揖斐北方城(いびきたかたじょう)
揖斐北方城の基本情報
通称・別名
- 北方城
所在地
- 岐阜県揖斐郡揖斐川町北方(城山公園)
旧国名
- 美濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 吉田休三入道
築城年
- 建武・延元年間(1334〜1340)
主な改修者
- -
主な城主
- 吉田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
小島城(岐阜県揖斐郡)[4.9km]
相羽城(岐阜県揖斐郡)[10.9km]
菩提山城(岐阜県不破郡)[13.6km]
御茶屋屋敷(岐阜県大垣市)[13.9km]
曽根城(岐阜県大垣市)[13.9km]
軽海西城(岐阜県本巣市)[14.0km]
杉原砦(岐阜県揖斐郡)[15.2km]
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揖斐北方城の口コミ情報
2024年06月27日 図書頭RedKing
揖斐北方城
R303を揖斐川町の街から西へ北方小学校の入り口辺りで公園への案内標識(色褪せして判りにくくなっています。)で細い集落道に入って暫く公園へのWelcome標識があり、左手鋭角に山登りの細道に入ります。後1km位の標識からしっかり登り坂で山頂公園に一本道です。
私が登城した時には、バンビちゃん3頭がお迎えしてくれました。熊チャンでなくて良かった。ベルに笛、勿論、藪山は長袖に安全靴に軍手、場合によっては保護帽がこの時期必要です。
2~300mと思わないでください。美濃の藪山は、ハエ、カよりも後で痒いブヨやヒルに、もうマムシがいます。現場に車直付けで気楽な場所こそお気を付けください。
尚、お猿軍団もトンビ君も見張っています。産廃不法投棄監視カメラも、同じ立地です。
美濃の山間地では、揖斐石や材木に炭にシバ(薪)や茶、山菜そしてジビエが田圃を作れない代わりの収入源で、他方美濃南部の低平地は森林がなく舟運の交流は重要でした。
大河が急に開け緩やかになる扇状地の要の地に急傾斜の砦は重要拠点だったでしょう。
この辺りからヤナと呼ばれる漁場が多数あって風情を醸し出していましたが、コロナ以降廃業が重なりました。長良川の観光鵜飼とは異なり、天然鮎を生業とされる方々も居られました。
2024年01月11日 とんかつおやじND
清水古城[揖斐北方城 周辺城郭]
源頼光六代の孫 頼兼が清水に住み 清水五郎と名乗る その子
頼高の子孫四代に亘り 約百六十年間清水に住み 清水古城の源を作る
林七三郎左衛門道兼(初代 1336年)清水山頂に城を築く、六代道忠に及ぶ約二百年間
城主加納悦左衛門を稲葉一鉄が攻め落とし 山を崩して平地に城を築頂た
といったことが釣月院の看板に書かれていました。
麓からの比高は約100m 釣月院からは20〜30m程になります
釣月院までは車で上がれますが、我が愛車ではかなり厳しく 麓の清水公民館をお借りしました
釣月院の西側から登れます 中腹に西側と南側を石積みで固めた削平地があり 北西上辺りに虎口らしきが見られ 10×10m程の曲輪
尾根に上がると一部石積みが見られて 東側に堀切らしきがあり 西側は所々平地がある
釣月院西側下段を西へ回り込んだ所にも広い削平地が二段ありますが どの時代で寺院か城関連かは分からず ただ 寺院も山の削平地も石積みが見られるのに ココの広い削平地には石積みどころか石も見られない ひょとしたら一鉄はこの辺りから清水城の石を調達したのかな?と妄想
2023年02月14日 とんかつおやじND
春日局公園[揖斐北方城 寺社・史跡]
白樫城の城主斎藤家が3代にわたり住んだ屋敷跡 ここの地名を昔から「角の御前」と呼ばれその一角に「局田」と呼ばれる館跡があり 天正七年、この館で「お福」は生まれたとされる。西美濃お茶街道沿なので 揖斐、谷汲帰りに立ち寄りやすいかも…
2023年01月12日 RED副将軍
揖斐城[揖斐北方城 周辺城郭]
整備状況抜群で様々なギミックが詰まった実戦山城🏯
ビギナーからマニアまで楽しめます✨
オススメ度 ★★★★⭐︎
1343年に土岐氏一族の土岐頼雄により築城。その後、揖斐氏を称して代々揖斐氏の居城として続きました。
1547年、6代当主の揖斐光親は斎藤道三によって攻められ落城しました。
その後、斎藤道三家臣の堀池氏が入城しましたが、1567年に斎藤氏を離反し織田信長の家臣となった稲葉一鉄によって攻められ再度落城しました。
その後に稲葉一鉄の子である稲葉貞通が城主となるもしばらくすると破却されました。
見所
標高223mの城台山に築かれており、整備がキレイにされているため山城ビギナーにもオススメ城です。
東西に伸びる尾根上に郭が連なる連郭式山城。
主郭は東に桝形虎口が開口し、両サイドの竪堀で削り残した土橋に繋がります。
山頂部の二郭北側下には帯郭と横堀も認められます。二郭南側下には岩盤をくり抜いた井戸が現在も水を湛えています。これほどの山中に立派な井戸があるとは驚愕で見所のひとつです。
東端の搦手郭も土橋付きの堀切で防御線が張られ、全体的に鋭い切岸加工された実戦的な山城です。
