不破郡)[11.9km]
御茶屋屋敷(岐阜県大垣市)[12.1km]
京極氏城館(滋賀県米原市)[12.1km]
相羽城(岐阜県揖斐郡)[12.7km]
不破の関(岐阜県不破郡)[13.4km]
曽根城(岐阜県大垣市)[13.5km]
長松城(岐阜県大垣市)[13.8km]
松尾山城(岐阜県不破郡)[14.8km]

小島城の解説文



小島城(おじまじょう)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町春日六合にあった日本の城(山城)。

概要 

小島山の麓に築かれ、守護・土岐氏の拠点として一時は美濃国の中心的存在であった。城の東は岩壁、西は急斜面、南は粕川に接する崖で、天然の要害となっていた。城から南東方向の山稜を木戸尾と呼んだため、木戸城ともいう。遺構は石垣や堀切の一部のみが残る。

歴史 

築城年代および創築者ともに未詳だが、14世紀初頭の正和年間頃には西尾右京亮が在城していたとされる。その後、土岐頼貞の子・土岐頼清が分家して小島に移住した。その子・土岐頼康は小島城を改築して居城とした。城は最も高い地点に物見櫓があり、その下の三段の平地に本丸があったとされる。1342年(康永元年)に頼康は土岐氏宗家を継ぎ、後光厳院が美濃に逃れて来た時には、供奉して小島頓宮を造営した。頼康の後は甥の土岐康行が継いでいる。1390年(明徳元年)の土岐康行の乱では小島城は京極高秀らの室町幕府軍に攻められ、落城した。以後は幕府軍側にいた土岐頼忠が守護となって新たに本郷城を拠点とし、小島城は廃城となった。

参考文献 

  • 『日本歴史地名大系』(オンライン版) 小学館

小島城の口コミ情報

2025年05月08日 しぇるふぁ加賀守
上野城[小島城  周辺城郭]



揖斐川町指定史跡の城郭跡です。住宅地の中にポツンと標石柱があります。城跡は農地化または宅地化されており、主だった遺構は見当たりませんでした。(おそらく破壊されたか畑下に地中化されていると思われる。)

訪問時の注意事項として、閑静な住宅地内にあるので、住民の方などに対面したら失礼のないように見学をお願いします。また、城址のほぼ全てが私有地と思われるので、勝手な立ち入りや住宅が映り込む撮影等をやらないように気をつけて下さい。

すぐ隣に最近設置されたように思われる真新しい案内標柱がありました。案内標柱の方にはQRコードがあり、かざして検索すると詳細な解説ページが表示されます。以下、その解説ページの解説文を原文ママで記します。

【解説ページより】
揖斐川町上野区字城山地内、揖斐川及び粕川により形成された河岸段丘上の南東端部付近の道路端に「町史跡 上野城趾」の石柱が建てられている。以前生えていた木も現在は伐採され、僅かに根部分が残っている。石碑の背面辺りは、荒蕪地となっている。
宅地化される以前、石碑の東側、段丘端部に近いあたりには、北から南に向かって中約7m、長さ約40mの弓型をした堀が残っていたという。深さ2~4mを測り、北側は浅く南側は深かったとの事である。尚、北から少し南に下がったあたりの堀の中に土盛りがあったという。この土塁に沿って「との街道」と呼ばれる細い道があった。
【追記・史実など】
山洞の野原義氏所蔵の系図によれば、「藤原鎌足二十五代の子孫に、野原修理亮為勝(のはらしゅうりの
すけためかつ)なる人がある。その妻は、市橋城主市橋長久の娘で、子息を才勝といったるまた、為勝は、弟野原小十郎吉輔(のはらこじゅうろうよしすけ)を上野城に居らしめた」とある。これは応永年間(1394~1427年)の事で、その子孫がこの城を支配していたと伝えられている。為勝は、別名小池藤内と称し、土岐本家康政に仕え所々に従軍して、功績を立てたとあるから、小島庄の内、上野地区辺を領有していたとも考えられる。
それでこの地に城を立てて分家したものか、また為勝の長子才勝は、別名右馬の二郎小吉入道浄蓮と号し、父に劣らぬやり手で、野原氏一統の統領として、幾多の戦功を積んだ事が書かれているので、この人が叔父を助けて久瀬川(揖斐川)の荒地を切り開いたと考えてみると、今の才勝河原の名前も出所が分かるような気がする。因みに、野原系図を見ると、この才勝の孫が彦にあたる人で小池藤内小池備後守という人は、織田軍機や太閤記には、指折りの将に数えられている。
昔、この地に城のあった頃、この一帯は現状より東方に高台が続きのびていて、今の上野区川原の辺りは、深い土中であったのが、天永3年(1112年)の大水で久瀬川(揖斐川)が切れ込み、城址の七分通りが川原になり、城の東南にあった石戸村もこの時流出したという。今でも上野から溝尻裏にかけて、石戸流跡という地名が残っている。また、河原町の(西)即ち上野城地の崖下は、明治39年の水に久瀬川(掛斐川)が溢れてこの所を流れたという。(地元資料の出典より)