ビギナーからマニアまで幅広く楽しめると思います。
行き方は、麓の三輪神社から山道が付いており登城しました。
山腹にある一心寺からも駐車場があり遊歩道から登城することができる様です。
写真
①東端の堀切&土橋
②井戸
③④主郭の桝形虎口
⑤主郭東側の竪堀
⑥主郭東側の土橋
⑦二郭
⑧二郭下の横堀
2022年06月14日 やまぴぃ
揖斐北方城
岐阜西濃方面の城攻めで揖斐北方城に行ってきました。城址(頂上)までの道中は狭くて大変でしたが、何とか無事に到着🏯。しかしながら、石碑と一部のひらけた場所のみで案内板なども無く残念でしたが、頂上からの眺めがいいので、近くをお通りの際には景色を見に寄ってみてはどうでしょうか📷。
北方城の近くに「恋のつり橋」というところがあったのでちょっと寄り道🚙。でも一週間程前からつり橋点検で通行止めで渡れず…これまた残念でした😢つり橋の点検が終わったら、また揖斐川町にドライブに来たいと思います😌
2022年03月15日 RED副将軍
揖斐北方城
山頂の城跡まで車で行けますが、公園化により遺構は消失😿
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
建武・延元年間(1334年〜1340年)に吉田休三入道によって築城。
吉田氏は南北朝時代は南朝方に付き、土岐氏と連戦しました。
見所
揖斐川に突き出た標高201mの城山山頂に築かれており、舗装された道が付き山頂まで車で行けます。
但し、公園化による改変されており、山頂の削平地くらいで遺構は見当たらず。
2021年03月17日 天道式部卿早雲
清水城[揖斐北方城 周辺城郭]
小学校の敷地が城跡みたいで、石垣は当時のものらしいです。説明板は敷地内なので画像は遠方からです。 車は、すぐ近くの立派な公民館の駐車場があり、そちらに停めさせてもらいました。ただ、道は細く登下校時間などは児童等に十分にご注意を!
2021年01月24日 Sサブ郎四郎薩摩守
揖斐北方城
頂上まで行き眺める景色が最高です!揖斐川にかかる赤い橋綺麗です。
2021年01月11日 とんかつおやじND
清水城[揖斐北方城 周辺城郭]
清水古城を攻め落とした 稲葉一鉄は 永禄八年 その山城の石垣を壊して 平地の城を築いた 清水城に稲葉家が居城したのは 一鉄が天正七年に移ってから 重道、道重の三代で 慶長十二年に改易になるまで二十八年間
東門の近くに生える「はなのき」は一鉄が築城の時植えられたと言われている
東門脇の石垣は当時のものらしい。
2020年08月11日 美濃守ヒーロー
揖斐城[揖斐北方城 周辺城郭]
麓にある三輪神社から一心寺経由で山頂にある城台山に行ってきました。20分ぐらいで着きます。
土岐氏の氏族が揖斐氏を名乗り、居城としてきたそうです。
揖斐城は主郭を中心に東方向に曲輪が連なり、桝形虎口、出丸の切岸、土橋など、中々の見応えです^ ^
ちなみに城台山の尾根道を東に縦走すると城ケ峯の山頂に辿り着きます。山頂手前に一条の堀切があり、曲輪などは不明瞭ながら城跡っぽい遺構があります。
2020年05月26日 【G6】OROKA参議
揖斐城[揖斐北方城 周辺城郭]
揖斐城は揖斐北方城の東に位置する城。土岐氏により築かれ、それより揖斐氏を名乗ったそうです。
斎藤道三が土岐氏の大桑城を攻めた際に一緒に落とされてるそうですf(^_^;
麓の三輪神社から登山道があり、山の中腹にある一心寺を経由して15分ほど登ります。
縄張りはL字型に郭が連なり、本丸へと続きます。遺構は少し荒れ気味でしたが、本丸前の切岸はズバッと鋭くてなかなか見応えありです。
また、帯郭にはところどころ竪堀が入っていて意図的に郭に細いくびれを作っているようで「これは大軍がここで足止めされるなぁ」とか考えながら探索すると楽しいです。
揖斐北方城を見て「公園化されてて遺構もほぼ無いし、物足りないな」と感じたそこのアナタ!
山城のエッセンスを感じたければ、揖斐城にもぜひ足を運んでみてください(´▽`)
2017年04月08日 橘若狭守次郎吉
揖斐北方城
山城といっても遺構は曲輪くらいしかありません。山頂に本丸跡があります。本丸跡は「桜の名所」とのこと。晴れていれば景色が楽しめます。もっとも雨の時でも霧がかかると素晴らしい景色となります。
山頂付近まで車道が通っています。車道の行き止まりのところに駐車場があります。3台ほど停めれます。駐車場には石碑があります。駐車場までの途中の車道沿いには説明板があります。本丸跡にも石碑があります。
2016年05月17日 青コアラ美濃守
揖斐北方城
周辺に別名も含めて「北方」と名の付く城が幾つもある為、こちらは揖斐北方城と呼ばれています。
R303を北上、北方小学校を過ぎて右斜め前方に伸びる道に入りすぐ右折、少し進んで左の道を鋭角に入ると右側に城の説明板があります。
車道は主郭直下まで続いていて、終点はロータリーの様になっていて狭いが、2,3台駐車できます。
山城と言っても完全に公園化されていて、城跡の雰囲気はあまり感じられません。詳しくは見ていませんが、山頂が削平されている事ぐらいしか遺構は無いようです。
石碑は車道終点の手前に大きいのが、主郭に小さいのがあります。