2025年01月12日 とんかつおやじND
白樫城[小島城  周辺城郭]



揖斐郡揖斐川町白樫

城主 斎藤利安・利賢・利三

延徳二年 守護土岐氏の重臣で守護代斎藤利安によって築かれたと云われている。
明応七年に斎藤妙純・利親父子が戦死すると、まだ幼い利親の子・利良の後見のため稲葉山城山麓に移った。
 利安は、永正五年に斎藤道三(利政)の父(長井新左衛門尉)によって暗殺されたと云われている。その後を子利匡の子利賢が継ぎ、斎藤道三・義龍に仕えた。
 その子斎藤利三は天正十年本能寺の変で光秀方に与し、羽柴秀吉によって斬首となった。白樫城も廃城となったと云われる。
 江戸時代の慶安三年 大雨による山崩れで、城の中心部を失い、小丸を残すのみとなった。 

NHK大河ドラマ「春日の局」が放送された時 白樫城の大看板が建てられたらしい

昨年 地元総出 日数48日 141時間 人数180人 登山道整備に要したとの事

一部ロープを使って登る箇所があります 小丸と呼ばれる処に石碑あり 石碑下段に竪堀らしき地形 南側が崩落箇所なのか? 深くえぐれた谷底となっている 北の谷には巨大な竪堀の様な谷に竪土塁風地形が麓まで落ちている 地形図で確認すると麓に土石流が流れたかの様な盛り上がり地形となっている 地形図で妄想しながら登城がおすすめ

2023年07月28日 友乃足軽隊
小島城



山奥に入れば何かのあるかもしれませんが、奥まで行けませんでした。近くにある岐阜のマチュピチュは眺めがいいとこでした。

2023年02月17日 とんかつおやじND
安国寺(稲葉光朝の墓)[小島城  寺社・史跡]



美濃国守護の土岐氏や有力武将の稲葉氏所縁の寺院で、明応4年に船田合戦に敗北した土岐成頼が同寺で出家したほか、斎藤道三に土岐氏が滅ぼされた際、稲葉光朝が斎藤家に復讐するため千人斬りの願を立て、安国寺に潜んで夜な夜な岐阜へ人斬りに出向いたという伝承がある。

寺内には稲葉光朝の墓と伝えられる五輪塔のほか、西国三十三番観音供養塔がある。また、織田信雄の制札(池田町指定有形文化財)を所蔵している。

小寺城から直ぐ近く

2023年02月16日 とんかつおやじND
小寺城[小島城  周辺城郭]



小寺城(池田山城)

寛正年間 美濃守護土岐成頼の命で、稲葉塩塵(通貞)が築いたとされます。大永五年 牧田の戦いで浅井亮政と戦い、子息の通則らが討死しました。道則の子の一鉄(良通)が継ぎ、天文三年 一鉄は曽根城に拠点を移し、小寺城は廃城

堰堤建設で改変あるかも❓
竪堀らしき堀底道❓があり ニ段の曲輪が確認できました。
先の登録位置は 道路にある入口看板の位置だと思う
獣柵入口に「関係者以外立ち入り禁止」の看板あり 池田町役場に問合せて立ち入り許可を頂きました。行かれる方は問合せ許可頂くと安心です。

2023年02月09日 とんかつおやじND
瑞巌寺 土岐頼康父子廟 伝後光厳院頓宮[小島城  寺社・史跡]



瑞巌寺境内南側の山道をおよそ1kmほど登った右端に、2つの宝篋印塔が立っている。頼清は、池田郷に住んでいたが、京都に赴き足利尊氏の軍勢に参加し、摂津芥河で病死した。土岐氏の惣領頼遠が不敬の事があったとして処刑されたため、頼康が代わって惣領となり、美濃・尾張・伊勢の三国の守護に補せられ革手に新城を築いた。
頼清の墓は彼の死後、頼康が瑞巌寺を建立した頃に築造されたものである。
岐阜県指定史跡

美濃守護土岐氏が美濃・尾張・伊勢の三国の守護になり最も繁栄した時代

2021年11月07日 近江守フロクニ
小島城



県道32号の樫大橋の所から細道を1.6km進み更に分岐を右に、300mで駐車場に。整備された遊歩道を300m進むと城名石碑のある場所に。此処から更に山登りで水平400m高度70m進み曲輪を幾つも抜けるとちょっと広い場所に出て、城マークと一致しました。ただ、その場所から北西側に土橋のようなものもあってまだ上がありそうでした。また降りていく途中で主郭の少し下に石垣で囲まれた井戸のようなものもありました。

2021年05月31日 野良犬しろチロ丸
小島城



登山口ちは左右5台づつくらい置けそうな駐車場があります。道は少し整備されており、歩きやすいです。

2021年01月02日 とんかつおやじND
禅倉寺 土岐頼忠公墓所[小島城  寺社・史跡]



禅蔵寺(ぜんぞうじ)は、岐阜県揖斐郡池田町の池田山西側にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は佛厳山。開基の土岐頼忠ほかの土岐一族の墓がある土岐氏ゆかりの寺である。

延文元年(1356年)に美濃国守護の土岐頼忠が土岐氏の菩提寺として覚源禅師平心処斉を開山に招いて開いた。頼忠以降の歴代の土岐氏当主が保護し、最盛期には寺領500石を有し、玉洞院、知足院、松月庵や甚野坊など16の塔頭寺院を抱えていた大寺院であったが、土岐氏の没落と共に衰退した。また、慶安年間に寺が土砂崩れに巻き込まれて多くの資料を失ったと伝わる。江戸時代には大垣藩主としてこの地域の領主となった戸田氏の保護を受けた。

岐阜県指定の史跡として、土岐頼忠やその子の土岐頼益など土岐一族の墓があるほか、寺内にある坂本積の石垣や本尊の地蔵菩薩が池田町指定の文化財に指定されている。
ウィキペディアより

奥の麓にある本宮尾白三光稲荷神社は城域と間違える様な 石積み、土塁、堀があります当時の土岐氏の権力が伺えます

2020年09月15日 葵 弾正大弼
小島城



登山口に駐車場があります。5〜6台可。そこから徒歩。私は3時頃行ったのですが、山頂までどれくらいかかるのかわからなかったので、100メートル程で引き返しました。軽装では危険な感じがします。

2011年06月09日 日光人
小島城

県道32号を春日発電所に向かい、左手に南無観世音大菩薩入口の看板がある脇道を右折し、道なりに走る事10分位で「小島城址・東山公園」の看板が右手に見えてきます。
あり、徒歩5分程
山道でカーブも多いですが舗装されていて走りやすいです。スピードを出し過ぎると看板を見落とすかも‥
ゆっくり安全運転で

小島城の周辺スポット情報

 城名石碑(碑・説明板)

 小寺城跡(碑・説明板)

 白樫城(周辺城郭)

 宮地館(周辺城郭)

 小寺城(周辺城郭)

 上野城(周辺城郭)

 池戸城(周辺城郭)

 下狩宇城(周辺城郭)

 上狩宇城(周辺城郭)

 土岐頼康居宅(周辺城郭)

 角之御前屋敷(周辺城郭)

 禅倉寺 土岐頼忠公墓所(寺社・史跡)

 小西神社(寺社・史跡)

 後光厳天皇 伝小島頓宮跡(寺社・史跡)

 瑞巌寺 土岐頼康父子廟 伝後光厳院頓宮(寺社・史跡)

 安国寺(稲葉光朝の墓)(寺社・史跡)

 宇喜多秀家公の匿居地の石碑(寺社・史跡)

 東山公園トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 絶景ポイント(その他)

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